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坂東の風  作者: 青木 航
第四章 政争編

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第10話 安和の変 ⅱ

 翌日、満仲は伊尹(これまさ)に呼ばれた。

「兼家から聞いた。麿に絵図を描けとは不敵な奴。だが、面白い」

 伊尹は薄ら笑いを浮かべながら、そう言った。

「恐れ入ります」

と満仲が頭(こうべ)を垂れる。

「麿から検非違使に指示するより、やはり、そのほうから訴え出よ。訴えの子細(しさい)に付いては、追って指示致す。一人だけの訴えより、もう一人誰(たれ)ぞ居た方が良いな。信用出来る者は居るか?」

と尋ねた。

「はい。それなれば、心当たりが御座います。恐れながら、手前からもお願いが御座います」

と満仲は、答えて条件を申出て来た。

「何か?」

と伊尹が問う。

「手前の弟・満季(みつすえ)なる者が検非違使(けびいし)におります。千晴(ちはる)を捕らえる際には、是非とも満季にご命じ下さるようお願い申し上げます」

「そうか、弟とあらば何かと都合も良い。その件、あい分かった」

 伊尹は千晴の捕縛に満季を向かわせる事を了承し、検非違使庁に伝えると約束した。

「有難う御座います」

「読めたぞ。そのほうの狙いは千晴であろう。その為にお上(かみ)を利用しようとは怪(け)しからん奴」

『怪(け)しからん』と口にはしている伊尹だが、表情は面白がっている。

「同時に、摂関家のお役にも立てることと思ってのことで御座います」

 満仲は抜け抜けとそう言葉を返す。

「言いおるのう。どこまでも不敵な奴。だが、役には立つ。今後とも働け」

 満仲は、

「ははっ」

と畏(かしこ)まって見せた。


 満仲は善時(よしとき)を自分の舘(やかた)に呼んだ。

「善時殿には、武蔵権守(むさしのごんのかみ)時代には、えらくお世話になり申した」

 そう言って軽く頭を下げる。

「飛んでも無い。こちらこそ大変お世話になりました。その上、今もお世話になっております」

と善時は神妙な表情で返しす。

「ところで、その後再び官職に就ける目処(めど)は立っておるか?」

と聞いた。

「いや、それがなかなか……」

 猟官活動は上手く行っていない様子だ。それを見て取った満仲は、

「良い話が有る」

と水を向けた。善時も、興味深げに満仲の顔を見詰める。

「上手く行けば出世に繋がる。だが、滅多な者には明かせぬこと。麿を信じ、一口乗らぬか。何も聞かず引き受けてもらわねば、内容は明かせぬ」

 大事であると言うことを匂わすと共に、絶対的な忠誠を求める言葉だ。

「分かり申した。満仲殿を信じる。命を預けても良い」

 善時はそう応じた。

「忝(かたじけな)い。実は、謀叛の訴えに連署して欲しいのじゃ。子細(しさい)は後ほど上の方から降りて来る。それを頭に叩き込み、いかなるご下問(かもん)にも答えられるようにして置けば良い」

「謀叛の?」

 流石に、そう問い返した。

「我等が叩き落とす蝿は藤原千晴」

「あの千方の兄で御座るな」

 善時は納得が行ったように頷く。

「もちろん、千方も一緒に葬る。だがな、真の狙いは遥か大物じゃ。それが有るから、摂関家がこの話に乗った」

 善時が大きく頷く。

「摂関家が後ろに着いているなら、恐いものは有りませんな」

 緊張していた善時の表情が幾分緩んだ。

「その通り」

 満仲も自信を見せて、大きく頷く。

「ところで、大物とは千晴に繋がるあのお方で御座るな。摂関家、正に恐ろしやで御座いますな。強(したた)か叩いたのに、あの程度ではまだ飽(あ)き足らぬと言うことですか」

「やる時には徹底的にやらねば、悔いを残す。麿も同じ考えだ」

「満仲殿を敵に回さずに良う御座いました」

 善時は軽口を叩く余裕さえ見せた。

「その代わり、麿は味方には情が厚いぞ」

と笑みを見せる。

「仰せの通り」

 謀叛をでっち上げる悪巧みの相談と言うのに、二人の間には、最早和(なご)やかな雰囲気さえ漂っている。


 数日後、満仲が善時(よしとき)と満季(みつすえ)を伴って、伊尹(これまさ)邸を訪れていた。

「これなるは、前武蔵介(さきのむさしのすけ)・藤原善時と手前が弟・満季に御座います。お見知り置き下さいませ。善時は手前、最も信頼する者に御座います」

 満仲がそう言上すると、伊尹は白紙で封じた手紙様(よう)のものを投げた。地に落ちたそれを満仲が拾う。

「それに書き示してある通りに訴状を認(したた)めよ。内容をしっかりと覚え、その後に焼き捨てよ。全て辻褄(つじつま)が合うように証(あかし)も証人も用意して有る。後は、痛め吟味でそのように吐かせるだけじゃ。満季とやら、良いな」

と、伊尹が満季を見据える。

「ははっ。必ずそのように」

 満季は、そう答えて地に額(ひたい)を着ける。 

「大儀(たいぎ)」

 そう言い残し、伊尹は背を向けて奥に消えて行った。


 始め拘(こだわ)りを見せていた師氏(もろうじ)も、立太子(りったいし)以来、形勢が摂関家に傾いたのを見て師尹(もろただ)に歩み寄りを見せている。兼家とは犬猿の仲の兼通(かねみち)は、高明に近いことで身の危険を感じ、兄の伊尹(これまさ)に従う形で兼家とは小康(しょうこう)を保とうとしている。だが、一方で、師尹と兼家の家人(けにん)同士が乱闘すると言う事件も起こっていた。

 曲がり形(なり)にも、摂関家を纏めている要(かなめ)は師尹(もろただ)である。師尹に口説かれ、関白になりたさもあって妥協した実頼(さねより)も肚(はら)の底では、伊尹の跳ね上がり振りを快く思っていない。だが、摂関家を動かしている原動力はと言えば、やはり伊尹(これまさ)なのだ。師尹は、実頼と伊尹を繋ぐ役割を担っている。他人に厳しく偏屈な師尹にしては珍しいことだが、自分こそが摂関家を纏めていると言う自負がそうさせているのかも知れない。


 その師尹(もろただ)の許を伊尹(これまさ)が訪ねている。

「手筈(てはず)は整いまして御座います。後は関白様のご決断が有ればいつなりと」

「そうか。関白様には麿から申し上げて置く。今更、否(いな)とは仰せになるまい。と言うよりも、言えぬであろう。麿が責めを負う。構わぬ、やれ」

と、師尹が伊尹に命じる。形はそうだが、実質、伊尹が絵図を描いて、師尹に実頼の了承を得る事を約束させたのだ。

「畏(かしこ)まりました。では、三月二十五日と致します。良しなに」

 伊尹は慇懃に対応する。

「分かった。抜かるなよ」

「抜かりは有りません。いよいよ叔父上も左大臣と言うことですな」

 師尹は、少し不快そうな顔をした。

「己の栄達の為にすることでは無い」

と、飽くまで大儀の為にしていることと、己への言い訳に、師尹は拘る。

「それは、良く分かっております」

 伊尹(これまさ)は、内心『何を気取ったことを言っているのだ』と思った。

 師尹(もろただ)はもちろんのこと、実頼も己の欲の為に動いている。それを、摂関家の為と言い換えることに依って己自身を欺(あざむ)き、自分はそんな人間では無いと思い込もうとしているのだ。 

 大義(たいぎ)とは、欲深い己を隠す簑(みの)のようなものだと伊尹(これまさ)は思う。そう考えるのは、自分自身を含めてのことだ。立場こそ違うが、高明(たかあきら)とて例外では無い。そう思う。 


 人は皆、己の欲を隠し、体裁(ていさい)を繕(つくろ)って生きている。下々(しもじも)の者は少しでも良い暮らしをしたいが為に、上の者は権勢欲や名誉欲を満たそうとして。己自身をも偽って生きているのだ。伊尹(これまさ)はそう思っている。

 唯一、我欲を隠そうともしないのは満仲くらいか。そう思った。だからこそ、満仲を信用した。摂関家側に着いている方が得だと思っている限りは、満仲は裏切らない。そう見抜いて大事を手伝わせている。分かり易い男なのだ。それに比べて、摂関家の者達は、姑息(こそく)なことをやりながら、なお、己を飾り立てようとする。己(おの)が一族ながら、度(ど)し難(がた)い連中だと思った。

「何か不都合が起こった際には、叔父上方は何も知らなかったことになさいませ」

 公卿(くぎょう)達の得意技であり、最も喜ぶ言葉だと分かっていて、伊尹(これまさ)はそう言って師尹を安心させた。不都合など起こり得ないと思っている。 

「分かった。後は、そのほうが差配致せ」

 何かの場合の責任逃れの一言だ。

「畏(かしこ)まりました」

 伊尹は謹んで承ったと言う体(てい)を装う。


 三月二十五日早朝。満仲と善時の二人が訴状を持って、中務少輔(なかつかさしょうゆう)・橘繁延(たちばなのしげのぶ)と左兵衛(さひょうえの)大尉(だいじょう)・源連(みなもとのつらなる)らが謀反の謀議をしていると検非違使庁に訴え出た。


 訴えは規定の段取りだったと見えて、まだ明けきらぬ時刻、検非違使庁の中は早くも出動準備でごった返している。

「孝継(たかつぐ)殿、千方の方は宜しくお願い申す」

 満季(みつすえ)が、同僚の佐伯孝継(さえきたかつぐ)に話し掛けている。満季自身は千晴の捕縛に向かい、千方捕縛には孝継が向かうことになっているのだ。千方は、蓮光時での歌会には参加していない。千晴から何か聞いている可能性が有ると満季が提案して捕縛対象に加えられていた。

「既に見張りを付けてある」

 孝継が答える。

「そうか、分かった」

 満季は、千方を捕らえても、大した罪には出来ないことを知っているが、位階剥奪、官職追放まで強引にでも持って行きたいと思っている。官人(つかさびと)を殺せば探索が厳しくなる。だが、無位無冠の者が殺されたとしても大したことにはならない。証拠さえ残さなければ良いのだ。満季はそれほど迄に千方を殺したいと思っている。


 満仲、善時の提訴を受けて、右大臣・師尹(もろただ)以下の公卿(くぎょう)達は直ちに参内(さんだい)して諸門を閉じて会議に入り、密告文を関白・実頼に送ると共に、検非違使に橘繁延(たちばなのしげのぶ)と僧・蓮茂(れんも)らの捕縛を命じた。告発から、公卿(くぎょう)らの召集。検非違使への命令まで、まるで、予(あらかじ)め決められた手順に従って進められたかのようにごく短時間で完了した。


 千晴は『確かにそのような戯(ざ)れ言(ごと)は耳にしたが、自分は一切言っていない。又、言った者も本気で言ったのでは無い事は明らかである』と答え続け、痛め吟味にも屈しなかった。

 繁延も、戯(ざ)れ言(ごと)と言い張った。しかし発言の当事者である為、千晴以上に痛めつけられ、同席した者として源連(みなもとのつらなる)と平貞節(たいらのさだみ)の名を口にした。 

 満季はその二人の同席を知っていたが、敢(あ)えて繁延の自白を待って手配をした。二人は逃亡した後だった。また満季は蓮光寺を徹底的に捜索したが、木菅を見付け出すことは出来なかった。

 庁に戻ると、孝継が済まなそうに近寄って来て頭を下げた。

「逃げられたのか」

 満季が、憮然(ぶぜん)として呟いた。


 師尹(もろただ)と伊尹(これまさ)はじりじりしながら待っていた。次にやることは決まっている。三人のうちの誰の口からでも良いのだが、高明(たかあきら)の名が出たと言う報告が、検非違使庁を通じて上がって来るのを待っているのだ。だが、夕刻になってもその報告は無かった。


 満季は頭を抱えていた。脅したりすかしたりしながらどんなに痛め付けてみても、高明の関与が有ったと言う供述を得ることが出来ない。もちろん事実では無いので、痛め付けて苦し紛(まぎ)れに認めさせるだけのことなのだが、誰一人認めない。伊尹(これまさ)の前で大見得(おおみえ)を切った手前、何としても吐かせなければならない。だが、これ以上責め続ければ、責め殺してしまうことにもなりかねないのだ。


 夕刻、満季は密かに伊尹の私邸に呼び出された。

「必ず吐かせますので、今、暫しお待ちを」

 満季はそう懇願した。

「もう良い。吐かねば、吐いたことにするだけ。殺してはならぬ。良いな」

 伊尹がそう指示する。

「申し訳御座いません」

 満季はただ頭を下げるのみだ。

「明日の朝、決行する。今夜中に別当から命(めい)が下ろう」

「畏(かしこ)まりました」

 企(たくら)みは、被疑者の自白を待たずに次の段階に入ると言う事だ。


 翌二十六日。やはり早朝。佐(すけ)・藤原允世(ふじわらのただよ)が直接指揮し、検非違使の一団が高明邸を囲んだ。

 高明は、昨夜は眠れなかった。前日、実頼から千晴の捕縛を告げられた瞬間、真の狙いは自分であると確信した。満仲の裏切りに続いて千晴の捕縛。高明は両の腕をもがれたも同然で、土壇場で武力を使うことも出来無くなってしまった。

 高明の影響力を奪ったくらいで満足する摂関家では無かった。この二年間、常にこの機会を狙っていたのだ。大人しくしていれば、何とか生き延びられると思っていたことさえ甘かった。高明は一晩中考えた。そして、左大臣を辞し、朝堂(ちょうどう)からも身を退(ひ)き仏門に入ることとした。そこ迄やらねば摂関家は許さないだろうし、又、そこまでやれば、さすがの摂関家も見逃してくれるはずと考えた。仏門に入ると言うことは、今後永久に摂関家の政敵にはならないと言うことである。

 参内(さんだい)したら直ぐに実頼に会い、その旨申し出るつもりであった。

 しかし、時は既に遅く、検非違使に取り囲まれていることを家司(けいし)が告げに来た。高明は瞑目(めいもく)し、やがて深い吐息(といき)を吐いた後、黙って頷いた。間も無く、佐(すけ)・藤原允世(ふじわらのただよ)を先頭に検非違使達が土足のまま踏み込んで来た。


 検非違使別当(けびいしのべっとう)は検非違使を統轄する最高責任者ではあるが、自身は検非違使では無い。(今で言えば、国務大臣・国家公安委員長と言ったところか)実質、二人の佐(すけ)が検非違使を動かしている。允世(ただよ)は右衛門権佐(うえもんのごんのすけ)を兼ねている。従五位上(じゅごいのじょう)に過ぎない允世に、正二位(しょうにい)・左大臣である高明が頭を下げる。

「勅(ちょく)である。源高明を左大臣から太宰権帥(だざいのごんのそち)に転じるとの太政官(だじょうかん)の決定が出た。今この場より直ちに大宰府に向かわれよ」


 大宰府は朝廷の鎮西(ちんぜい)総司令部であり、九州地域の兵権を掌握している組織である。長官は太宰帥(だざいのそち)であるが、皇族が任じられ当然遙任(ようにん)であるから、実質的な責任者は権帥(ごんのそち)と言うことになる。他方で大宰権帥は中央で失脚した大臣経験者の左遷ポストとなることも多かった。通常の官職として任じられることも有り、同時に左遷ポストともなると言うややこしい官職なのだ。

 高明の場合は当然左遷であるから、そう言う場合は、弐(すけ)が実質的責任者となり、権帥(ごんのそち)は名目だけで、一切行政には関われない。 

 全ての官職を辞し、仏門に入るので大宰府行きは免じて欲しいと高明は懇願した。

「申し出に付いては上に報告します」

とだけ、允世は答える。

    

 六十八年前の昌泰(しょうたい)四年(九百一年)一月。左大臣・藤原時平の讒言(ざんげん)により醍醐(だいご)天皇が右大臣・菅原道真(すがわらのみちざね)を大宰員外帥(だざいのいんげのそち)として大宰府へ左遷し、道真の子供や右近衛(うこんえの)中将(ちゅうじょう)・源善らを左遷または流罪にした。時代に依って呼び名が変わっただけで、権帥(ごんのそち)も員外帥(いんげのそち)も同じ職である。車馬は元より、食料も与えられない状態で、道真親子は、大宰府に向けて追われた。昨日までの右大臣がである。

 飢えと寒さ、足の痛みに耐えながら、道真は大宰府に辿り着き、左遷後は大宰府・浄妙院(じょうみょういん)で謹慎していたが、僅か二年後の延喜三年(九百三年)二月二十五日に逝去(せいきょ)し、安楽寺に葬られた。享年(きょうねん)五十九歳。


 歴史にも詳しい高明は、道真が味わった悲惨さを良く知っている。それが、余りにも悲惨であったがゆえ、その死後藤原氏が怨霊に脅え、遂には道真(みちざね)を神として祀(まつ)ってしまうまでに至ったのだ。

 高明は恐ろしかった、左遷とは名ばかり、実質的な島流しである。どれほどの苦難が待ち受けているのか。想像したくも無かった。道真は文章生(もんじょうしょう)から右大臣まで上り詰めた男だ。下々(しもじも)の暮らしも経験している。その道真が苦しんだ状況に、元は親王(しんのう)であった自分が耐えられるのだろうかと思った。

『上に報告する』と言う答だけでは心もとない。

「必ず、関白・太政大臣様まで伝わるようお願い致す」

 高明は允世に重ねてそう頼んだ。

「麿に出来るのは、別当に申し上げるところまで、その後は預かり知らぬこと」

 允世としては嘘の無い答だ。

「……。ならば、そこまで宜しくお願い致す」

 一縷(いちる)の望みは、実頼が致仕(ちし)(引退)を認めてくれることである。建前が左遷であるなら、辞めた者を大宰府に左遷することは出来なくなる筈だ。

 しかし、高明の願いは届かなかった。その日のうちに長男と共に九州へ向けて追い立てられることになった。一方、橘繁延(たちばなののぶしげ)は土佐国(とさのくに)、蓮茂(れんも)は佐渡国(さとのくに)。藤原千晴(ふじわらのちはる)は隠岐国(おきのくに)にそれぞれ流され、更に源連(みなもとのつらなる)と平貞節(たいらのさだみ)の追討が諸国へ命じられた。しかし、千方への追討令は出されなかった。


 密告の功績により、源満仲は昇叙(しょうじょ)どころか、いきなり正五位下(しょうごいのげ)に叙(じょ)された。藤原善時(ふじわらのよしとき)は位(くらい)を進められ、官職も得た。

 また左大臣には師尹(もろただ)が転じ、右大臣には大納言・藤原在衡(ふじわらのありひら)が昇任した。

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