幕間十 整理表
「最後に証人について確認します」
婦人は、配布台の女が厚紙で作った名札へ目を向けた。
そこには、『情報拡散者および愉快犯』と書かれている。教団が地球にコンタクトを取ってきた前後で、世界中に情報を拡散したとされる人物だった。
この人物は、地球上に存在したありとあらゆる不幸の元凶が、猫と支配者階級にあると考えていた。
カヂルグミは確認項目をめくった。
「この説明会のきっかけとなった人物です」
「情報を公開した人物ですね」
「はい」
「その情報によって、一部の人間が扉の前で立ち止まりました」
婦人は名札を見たまま尋ねた。
「その人物は、現在どこにいますか」
「まだ、こちら側で生活をしています」
「所在は確認できているんですね」
「はい」
「なぜ、ここへ来ていないのですか」
カヂルグミは確認項目へ目を落とした。
「本人が証言を望んでいません。証言を放棄しています」
配布台の女は、すぐに口を開いた。
「然るべき手順も踏まず、説明もなく、一切合切の情報をばら撒いて、あとは知らん顔ですか」
婦人は静かに言った。
「先に、はっきりさせておきます。支配者階級の不在と、証人の不在は同じではありません。同じ空席ではありますが、同じ欄ではありません」
女は納得した様子ではなかったが、その場では矛を収めた。
婦人は机の上へ目を戻した。
支配者階級の回答。
教団側の説明。
猫の答え。
証人の不在。
そして、地球人自身がしてきたこと。
どれも地球で起きたことだった。
会場は答えを待っていた。もうすでに、ほとんどの答えが見えていたが、それでも、答えだと分かる結末を望んでいた。
そもそも、これは宇宙人が、扉をくぐるのをためらっている人たちに向けて開いた説明会だった。けれど、そこに座っている人のほとんどは、裁判だと考えていた。婦人だけは説明会のつもりだったが、自分に結論を求められていることは分かっていた。結論には至らなくても、わざわざ楽園へ行くのを遅らせた人たちに対して、なにか持ち帰れる言葉を残したかった。
けれど、一つの文章へまとめようとすると、どこかの責任が、別の誰かへ吸収されてしまう。
婦人は少し考えた。
考えた末に、思いつきのように言った。
「定規はありますか」
会場の何人かが顔を上げた。
判決文に定規が要るのかと、みんなそう思った。僕も思った。法の物差しという言葉もあるくらいだから、ひょっとしたら要るのかもしれない。
カヂルグミは紙束の下を探り、透明な定規を一本取り出した。端には、『交通安全週間』と小さく印刷されていた。
「あります」
「貸してください」
「用途は」
「線を引きます」
「確認しました」
婦人は紙を手前へ寄せた。
書かれている言葉は消さない。
ただ、そのあいだへ線を引いていく。
横へ一本。
縦へ一本。
最初は、ただの線だった。
やがて、それは欄になった。
支配者階級。
教団。
猫。
証人。
地球人。
欄は、均等には並ばなかった。
途中で大きさが変わり、あとから書き足した線もあった。
定規ではどうしようもない部分は、すこし曲がっていた。
それでも、一つの欄へ押し込むよりは正しかった。
カヂルグミは、その紙を覗き込んだ。
「よくできていませんね」
「ええ」
「修正しますか」
「しません」
婦人は、曲がった線の端を指で押さえた。
「きれいに分けられるものではありません」
カヂルグミは小さくうなずいた。
「配布しますか」
婦人がうなずくと、配布台の女が、いつの間にか婦人のそばまで来ていた。女はその整理表を手に取った。
曲がった線をしばらく眺めたあと、紙の角だけを丁寧にそろえた。
「配っても構いません」
誰も許可を求めてはいなかった。
それでも、その一言で整理表は隣の小部屋へ運ばれた。
やがてコピー機が動き始めた。
ウィーン、ガコン。
ウィーン、ガコン。
しばらくして、女が整理表を一枚ずつ配りはじめた。
何人かは、その場で読み返した。
胸ポケットへ折りたたんでしまう者がいた。
しばらく眺めたあと、静かに席を立つ者もいた。
三匹の猫も、机の上に置かれた一枚の整理表を、肩を並べて眺めていた。
「つまらん」
黒猫が、それだけ言った。
気づくと、三匹ともいなくなっていた。
劇的な決着もなく、明確に閉会が告げられたわけでもなかった。
それでも、裁判ではなく、説明会として終わった。
聞きたかったことを聞き終えたのか、それとも自分なりの整理がついたのかは分からない。
だれも感想は言わず、紙だけを持って公民館をあとにした。
しかし、中年男だけは動かなかった。
整理表ではなく、まだ『黒幕』の空席だけを見ていた。
やがて、小さく口を開いた。
「本人は、どこにいるんだ」
椅子を片付けようとしていたカヂルグミが答えた。
「現在は、蔵で生活しています」
「呼べよ。これに、いったいなんの意味があったんだ」
「説明会です」
「当事者を呼べよ」
「呼べません」
「なんでだ」
「本人が望んでいません」
中年男は、整理表を指で叩いた。
「ここまで分けて、ここまで書いて、最後は紙だけか。お前らも、あいつらの味方なのか」
カヂルグミは、すぐには答えなかった。
婦人は整理表を見た。
それから、美しく並んだ『黒幕』の空席を見た。
「そう言いたくなるのは、分かります」
中年男が婦人を見た。
「あなたが抱えている怒りの原因も、ここから外してはいません」
「だからなんだって言うんだ。連中を、ここに呼べよ」
「それは、私にはできません」
婦人は白紙を一枚取り出し、整理表とは重ねず、自分の手元へ置いた。
「ですが、話を聞くことはできます。話してください」
そう言って、婦人は中年男のほうへ向き直った。
ペンはまだ持たない。
中年男は婦人を見て、その手元にある白紙へ視線を落とした。
まっさらな紙だった。
口を開こうとして、やめた。
婦人は急かさなかった。
ペンを取らないまま、中年男の言葉を待っていた。




