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猫が隠した星  作者: Junbi


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20/32

第十六幕 最後から二番目の男

 僕は、空き地に大きなテレビを置いて映画を見ていた。あと、ソファと机と冷蔵庫、そして灰皿も並べていた。どれも僕のものではない。だれのものでもないと言い切るには、まだすこし早い気もしたが、取りに来る人間はいなかった。電源も、どこかから適当に引っぱってきた。

 テレビの下には、黒く焦げた基礎の跡があった。草のあいだから、曲がった金具や、割れたタイルや、燃え残った木片がすこしだけ出ている。昔、ここに家があったころの名残だった。今では屋根も壁もなく、雨はそのまま落ち、風は好きに通った。

 ソファのまわりには、VHSのケースや、DVDのパッケージや、フィルム缶や、酒瓶や、菓子の袋が散らばっていた。机の上には、映写機と、ビデオデッキと、何台かの再生機が並んでいる。新しいものから古いものまで、使えるものはなんでも使った。フィルムでも、テープでも、ディスクでも、データでも、映画なら、ほとんど見た。

 足もとに転がった古い映画の箱には、今でも大勢の人間が写っている。

 走ったり、笑ったり、泣いたり、銃を構えたり、抱き合ったり、喧嘩したり、だれかをにらんだり、遠くを見たりしている。そこに描かれている人たちは、まだ自分の扉を知らなかった。

 僕は、となりに座っていたカヂルグミに聞いた。

「向こうに映画はあるの?」

「あるよ」

 カヂルグミは、あまり迷わずに答えた。

「新作は?」

「もちろん」

「こっちの映画も?」

「あるよ」

「失くなったやつは」

「あると思う」

「燃えたフィルムは」

「ある。だれかが作って、途中で作るのをやめたやつも」

「便利だね」

「うん」

「でも、向こうには映画よりすごい娯楽があふれてるんだろ?」

「そうだね」

 カヂルグミはタバコに火をつけて、うなずいた。

「強い体験ができるものなら、いくらでもあるよ」

「強い体験ねえ」

「興味ある? 映画の世界に入れるし、結末を変えられるよ。見たい場面だけを、見たい濃さで扱うこともできる」

「楽しそうだな」

「楽しいよ。ちょっと行って、体験してきなよ」

 僕は軽口には付き合わず、タバコに火をつけた。

「向こうで、映画を見る人なんているの?」

「いるよ」

「いるかなあ」

「いるよ。映画として見たい人が、映画として見るよ」

「わざわざ平べったい映像を見るの?」

「うん」

「見るかなあ」

「映画じゃなくて、映画のサントラを聴いている人もいるだろ? 似たようなもんだよ」

「ああ」

 僕は思わず納得してしまった。たとえがうまくなったな、と思った。

 カヂルグミはタバコを灰皿の縁に置き、冷蔵庫のまえまで行った。それから、勝手に扉を開けた。

「お酒は?」

「ないよ」

「まえはあったよ」

「まえに君が飲んだんだよ」

「ああ」

 カヂルグミはうなずき、冷蔵庫のなかをあさりはじめた。

 冷気が、焦げたコンクリートの上を流れた。

「ああ、ところで」

 カヂルグミは、冷蔵庫に入っている缶を雑に動かしながら言った。

「君が最後になったよ」

「なんの」

「まだ、ここに残ってる地球人」

「そう」

「驚かないんだね」

「まあ、それで状況が変わるわけじゃないしね」

 カヂルグミは冷蔵庫から缶を一本取り出し、表示を読んでから戻した。それから冷蔵庫を閉め、灰皿のタバコを取り上げて、ソファに戻ってきた。

 タバコの灰は、まだ落ちそうで落ちなかった。

「どんな人だったの?」

「君のひとつまえまで残っていた人?」

「うん」

「死ぬまで、扉のことを避けてたよ」

「なんか、いたよね。バイクに乗って扉をくぐろうとして、先にバイクだけ行っちゃった人。あと、料理の失敗した回数にこだわっている人とか」

「いたね」

「あれと同じ?」

「共通点はあるね」

 映画のなかでは、男が駅のホームを走っていた。

 こちら側にまだ人がいたころ、駅のホームでは、よく人が走っていた。走らなくてもいいことのほうが多かったはずなのに、みんな、なにかに間に合おうとしていた。

 カヂルグミは煙を吐いた。

「その人がいた場所には、最初、十人くらい残ってた。村でも、教団でもなかったよ。ただ、行かなかった人たちが、同じ場所に集まってただけ」

「なんか聞いたことあるな」

「まえに話したよ」

「そうだっけ?」

「怒っている人。悲しんでいる人。だれかを許せない人。自分の罪を、そのまま持っていたい人。向こうで楽になることを、逃げることみたいに感じていた人。そういう人が残ってた」

「面倒くさそうだな」

「面倒くさかったよ。悪い人たちじゃなかったけどね」

「その人たちは、君をどう扱ったの」

「どうって?」

「君は扉の手先だろ?」

「悪意があるな」

「事実だろ」

「神父さんって呼ばれてた」

「神父?」

 僕は聞き間違いかと思った。

「うん」

「神父じゃないだろ」

「神父ではないよ」

「なんで?」

「名札に、ブラザーって書いてあったからじゃない?」

「あだ名か」

「悪い気はしなかったよ」

 共同体は、カヂルグミを悪魔としては扱わなかったらしい。だからといって拝んでいるわけではなかったし、彼の話も聞きたがってはいなかった。

 ただ、カヂルグミはうそをつかないし、手続きも知っている。発電機や配線の知識もあり、壊れた屋根も簡単に直せた。緊急時には飛行機も飛ばせた。邪険にしたり、追い払ったりするには、すこし便利すぎる存在だった。

「こき使われたよ」

「へえ」

「発電機が止まったとか、熊を追い払ってこいとか、薬や湿布を取ってこいとか。お産も頼まれたよ」

 僕はタバコを吸う手を止めた。

「え、子どもを取り上げたの?」

「うん」

「すごいな」

「僕も、そう思った」

「便利屋どころじゃないな」

「神父でもないしね」

 カヂルグミは、笑うでもなく言った。

「その取り上げた子が、最後の子」

「ネタバレが早いな」

「男の子だったよ」

「子守りもしたんだろ? 幼体の扱いなら、君はちょっとしたもんだしな」

「子守りは好きだけど、させてもらえなかったよ」

「なんで?」

「子どもは扉が好きなんだよ。開けたり閉めたりするのが好きだし、扉の向こうに好きなものがたくさんあったら、そのまま行っちゃうだろ?」

「勝手に扉をくぐるかもしれないって?」

「失いたくなかったんだと思う。子どもが、ふっと行ってしまいそうで母親が怖がってたんだ。それで扉とセットで、僕には近づくなと教えられてた。だから彼も、小さいころから僕のことを避けてた」

 僕は、その母子のことを想像しながら、灰皿に灰を落とした。

 灰皿は、割れたタイルの上に置いていた。こぼれた灰は、黒い目地に混じって、すぐ分からなくなった。

 映画のなかの駅は、人でいっぱいだった。画面の端の人間にも、それぞれ行き先があるように見えた。階段を上る人、売店に寄る人、柱のまえで待つ人、なにかを落として振り返る人。けれど、その人たちの行き先まで、映画は追わなかった。

「その子のそばには、ずっと母親がいた。母親は、自分の怒りを大事にしていた人だった。自分が向こうへ行くことにも、最後まで抵抗していたし、息子を連れていかれることも怖がっていた。本当に、ずっとそばにいたんだ。トイレにもついて行った。寝るときも同じ部屋にいた。ひとりになると、扉に近づくかもしれないと思っていた。あと、僕が子どもに話しかけるとも」

 母親は、子どもにしつこく言い聞かせつづけた。

 こっちで生きるんだよ。

 痛みも苦しみも、こっちにあるものだから。

 向こうへ行ったら、人生を見失うことになる。

「大人たちは、ひとりずついなくなった」

「死んだの?」

「死んだ人もいる。くぐった人もいる」

「へえ」

「最後に残ったのが、その親子。でも母親は年を取り、病気になった。身動きが取れなくなって、ずっと息子についていることはできなくなった」

 カヂルグミは、言葉を探した。

「ある日、その人が外から戻ると、僕が家にいて、母親を抱えていた」

「君が?」

「うん。母親の扉が出ていた。でも、母親は自分で動けなかった。僕は保護搬送として、体を支えていた」

「神父さんが母親を抱いていたわけだ」

「うん」

「嫌な場面だな」

「血の気が引いた顔に見えたよ」

 カヂルグミは、画面ではなく、自分の手のあたりを見た。

「母親は言ったんだ。あんたも一緒に来るんだよ、って」

「ずっと近づくなって言ってたのに」

「うん」

 カヂルグミは、灰皿の灰を見た。

「最後だけ、反対のことを言った」

「男の扉は?」

「出なかった。僕は説明したよ。母親を抱えたまま、できるだけていねいに。最初に地球で話したことと、ほとんど同じ内容を。病気も、老いも、こちら側のようにはつづきません。扉は本人のものです。無理に通過させることはできません。向こうでは、痛みや苦しみは消えるのではなく、壊れない形に変わります。そういうことを話した」

「男は?」

「行かない、って言った」

「はっきり?」

「痛みも苦しみも人生だから、って」

「母親の言葉だ」

「うん」

「母親は?」

「泣いていた。違う、違うんだよって、何度も言っていた。なにが違うのかは、うまく言えていなかった」

 カヂルグミは灰を落としてから、静かにつづけた。

「母親は、僕に抱えられたまま、必死に説得した。お前を、ひとりにしたくないんだ。一緒に行こう。もう近づくなとは言わないからって」

「きついな」

「うん」

「母親は?」

「くぐれなかった。息子を置いていけなかったんだと思う」

「死んだの?」

「数日後に」

 カヂルグミの声は、すこし小さくなった。

「その人は、母親をていねいに葬ったよ。墓を作って、名前を刻んだ」

 母親は扉を拒み、最後には息子を扉へ誘った。

 自分が教えた言葉を否定しながら、それでもこちら側に墓を残した。

 息子は、その全部を抱えたまま、ひとりで残った。

「そこから、最後までひとり?」

「うん」

「神父さんは?」

「一緒にいたよ」

「クソの始末まで?」

「そこまで弱るまえに死んだ」

「話は」

「すこしした。扉の話は嫌がられたから、ほとんどしなかった」

「最後は病気?」

「そう。風邪をこじらせた」

「扉は」

「出なかった」

「最後まで」

「うん。最後まで」

「君は説明した?」

「したよ。短く。母親にも会えるかもしれない。苦しみは、こちら側のようにはつづかない。そう言った。肺炎も治るよって」

「男は?」

「母親の墓に話しかけていた」

 近づくな。

 その言葉は、子どもを守るために強くなった。母親が、息子を失いたくなかったからだ。

 けれど、母親は最後に、別のことを言った。

 違う、違うんだよ。

 近づくな。

 違う。

 近づくな。

 違う。

 男のなかには、近づくな、のほうが残った。

「そして死んだの?」

「うん」

 カヂルグミは、画面を見たまま言った。

「そして君が最後になった」

 僕はテレビを見た。

 映画のなかには、まだ人間がたくさんいた。駅で走る人も、売店の列に並ぶ人も、電話をかける人も、電話を取らない人もいた。

 彼らは二時間もしないうちに、きれいに作られた結末へ向かう。

 こちら側の人間は、そうはいかなかった。病気になり、老い、死に、働き、争い、泣き、怒り、なにかを失うたびに、それを人生と呼んでいた。その人生は、とっくに終わったはずだった。けれど、終わったはずのものを、最後まで大事そうに抱えていた人たちがいた。

「これで、君の話も終わりか」

「あとひとつ、変な話が残ってるよ」

 僕は、またタバコに火をつけた。

 こちら側で映画を見るのは、贅沢だった。サントラを聴くのとは、まだ違う。僕はまだ、こちら側の席に座っていた。菓子の袋が足もとで鳴り、冷蔵庫が低く唸る。風が吹けば、焦げた基礎の上を灰が動き、画面は一瞬乱れて、肝心な場面の顔がすこし崩れる。

「酒、ないんだね」

 カヂルグミは、勝手に冷蔵庫を開けたくせに、結局なにも飲まずに座っていた。

「ないよ」

「今度は持ってくるよ」

「ついでにタバコも頼むよ」

「うん」

 僕たちは、そのまま映画を見た。

 映画のなかには、まだ人間がたくさんいた。

 灰皿には吸い殻が増えていた。どれが僕のもので、どれがカヂルグミのものか、もう見分けがつかなかった。

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