チェリーサンバースト
お盆休みの折り返し、
曇天の雲が鉛のように重くのしかかる。
窓から指してくる光は暑すぎて、
本当にこの家が燃えてしまうのではと心配になる。
今日はなんとなく雨が降ってほしかった。
だが僕のご機嫌で天候が変わってしまっては、
おそらく世界は滅茶苦茶になってしまうだろう。
今日はキンキンに冷えたこの部屋で、
1年ぶりのギターメンテナンスをすると決めている。
「ごめんな、最近弾いてやれなくて」
クロスで丁寧にボディを拭き上げる。
弾きたい。弾けるなら毎日弾きたい。
数分だけなら時間も取れる。
だが弾くならアンプで鳴らしたい。
好みのエフェクトを効かせて気持ちよく溺れたい。
なので年々ギターを触ることが少なくなってきた。
「これ、いっそのこと手放したほうがいいのかな…」
7本+1本並んだギターとベースを見る。
こんなに必要なのかと言う人が大半だろう。
だが、同じシングルコイルのストラトとテレキャスは、
音が全然違う。それだけじゃない。
「そうそう、テレキャスのこの鳴りが良いんだよ」
手に伝わる振動、弾いたときのテンション、全然違う。
「奈緒、どっちがストラトかわかる?」
とアンプで鳴らして聴かせても、
「さっぱり」
と言われてしまう。
全然違う音なのにこれがわからないのか君は。
だが、これが楽器演奏しない人の、ごく一般的な意見なのかもしれない。
僕はチェリーサンバーストのレスポールを手に取る。
「相変わらず重たいなお前は、鳴りも悪い」
音もこもりがちで、鳴りも悪い。
正直粗悪レベルなレスポールだが、なんとなく手放せないでいる。
「懐かしいな」
こいつはエレキの中で一番最初に買ったギターだ。
お前との出会いは確か…
まるで監視するように、
名をはせた音楽家たちがグランドピアノを囲う。
そんな音楽室に、ケースに入ったギターが一本あった。
僕はただの興味本位でそのケースを開けて、弦をはじいてみた。
「こら、勝手に触らないで山岡君」
中学3年生、教員に怒られた。
それが僕がギターと出会った初めての日だ。
これは大人になってから知ったことなんだが、
僕はどうやら絶対音感に近しい物を持っているようだ。
ピアノで白鍵の音を聞いて、その音程を正確に言い当てられる。
集中すれば3つの音ぐらいまではわかる。
だが連なって弾かれると分からない。集中すれば少しわかる。
だが、黒鍵を弾かれると
「ん~ドより高い レより低い 黒鍵だね」
と、ドとレの音を頭の中で鳴らして音を探る。
そんな時もあれば、調子が良ければ黒鍵!と言える。
でもド♯ レ♭ これは大人になった今でも言い方がわからない。
なぜこんな中途半端な絶対音感を持っているのかというと、
授業以外楽器に触れたことが無かったから。
僕は小さいときからピアノに興味があった。でも
「ピアノって女の子がやるもんじゃん」
という偏見を持っていて、ピアノがやりたいって母に言えなかった。
小学校の時も吹奏楽をやりたいと思っていたが、
「吹奏楽って女の子がやるもんじゃん」
とクラスで浮くのが怖くてその道を選べなかった。
正直いうとリコーダーも鍵盤ハーモニカも、
楽譜とかを見ずに耳コピで演奏をしていた。
というか楽譜の見方が良くわからない。
そんな僕がギターに初めて触れて、
全く弾き方がわからず、とても悔しい思いをした。
この日、僕は音楽の呪いに憑りつかれたのだと思う。
「母さん、俺ギターが欲しいんだ」
受験勉強真っ盛りの時に母にお願いをしてみた。
「受験終わるまでダメに決まってるでしょ!」
ですよね…。
と言いつつ僕はどうしてもギターを弾いてみたい衝動が抑えられず。
「どうしてもダメか、後生だよ」
こんなにおねだりするのは、
当時世間のちび共の目を虜にさせた、
コマでバトルするおもちゃが流行ったとき以来だ。
「あんたね、15歳のクソガキが後生なんて言葉を使うもんじゃないのよ!」
なんて言ってくれた母だが、翌週の休みに楽器屋に連れて行ってくれた。
「お父さんがいるときに弾くんじゃないよ。100%怒られるから」
母ちゃん、最後のわがまま。ありがとう。
だがこんなおねだりを後2回する。
そうして買ったのはシングルカッタウェイの、やっすい真っ赤なエレアコだった。
家に帰るなり不器用な手つきでフレットを押さえ、ドレミファソラシドを探した。
覚えるなり流行りの曲のメロディーラインを耳コピして練習した。
イヤフォンで原曲を流す。
[あれ?ギターの弾き方間違ってね?]
僕は近所のゲームが売っている本屋に行き、
ギターにはコードという物があることを知り、
コードの本を買ってきた。
ゆ、指届かねぇ!
なんていう事もなく
「指がいてえ!」
とか言いながらも、ギター初心者登竜門である、
Fコードをその日のうちにマスターした。
受験勉強もろくにせず僕はギターにのめり込んだ。
2か月もすると、約150BPMほどの曲1曲を、
原曲に合わせて弾けるようになった。コードで。
もちろん楽譜を買った。
だが僕はとある違和感を抱える。
「これ、聞こえてくる曲の音とは全然違う…」
僕が練習していたのはコード、
そして弾いていたのはその曲のコード進行。
そんなこと知るはずもなく、ずっと違和感を抱えたまま、
コード進行楽譜を練習しまくっていた。
無事に地元では うましか と言われる高校に入学し、
1か月ほど過ぎた時に、僕はある真実にたどり着いた。
「この楽譜偽物じゃん!」
明らかに鳴らしている音と、
イヤフォンから聞こえてくる音が違う。
そう、僕が欲しかったのはTAB譜と言われる、
実際に演奏している楽譜だ。
だがそのことに気が付かない僕は、
セミアコで頑張ってイントロやソロを耳コピしていた。
高校1年も終わりに近づく、
そろそろバイトでもしたいな。なんて思っていた時に、
友達の紹介で僕は運命的な出会いをする。
「こう!ちょっとうちに来い!いいもん見せてやる!」
学校帰りに友人の家に行って見せられたのは、とても変なアニメ。
変形する戦闘機をギターで操って、戦場に突っ込んでいき、
ただただ一方的に歌を歌って仲介させる人物が主人公のアニメだ。
劇中で流れた、[アタック愛の心]だかなんだかそんなタイトルの曲。
一瞬でその曲に聞き惚れてしまった。
これが僕の音楽だけじゃなく、
いろいろな能力が開花するきっかけになった音楽との出会いだ。
ギターとの出会いが運命の出会いであり、
僕の人生を変えた。
ハードロックとの出会い、
この出会いが二度目の母への後生のお願いに繋がる。
あの曲を聴き込んだ。
だが物理的なでかい壁にぶち当たる。
「弦が硬くて自由に指が動かない。
12フレット以降なんて弾けたもんじゃない」
僕の持っていたエレアコはとても安いもので、
弦も買った当初の太い弦、
そして弦高調整と言う概念すらも知らないでいた。
そこで悟ったのは、
「これ、エレキじゃなきゃダメだな」
僕はまだバイトが決まっておらず、
お金が無かった。
部活から帰るなり、台所でご飯の準備をしている母にこう言う。
「母様、後生です。お金を貸してください」
「先輩にカツアゲでもされた?」
「母様、僕はそんな情弱ではありません」
「実は…エレキギターが欲しくて…バイトして返すから!」
母は無言で大根を切る。
刃物が木を叩く音だけが響く。
「いくらぐらいなの?」
「ん~わからん 5~10かな…」
「そんなにするのね…」
再び無言になった母。
やっぱりバイトするまでお預けかな。
その後、部活が無い日曜日、母がギター買いに行こう。
と言ってくれた。
「お母さま、本当にありがとうございます。
僕はこれで非行に走ることは絶対にないでしょう」
母にはアホと言われ、
妹からはキモイと言われた。
そこで母が連れて行ってくれたのが御茶ノ水だ。
僕が欲しいギターは決まっていた。
当時好きだったバンドが使っているギターがレスポールだった。
色味は少し違うものの、
一番最初に入った店舗で目に留まったのは、
チェリーサンバーストのレスポールタイプのギターだ。
本当はただのサンバーストのレスポールが欲しかったが、
同じメーカーで同価格帯のサンバーストが無かったため、
チェリーサンバーストにした。
だがのちに知るのは、僕が欲しかったメンバーが使っていたのは、
レスポールはレスポールでも、レスポールスペシャルというレスポールだった。
このチェリーサンバーストのレスポール、
買ったことに後悔するほど恥ずかしい思いをした。
というのも、
[女子高生が軽音楽部に入って青春しちゃう]
というアニメがのちに大流行してしまい、
その主人公が使っているギターがチェリーサンバーストのレスポールなのである。
「あ、あいつあのアニメの影響だな」
そんな風に思われるのが本当に嫌だった。
だが大人になってそのアニメを視聴して、
「あ、良き」
と思ったのは内緒だ。
念願のエレキギターを手に入れて、
事前に買ってあったアンプに繋げる。
初めて鳴らした音はGコード。
「おおおおお!これがエレキの音か!!」
あの時の興奮は今でも鮮明に覚えている。
それからという物の、
部活、バイト、との両立で、空いた時間に、
ゲームをするかエレキを弾くかと、
憑りつかれたようにのめり込んだ。
勿論エフェクター沼にハマり、
バイト代は、免許代と楽器代とバイク代にほとんど溶けた。
悲願の初ライブを果たしたのは高校3年生の時だ。
僕はギターヴォーカルと言うどっちつかずな役をやった。
そして高校3年生、僕はもう一つの運命の出会いをする。
奈緒と出会ったことだ。
一目見た時のあの時の感覚、とても不思議な時間と空気が流れた。
俗にいう 一目惚れ という物だったのだろう。
だが奈緒と成就したのは社会人になってから、
当時軽音楽部だった奈緒とその友人と再会することになり、
それがきっかけで交際をすることになった。
そして高校3年生はもう一つの人生の転機だ。
「お母さま、本当に申し訳ないお願いがあって、
後生です。専門学校に行かせてください」
3度目の後生だ。
エレキギターやエフェクターに触れたことで、
私は電子回路にとても興味を持った。
そして安定したサラリーマンを目指すにあたり、
電気や電子回路と言った工学系の学科で学びたいという道を選んだ。
紛れもない、音楽に出会ったから僕の将来進むべき道がはっきりした。
音楽が僕と奈緒を導いてくれた。
音楽との出会い、理解、成長、全てが順風満帆だ。
20代前半は、ただただそう思っていた。




