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猫が隠した星  作者: Junbi


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4/32

第三幕 向こうで待ってますよ

 救済の扉を開けたあと、カヂルグミは、だれもいなくなった通りを歩いていた。

 星がひとつ救われたあとの道は、たいていこうなる。だから、パチンコ屋の喫煙スペースにひとりの男が入っていくのは、すこしだけ目立った。

 なんとも、くたびれた男だった。

 若くもなければ、老人というほどでもない。二十年くらいの洗濯と日常にだまって耐えつづけた服は、もう、かんしゃくを起こす寸前だった。はねた髪は、寝ぐせなのか、くせ毛なのか見分けがつかない。どちらであっても、あまり見栄えはよくなかった。

 カヂルグミは、男のあとを追って喫煙スペースに入った。

 男は、入ってきたカヂルグミをちらりと見た。

 そのとき、男の目にどんな姿が映っていたのかは分からない。

 カヂルグミの外見は、見る者によって違った。知っている顔だったり、知らない顔だったり、むかつく顔だったり、好きな顔だったりした。そもそも、人の姿に見えるとは限らない。ピエロだったり、しゃべる牛だったり、まんま宇宙人だったりすることもあった。

 それでも、胸についた名札だけは、だれの目にも同じものとして見えた。

『ぶらざぁ・かぢるぐみ』

 男は、その目立つ名札にも目をやった。

 それでも、自分と同じ負け犬を見る目をしていた。

 カヂルグミは、いぶかしげな顔をした。そんな目で見られたことが不服だったわけではない。ただ、その名札なら、つい先ほどまで地球中の人間が見ていたはずだった。

 にもかかわらず、男は、まったく知らぬ存ぜぬという顔をしていた。

 なにも言わずにタバコを一本吸った。

 二本目を吸った。

 三本目まで吸うと、吸いがらを灰皿に押しつけ、ホールの方へ戻っていった。

 カヂルグミも、そのあとについていった。

 従業員は、どこにもいなかった。景品カウンターにも人はいない。呼び出しランプは、もうだれも呼ばないための赤い光になっていた。

 それでも台は光り、玉は流れ、ごちゃ混ぜの音楽は律儀につづいていた。

 救済の入り口を開け忘れた可能性は、すぐに否定できた。ホールの奥、男が戻った台からそう遠くない通路に、曇りガラスの自動ドアが立っていた。左右に壁はなく、天井から電源が伸びているわけでもない。それでも、人が近づくと律儀に開いた。

 男が前を通ると、ドアは音もなく左右に分かれた。

 男は、そのあいだをくぐらなかった。

 開いたドアの手前を横切り、当たり前のようにパチンコ台の前へ座った。

 男が離れると、自動ドアは静かに閉じた。

 これは、おかしい。

 カヂルグミはそう思った。

 男は救済を目前にして、本当にパチンコをはじめている。

 カヂルグミは、男の真後ろに立った。

 玉が流れる。

 光が跳ねる。

 大げさな音が鳴る。

 当たりなのか外れなのか、カヂルグミにはよく分からなかった。ただ、男の顔を見るかぎり、少なくとも幸福ではなさそうだった。

「あの」

 声をかけたが、男は振り返らなかった。

「扉は、目の前にありますよ。通れます」

「ああ」

 男は、顔だけをすこしこちらへ向けて答えた。

 しゃべることはできるらしい。

 カヂルグミは、ひとまずほっとした。

「向こうにも、遊技施設は用意できます」

「遊技施設って?」

「パチンコ屋です」

「用意できるの?」

「必要であれば」

 男は無表情のまま、視線を台へ戻した。

「いや、いいよ」

「いい?」

「俺は、いいよ」

 いいとは、どういう意味か。

 カヂルグミは、すこしだけ考えた。

 考えうるかぎりの幸福は、あと数歩の位置にある。トイレや喫煙スペースまで歩くよりも少ない手間で、男は必要なものを、ほとんどすべて手に入れられる。

 それ以上にパチンコをしたいというのなら、ひとまず扉をくぐって、向こうにある好みの台で打てばよかった。

「この店では、パチンコは成立していません」

 カヂルグミは言った。

「成立?」

 男は、感情のない目を台へ向けたままだった。

「景品と交換できません」

「うん」

「景品係がいませんし、景品を補充する者もいません」

「ああ、そうだな」

「換金する者もいません」

「分かってるよ」

「掃除をする者もいません」

「それは見れば分かるだろ」

 カヂルグミは、男がまだ分かっていないと思った。

「あなたは、ゲームをしに来たわけではなく、ギャンブルをしに来ているのでは?」

「そうだけど」

「では、条件のよい場所へ移動できます」

「いいって。俺は、この店でいいよ」

 男はハンドルを握ったまま答えた。

 カヂルグミには、その違いが分からなかった。

 設備だけを比べれば、向こうの方がいいに決まっている。音も光も望みどおりに調整できる。酒もタバコも出せる。負けたときに、ちょうどよく悪態をつける隣の客も用意できる。好みの顔をした店員も置ける。望むなら、負けた日の帰り道まで用意できる。わざわざ、こちら側の台で打つ理由は、ひとつもないはずだった。

「どうしてですか?」

 カヂルグミはたずねた。

「うーん」

 男は、答えるのも面倒だという顔をした。

「そのうち、みんな戻ってくるんだろ?」

「戻ることはできます」

「じゃあ、戻ってくるだろ」

「まだ、だれも戻ってきていません。しばらくは戻らないと思います」

「いいよ」

 男は、あっさりと言った。

「待ってる。どうせ打つなら、この店がいいんだ」

 この男には、からめ手が必要だった。

「扉の向こうでは、お金を配っています」

「金?」

 男は、そこではじめて興味を示した。

「いくら?」

「必要なだけです」

「好きなだけってことか」

「はい」

「だったら、いらねえよ」

 男は、しゃらくさい顔をした。

「俺はギャンブルがしたいだけで、金が欲しいわけじゃないからさ」

「なるほど」

 カヂルグミはうなずいた。

「損失感がなくなることを心配されているんですね」

「損失感?」

「大丈夫です。向こうでも、賭けの形式を保ったまま、勝敗と損失感を再現できます」

「さっきから、なにを言ってんだよ」

 男は不機嫌に言った。

「よく分かんねえよ」

 カヂルグミは、つかみ損ねた感触にこだわらず、別の条件を提示した。

「パチンコをしながら、酒やタバコも楽しみたくはありませんか?」

 遊技台に貼られたステッカーを指さした。

「それは、まあ」

「向こうの店なら、遊技中の飲酒と喫煙ができます」

「ほう」

「健康被害もありません」

「健康被害」

「パチンコをしながら寿司を食べたくないですか」

「寿司は、寿司で食いたいな」

「パチンコをしながら性的なサービスを受ける予定は」

「お前、一回座れよ。そこに黙って座ってろよ」

 男がそう言うので、カヂルグミは、おとなしく隣の遊技台の前に座った。

 座れと言ったからには、なにかしらあるのかと思ったが、男はそれ以上なにも言わなかった。押し黙ったまま、ひとりで玉を打ちつづけている。

 手持ちぶさたになって、カヂルグミも玉を打ちはじめた。

 玉の飛ばし方は、すぐに分かった。

 勝ち方は、よく分からなかった。

 ハンドルを握ると玉が飛ぶ。玉が飛ぶと、台の中で光が動く。光が動くと、なにかが起こりそうになる。なにかが起こりそうになって、たいていなにも起こらない。

 ずいぶん地球人らしい遊びだと、カヂルグミは思った。

 しばらくすると男が立ち上がり、喫煙スペースへ向かった。

 カヂルグミもついていった。

 男は、さきほどとまったく同じ場所に腰かけると、自分のタバコを一本差し出した。

 カヂルグミは、すこし迷ってから受け取った。

 男が火を差し出したので、そのまま黙って吸った。

 うまいのか、まずいのか、カヂルグミにはよく分からなかった。燃やした草を吸う行為としては、まあ、こういうものなのだろうと思った。

 次の休憩では、男は小さな缶の酒もよこした。

 これも、うまいのか、まずいのか、カヂルグミにはよく分からなかった。缶に描かれた果物と、中身の味があまり一致していないことだけは分かった。

 はじめのうちは、男はタバコを吸うたびに喫煙スペースへ行った。

 しかし二日目の昼ごろから、台の前で吸うようになった。

 台の脇には、赤い禁煙マークが貼ってあった。そのとなりには、「飲食はご遠慮ください」とも書いてあった。

「喫煙禁止では?」

 カヂルグミはたずねた。

「そのルールは、もうない」

 男は鼻で笑いながら答えた。

「更新されたんですか」

「あ? そうだよ。いま、なくなった」

「喫煙スペースは、どうなりますか」

「どうなる?」

 男は顔をしかめた。

「おかしなことを気にするな」

「ゾーニングは解除されたんですか」

「ゾーニ……なに?」

「喫煙区域の区分です」

「解除された。解除されたよ」

 カヂルグミは、店内の表示をもう一度見た。

 禁煙マークは、そのままだった。喫煙スペースも、まだ喫煙スペースとしてそこにあった。

 シールを貼りかえる者も、もういなくなったのだろう。

 カヂルグミは、そう納得した。

 それから男は、ハンドルを握ったまま煙を吐いた。

 やはり、だれも注意しに来なかった。

 カヂルグミも、すこし遅れて同じようにした。

 台の前で吸うタバコは、喫煙スペースで吸うものと味が変わらなかった。

 男はパチンコをつづけた。ときどき思い出したように立ち上がっては、いつも同じものを外から取ってきた。店の外には、まだ動いている自動販売機があったらしい。コンビニの棚にも、酒やタバコが残っていたのだろう。

「いつも同じ銘柄ですね」

 カヂルグミは言った。

「これがいいんだ」

 男は同じタバコを吸い、同じ酒をなめた。

 それから、くだらない玉遊びをつづけた。

 カヂルグミは数日、男に付き合った。

 数日である。

 地球の救済者が、歴史的なスピーチの直後に、場末のパチンコ屋で数日を溶かした。

 あとで彼は、そのことを僕の前ですこしだけ恥じた。もっとも、恥じたのは数日を溶かしたことではなく、三日で二十万円負けたことの方だった。

 男の扉は、そのあいだも、ずっと店内にあった。

 男は何度も、その前を通った。

 決まった銘柄の酒とタバコを取りに行く。小便をする。自動販売機の前でぼんやりする。腹が減れば、近くのコンビニからなにか持ってくる。たまに、だれもいない道路を見る。

 そのたびに、自動ドアは律儀に開いた。

 男はそれを横目に見て、また同じ台へ戻った。

 カヂルグミは、しだいに、らちが明かないと思いはじめた。

 ほかの通過保留者とは違い、男には、通れない理由が見当たらない。扉は出ている。本人も場所を知っている。危険もない。明確に拒んでいるわけでもない。

 あるのは、台の前から立ち上がるまでの、ほんのわずかな遅れだけだった。

 男が台の前でタバコを差し出してきたとき、カヂルグミは、それを受け取らなかった。

「もう行きます」

 男は、火をつける手を止めた。

 それから、見捨てられたような目でカヂルグミを見た。

「もうちょっと、いてくれよ」

 その顔を見て、カヂルグミはすこし困った。

 パチンコがしたいわけではない。

 金が欲しいわけでもない。

 楽しい場所へ行きたいわけでもない。

 みんなが戻ってくると、本気で信じているわけでもない。

 ただ、もうすこし、だれかと同じ店に座っていたかった。

 それだけだった。

 カヂルグミは、その「それだけ」の扱いを、まだ知らなかった。

「向こうで待っていますよ」

 男は返事をしなかった。

 同じタバコの煙だけが、台の前で薄く伸びていた。

 カヂルグミは、パチンコ屋を出た。

 その足で、近くのコンビニと自動販売機をまわった。男がいつも吸っていた銘柄のタバコと、いつも飲んでいた酒を、ほとんど根こそぎ回収した。

 それから、すこしだけ遠いところに置いた。


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