第十九幕 食卓の上に置かれたもの
僕がほかの地球人よりも長く生きていることに、カヂルグミがちゃんと気づいたのは、家の五年点検のときだった。そのころには、彼も地球人の時間にすこし慣れていた。子どもは大人になり、老人はさらに老いる。そういう変化を、何人も見てきていた。
カヂルグミは一年点検のときと同じように、白いヘルメットをかぶり、点検用紙を持ってきた。違っていたのは、玄関や窓や床よりも、僕の顔を見ている時間のほうが長かったことだった。
「なんですか?」
「あなたは、あまり変わりませんね」
「家を見に来たんですよね?」
「はい」
カヂルグミは、点検用紙に小さくなにかを書き込んだ。僕は身構えたが、彼はその場で答えを出そうとはしなかった。
「なにを書いたんですか」
「確認事項です」
「僕の?」
「はい」
「雑に扱われるのは嫌なんですけど」
「雑には扱いません」
彼は、本当に雑に扱うつもりはなかったのだと思う。ただ、地球人がどのくらいで老い、どのくらいで死に、五年という時間をどのくらいの重さで受け取るのかについて、彼のなかには大きな空白があった。
真摯ではある。ただ、地球人への関心が薄かった。関心が薄いまま真摯に手順を踏むので、こちらから見ると、たまにとんでもなく遠回りになる。
カヂルグミが回答を持ってきたのは、それから十八年ほど経ってからだった。
そのとき僕は、ラミネートをしていた。カヂルグミの業務対象者に命じられて、ただの紙を透明な膜で挟んでいた。
僕は過去に大きな罪を犯していたことから、配布も、説明も、受付も禁止されていた。僕に許された仕事は、紙をまっすぐ機械に通すことだけだった。
紙は、熱を通すと端が反った。きれいに密閉されたものもあれば、小さな気泡が残るものもあった。そういうものは、僕が指で押しても直らなかった。扉から地球人が戻ってくるのが何年先になるのかは、だれにも分からない。分からないが、このラミネートが朽ち果てるほうが、たぶん先だった。それでも、やらないよりはよいらしい。
僕は一本、タバコに火をつけた。
ちょうど一枚、熱いまま出てきたところで、居間の扉が開いた。
カヂルグミが立っていた。
となりに、知らない人がいた。たぶん人間ではなかったが、怪物でもなかった。地球の作業着に寄せたような服を着て、腕章をつけ、腰には道具袋を下げていた。宅配業者にも、倉庫番にも、役場の検査係にも似ていて、それでいてどれでもなかった。
胸の札には、こう書かれていた。
『流通関係者』
カヂルグミの名札と同じで、こちらに合わせようとした結果、逆に目立っていた。流通関係者は、その札の位置を一度だけ指で直した。僕に読ませるためというより、表示が曲がっていること自体が気になるような手つきだった。
「長持ちの件です」
カヂルグミは言った。
「長持ちってなんですか」
「あなたが、ほかの地球人よりも長く生きている件についてです」
「はあ」
僕は自分の性質のことを、不老とか不死とか呼んでいた。みんなにも、そう呼ばれてちやほやされたことがある。だから、安っぽく呼ばれた気がして、なんとなく嫌な気持ちになった。
「回答を持ってきました」
「回答」
回答というからには、僕がなにかしらの質問をしたのかもしれない。でも、その記憶がなかったので、しばらく三人で、ラミネーターの稼働音をおとなしく聞いていた。機械は低く唸り、透明なフィルムを熱で圧着しながら、一枚ずつゆっくり送り出している。
僕は出てきた紙を受け取り、熱が引くまで机の端に置いた。
「失礼ですが、あなたはどちらさまですか」
僕がたずねると、流通関係者はうなずいた。そして、百回聞いても覚えられないような名前を名乗り、出身も答えた。
カヂルグミが短く補った。
「流通関係者です」
「それは名札で分かります」
「はい」
流通関係者は、僕に向かってていねいに頭を下げた。
「加工はしていません。私は、流しただけです」
声は穏やかだった。
言い訳ではなかった。たぶん、彼にとっては正確な業務説明だった。加工していないことと、流したことは、きちんと区別がついているらしい。
「流しただけ」
「はい」
「なにを」
「保存処理済み地球人です」
ラミネーターが、低く唸った。紙が一枚、透明な膜のなかで反りながら出てきた。僕は端をつまんで受け取り、さっきの紙の横に置いた。重ねると曲がりそうだったので、あいだを空けた。
「僕のことですか」
「あなたは、該当個体の一例です」
流通関係者は、そう答えた。
僕はカヂルグミを見た。
「僕が長く生きている理由についてですよね」
「はい」
カヂルグミは、持ってきた資料に目を落とした。そこには、僕を囲っていた者たちが残した実験記録も含まれているらしかった。
「記録上は、不老不死と呼ばれています」
「ええ」
長持ちと呼ばれるよりは、しっくりきた。
「ただし、不老という語は不正確です。不死という語も不正確です。正確には、長期保存用に処理された規格個体です」
流通関係者が、横でうなずいた。
「保存」
自分の声が、思ったより小さく出た。
保存。
規格。
個体。
僕は、できるだけ普通の声を出した。
「なんのための保存ですか」
流通関係者は、すこしも声の調子を変えなかった。
「食用流通上の保存です」
食用、という言葉を、僕は一度、聞き間違えたことにした。
流通。
保存。
食用。
どれも、僕の体に使う言葉ではなかった。
ラミネーターの熱で、部屋がぬるくなっていた。紙を長持ちさせるための機械の横で、自分が長持ちしていた理由を聞くのは、あまり気分のよいものではなかった。
「あなたたちは、地球人を食べるんですか」
「食べていました。正確には、未登録領域内にいる採取可能な現地生物を」
「現地生物」
「はい」
「人を食べるんですか」
「人としてではなく、サルに近い生物として扱っていました。私たちは、古くからそうした生物を食べる種族でした」
流通関係者が、あまりにも普通に回答したので、僕は質問のほうを間違えた気がした。
流通関係者は道具袋の留め具を軽く押さえ、ずれていないことを確かめていた。人を食べる話をしている手つきではなかった。
カヂルグミが、横から補った。
「この方は、救済済みです」
「救済済み?」
「はい。自種族の蔵へ入り、楽土を築いたあと、流通業務に戻っています」
僕は流通関係者を見た。
「戻るんですか」
「戻ります」
流通関係者は、当然のように答えた。
「必要な仕事は、楽土にもありますので」
「それでも、食べるんですか」
「食べます」
「食べなくても生きられるんじゃないんですか」
「食べなくても生きられますが、食べますね」
その言い方は、かなり正しかった。
僕は、高度に発達した知的生命体は、もう食事などしないのだと思っていた。栄養補給も肉体維持も、もっと上品で、抽象的で、汚れない方法になっているのだと勝手に思っていた。
けれど、食べることは栄養補給だけではなかった。香りがあり、温度があり、歯ざわりがあり、待つ時間がある。文化も、記憶も、技術も、食卓の上に残る。
「飢えていたわけではないんですね」
「はい」
「必要に迫られて、でもない」
「はい」
「では、文化として」
「はい」
彼はうなずいた。
悪意はなかった。
飢えもなかった。
乱暴さもなかった。
ただ、よく整った食卓があり、そのどこかに地球人が置かれていた。きちんと洗われた皿、使い慣れた刃物、煮えるまで待つ沈黙、湯気を見てから箸を取るような時間。その全部のなかに、地球人が当たり前の顔で混じっていた。
「地球は隠されていたんですよね」
僕はカヂルグミを見た。
「はい」
「宇宙の盲点に置かれていた。地球を隠す覆いのような層があって、君たちは見つけられなかった」
「はい。知的生命体を探す仕組みには、うまく引っかかりませんでした」
「なのに、この人たちは来ていた」
「来ていました」
「どういうことですか」
カヂルグミは、流通関係者に視線を送った。
地球を見つけられなかった理由は教団側の話で、そこへ入れた理由は流通側の話だった。
流通関係者は、すこし考えてから答えた。
「探していたものが違います。教団は知的生命体を探していました。私たちは、採取可能なサルを探していました」
「サル」
「はい」
「またサルか」
「私たちの探索は、知的生命体を見つけるためのものではありません。採取可能な現地生物がいるかどうかを調べるものです」
「流通側の探索には、引っかかった」
「はい」
「サルとして?」
「サルに近い未登録現地生物として」
僕は、すこし黙った。
「地球人を、文明人だとは思わなかったんですか?」
流通関係者は、すこし考えた。僕の言葉を否定しようとしているのではなく、どの棚の名前で返せばよいのかを探しているようだった。彼は僕ではなく、僕の後ろの空間を見ていた。そこに分類棚でも立っているみたいだった。
「文明人、という分類では登録されていませんでした」
「僕たちには、法律がありました」
「群れの規則として確認されています」
「お金もあった」
「交換媒体ですね」
「学校もあった」
「教育行動です」
「墓もあった」
「埋設習慣です」
「名前もあった」
「個体識別です」
「記録もあった」
「保存行動です」
「そこまで言えて、なんで食材なんですか」
流通関係者は、僕を食材として説明していたが、僕に話すときは一度も食材に話すような顔をしなかった。
「救済対象として登録されるまでは、未登録領域内にいる現地生物です」
「登録されるまでは」
「はい」
「登録後は」
「知的生命体ラベルが付与されています」
「ラベル」
「はい」
「教団が貼るんですか」
カヂルグミが答えた。
「はい。発見後に、救済管理上の識別として付与されます」
「見つけたら、知的生命体の札を貼る」
「あなたの言葉で言えば、そうです」
「地球人には、それがなかった」
「はい。地球は隠されていました」
「知的生命体なのに」
「はい」
「じゃあ、僕たちはサル山として扱われていたんですか」
流通関係者は答えた。
「その言い方が適切かは分かりませんが、分類としては高度な群れです」
「今も?」
「現在は、知的生命体ラベルが付与されています」
僕はタバコを吸った。
煙は、ラミネーターの熱に押されて、変なほうへ流れた。
「サル山に、知的生命体の札がついたんですか」
「あなたの言葉で言えば、そうなります。ていねいに言えば、知的生命体ラベル付きの高度群生体です」
馬鹿にされたなら怒れた。笑われたなら言い返せた。けれど、相手はただ、正確であろうとしていた。正確であることが、こちらの尊厳を削ることもあるらしい。
「現在は、食材扱いされていないんですか」
「はい。知的生命体ラベル付与後は、同様の流通は停止されます」
「ラベルがないと、棚が違う」
「棚、ですか」
流通関係者は、僕の比喩を自分の分類に当てはめるように、すこし考えた。
「まあ、そうですね」
地球人には法律があり、金があり、学校があり、墓があり、名前があり、記録があった。それでも棚が違えば、食卓のほうへ行く。別の棚に移されれば、今度は同胞として扱われる。
流通関係者は、本当にそういう話をしていた。
「猫の許可があったんですか」
「ありません」
「なかったんですか」
「はい、ありませんでした。ただし、猫が隠蔽管理していた未登録領域内の現地生物でしたので、採取は可能な状態でした」
「地球は猫のものじゃないですよね」
「はい」
「でも、猫が隠していた?」
「はい」
「そのなかにいて、知的生命体ラベルがなかったから、取っていいものになっていた」
「その理解で構いません」
猫はここにいなかった。それでも、話のなかにはずっといた。あの猫たちは、食べろと言ったわけではないのだろう。たぶん、取るなとも言わなかった。猫が出入りする場所の奥に、取ってよいものとして地球人が置かれていた。少なくとも、台帳上はそうなっていた。
「盗んだわけではない」
「はい」
「密猟でもない」
「はい」
「取っていいものだった」
「流通上は」
僕は、タバコを吸った。
灰が長くなっていた。灰皿に手を伸ばすのも面倒で、そのままにした。ふたりを立たせたままにしていることにも気づいたが、気づかないことにした。
「なぜ僕だったんですか」
「規格に合っていました」
流通関係者は、すぐに答えた。
「規格」
「はい。年齢、体格、保存処理との相性です」
「それだけですか」
「流通上は、十分です」
それ以上は聞かないほうがよい気がした。
細かい分類まで説明されても、困るだけだった。
「僕だけだったんですか」
「いいえ」
今度は、カヂルグミが答えた。
「同様の年齢、体格、保存処理との相性を持つ地球人は、複数確認されています」
「その人たちも」
「保存処理対象です」
「残っていない」
「はい」
僕だけではなかった。
僕に似た年齢の者。似た体格の者。保存処理に合った者。彼らも保存され、たぶん、僕より正しく流れた。正しく、という言葉が合っているのかは分からない。店に並んだのか、卸されたのか、途中で廃棄されたのか、そこまでは聞きたくなかった。ただ、記録の上では、彼らは処理済みだった。
流れずに残ったのは、僕だけだった。
そのことは、慰めにはならなかった。
僕だけが特別だったわけではないと分かって、すこし軽くなる部分もあった。けれど、それはすぐに別の重さに変わった。僕と同じように規格に合った人間がいて、その人たちはどこにも残っていない。残っていないことのほうが、たぶん自然だった。
「地球人は、そちらの食卓ではよく扱われていたんですか?」
僕がたずねると、流通関係者は首を振った。
「いえ」
「珍味ですか」
「そこまでではありません」
「では、なんだったんですか」
流通関係者はすこし考えた。
そのあいだに、カヂルグミが横から口を挟んだ。
「セロリが近いです」
「セロリ」
「はい」
僕は、しばらくセロリの形を思い出せなかった。
「主力ではありません。好きな方は好きですが、苦手な方も多い。料理の中心にはなりにくい。ただし、入っていると風味が出ます」
「風味」
カヂルグミは、それ以上訳さなかった。
「僕は、店に並ぶ予定だったんですか」
「店頭向けではありません」
流通関係者が答えた。
「主に卸しです」
「僕は、卸される予定だったんですか?」
「予定というより、流通可能状態でした」
「卸されなかった理由は」
流通関係者は、すこし考えた。
「なんでですかね」
だれも笑わなかった。
彼は、すこし困ったようにつづけた。
「主力品目ではありませんので」
「それで」
「流れませんでした」
「僕が?」
「はい」
ラミネーターが、また一枚、紙を吐き出した。
透明な膜のなかで、紙は反っていた。ほんのすこし長持ちするために、熱を通されて、端を閉じられていた。僕はそれを受け取り、机の端に置いた。さっき置いたものより、曲がっていた。
どの人生でも最後まで残った理由が、ようやく見えた気がした。
選ばれたわけでも、逃がされたわけでも、だれかに残されたわけでもない。
流れなかった。
言ってしまえば、それだけだった。
僕は、最後にもう一度だけたずねた。
「つまり僕は、たまたま流れなかった」
「はい」
「セロリで」
「セロリは訳語です」
「卸しで」
「主に」
「長持ちして」
「はい」
「残った」
「はい」
流通関係者は、そこで安心したような顔をした。
彼にとっては、ようやく正しく伝わったということなのかもしれなかった。
それから、かぎりなく善意に近い声で言った。
「ラッキーでしたね」




