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坂東の風  作者: 青木 航
第一章 幼年編 壱 隠れ郷(下野)

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第3話 童達

 競馬《くらべうま》などの催《もよお》しが終わると、郷人《さとびと》の多くは、家へ、畑へ、山へと散って行った。千方《ちかた》は冷めやらぬ興奮を胸に朝鳥に話し掛けた。

「見事であったのう、朝鳥。ここに三年おったら、麿《まろ》もあのように乗りこなせるようになるであろうか?」

『勿論《もちろん》で御座います。六郎様ならきっとお出来になるでしょう』

と言う答を期待していた。草原《かやはら》の叔父・豊地《とよち》ならきっとそう言う。ところが、

「あの者達は幼い頃より、毎日馬に乗っているので御座います。三年では難しゅう御座いましょうな。まずは、あの裸馬同然の鞍に慣れるのに、いく月も掛かりましょう」

などと忖度《そんたく》無しに答える。朝鳥と言う男、お世辞など言う男ではなかった。

「そうか。だが、折角《せっかく》ここに居《お》るのであれば、乗り熟《こな》せるように成ってみたい」

 朝鳥の答は少し期待外れではあったが、やる気は湧いて来た。

「ほう?」

と言った朝鳥の顔に笑みが浮かんだ。

「こんな山里に置き去りにされて、寂しくは御座いませぬか。武蔵《むさし》に帰りたいとは思われませんのか?」

と千方《ちかた》の顔を覗き込むようにして尋ねて来た。

「うん。夕べまでは思った。だが、無理ならば仕方ない。今はあのように馬を乗りこなしてみたいと思っている」

 これが千方《ちかた》だ。好奇心が強く、気持ちの切り替えが早い。良く言えば前向きと言えるだろうが、祖父・久稔《ひさとし》が案じたのは、ある意味調子者ではないのかと言うことだった。

 だが、千方《ちかた》は実は気分だけで行動する子ではなかった。考える時は考える。だが、どうにもならないと思ったら、いつまでぐずぐずしてはいない。ただ甘やかして育てられた子と思っていた朝鳥だが、千方《ちかた》の別の面を発見したことに喜びを感じていた。

「では、長《おさ》に話しておきましょう。ところで、千寿丸《せんじゅまる》様は、太刀打《たちう》ちの方はお好きですかな」

と聞いた。

「嫌いではない。叔父の豊地《とよち》と良く稽古しておった」

「では、ひと手、参りますかな?」

と朝鳥。

「良いぞ、参ろう」

と千方《ちかた》はやる気を見せた。意外と早く千寿丸《せんじゅまる》の本質を見極められるかも知れないと朝鳥は思った。

「長《おさ》、千寿丸《せんじゅまる》様と太刀打ちなど致そうと思うが、何か手頃な棒などないか?」

 片付けの差配をしていた祖真紀《そまき》に朝鳥が声を掛けた。

「分かり申した。お待ちを。これ、誰ぞ持って参れ」

と片付けをしている者達に声を掛ける。

「はい。じきに」

 ひとりの女が返事をし、祖真紀《そまき》の住まいに走り、間もなく二本の棒を持って戻って来た。手頃な長さの比較的真っ直ぐな木の枝の皮を剥ぎ、乾燥させてある。

 棒を受け取ったふたりは、一間ほどの間合いを取って向かい合った。

 ほんの少し右足を引いて、右手に持った棒をだらりと下げた体勢の朝鳥に対し、千方《ちかた》は十分に腰を落とし、左半身《ひだりはんみ》の体勢でやはり右手に持った棒の先を右下に向けて構えた。

「では、参られよ」

 朝鳥の言葉と同時に、つかつかと足早に歩み寄った千方《ちかた》は、右足を踏み込みながら棒を持った右手を引き寄せ、己の体の中心線に沿って切っ先を上げ左手を添え、そのまま朝鳥の喉元《のどもと》目掛けて突き込んだ。

 朝鳥は、左足を下げ、体を開き、軽く左に払った。

 払われて少しよろけた千方《ちかた》が体勢を立て直し、払われた切っ先を返してそのまま切り上げるため踏み込もうとしたところ、朝鳥の持つ棒がすっと伸びて来て、その切っ先が千方《ちかた》の胸元に突き付けられていた。

 思わず上体を反らせた千方《ちかた》は、半歩下がり、朝鳥の棒を下から跳ね上げようとした。

 しかし、それは空《くう》を切って、手首を返した朝鳥の棒が、千方《ちかた》の首の右にぴたりと当てられていた。

「うむ…… 。いまひと太刀《たち》」

 そう言って千方《ちかた》は二、三歩下がり、間合いを取って構え直した。やはり十分に腰を落とし、今度は体の中心で棒を両手で握った。図《はか》らずも、後の世に言う正眼《せいがん》の構えだ。しかし、小指をしっかり握り、薬指、中指、人差し指と徐々に力を抜いて行くということにまでは思い至っていない。全部の指に力を入れて、ただしっかりと握っているのみだ。

 千方《ちかた》は、そのままじりじりと間合いを詰めた。朝鳥の方から打ち込んで来る様子は無い。同じように、右手を下げて、少しだけ左足を前に腰高に構えている。

 今度も踏み込んで、突いて出た。朝鳥は左足を少し引き、また払いに来たが、千方《ちかた》は素早く肘を畳んで棒を引き、朝鳥の棒が空《くう》を切った瞬間二度突きに出た。朝鳥は大きく右足を引きながら右に払った。最初左に払った時は腕だけで払ったが、今度は、大きく右足を引いたことにより生まれた腰の回転による遠心力を利用して、腕の力を抜いて払ったので、その衝撃はもろに千方《ちかた》の棒に伝わった。その力は両手でしっかりと棒を握っていた千方《ちかた》の体にそのまま伝わり、千方《ちかた》は弾き飛ばされた。

 転げた千方《ちかた》は、朝鳥に視線を向けたまま立ち上がり、また構えを取った。

『足をべたりと土に着けてはなりませぬぞ。体の重みは拇趾球《ぼしきゅう》と親指の付け根で受け止めるのです。そして踵《かかと》は心持ち浮かせるのです。そうすることによって、素早く動くことが出来ます』と言う豊地《とよち》の言葉を思い出した。

 少し間合いを取りながら、横に動き、隙《すき》を探ったが、朝鳥は、千方《ちかた》が右に動こうが、左に動こうが、ゆったりと構えたままだ。

 振り上げて面を打って出ようとすると、朝鳥の棒が下からすっと上がって、千方《ちかた》の胸元に伸びて来て踏み込めない。

 千方《ちかた》は連続突きに出た。しかし、今度はあっさりと躱《かわ》され小手を打たれた。

「うっ」と千方《ちかた》が呻《うめ》いて、からんと棒が落ちた。

「本気で打つ者があるか!」

 千方《ちかた》はムッとして怒鳴った。

「戯れでは御座いませぬぞ。生き残るための術《すべ》を鍛錬しておるのです。打たれぬと分かっていての稽古など意味が有りませぬ。それに、本気で打ってなどおりませぬでな。ほんの少し当てただけで御座います。では、そろそろ、こちらから参ります。棒をお拾いなされ」

 言われてみれば、朝鳥の言う通りなのだが、豊地《とよち》との稽古はそうではなかった。豊地《とよち》は千方《ちかた》を打ったことは一度も無い。必ずぴたりと止める。そして、『なかなか強くなられた』と褒めたうえで、どこが甘かったかを説明し、繰り返し動作を教える。それが稽古だと思っていた。

 千方《ちかた》は黙って棒を拾った。一瞬痛かったが、確かにそうひどく打たれた訳ではなかった。

「宜しゅう御座いますか?」

 そう言われて構えた途端、近寄って来た朝鳥の棒が下からすっと上がって来て千方《ちかた》の胸元に伸びて来た。それを跳ね上げると、弧を描いて回った棒が左面に打ち下ろされる。受けると、切り替えして右面を打って来る。また受けると左面、また右と、千方《ちかた》は下がりながら右左と受けるより外に何も出来ない。そして、それが延々と続いた。

「待て! もう良い」

 千方《ちかた》は遂に音《ね》を上げた。息が上がって、はあはあと肩を上下させている。

「では、今日はこの辺と致しましょうか」

 朝鳥が言った。


 千方《ちかた》はその場に座り込んだ。肩で大きく息をしながら何気無く周りを見回すと、少し離れたところで、いつの間にか童《わらべ》達が見物していた。はっとした千方《ちかた》は素早く立ち上がって、水干《すいかん》に着いた土を払った。童達に無様《ぶざま》な姿を見られたという後悔の念が有った。

 夜叉丸《やしゃまる》、秋天丸《しゅてんまる》、犬丸、旋風丸《つむじまる》、他に女童《めわらべ》を含めて、十人ほどの童《わらべ》が立ったまま、太刀打ちの様子を見物していた。朝鳥は秋天丸《しゅてんまる》を試してみたくなった。

「秋天丸《しゅてんまる》! やって見ぬか?」

 と声を掛ける。にこりとして、右手で一度鼻の下を横に擦った秋天丸《しゅてんまる》が走って来た。そして、千方《ちかた》の傍まで来ると、ペコリと頭を下げた。千方《ちかた》は黙って棒を渡す。

 受け取った秋天丸《しゅてんまる》は、朝鳥に視線を投げながら下がり、間合いを取った。

「参れ」と朝鳥が声を掛けた途端、秋天丸《しゅてんまる》は体を大きく前に投げた。そして、前転し、片膝立ちの姿勢で朝鳥の足を左から払った。

 朝鳥は引き足で躱《かわ》すが、秋天丸《しゅてんまる》は立ち上がりながら突き上げる。朝鳥が軽く左に払うと、払われた切っ先がくるりと円を描いて朝鳥の喉《のど》を目掛けてまた突いて来る。手首を柔らかく使っている。

 朝鳥は大きく右足を引き、体を捻り、腰の回転を利用して秋天丸《しゅてんまる》の小手近くを右に払った。小柄な秋天丸《しゅてんまる》は飛ばされた。しかし、土の上で一回転し、立ち上がった時には、そのまま構えを取っている。

 つつつつっと摺《す》り足で間合いを詰めた朝鳥が、千方《ちかた》の時と同じように切り替えしで打ちかかる。

 しかし、何回か受けた秋天丸《しゅてんまる》は、切り返す隙《すき》を見て、左面打ちを潜《くぐ》り、すっと朝鳥の右脇に飛び込んだ。朝鳥は、左足を軸にして右足を大きく後ろに回転させながら、秋天丸《しゅてんまる》の棒を上から強く叩いた。カランと音がして、棒が落ちた。

「恐ろしく素早いのう」

 ふっと息を吐いた後、朝鳥が言った。

「勝てると思った」

 秋天丸《しゅてんまる》は少し悔しげに言った。

「戦場で命のやり取りをして来た麿《まろ》に、そう簡単には勝てぬぞ」

 朝鳥がそう応じる。千方《ちかた》は衝撃を受けていた。大人の朝鳥に勝てないのは仕方無いとしても、秋天丸《しゅてんまる》でさえも、自分より明らかに強い。まして、夜叉丸《やしゃまる》はどれほど強いのか?

 草原《かやはら》に在《あ》った時、千方《ちかた》は童《わらべ》達の中では、群を抜いて強かった。それは、豊地《とよち》が心血を注いで稽古を付けていたのだから、当然と言えば当然なのだが、二つ、三つ年上の子にさえ負けたことはなかったのだ。しかし、朝鳥との稽古を見ていて、秋天丸《しゅてんまる》とやったら負けると思った。それは、千方《ちかた》に取っては重大な問題だった。

 夕餉《ゆうげ》の席で兎《うさぎ》の肉を食って見せたくらいでいい気になっていた自分が、浅はかに思えた。

 夜叉丸が射殺《いころ》した兎の肉を出された時、射殺の瞬間を想起し、僅かな嫌悪感が千方を躊躇《ためら》わせた。『太政官が獣《けもの》の肉を食す事を禁じているではないか』と抗弁したが、朝鳥に弱気を見透かされていると感じ、平気な振りをして食って見せていた。それで威厳を保てたと思い込んでいた己が浅はかに思えたのだ。

 馳せ馬や短弓では敵《かな》わないと思っていたが、太刀打ちまで敵わぬとあれば、一体どうやって威厳を示せば良いのか。侮《あなど》られてしまうのではないか。そう思うと不安になった。

「なかなか面白く拝見させて頂きました。秋天丸《しゅてんまる》、良い稽古をさせて貰ったのう」

 そう言いながら、祖真紀《そまき》が近付いて来た。

「あと僅かだったのに」

 残念そうに秋天丸《しゅてんまる》が言った。

「戯《たわ》け。朝鳥殿に礼を申さぬか」

 郷長《さとおさ》に一喝され、秋天丸《しゅてんまる》は朝鳥に向かって、ぺこりと頭を下げた。

「いや、こちらこそ、面白い稽古が出来申した。普段、誰が稽古をつけているのか」

と、朝鳥は祖真紀《そまき》に尋ねる。

「時々、倅《せがれ》めが見ているようですが、あとは童《わらべ》らで適当にやっております。剥《む》きになり過ぎて、時々怪我(けが)も致しますが、幸い死んだ者はおりませぬ」

 祖真紀《そまき》は朝鳥の問をはぐらかすかのように答える。

「なんと、死んだ者はおらぬとは、死人が出ても不思議では無い程の荒稽古をしていると言う意味か?」

と朝鳥が詰める。

「滅相《めっそう》も無い。童《わらべ》は良く怪我《けが》をするというほどの意味で御座いますよ」

 祖真紀《そまき》は言い訳がましく言ったが、朝鳥は聞いていない。

「そうか、倅《せがれ》殿が見ておるのか」

 そう言いながら考えている。

「千寿丸《せんじゅまる》様は中々のもので御座いましたな」

 千方《ちかた》に気を使って祖真紀《そまき》が話題を千方《ちかた》のことに移した。一瞬、どう反応して良いか分からなかったが、

「いや、散々だった。それより、秋天丸《しゅてんまる》は素早いのう」

 気持ちを隠して、千方《ちかた》は余裕の笑みを浮かべて祖真紀《そまき》に答えた。

「体が小さいので、己が他人《ひと》に勝れるのはそれだけだと思っております。そして、それを必死に磨いております。小さいからこそ素早く動ける。己の弱みを強みに変えてしまいおりました。負けん気も強う御座います」

「うむ。童《わらべ》ながら天晴《あっぱ》れな覚悟じゃな」

 朝鳥が感心した様子で言った。それが、耳に入っているのかいないのか、秋天丸《しゅてんまる》は、まだ悔しげな表情のままだ。

 千方《ちかた》は、はっとした。褒め言葉を期待している己が居ることに気付いたのだ。素直に恥ずかしいと思った。”弱みを強みに変える” 祖真紀《そまき》の言葉が心に残った。

「ところで、千寿丸《せんじゅまる》様、お召《め》し物が大分汚れてしまいましたな。お着替えは?」

 祖真紀《そまき》が尋ねた。千常《ちつね》に殴られた時、そして今倒れた時に着いた泥は払ったが、染《し》み付いた汚れは残っている。

「おお、そう言えば、このような仕儀《しぎ》になろうとは、麿《まろ》も思うておりませんでしたので、お着替えなど全くお持ちしておりませぬ。如何《いかが》致しましょうか?」

と朝鳥が言ったが、どこかわざとらしさを千方《ちかた》は感じた。

「ここの童《わらべ》らと同じ物を着ろと言うことであろう」

と突っ込む。

「ほう。成程。そう言うことで御座いますかな。では、済まぬが長《おさ》、用意しては貰えぬか」

「実は、既に用意しております。朝鳥殿の分も」

「ひとが悪いのう。始めから分かっておったのか」

 朝鳥は、自分も気付いていながら、そう言った。

「むさい物では御座いますが、後で舘に届けさせましょう」

「そうか、頼む。宜しいな千寿丸《せんじゅまる》様」

「嫌と言ったらどうする」

 朝鳥を困らせてみたくなっって、千方はそう言った。

「ふ、これは…… 。どう致しましょうかな。ふっはっはっは」

 そんな事くらいで困り果てる朝鳥では無い。

「中々千寿丸《せんじゅまる》様を掌《たなごころ》で転がすのは難しくなって来たようですな。朝鳥殿」

 祖真紀《そまき》が愉快そうに言った。

「掌《たなごころ》で転がすなどと、そんな恐れ多いことは考えておらぬわ。何を申すか。麿《まろ》は、ただ、ひたすら千寿丸《せんじゅまる》様を、殿のご期待に添える男《おのこ》にお育て申そうと思っているだけじゃ」

 朝鳥は白々しく、そう嘯《うそぶ》く 

「それで、蛇《かがし》の話で麿《まろ》を脅したのか」

 そう言った千方《ちかた》は、にやりとした。『このような場所では、蛇《かがし》が梁に絡んでいて、夜中に落ちて来ることも御座います』

などと言って、朝鳥は千方をからかっていたのだ。

「さて、何のことやら、最近、物忘れがひどう御座いましてな。とんと覚えておりませぬ」

 やはり食えぬ男だなと千方《ちかた》は改めて思った。

「分かった。今度お会いしたら、兄上にそう申し上げておこう。朝鳥は、三年どころか二日で呆《ほう》けたとな」

と言って、『どうだ』とばかり朝鳥を見る。

「お、お待ちを、千寿丸《せんじゅまる》様もおひとが悪い」

 朝鳥はバツが悪そうに口をもごもごさせる。

「その方ほどではないわ。第一、この先、いつ兄上にお会い出来るかも分からぬではないか」

 千方《ちかた》は勝ち誇ったように薄笑いを浮かべている。

「恐れ入ります。この朝鳥、いささか千寿丸《せんじゅまる》様を見損(そこ)のうておりました」

と朝鳥が観念する。

「童《わらべ》と思うてか?」

「は? まあ、そのようなことで……」


「これ、童《わらべ》ども! こちらへ参るが良い」

 祖真紀《そまき》が声を掛け、童《わらべ》達が寄って来た。

「改めて、千寿丸《せんじゅまる》様にご挨拶致せ」

「チェンジュマルチャマ、こんにちは」

 まず、千方《ちかた》に声を掛けたのは、三歳ほどの女童《めわらべ》だった。女童《めわらべ》は、そう言ってペコリと頭を下げた。その回わらぬ舌と、可愛らしい仕草に、千方《ちかた》は元より、そこに居た全員が、温かい笑みを投げた。

「はっはっは。千寿丸《せんじゅまる》じゃ、宜しくな。しかし、言い難《にく》そうじゃな。六郎で良いぞ。武蔵《むさし》の草原《かやはら》の者達も大方《おおかた》そう呼ぶ。皆もそう呼ぶが良い」

「ろくろう? ……なんか …… ふくろうみたい」

と言ってきゃっきゃと笑う。

 他の童《わらべ》達も一斉に笑った。

「これっ」

 祖真紀《そまき》も笑いながら、形だけ嗜《たしな》める。

「そうか、梟《ふくろう》か? 夜目《よめ》が利くようになれば良いのう。そちの名は何と申す」

「雛《ひな》、雛《ひな》じゃ」

「そうか。雛《ひな》か。朝鳥の雛《ひな》か? 梟《ふくろう》の雛《ひな》か?」

「? ? ?」

 雛《ひな》は、意味が分からず、キョトンとしている。

「そのようなこと、こんな小さな童《わらべ》に言うても、通じる訳が御座いますまい」

 朝鳥が呆れたように言った。

「雛《ひな》に先を越されたぞ。皆もご挨拶致せ、早う」

「六郎様、宜しくお願げえします。竹丸と言います」

 長身の、しかしもっさりとした童《わらべ》だ。

「吾は芹菜《せりな》。犬丸の姉じゃ」

 十五、六だろうか。気が強そうで、当時としては、もう大人だ。

「芹菜《せりな》は男《おのこ》のような女子《おなご》ですわ」

 そう犬丸が言った途端、芹菜の手がぱ~んと犬丸の頭を払った。

「いってえ! 何する。やっぱり男《おのこ》じゃ」

「汝《なれ》は男《おのこ》のくせに、へらへらし過ぎじゃ」

「これ、これ、兄弟喧嘩はよせ。芹菜、こなたはもう子を産んでも良い歳ではないか。犬丸と喧嘩ばかりしておると、男《おのこ》に相手にされんぞ」

 祖真紀《そまき》の言葉に、ここぞとばかり犬丸が悪乗りをして、

「そら、言われた。相手にされん。相手にされん」

と抑揚を付けて囃《はや》す。

「男《おのこ》など嫌いじゃ」

 そう言うと、芹菜は、ぷいと横を向いて、そのまま立ち去ってしまった。

「犬丸、汝《なれ》もいい加減にせい」

 祖真紀《そまき》に言われ、犬丸はぺろりと舌を出した。祖真紀《そまき》に促され、他の童《わらべ》達もそれぞれに挨拶した。

 鷹丸、鳶丸《とびまる》の兄弟。旋風丸《つむじまる》らが居た。 

「いや、麿《まろ》の方こそ、宜しく頼む。世話を掛ける。犬丸、姉に、もそっと優しく致せ」

「向うが優しく無いだけです。吾は何も……」

「ところで、長《おさ》。命《みこと》や古能代《このしろ》殿は蝦夷風の名だが、童《わらべ》らには、大和風の名を付けておるのか?」

 朝鳥が祖真紀《そまき》に尋ねた。

「はい。十数年前に皆でそのように決めました。この郷《さと》がどう成って行くか、我等はどう生きて行くのが良いか。童《わらべ》らの行く末など、皆で話し合った結果で御座います」

「十数年前と言えば、将門《まさかど》の乱の頃か?」

「はい。そうでした。…… 思うていたよりもちと早う御座いますが、この郷のこと、我等のこと、お話致しましょう。

 千寿丸《せんじゅまる》様、いや、六郎様とお呼びした方が宜しゅう御座いますかな。宜しければ六郎様もお出《い》で下され」

 千方《ちかた》が、すぐに着替えたいと言い出した為、女を祖真紀《そまき》の住まいに走らせ、舘に衣類を届けさせることになり、千方《ちかた》は一旦、舘に戻った。

 千方《ちかた》が離れている間に、祖真紀《そまき》と朝鳥の間では、こんな会話が交わされていた。

「汗を掻《か》かれたのでは?」

「ふっ。命《みこと》の目は誤魔化せんな。見ての通りじゃ。最初の二度突きには冷や汗を掻いたわい。秋天丸《しゅてんまる》は元より、千寿丸《せんじゅまる》様いや六郎様もなかなかのものじゃ。始めは、小手先で遇《あしら》うつもりでおったのよ。たかが十四の童《わらべ》じゃ、何ほどのこともあろうかとな。まして、大事にされ我儘放題に育って来たお子じゃ、芯は脆いと思うておった」

「でも御座いませぬようで」

 祖真紀《そまき》がそう応じた。

「会《お》うたことは無いが、豊地《とよち》と言う御仁《ごじん》、中々にやりおる。倅《せがれ》殿もな」

「ふふ、倅《せがれ》のことはさて置いて、豊地《とよち》様とやら、余程、辛抱強いお方のようですな」

「会《お》うて見たいものじゃ。長《おさ》、ひょっとしたら、我ら長生きをすることになるかも知れぬぞ」

「末が楽しみになって参りましたかな」

と問う祖真紀《そまき》に、朝鳥はニヤリと笑ってみせる。 

「ふふ。六郎様には言うでないぞ」

「畏《かしこ》まって候《そうろう》。鬼の朝鳥になるおつもりかな?」

「いや、嫌味な爺で良いわ」

 朝鳥は、何か満足げである。

「そう言えば、お互い、髪に白いものが混じる歳。自分で何をしようと言うよりも、いつの間にか若い者に期待を掛けるようになり申したな」

「いや、麿《まろ》は、ここに来るまでは、まるで、そうは思うていなかった」

「そのようで。無茶をして、殿をはらはらさせていたようで御座いますな」

 そう指摘されて、朝鳥は少し不機嫌そうな表情を見せる。

「申すでない。麿《まろ》は年寄になどなりたくは無かったのじゃ。考えても見よ。段々体が利かなくなり、目も耳も衰え、歯も抜けて物も食えなくなって、床《とこ》の上で、あと何日生きられるのかなど考えながら生きているなど、考えるだけでも空恐ろしいわ。気が小さいでな」

 自ら気が小さいと言う朝鳥を、珍しいものでも見るような表情となって、祖真紀《そまき》が

「ほう?」

と応じた。

「ならば、斬り死にする方が良いであろう。相手が腰抜けで無ければ、痛いと思う間もなくあの世に行けるわ。そう思うておった…… だが、六郎様をお預かりして、ちと変わって来た。先が見たいと思うようになったのよ。今日また、更にな」

 朝鳥の言いたい事を、祖真紀《そまき》は理解した。

「ひとは望を持たなければ、命を粗末に致します。望があれば、例えどんなことをしても生きたいと思うもので御座いますな」

「ふん。言葉だけ聞けば綺麗事のように聞こえるが、今の麿《まろ》には、素直に頷ける言葉じゃ。

 …… ところで長《おさ》。隠し事は良くないぞ。殿も、この朝鳥に隠し事は要らぬと仰せられていたと申したではないか」

「せっかちなお方じゃ。夫婦《めおと》でさえそう簡単には行かぬことで御座いますぞ」

「いい歳をして、建前と本音くらい弁《わきま》えよと言いたいのか?」

 そう言って朝鳥は祖真紀《そまき》の顔を覗き込んだ。 

「どう致しまして。我等、一蓮托生で御座いますからな」

 朝鳥と祖真紀《そまき》は目を見て頷き合った。

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