幕間九 猫の回答
婦人は、机の上の二枚の紙を重ねなかった。
支配者階級から届いた回答と、カヂルグミによる教団側の説明だった。どちらも地球で起きたことについて語っている。けれど、答えている相手も、そこに記された責任も違っていた。
婦人は二枚の紙から目を上げ、机の下へ視線を向けた。
「では、来ている方へ確認します」
黒猫は、前足をなめるのをやめて婦人を見た。
用意された座布団には座っていない。茶トラの一匹は長机の脚にもたれ、もう一匹は座布団からすこし離れた床で丸くなっていた。三匹とも会場には来ているが、呼び出しに応じて被告席へ着いたようには見えなかった。
カヂルグミは、手元の確認項目へ目を落とした。
「地球へ来た目的を確認します」
婦人が黒猫へたずねた。
「あなたたちは、地球を自分たちの隠れ家としましたか」
「した」
黒猫が答えた。
その一言で、資料をめくっていた手がいくつか止まった。
声は、普通に聞き取れた。紙を読む装置の声でも、カヂルグミの通訳でもない。長机の下にいた猫が口を開き、人間の言葉で婦人の問いに答えた。
猫が地球を隠していたことは、すでに知られている。それでも、目のまえの猫がそのまま返事をするところまでは、だれも十分に想像していなかったらしい。
黒猫は、驚かれたことに気づいているのかいないのか、そのまま婦人を見ていた。
婦人は、臆せず次をたずねた。
「地球を、教団の救済対象から隠しましたか」
「隠した」
「地球人類の救済を遅らせましたか」
「遅らせたつもりはない」
婦人が顔を上げた。
黒猫は、質問の意味を訂正するように続けた。
「救済の根を断とうとはした」
後ろのほうで、椅子の脚が床をこすった。
遅らせた、より悪いことを言っている気がした。予定を遅らせたのではなく、なかったことにしようとした。そのつもりだったと言っている。
婦人は、手元の紙へ目を落とした。
「確認します。地球人の救済を一時的に遅らせるのではなく、救済そのものが成立しない状態にしようとした」
「そう」
婦人は、その言葉を一行に収めようとして、途中で書き直した。
「地球人への直接の行為について確認します」
黒猫は、尻尾を床へ一度だけ当てた。
「地球人を殺害しましたか」
「した」
「地球人のものを盗みましたか」
「した」
「脅迫しましたか」
「した」
「ザ・プレデターへ暴力を振るいましたか」
「振るった」
「その記録を残しましたか」
「残した」
「見せしめとして?」
「そう」
「同じように反抗する者を減らすためですか」
「面倒だったから」
婦人は、ペン先を止めた。
「面倒だったから、見せしめを残した」
「そう」
管理側の紙は、ザ・プレデター敗北記録を作成していないと回答していた。猫は、作ったと認めた。管理側は、その閲覧権限を管理し、自分たちの命令や処分へ猫への恐怖を結びつけた。猫は、そこまでの利用方法には関心がなかったらしい。ただ、自分たちへ近づく者を減らすために、壊した相手を記録として残した。
同じ記録を使っていても、猫と支配者階級がしていたことは同じではなかった。
カヂルグミは次の確認項目を見たが、婦人はすぐには読み上げさせなかった。支配者階級への質問では、法や税や配給といった制度の名前が並んでいた。けれど、集まった者たちが知りたいのは、自分たちの生活のどこまで猫が入り込んでいたのかだった。
婦人は、質問の向きをすこし変えた。
「人間のあいだに、身分を作りましたか」
「作っていない」
「一部の人間へ富を集め、別の人間を貧しくしましたか」
「していない」
「食べ物や薬が足りない場所を、あなたたちが決めましたか」
「決めていない」
「病院で、助ける人間の順番を決めましたか」
「決めていない」
「災害のとき、避難できる者と、置いていかれる者を選びましたか」
「選んでいない」
婦人は、ひとつずつ猫の答えを紙へ置いていった。
「人間同士を争わせましたか」
「させていない」
「人間に、人間を殺すよう命じましたか」
「命じていない」
「家族のなかで暴力を振るわせましたか」
「していない」
「親が子どもを傷つけるよう仕向けましたか」
「していない」
「学校や職場で、弱い者を選んでいじめるよう仕向けましたか」
「していない」
「立場の弱い者へ暴言を吐き、嫌がらせをし、黙らせるよう命じましたか」
「命じていない」
問いが身近になるほど、答えを待つ者の顔から余計なものが消えていった。
猫が地球を隠したことは、すでに分かっている。地球人の救済を断とうとしたことも、人を殺し、盗み、脅し、見せしめを残したことも、猫自身が認めた。
それでも、自分が貧しかった理由まで猫が決めたのか。薬を受け取れなかった順番を猫が作ったのか。家のなかで振るわれた拳や、学校や職場で投げられた言葉まで、猫が人間の口や手を動かしていたのか。
「人間が、自分より弱い人間を選んで傷つけたことに、あなたたちは関与しましたか」
「していない」
黒猫は、すぐに答えた。
その返事だけは、それまでよりわずかに長く残った。
猫は、人間を傷つけている。実際に殺し、盗み、脅している。地球を隠し、人類全体を救済から外そうとした。ザ・プレデターを壊し、その姿を見せしめにした。
しかし、人間が人間へ向けた拳を、猫が握らせたわけではなかった。
親子を憎み合わせたわけでも、学校でひとりを囲ませたわけでもない。職場で立場の弱い者へ仕事と責任を押しつけ、反論すれば居場所をなくす仕組みを作ったのも猫ではなかった。薬の順番や避難先の名簿を決め、訴えを証拠不足として戻したのも、机の下にいる三匹ではない。
婦人は、すこし間を置いた。
「確認します。あなたたちは地球を隠し、人を殺し、盗み、脅し、見せしめを残した。ただし、人間社会そのものを運用していたわけではない」
「さっき答えたろ」
黒猫の返事は短かった。
言い逃れをしているようには見えなかった。反省しているようにも見えない。自分がしたことと、していないことを、同じ調子で分けているだけだった。
婦人は、そこまでを書き終えた。
机の上には、支配者階級の回答と、教団側の説明が残っている。そこへ、猫自身の答えが加わった。
猫がしたこと。
猫がしていないこと。
どちらも、同じ猫の答えだった。
婦人は、黒猫を見た。
「確認は、ここまでにします」
黒猫は返事をせず、大きくあくびをした。




