第1話 決起
藤原鎌足の子・不比等の時代から、藤原氏は邪魔な者達を陰謀に寄って葬り去って来た。その多くは、『謀叛の疑い』などとされながら、容疑の詳細がはっきりしない。摂関家が関わったものだけでも、安和の変の他に、承和の変(八百四十二年)、応天門の変(八百六十六年)、阿衡事件(八百八十四年)、昌泰の変(九百一年)などが有る。
『承和の変』では、藤原良房が伴健岑・橘逸勢らを排除すると共に、恒貞親王を排し、自身の妹の子である道康親王(後の文徳天皇)を皇太子にした。この事件により、良房は他氏排斥を行いながら、帝の外戚の地位を確保している。
『応天門の変』に付いては、大納言・伴善男が左大臣・源信の失脚を狙って応天門に放火したもので、当初、源信が犯人とされたが、後に伴善男が真犯人であることが発覚した。
これに付いては、藤原氏が事件に関わった訳では無く、他氏排斥とは違うように見えるが、事件の処理に当たった藤原良房は、この事件を利用して結果的に伴氏(=大伴氏)の排斥に成功しているのだ。
『阿衡事件』は、藤原基経と宇多天皇との争いである。関白の詔が出された後、橘広相が起草した勅書の中の『阿衡(=関白)』と言う職名に藤原基経が反発したことで起きた事件で、結局宇多天皇が折れ、橘広相が処罰された。藤原基経はこの事件で関白の職を確かなものとし、権勢を増す一方、橘氏の排斥にも成功している。
『昌泰の変』では、菅原道真が自分の娘を宇多天皇の皇子に嫁がせたことが原因で、藤原時平の陰謀により、大宰府に左遷させられている。
藤原氏最後の他氏排斥事件『安和の変』が起こったこの日。安和二年(九百六十九年)三月二十五日から二十六日にかけて、洛中は将門の乱以来の混乱状態に陥っていた。
内裏の諸門は閉ざされ、衛門府の兵達が厳しく警備している。洛中には、何組もの検非違使の群れが走り回っており、怪しい者と見ると片っ端から捕らえて引っ立てて行く。
左京南部、鴨川の河川敷。木の枝で組んだ骨組みに筵を掛けただけの小屋が並んでおり、住み付いている貧民の群れ。その中に竹丸の姿が有る。足の具合は、当初から見ると大分良く成っていると見える。だが、僅かに右足を引き摺っており、杖代わりの木の枝を離せないようだ。
怪しい者が潜んでは居ないかと、ここにも検非違使がやって来て、徹底的に調べて行った。竹丸は、蕨手刀など、怪しまれるような物は別の場所に隠しており、身近には置いていない。それに加えて右足が不自由な為、疑われずに済んだ。一緒に住んでいる女も、竹丸が疑われないように協力してくれた。竹丸よりは五つ六つ年上に見えるその女は、体を売って竹丸を養っているらしい。
「汝が行ったらすぐ捕まってしまう。そないに心配なら、吾が様子を見て来るわ。ここで待っててや」
千方の舘の様子を知りたいと言う竹丸に、女がそう言った。
「頼む」
と竹丸は頭を下げる。
「もう関係無いとか言うてた癖に、しゃあないな。分かったわ」
と言って表に出た女が土手に上がると、直ぐ検非違使が寄って来た。そして、
「どこへ行く」
と誰何された。
「商売せな、食べる物も有らしまへんがな。見逃しておくれやす」
女はそう言って手を合わせ媚びを売る。特に怪しいとも思えないし、こんな女にいつまで関わっている暇は無いから、検非違使の男は、
「行け」
と面倒臭そうに言った。
「ありがとーうえ」
愛想を振り撒いた後、女は鴨川沿いに北へ進む。見るからに春を鬻ぐ女ではあるが、袖を引く男の姿も無い。皆、家に籠って騒ぎが収まるのを待っているのだ。
六条大路から東京極大路に入り北に上る。中御門大路を西に入り、修理職町の辺りを歩いてみるが、人影も無く何も分からない。
女の名は葛野。この辺りには何度も来たことがある。竹丸と共に来たり、頼まれてひとりで来たりもしている。竹丸は旧主・千方のことをいつも気にしていたのだ。千方の舘の裏手に差し掛かった時、運良く一人の小者が歩いて来るのに出会った。近くに使いに出た帰りらしい。
「あの、もし。少々伺いますが、こちらのお舘の方々は?」
「うん? 汝は縁者か?」
顔を上げた小者風の男が、逆に尋ねて来た。
「いえ、違います。ちょっと知り合いの方がおりまして」
「ふ~ん」
と言いながら、小者は葛野の体を舐めるように見回した。
「馴染みの客でも居たのかい、この舘に」
男の顔に、卑猥な笑みが浮かんでいる。
「え? へえ。そんなとこで」
と葛野が答える。
「ここの殿様はな、謀叛人の一族らしい。検非違使が踏み込んだが、逃げた後だったそうや。こんな所でうろうろしとると、一味と間違えられるで」
「そないな恐ろしい方のお舘やったんや。知らんかったわ。教えてくれて有り難う」
この舘の主は無事らしいと確認出来たので、葛野は急いでその場を後にした。
「そうか。六郎様はご無事だったか。良かった」
葛野の報せを聞いた竹丸が、ほっとしたように言った。
「そないに気になるなら、何で逃げ出しはったん?」
と葛野が聞く。
「居ても役に立たねえからな」
いつもの拗ねた言い方で竹丸が答える。
「そやな。もし、汝がおったら捕まっとったかも知れへんな」
葛野はそう言って頷いた。竹丸は、この先のことを考えていたのだが、言葉は発しなかった。
甲賀から東山道を通って、千方主従は下野に入り、千常が近頃本拠地としている小山に向かった。
朝鳥が迎えに出ていた。毎日そこに出て、いつ現れるとも知れない千方をずっと待っていたものと見える。
「良うご無事でお戻りになりました」
朝鳥は安堵の気持ちを全身で表して、千方を迎えた。休む間も無くひたすら駆けて来た千方一行は、見るからに疲れ果てていた。信濃で馬を替えたが、それ迄は、乗り潰さないぎりぎりの処で馬を操って来たのだ。
「やはり先に戻らせて頂いて良う御座いました。残っていれば、とんだ足手纏いになる処でした」
馬首を並べて、朝鳥が笑いながら言った。
「読んでおったか」
千方もくすっと笑った。
「はい。そんなことより、少しも早くお舘へ。お疲れで御座いましょう」
「兄上はお出でか」
「はい、ご心配なさっておいでです」
朝鳥と共に舘に向かい、千方は 千常の居室に入った。
「申し訳御座いません。麿ひとり逃れて参りましたが、太郎兄上は捕らわれたそうです」
そう言って、千常の前に千方が頭を下げる。千常は腕を組んで眉を寄せ、
「父上が恐れていたことが、現実に起きてしまった」
と言った。千晴が京に向けて立つ前に、どれほど用心して手を打っていたかを、二人とも良く知っている。大勢の郎等を千晴に付けたのも、高明の従者としたことも、秀郷が摂関家を用心した結果打った手なのである。しかし、その当時は、千晴ばかりでなく、千常もそれほど深くは考えてはいなかった。どこかで、父の思い過ごしと軽く考えていた。それが、秀郷の死後、現実の危機として降り掛かって来たと言うことなのだ。
「我等が甘う御座いました。満仲と摂関家が手を結び、それぞれの敵を一挙に葬ったと言うことです。只、満仲が当初狙っていたのは麿なのです」
千方はまだそう思い、それに拘っていた。
「そんなことは、言ってみても仕方無い。問題はこれからだ。太郎兄上をこのままには出来ぬ」
千常がそう言った。
「兄上。隠れ郷の者達と太郎兄上の元郎等、合わせて百。麿に預けて頂けませんか。太郎兄上をお助けして参ります」
千常の前に手を着き頭を下げて、千方がそう願い出た。
「僅か百やそこらで出来る訳が無い。馬鹿なことを言うな。それに、万一出来たとして、高明様のお力を頼れぬ今、摂関家が黙ってはおらん。謀叛とされてしまうだろう」
「では、指を咥えて見ているのですか。そればかりでは無く、このまま我慢しているようでは、いずれ摂関家の誰かに仕えなければ生きて行けないこととなりましょう」
そう強く千方は主張した。
「六郎。強かになりおったのう。摂関家に仕えることなど麿に出来ぬことを承知で申しておるな。第二の将門に成るしか無いと言うことか」
「いえ、将門のように滅びは致しません」
大きく首を振って、千方が千常を見据える。
「何? 考えでも有るのか」
と千常が聞く。
「一挙に都を目指すのです。朝廷は直ぐに軍を興すことは出来ません。一挙に攻めればやれます。甲賀三郎殿の協力が得られれば、太郎兄上を救い出すことは出来ると思います。直ぐに取って返しますので、兄上は、その間に軍備を整えて下さい」
謀叛まで進む覚悟を千方は見せた。
「祖真紀、六郎の策どう思う」
と、千常は祖真紀の意見を求めた。
「郷の者全てを使えば、例え甲賀三郎殿の協力が無くとも、都の殿を救い出すことは出来ると思います」
祖真紀も覚悟と策が上手く行くと言う見通しを示した。
「ふ~ん」と言って、千常は腕を組み直した。
「どこまで戦えるかだな、その後」
と千常が呟く。
「策が御座います」
と空かさず千方が言った。
「郷の者達は祖真紀に指揮を執って貰うのが一番良いが、こたびは麿が直接指揮を執り、祖真紀にはもっと重要な仕事をして貰います」
祖真紀が千方を注視し、千常が千方に尋ねる。
「それは何か?」
千常に答える前に、千方は祖真紀に策を伝える。
「陸奥に行って安倍忠頼殿を口説いて貰いたい。日高見国を作る時が来たとな」
そして、千常の方に向いて続ける。
「朝廷の追討軍が道々兵を徴発しながらこちらにに向かっている間に、蝦夷軍が南下を始めればどうなりましょう。今の朝廷に、もう一度対蝦夷戦争を始める力など無いことは明らかです。奥六郡の蝦夷は既に安倍が統一しております。そして、安倍の本音は、朝廷に支配されない蝦夷の国・日高見国を造ることです」
「しかし、そうこちらの思惑通り動いてくれるかのう」
腕組みをした千常は、そう言って首を捻る。
「だからこそ、祖真紀に託したいのです。祖真紀と忠頼殿の間には特別な信頼関係が御座いますゆえ」
組んだ腕を解いた千常は大きく頷き、
「分かった。面白い。摂関家の犬などになれるか。戦うしか無いな。六郎、麿も行くぞ」
と言った。それに対して千方が、
「兄上には、兵を募って頂かねばなりません。下野に残って下さい」
と告げる。
「馬鹿を申すな。こんな面白いこと見物などしておられるか。朝鳥、兵はそのほうが募っておけ。取り敢えず、郎等をあと百、都合二百で攻め上る」
徴兵を朝鳥に押し付け、千常は自ら出陣する気満々である。
「兵を募るのは文脩様にお命じ下さい」
朝鳥とて、戦いに明け暮れて来た猛者である。留守番など御免だと言わんばかりに、千常に詰め寄った。
「文脩は、まだ元服したばかりじゃ。名目上任せるとしても、やはりそのほうには残ってもらわねばならぬ」
千常も千方同様朝鳥の身を案じているのだ。
「文脩様の守役がおります」
朝鳥は引かない。
「兵を集める事も糧食を集める事も、戦の趨勢を左右する大事な段取りだ。朝鳥。父上の代から何度も戦を経験して、全て分かっているそのほうにしか任せられんのじゃ」
朝鳥を見詰め、千常が熱を込めて説得する。暫く黙っていたが、朝鳥は
「分かり申した」
と渋々承知した。
祖真紀は、一度隠れ郷へ戻り、六十人の郷の者達を引き連れて戻って来た。その中には、祖真紀の嫡男・日高丸の姿も有った。千方は、千常が引き取った元・千晴の郎等達を集め、千晴を救出する為に都に行くこと、命を失う可能性は低く無いことを伝えた上で、それでも行くと言う者は居るかと問うた。全員が行くと答え、それぞれに意気込みを示した。祖真紀は、自身で郷の者達に作戦の概要を伝え、日高丸に覚悟を迫った。
夕刻、千常、千方、祖真紀、朝鳥の四人が酒を酌み交わしている。
「下野藤原が滅びるか、生き残るかの正念場だ」
千常が重々しく言った。
「甲賀三郎殿の協力が得られるか、安倍忠頼殿が立ってくれるか、いずれも裏付けの無いこと。申し訳有りません」
千方はそう言って頭を下げる。
「確かな事は何も無いが、突然のこと、やむを得まい。今立たねば、摂関家の門前に馬を繋ぐことになる。それだけは死んでも嫌だからな」
『五郎兄上は昔と少しも変わっていないな』と千方は思う。
「昔、田沼の舘で父上に聞かれたことが有りました。どう言う話の流れからだったかは覚えておりませんが、『坂東を纏めることが出来たとして、その後はどうする?』と父上は仰せになりました。麿は、安倍が蝦夷を束ねておれば、安倍と連携を取ります、と答えました。坂東を纏めるなど今となっては夢のような話ですが、安倍は奥六郡の蝦夷を纏めることに成功しています。そして、忠頼殿の望が日高見国を造ることにあることを知っています。祖真紀。それに違い無いであろう」
そう祖真紀に確認する。
「はい、確かにその通りで。浮囚などと呼ばれ、ただ、従っているだけの男では御座いません」
祖真紀は、忠頼を良く知っている。
「忠頼殿は既に『奥六郡』の統治に自信を持っている。切掛けが有れば立つ。麿はそう見ているのです。そして、忠頼殿を口説けるのは、義兄である祖真紀を置いて他に居りません」
「そうか、祖真紀頼むぞ」
酒を一口グイと飲み干した千常が、祖真紀に言った。
「魂の叫びを以て口説きます」
祖真紀も酒を一口飲み干し、千常に答えた。
「明日、我等は都に向けて、祖真紀は陸奥に向けて立つ。朝鳥、文脩と共に兵を集めてくれ、頼むぞ」
「畏まりました」
朝鳥は、静かに応じた。




