幕間六 バカンス
説明会の開始時刻が近づいたころ、会場の戸口から三匹の猫が入ってきた。
真っ黒い猫が一匹と、茶トラが二匹。
だれかに案内されてきたわけではなかった。呼び出しに応じたような顔でも、反省しに来たような顔でもない。開いていた戸口から勝手に入り、並んだ椅子のあいだを通って、前のほうへ歩いてきた。
公民館のなかに残っていた話し声が、戸口の近くから途切れていった。
三匹が椅子のあいだを進むにつれて、前を向いていた顔も、ひとつずつそちらへ動いた。湯呑みを持ったまま、首だけを回している者もいた。
猫についての情報は、すでに広まっていた。
地球を隠していたこと。教団による救済を妨げていたこと。長いあいだ、地球人の頭の上にいたらしいこと。
それを知ったうえで見ても、目のまえにいるのは猫だった。
黒猫は床を静かに歩き、茶トラの一匹は途中で立ち止まって、壁際の傘立てのにおいを嗅いだ。もう一匹は戸口を振り返ってから、黒猫のあとを追った。
地球を隠していた存在にしては、あまりにも猫だった。
怖がるべきなのか、怒るべきなのか、だれにもすぐには決められなかった。情報のなかにいた猫と、目のまえを歩いている猫が、なかなか同じものにならなかった。
それでも、この三匹が『地球規模被告人』だった。
猫用の座布団が三枚あり、女が作った卓上名札のまえに並べられている。
三匹は、だれもそこに座らなかった。
黒猫は長机の下へ入り、茶トラの一匹は椅子の脚に体をこすりつけた。もう一匹は座布団のにおいだけ嗅ぎ、その横の床に座った。
カヂルグミは、なにか言いかけたが、やめた。
その程度のことは、もう分かるようになっていたらしい。
猫は来ていた。
そのとなりには、空いている席があった。
『情報拡散者および愉快犯』
僕の席だった。
僕は、そこにいなかった。
僕は管理側の人間ではない。
ただ、長いこと管理側の近くに置かれていた。管理品に近い扱いを受け、見てはいけないものを見て、聞いてはいけない話を聞いた。生きているので、その内容を覚えていた。彼らが外へ出したくなかったものも、知られたくなかったことも、まだ頭のなかに残っていた。
頼まれてもいないのに、それをあとから地球人全員へばらまいた。
彼らの懸念どおり、ばらまけるものは、ばらまけるだけばらまいた。
だから、この場へ呼ばれるなら、被告ではなく証人だった。
けれど、僕は証言を放棄した。
証言をすれば、余計な話まで机の上へ出すことになる。僕が出れば、猫と支配者階級の話ではなく、僕がどこでなにを見て、どうして長く生き、どうやって戻ってきたのかという話になる。
それは、この場にいる人たちの役には立たないと思った。
そう思った。
そう思ったし、絶対に出たくなかった。
配布台の女は、僕の空席を何度か見ていた。
僕は自分のことを、そこまで悪い人間だとは思っていなかった。
けれど彼女の名札では、『情報拡散者および愉快犯』だった。
たぶん、そのくらい悪かった。
けれど、本当に問題だったのは、その隣の空席だった。
『黒幕』
そう書かれた卓上名札のまえには、だれも座っていなかった。
それも、ひとつではなかった。いくつかの椅子が、長机に沿ってきれいに並べられている。背もたれはまっすぐ前を向き、机との距離もそろっていた。空席にも姿勢というものがあるなら、たぶんそれはかなりよかった。
「『黒幕』という表記は、不適切ではありませんか」
カヂルグミが言った。
「では、来たら直します」
配布台の女が答えた。
「来ていません」
「だから直していません」
カヂルグミは、そこで一度、名簿を見た。
名簿を見ても、空席は埋まらなかった。
婦人がたずねた。
「管理……『黒幕』の人たちは?」
カヂルグミは、一度だけ『黒幕』の卓上名札を見た。呼び方を訂正するべきか迷ったらしいが、そのまま答えた。
「通知済みです。回答は受領しています」
「本人は」
「来ていません」
その返答で、後ろのほうの湯呑みがひとつ鳴った。
置いた者は、強く置いたつもりではなかったのだと思う。けれど、話し声の消えた公民館では、陶器の底が長机に触れる音が、思ったより遠くまで届いた。
「理由は」
婦人がたずねた。
カヂルグミは、名簿に挟まれていた別紙を取り出した。
「本人たちは現在、休暇形式の調整中です」
「休暇形式」
婦人は、その言葉だけを繰り返した。
「はい」
「なにを調整しているんですか」
「心身の安定です」
公民館が黙った。
猫は来ていた。
証人は来なかった。
『黒幕』の席に座る者たちも、来なかった。
カヂルグミは、別紙をもう一度見た。書かれている言葉を、そのまま読み上げてよいのか確認しているようだった。
「本人たちの表現では」
そこで一度、言葉を切った。
「バカンスです」




