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猫が隠した星  作者: Junbi


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6/32

第五幕 面倒をみると言うこと

「とりあえず一回、座りなさい。いい加減にしなさいよ、あんた」

 男は闘志をむき出しにして、肋骨の浮いた体をベッドから起こした。

 部屋には、湿布と古い布団とポータブルトイレのにおいが混ざっていた。窓は開いていたが、風はほとんど入ってこない。枕もとには読みかけの本が何冊か積まれ、その横に、丸めたティッシュと飲み残しの水が置かれていた。

 カヂルグミは床に座っていた。正座のつもりだったが、片膝だけがすこし浮いていた。

「じゃあ、聞くがね」

「はい」

「責任を持って我々の面倒を見ると、あんたはそう言うんだな?」

「はい」

 カヂルグミはうなずいた。

「我々の住む場所を用意して、飯の支度もしてくれるんだな?」

「はい」

「掃除も洗濯も、やるんだな?」

「はい」

「俺のクソも始末すると、おたくは言ったぞ。忘れたとは言わせないからな」

「ええ。記録しています」

「記録してるのか」

「はい」

「医者の手配から治療費まで、もろもろ面倒をみてくれるんだよな?」

「もちろん」

「あまった湿布は近所に配れ、だったか?」

「それは、冗談が過ぎました」

 カヂルグミは目をふせた。

「旅行に連れて行ってくれるんだよな。外国だろうが、宇宙だろうが、どこにでも連れて行ってくれるんだろ。土産の請求書も、おたくに回していいんだよな」

「それは、まあ、はい……」

「そこまでして、あんたはなにも受け取らないと。一円たりとも」

「そうです」

 カヂルグミは、そこだけははっきりと答えた。

「お金の話ではありませんから」

「まったく、馬鹿馬鹿しい」

 男は鼻で笑った。信じる気など、はじめからなかったらしい。皮脂でくもった眼鏡の奥で、目だけは妙に生きており、弱った体の中に、相手を疑う力だけがきちんと残っているようだった。

「聞かせてもらいたいんだが」

「はい」

「それで、あんたに何の得があるって言うんだ?」

 カヂルグミは少し考えた。たぶん悪手だとは思ったのだろうが、それでも正直に答えた。

「私自身、それで何かを得ようとは考えていません」

「そういうきれい事はいらないんだよ」

 男の声は静かだったが、静かなぶんだけよく通った。カヂルグミは口答えをせず、そのまま黙った。

「私は我慢したつもりだ」

 男は身を乗り出し、ふるえる指でカヂルグミの胸を小突いた。

「おたくらが、私のことを赤ん坊扱いしてくることについては、もうすでに十分に我慢してきた。おたくが仕事で私の相手をしていることも理解している。だから我慢した。しかし、いくらなんでも、私を馬鹿にしすぎだとは思わないか?」

 男はティッシュを一枚取り、舌にからんだ痰をそこへ押しつけた。

「私を対等な人間だと思えないのであれば、それで構わない。しかし、それにしたってひどすぎるだろうよ。敬意の欠片もない。うそをつくのだって仕方ないんだろうが、もう少しまともなうそをつく気にはなれないのか。そりゃあ、あんたらには、私がもうろくしているように見えるのかもしれんし、実際、私はもうろくしているのかもしれない。それでもね、そんなホラ話は絶対に信じない。子どもだましですらないじゃないか」

 こいつは困ったぞ、とカヂルグミは思った。

「試しに一度だけ、奥さまと一緒に来てもらうことはできませんか?」

「できない」

 男は即答した。

「行かない。私は自分の家にいたい。そこが病院だか、老人ホームだか、天国だか知らんが、絶対に行かない。貴様のような連中がいるところなら、なおのことな」

「心苦しいです」

「馬鹿が」

 話は終わった、という顔で、男は枕もとの本を手に取り、ページを開いた。内容を読んでいるというより、カヂルグミを見ないためにそうしているようだった。

 カヂルグミは、しばらく床に座っていた。ここで引き下がるのも、あとあと面倒になる。しかし、これ以上押せば、男の態度はもっと固くなるだろう。かといって、持ち上げて扉まで運べば済む話でもなかった。

 男の扉は、まだ出ていなかった。

 カヂルグミは立ち上がって部屋を出た。廊下まで来ても、においはすこしついてきた。

「早いわね」

 男の妻は、台所で茶の準備をしていた。

「駄目だったでしょう?」

 はなから期待していない声だった。会話も聞こえていたのか、カヂルグミの返事を待つ気配すらない。

「あの人、ひねくれ者だから」

「怒らせてしまいました」

「平気よ。そもそも、怒ってないときがないんだから」

 女は居間に湯呑みをふたつ置いた。茶菓子の皿には割れたせんべいが何枚かのっており、お客用というより、そこにあったものを出しただけに見えた。

 座るように言われたので、カヂルグミは腰を下ろした。今度は、いくらか自然に座れた。

 女はタバコを取り出し、火をつけた。

「最近、またはじめたの」

 たぶんタバコのことだろうとカヂルグミは思ったが、その言葉に含まれているものまでは、よくわからなかった。

「どうにもならないでしょう、あの人」

「いえ」

 カヂルグミは湯呑みを手に取りかけたが、熱そうだったので、すぐに置いた。

「こちらの配慮が足りませんでした」

 初手を間違えたことは、本人も認めていた。ぞんざいに扱ったつもりはなかったが、男の言う赤ん坊扱いについては、心当たりがある。

 カヂルグミは、地球人の幼体と老体の区別がかなり怪しかった。女の夫であることは事前に聞いていたのに、実物を見た瞬間、処理がすこしずれたのである。か弱く、細く、すぐ壊れそうで、だれかの手がなければ食事も排泄も難しい。そこだけを見ると、カヂルグミの中では幼体に近かった。地球人からすれば、たいへん失礼な話である。

「我慢、我慢、我慢。あれで我慢しているつもりみたいよ」

 女は皮肉っぽく言って、煙を吐いた。

「ほんとうに、だれにだってああなの。胸の血管が詰まって苦しそうにしていても、救急隊の人を怒鳴り散らして、追い返そうとしたことがあるんですから」

「その時は、どうやって病院に?」

「あのときは……救急隊の人が、辛抱強く説得してくれたのかな。あの人も、そのうち抵抗する気力がないくらい、ぐったりしてしまって。病院に向かう途中で、本当に心臓も止まりかけたの」

 女は灰皿に灰を落とした。

「いっそ、あのまま死んでいてくれたらよかったのにね」

 そういう手もあるな、とカヂルグミは思った。

 男は、自分の家にとどまりたいらしい。いまよりずっと環境のよい場所があるとわかっても、現状を変えることを望んでいない。とはいえ、もっと弱って、考える余地そのものが減れば、話も変わるかもしれなかった。

 そういう考えが浮かぶあたり、このころのカヂルグミは、まだかなり雑だった。

 カヂルグミが男について思案していると、奥の部屋で男が騒ぎはじめた。しきりにだれかの名を呼び、しばらくすると怒鳴り声に変わった。喉が擦れ、途中で何度も咳き込んだが、それでも怒鳴るのをやめなかった。

「だれのことです?」

「さあ」

 女は興味なさそうに首を傾げた。

 女が動かなかったので、カヂルグミも動かず、ふたりは黙ってタバコを吸った。

 すこしして男の声が止んだが、女はそれを確かめるでもなく、茶をすすった。

「扉の先には、死んだ人もいるの?」

 声の調子が、それまでとすこしだけ変わった。

 この女は、蔵へ行くことに前のめりだった。彼女の扉はすでに出ており、あとは、いくつかのチェックポイントを通るだけだった。

「います」

 カヂルグミは答えた。

「私の両親や、祖父母も?」

「はい」

「その前のご先祖様も?」

「おそらく」

「はあ」

 女は口を開けたまま、煙を吐いた。

「想像もつかない」

「よく言われます」

「それって、どういう仕組みなの?」

「仕組み」

「扉を通った先って、もともと死んだ人たちが行く場所なの?」

 女は自分で言ってから、すこし笑った。

「私たちが、そっちに行くの? それとも、あなたたちが造った夢みたいな場所を目指して、幽霊とか魂とか、そういうものが移動したの? お墓なのか天国なのか知らないけど、そこからお父さんやお母さんが這い出てきて、そっちへ行ったってこと?」

「違います」

 カヂルグミの返事は、珍しく早かった。

「かなり違います」

「かなり」

「はい」

 得意そうというより、ここを間違えると面倒になると思っている顔だった。

「石があります」

「石?」

「比喩です」

「比喩」

「正確な言葉ではありません。ただ、地球語では、その方が近いです」

「魂みたいなもの?」

「魂という語を使うと、誤解が増えます」

「じゃあ何なの」

「本人の記録の核です」

「記録の核」

「はい」

「石じゃなくて、記録の核って言えばいいんじゃない?」

「意味としては、石の方が近いです」

「わからないわ」

「でしょうね」

 カヂルグミは、湯呑みをすこし横へずらした。熱いものを手元に置いたまま説明するのが、不安だったらしい。

「その石には、本人の情報が残ります」

「情報」

「はい。あなたが、いつどこで尻をかいたか。何色の靴下を穿いたか。だれを好きだったか。だれを忘れたか。何を恥じたか。だれの世話をして、だれにうんざりしたか。そういうものが、全部そこにあります」

「尻をかいたことも?」

「あります」

「いらないでしょ」

「いります。本人なので」

 女は嫌そうな顔をした。

「その石は、どこにあるの」

「生きているあいだは、本人にあります」

「死んだら?」

「肉は止まります。石は残ります」

「その辺に?」

「あります」

「今、この辺にも?」

「あります。ただ、人間の石は、今は我々が回収しています」

「人間の石、は?」

「はい。生命体すべてに石があります」

 女は、畳と灰皿と、勝手口の方へ順番に目を向けた。

「嫌なこと言わないでよ」

「嫌なものではありません」

「そういう問題じゃないのよ」

 カヂルグミはそこで少し考えた。言葉を選んでいるというより、倉庫の棚から、いちばん合いそうな道具を探しているような間だった。

「死ぬと、肉は止まります。石は残ります」

「それはさっき聞いた」

「はい」

「それで?」

「肉は体です。脳も、骨も、内臓も、表情も、声も、その人を出力していたものです」

「出力」

「はい。石は記録です。肉は、それを出す装置です」

「装置」

「正確ではありません」

「でしょうね」

「蔵では、その石に合う肉を、もう一度置きます。病気や損傷や、うまく出力できなくなっていた部分は、石に合わせて整え直します」

 女は煙を吐かず、口の中にすこし溜めていた。

「つまり、死んだ人を作り直すってこと?」

「かなり違います」

「そんなに違わないでしょ」

「明確に違います。作り直すのではなく、本人を出します」

「それは作り直すのと、どう違うの?」

「違います」

「説明して」

「いまの地球語では、たぶん無理です」

 女はあきれたように笑ったが、カヂルグミはまじめな顔のままだった。

「その見えない石を、あなたたちは回収しているの?」

「はい。石は見えませんが、こちらで観測できます。回収して、蔵へ通します」

「どうやって」

「地球語でいちばん近い道具は、掃除機です」

「掃除機」

「吸います」

「やめてよ」

「比喩です」

「比喩が下手なのよ」

「はい」

 カヂルグミは、そこは素直に認めた。

「今の説明は、四十五点くらいです」

「半分もないじゃない」

「地球語にしたので」

「地球語のせいにしないで」

「では、私の説明能力にも問題があります」

「そっちでしょうね」

「はい」

 カヂルグミはすこしだけ肩を落とした。

 女はしばらく黙っていた。奥の部屋では、男が何かを落とした音がした。

「その石どおりに、肉や骨がくっつくとしたら」

 女はタバコを灰皿に押しつけた。

「あの人は天国に行っても、あのままなの?」

「あの人とは、旦那さんのことですか」

「他にいないでしょ」

 女の目が細くなった。

「もともとがわからないので……」

 カヂルグミは、答えに困った。

「意味ならわかるでしょ。頭の中身が認知症のままなら、天国に行っても意味がないじゃない。天国でも、あいつのケツを拭けって言うの?」

「それは大丈夫です。病気は治ります」

「でも、あの人の石は認知症の形をしているんじゃないの?」

「いつから認知症を患ったか、という記録は残っているでしょう。でも認知症は、肉が抱える病気です。石そのものではありません」

「本当に?」

「本当です」

 カヂルグミは、すこしだけ身を乗り出した。

「そうでなければ、これからあなたたちが悠久の時を過ごす場所は、認知症の人だらけになります」

「ああ」

 女は、すこし嫌な納得の仕方をした。

「まあ、そういうことならいいんだけど」

 安心したようにも、がっかりしたようにも見えた。たぶん、その両方だった。

 夕方の鐘が鳴ると、女は思い出したように立ち上がり、夕食の支度を始めた。タバコをくわえたまま台所に立ち、レトルトのハンバーグを湯煎で温める。味噌汁に入れる長ネギは、勝手口の前にある小さな畑から引き抜き、土のついたまま流しへ持ち込んで、雑に洗った。

「地獄はあるの?」

 女は包丁を握ったまま言った。

「ありません」

 カヂルグミはすぐに答えた。

「早いわね」

「よくある質問です」

「掃除機に吸い込まれた先には、部屋がふたつあったりするわけじゃないの」

「ありません。部屋はひとつだけです。みんな一緒です」

「そう」

 女は長ネギを切る手を止め、天井を見上げた。何かを考えているようでもあり、ただ煙が目に入っただけのようでもあった。

「トイレに行ってくる」

 そう言って、女は台所を出た。

 そして二度と、自分の家には戻らなかった。

 翌日の早朝には、身内や子どもや友人や、元カレと合流したそうである。その時点で、カヂルグミが思い描いていたプランは、もろくも破綻した。

 あまり褒められたやり方ではなかったが、カヂルグミは妻の助けを借りるつもりだった。男の扉は男のものであり、だれかの入り口へ放り込めば済む話ではない。それでも妻がそばにいれば、男の怒りも、家に残る理由も、いくらか扱いやすくなると考えていた。

 しかし妻は先に行き、男の扉は出なかった。

 自分のケツも拭けない男だけが残された。

 かくしてカヂルグミは、本当に男のクソの始末をすることになった。

 ある日、男はカヂルグミに尋ねた。

「形の違う、見えない石が、その辺に転がっている理由は?」

「それは哲学です」

 カヂルグミが答えると、男は不満そうな顔をした。けれど、連れ合いに逃げられたと知ってからは、悪態をつく元気も、すこしだけ減っていた。

 カヂルグミは最後まで、男と心を通わせることはできなかった。男の方にも、そのつもりはなかった。

 それでも、食事も掃除も洗濯も必要だった。医者の手配をし、湿布を整理し、体を拭かなければならない日もあった。

 男は最後まで、自分の家にいることに固執した。蔵には行かない。行くとしても、自分で決める。そう言い張る力は、すこしずつ減っていった。

 それでもカヂルグミは男を運ばず、扉が出るのを待った。待ちながら台所に立ち、洗濯機を回し、医者を探し、男の本を積み直し、あまった湿布を箱へ戻した。ポータブルトイレの処理も、何度もした。

 男は文句を言い、カヂルグミはそれを記録した。たいていの場合、言い返さなかった。

 男は扉をくぐらなかった。

 最後には、石だけが残った。

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