幕間七 支配者階級からの回答
『拝啓。行く年を惜しみながら、新しい年に希望をはせるこの頃』
公民館の前方から、知らない音声が響いた。
長机の上にはマイクがあり、カヂルグミはその手前に箱のようなものを置いていた。そこに管理側から届いた紙を差し込むと、箱はゆっくりと息を吸い、そこに書かれた文章を勝手に読み上げはじめた。
あとでカヂルグミに聞いたところ、ローテク文明向けの代読装置ということだった。
本人はいない。
紙は来た。
声だけは、装置から出た。
『旧環境側に残られた皆様におかれましては、痛み、飢え、寒さ、その他旧環境由来の不具合が、なお継続しているものと拝察いたします』
会場は一度、戸惑いをみせた。
その回答がていねいなのか失礼なのか、よく分からなかったからである。
『当方といたしましても、可能な範囲で誠実に回答いたします。さて、旧環境側合同説明会における確認事項について、以下のとおり回答いたします』
声は、妙に聞き取りやすかった。無機質ではない。かといって、人間らしいわけでもない。ていねいで、平らで、こちらの怒りを邪魔しない程度に礼儀正しかった。
「項目ごとに確認します」
カヂルグミが言った。
婦人はうなずいた。
「そのほうがよいでしょう」
カヂルグミは、手元の項目を見た。
「一つ目。出席見合わせについて」
紙は答えた。
『出席の必要性は理解しております。ただし、当方は新環境への移行を完了しており、現在、心身の安定を優先しております。旧環境側での口頭説明は、身体的移動および心理的負荷をともなうため、現時点では見合わせるものとします。なお、本回答は旧環境側への説明を拒むものではありません。必要項目については、以下のとおり、書面にて回答いたします』
後ろのほうで、椅子がわずかに鳴った。
座り直しただけだった。
「二つ目。地球隠蔽について」
カヂルグミが言った。
紙は答えた。
『当方は、地球を教団の救済対象から隠蔽した主体ではありません。地球を宇宙的な盲点に置いた行為は、三匹の猫によるものです。ただし、当方が猫の存在、およびそれに付随する記録を利用したことは認めます』
机の下で、黒猫が尻尾を動かした。
紙は、最初のただしを置いた。
その一語で、会場の怒りがすこし向きを変えた。
「三つ目。ザ・プレデター敗北記録について」
カヂルグミが言った。
紙は答えた。
『当方は、当該記録を作成していません。ザ・プレデターへの暴行、およびその敗北を記録として残した主体は猫です。ただし、当方は当該記録の閲覧権限を管理し、必要に応じて限定的に開示しました。限定的開示の対象には、支配階級候補者、管理側末端構成員、反抗傾向のある者、その他、猫への接触または反抗の可能性が高いと判断された者が含まれます』
原告の席に座っていた中年男が、装置へ吸い込まれた紙を見ていた。
読めるはずのない距離だった。
それでも、見ていた。
膝の上には、水の入ったペットボトルがあった。ふたに親指をかけたまま、開けもしなければ、手放しもしなかった。
配布台の女は、紙束の角を親指で押さえた。
紙はすこしも乱れていなかった。
「四つ目。当該記録の効果について」
カヂルグミが言った。
紙は答えた。
『当方は、当該記録が視聴者に強い苦痛の追体験を発生させることを認識していました。ただし、その効果は、猫への不要な接触および反抗を抑制し、地球側管理構造の安定に資するものと判断していました。また、当該記録の限定的な開示により、猫に対する恐怖と管理側の権限を関連づけて認識させる効果があったことも認めます。当方は、その認識を、地上における命令、警告、処分等の実効性を確保するために利用していました』
「五つ目。地上における管理権限について」
カヂルグミが言った。
紙は答えた。
『当方は、猫に代わって地球を統治していたわけではありません。猫は、法、税、配給、医療、教育、記録閲覧、証拠判断、移動制限等を直接運用していません。ただし、当方は地上において、地位、資源、記録、権限を保持していました』
猫は机の下にいた。
その姿勢だけは、たしかに統治者ではなかった。
婦人が顔を上げた。
「では、地上において、地位、資源、記録、権限を保持していたことは認めますか」
紙は、軽く息を吐いた。
『認めます。ただし、それらは当時の地球側社会構造に基づき、各地域および各制度の安定運用のために保持されていたものです。当方が保持していた権限には、配給対象の選定、医療資源の優先順位、移動許可、避難先名簿、記録閲覧権限、証拠不足判断、告発の受理または不受理、教育機会、居住区域、労働負担、資産保有、その他、地球側で必要とされた調整が含まれます。また、当方が管理上重要と判断した地域、集団および個人に対し、資源、医療、安全、教育、居住環境等を優先的に配分していたことも認めます。その結果として、地球上の一部には、長期的に安定した生活環境が形成されました。ただし、その安定を維持するため、他の地域および集団に対し、資源不足、労働負担、危険、移動制限、医療機会の不足等が偏って生じたことについても否定しません。当方は、それらを当時の地球側社会構造において必要な調整と判断していました』
紙は、よく知っていた。
だれに薬が渡ったか。
だれが名簿に載ったか。
だれの訴えが記録され、だれの訴えが紙の上で足りないことにされたか。
どこに水が流れ、どこで止まったか。
だれの暮らしが守られ、そのために、だれの暮らしが後ろへ回されたか。
地球は、ある者にとっては楽園に近かった。
その暮らしを支える側では、地球を地獄だと思う者が生まれた。
猫は地球を隠した。
けれど、地球のなかで鍵を持っていたのは、猫だけではなかった。
「六つ目。救済システムへの関与について」
カヂルグミが言った。
紙は答えた。
『関与しておりません』
「救済システムの存在を、事前に認識していましたか」
『認識しておりませんでした。したがって、地球人類を意図的に救済から遠ざけたものではありません』
たぶん本当だった。
少なくとも、彼らは教団の存在を知っていたわけではない。
僕も知らなかった。
知っていて隠れようとするほど物好きな連中は、宇宙に三匹しかいない。
「七つ目。管理側の責任について」
カヂルグミが言った。
紙は答えた。
『当方は、上記の範囲における関与を認めます。ただし、当方は、地球救済の遅延そのものを発生させた主体ではありません。また、猫による殺害、脅迫、窃盗、地球隠蔽、ザ・プレデターへの過剰暴力については、当方の直接行為ではありません』
カヂルグミは、次の項目へ移ろうとした。
そのまえに、紙が続けた。
『ただし、当方は補足します』
装置の雑音が、ほんのすこしだけ長く尾を引いた。
『家庭内の不和、才能の欠如、怠惰、浪費、依存、不倫、暴力、育児放棄、貧困を理由とした犯罪行為、モラルの欠如、教育機会の不活用、生活設計上の失敗等については、個々人の資質、選択、家庭環境、地域環境に由来する問題であり、当方単独の管理責任として一括整理されるものではありません。当方は、地球上に生じたすべての不幸を、当方の意思または制度運用に由来するものとして扱う整理には同意いたしかねます』
すぐに言い返す声は出なかった。
それは、管理側の紙が初めて正しいことを言ったからではなかった。
正しくないとも言い切れないことを、いちばん嫌な順番で置いたからだった。
紙は、認めた。
認めたうえで、背負うものと背負わないものを分けてきた。
その分け方は細かく、まっすぐで、腹が立つほど書類に向いていた。
カヂルグミが口を開くより先に、紙が続けた。
『なお、今後必要な確認についても、書面にて対応可能です』
後ろのほうで、かすかに息が漏れた。
笑いだったのか、ため息だったのかは分からなかった。
『以上をもって、当方からの回答といたします』




