19.俺、蚊帳の外
『――で、そこで主が、「証拠は既に揃ってますよ」って言ったときの、あの顔! お前にも見せたかったぜ!』
「あー、うん」
『つってもよぉ、びっくりしたぜ。まさかこれが試験だったってなぁ』
「そうだね」
ぎゅ、ぎゅっと足で生地を踏んでいる俺の隣で、ほとんど一方的に喋っているのはネズミ氏だ。どうもこのネズミ氏、ミモさんの通訳的な仕事がないときは、結構自由に動き回っているらしく、ミモさんが事後処理で大変だといううのに、ここで主人の自慢大会を始めたのだ。
最初はミモさんが俺に状況を教えるべく、ネズミ氏を派遣したのかな、とも思ったが、違う。これは絶対に違う。ネズミ氏は、いかにミモさんが格好良かったかを話したいだけだ。大勢の研究員の前でしゃべるわけにはいかない内容もあるから、ある程度事情を知っている俺に話すことにしたらしい。あれからどうなったのかが分かるのはいいけれど、正直うざったい。
『ママー、お湯沸いたよ』
『僕も手が空きました』
『私もですの!』
俺はエンとアンには、下味を付けた鶏肉をオーブンで焼いてからエンの炎で炙るように指示し、スイには洗い物を頼む。
沸いたお湯では、先に仕込んで切っておいた麺をほぐしながら入れる。なお、さっきから踏んでいるのは第二陣の麺生地だ。
「ネズミ氏も食べるのか?」
『俺っちもだけど、主に持ってくぜ!』
「じゃぁ、二人には熱くない方で作ろうか。運ぶのに危ないだろうし」
『私が運びますの!』
影を通じてオーブンに肉を移動させていたアンが、大きく手を挙げた。なるほど、それなら熱々でも安心か。
――――あれから、殿下は第一研究所の横暴と不正の数々を暴いて断罪した。いや、殿下だけではなく、殿下の兄、第一王子も協力していたというから、第一研究所の面々にはご愁傷様と言うしかない。それとも、上司に断罪されるなら本望か?
家柄優先の腐った研究員が揃った第一研究所と、ゼロから作り、予算も足りない第二研究所にそれぞれ魔王の息子が責任者として割り振られたのは、なんと、魔王による試練だったらしい。膿だらけの第一研究所を制御できるか、人材ゼロで予算も貧しい第二研究所を遣り繰りできるか、さらには自身を支持する派閥をコントロールできるか、そういう能力の有無を見極める目的だったのだとか。権力者の考えることはよく分からないが、元々、本人同士は対立することもなかった殿下とその兄君は、こっそり裏で共謀し、第一研究所の掃除と各々の派閥が暴走することのないよう牽制をひとまとめにやってしまおうとしていたらしい。様々な人たちを締め上げるための証拠やら弱みやらをちまちま集めている最中に、俺の拉致やら殿下への薬物混入やらが発生したので、少し予定を繰り上げたという話だ。ちなみに、概ね当初の計画通りに事が運び、風通しがよくなったと言っていたのはアウグスト殿下だ。
俺を拉致したヒゲ付きカエルの末路について、一方的に喋り倒していたネズミ氏に熱々の煮込みうどんを渡し、アンに送らせた後、ようやく静かになったと思ったところで、厨房にやってきたのは、また騒がしい人だった。
「ねー、マジ信じらんないんだけどー」
「シンシア、時間は早いがもう昼飯は提供できるぞ。どうする?」
「え、もちチョーダイ」
昼飯を渡せばすぐに帰ってくれるだろうという俺の期待を裏切り、どんぶりを受け取ったシンシアは、その場ではふはふ言いながら食べ始めた。今日の爪は青・白・赤のトリコロールカラーだ。
「シャーくんがいなくなったせいでー、あたしに雑用が回ってくるんだけどー?」
「そう俺に言われてもなぁ」
研究員同士の序列についてはよく分からないので、俺は曖昧に相槌を打つしかない。
そう。一番年下だったシャラウィがいなくなった。理由は簡単。彼が第一研究所から仕込まれたスパイだった。動揺を抑えるために、第二研究所の研究員には、急遽、故郷に戻らなければならなくなったという大雑把な理由を伝えているそうなので、俺も口をつぐむつもりだ。
「だいたいさー、シャーくんもムセキニンっつーか」
「シャラウィにも事情があったんだろ? それにここで文句言っても、シンシアに雑用が回ってくるのは変わらないし」
「はー? 誰もそんなこと言ってないしー。っつーか、ミケはあたしの愚痴聞き係でしょー?」
そんな係は初耳だ、という反論をぐっと飲み込んだ。
知っている。俺は知っている。こういうときの女性は、とにかく愚痴をぶちまけてスッキリしたいだけであって、建設的な意見なんて求めていないんだってことを……!
俺は、適当な相槌を打つマシーンになりつつ、シャラウィのことを考えた。きっと、シャラウィにも事情があったんだと信じたい。もちろん、甘い感傷だっていうことは分かっている。でも、俺が無属性の魔晶石を作れたことや、エンやスイの存在はもっと早くに第一研究所に漏れててもおかしくなかった。それなのに、第一研究所のヤツらが乗り込んでくるまでに時間差があったことを考えると、シャラウィができるだけ情報を漏らすのを遅らせていたんじゃないかって――――
「ねー、ちゃんと聞いてるー?」
「聞いてるよ。マルチアが協力的じゃないんだろ?」
「そー、それでねー……」
少しぐらい、感傷に浸らせてくれてもいいじゃないか。いつまで続くか分からないシンシアの愚痴を、半分ぐらい聞き流しながら、俺は助けを求めてエンとスイを見る。だが、二人とも首を横に振って「無理」と告げていた。
「あ、そーいえばー、聞いたー?」
「うんうん、……えっ、何を?」
俺は慌てて相槌を撤回して聞き返す。突然、全然違う話題を振られるから、女性の相手は油断ができないんだよな。似たような愚痴を言ってても、こっちが話半分で聞いてないと察知するや怒り出すし、本当に勘弁して欲しい。
「両殿下にー、婚約者ができるらしーよー」
「へー……、って、婚約者? 殿下に?」
シンシアはニマニマとした笑みを浮かべて、「大変よねー」と続ける。
「そりゃ、でも、貴族とかって早めに婚約者ができるのは、珍しいことじゃない、よな?」
「まー、これまでは? トップ・オア・ダイって感じで婚約者もなかなかできなかったみたいだけどねー」
トップ・オア・ダイって……、次期魔王にならない方は、死ぬって確定かよ。やっぱり怖いな、権力者。俺は平凡な一市民で構わない。そこそこ長生きしてピンピンコロリが理想だ。
「でー、ミケは大丈夫なわけー?」
「? 何がだ?」
シンシアのニマニマとした笑みに、俺は不吉なものを感じた。
「だってー、婚約者からしたらー? 婚約相手がー、特定の同性とー、一緒のベッドで寝てるわけっしょー?」
「っ!」
それが言いたかったのか、シンシアは!
「ちょっと待てよ。俺は別に――」
「知ってるけどー、相手がどう受け取るかは、別の問題でしょー?」
元々、対抗勢力とか諸々に弱みを握られないために、秘密裏にここへ運ばれた俺のことだ。両殿下の仲が良好だと知らしめたからと言って、俺の存在を公表するわけもない。つまり俺は……
「殿下も色々考えてると思うけどー、目立たないように注意しないとねー?」
「く……っ! いや、ミモさんが離れててもどうにかできるよう研究しているはずだよな? それがあれば――」
「主席は第一研究所の後始末で、研究どころじゃないじゃん?」
「ぐはっ」
ひとまず落ち着いて厨房の主として働いていけそうだと思っていたが、どうやら、俺の受難はまだまだ続くらしい。
『お母様、大丈夫ですの?』
『ママー』
『母上、お気を確かに!』
俺に寄り添う三人を順繰りに撫でながら、俺は心の中で号泣した。
(俺に安寧の日々をくれ――っ!)
波瀾万丈なんていらない、と願う俺を、エン、スイ、アンの三人が慰めてくれた。この三人も、ある意味波瀾万丈の要素の1つなんだが。深くは考えるまい。
あぁ、どうやったら平凡な一市民として暮らせるのかなぁ……。そんなことを思いながら、遠い目になってしまったのだった。
これにて完結となります。お付き合いいただき、ありがとうございました。