第10話 試練 ⅰ
犬丸も帰し、千方は一人になっていた。腕を頭の後ろで組み、仰向けになって屋根裏を見詰めている。
『芹菜はなぜ死ななければならなかったのか』
そう考えていた。それが、定めと言うものだったのだろうか。そう思ってみたりもする。だが、千方は『定め』と言う言葉が好きでは無い。すべてを”定め"という言葉で片付けてしまったら、考えることも努力することも意味が無くなってしまう。全て、己が選んだことの結果であり、己がして来たことの結果だと思っている。また、そう思うよう教育されても来た。
自力救済。それが坂東に生きる兵の生き方だ。戦うのも己が選んですること。その結果死んでも仕方が無い。体力、気力で敵に負けることもあれば、考えが及ばぬ為に敵の策に嵌る場合もある。しかし、それは決して『定め』などと言うものでは無い。全て、己の力が、己の考えが、敵に及ばなかったという理由しか付けられないものだ。
運と言うものも確かに有るだろうが、それに頼った時は負ける。運は頼るものでは無く、飽くまで結果でしかない。そう考えて来た。
しかし、病は違う。誰が芹菜の命を奪うことを決めたのか。少なくとも芹菜自身では無い。そして、他の誰でも無い。それを定めと言うのか。或いは、神とか仏とかいう者が決めることなのだろうか。
『そんな神や仏なら要らない』と、千方は思った。
時を戻せるものなら戻したいと強く思った。しかし、出来ることでは無いと納得もしている。受け入れるしかないのだ。だが、それにしても、芹菜の死を知らず、能天気に陸奥で遊んでいた己が悔やまれる。死を避けることが出来ないのであれば、せめて、もっと濃密な時をふたりで過ごしてやれば良かったと思う。
だが、何を思ってみても、何ひとつ起きたことを変えることは出来ないのだ。
天歴六年(九百五十二年)。約束通り三年の歳月を過ごした隠れ郷より、千方は佐野の千常の舘に移った。
朝鳥は自宅に戻り、夜叉丸ら五人は郎等長屋、千方は対屋の一角に部屋を与えられそれぞれ生活するようになっていた。
古能代は、芹菜の死後一年ほどして祖真紀を継ぎ郷長となり、先代の祖真紀はその後『長老』と呼ばれている。そして、尚も隠然とした力を保持していた。
犬丸は、郷の日常の細々したことに関わる仕事をし、新・祖真紀と郷人との意思疎通を図る一方、祖真紀と千常、千方との間の連絡役も果たしている。
陸奥の吉利については、千方からの依頼に基づき、秀郷が貞盛に依頼し、退任、帰国の際に、雑色に紛れさせて連れて来る旨の内諾まで得たのだが、それを告げられた夜叉丸が飽くまで辞退した為、実行されず、その儘になってしまった。
千常は、交渉事、争い事、公の行事などあらゆる場所に千方を同行させ、その際の千方の行動について厳しく指導し、時には拳を振うこともあった。そして、近頃では、交渉事や争い事の処理を任されて、千常の代理として、千方が単独で赴くことも増えていたが、多くは負担の軽い事案に付いてであった。
だが、今回は、秀郷からの指示に寄る難しい対応を迫られる問題の処理を任されることになった。
或る日、千方は秀郷から、田沼の舘に呼び出された。
「六郎。信濃に行って貰いたい」
と、秀郷から告げられた。
「畏まりました。で、御用向きは?」
と聞くと、
「うん。望月の家は今、甥の貞義が継いでおるが、兼家殿の弟、つまり、貞義殿に取っては伯父に当たる兼光と言う者が、貞義殿を殺して家督を乗っ取ろうとしておる」
「それは、容易ならざることで御座いますな」
「何時ことが起こらんとも限らぬ状況じゃ。直ちに信濃に飛び対処致せ。連れて行く人数は己で判断致せ。千常が承知しておる」
「はい。畏まりました。いま少し詳しいことをお教え頂けますか?」
余りにも大雑把な話で事情が分からない。そう頼んでみた。
「味方は少ないと思え。事は秘して段取りし、一挙に行う必要がある。出来るか?」
『試されているのだ』そう悟った。
「畏まりました。急ぎ立ち戻り、準備出来次第、直ちに出立致します」
秀郷の意図が読めた上はそう答えるしか無い。力強く言った。しかし、引き受けはしたものの『殆ど情報も無い状態でやり遂げられるだろうか』と言う不安が有った。そんな想いで父の舘を後にした。
田沼から佐野に戻る途中、古能代が現れた。郷人を一人伴っている。
「父上の命で参ったのか?」
ピンと来て千方が聞く。古能代には珍しいことだが、
「どうで御座いましょう」
と、千方の質問をはぐらかす。轡を並べて佐野に向かいながら、
「信濃に付いて来てくれるのか?」
と古能代に問うた。
「申し訳有りませんが、それは出来ません」
と古能代は答えた。
「矢張な」
と千方は思った。古能代を同行させれば、千方は古能代に頼ってしまうだろう。それでは、千方の器量を見極められないと秀郷は考えだに違い無い。
「代わりにこの者を同行させます。信濃の事情に一番詳しい者に御座います」
『情報だけは与えてやる』と言う事か、と千方は思った。
同行する郷人を残し、古能代は、馬首を巡らせて帰って行った。
古能代が残していった男は、弧徒化と言う男だった。長く信濃に潜入しており、信濃の事情を知り尽くしている男だという。
『信濃の事情に付いて聞かれたことは、何でも答えよ。但し、聞かれぬことに付いて話したり、助言してはならん』
秀郷に、そう命じられていた。どんな情報を必要とするか、それ事態が課題なのだ。
佐野に着く迄に千方は、貞義方、兼光方それぞれの人数。舘に詰めている時刻、舘周辺の地形などを弧徒化から聞き出した。
兼光の性格、戦歴なども聞いたが、他人を驚かすような逸話も持たぬ平凡な男であり、戦歴も乏しいと言う。
にも関わらず兼光に心を寄せる者が多いのは、矢張、郎等たちと長い付き合いが有ったからだろう。逆に言えば、貞義はまだ、郎等達を掌握しきれていないのだ。
佐野に着く迄の間に弧徒化から得た情報を元に、連れて行く郎等の数を五十と決め、佐野に着くなり、それを千常に伝えた。
千方がその件に関し相談を持ち掛けて来ると思っていた千常だったが、弧徒化からの情報を元に、既に千方が自ら判断をしていたことと、その数が適切であることに、千常は満足した。
秀郷から指示はあったが、弧徒化と言う情報源が有り、佐野に着くまでの時が有りながら、尚も判断が付かず、相談を持ち掛けて来るようであれば、千方の将としての資質に問題が有ると考えざるを得ない。千常は、表情には出さなかったが、内心ひと安心していた。
信濃への道を辿る途上千方は、弧徒化から出来る限り情報を聞き出した。
佐久の望月舘に近付くと、千方はまず予め聞き出しておいた近くの森に向かい、そこに兵を隠した。そして、夜叉丸と秋天丸のみを連れ、貞義の舘に向かった。
まず、秋天丸を舘に走らせ、秀郷からの『代替わりの祝の品』を届けに来た旨を告げさせる。一人の郎等が門で出迎えており、千方ら三人はその案内で貞義の居室まで通った。夜叉丸は予め用意した祝の品を持って千方に従う。途中ですれ違う郎等たちの表情に千方は注意を払っていたが、警戒心を顕にした視線を注いで来る者は居なかった。
「良うお出で下された。父上・秀郷殿には大恩が有ると大伯父・兼家より聞いております」
貞義は笑みを浮かべてそう言った。
「いえ、麿の方こそ、北山の戦いに於いての兼家殿のお働きぶり見事であったと、父より聞いております。この度、貞義殿には無事跡目相続を済まされたとのこと、父も大変喜んでおります。父に代わり祝の品お届けに上がりましたので、どうぞ、お収め下さい」
千方は型通りの挨拶を済ませ、祝の品を披露する。貞義は丁重に礼を言い、泊まって行くよう勧めた。時を選んでの訪問であり、そう勧められることも、千方の計算のうちであった。
数人の重臣と思われる者達が同席しているが、誰が敵やら味方やら、この段階では分からない。従って、余計な事は言えない。
挨拶を済ませると、寛ぐようにとの貞義の言葉に従って、用意された居室に移った。そこに居るのは千方主従のみとなる訳だが、やはり警戒は弛められない。差し障りの無い会話を交わすだけである。
夕刻となり酒宴となる。やがて、場が和んで郎等達が代わる代わる千方に挨拶に来て名乗る。そして、秀郷の近況に付いて尋ね、健勝と聞いて世辞を並べる。
酌を受けながら千方は、弧徒化から聞いた名と得た情報を元に、一人ひとりを観察し、その男が敵か味方かを心の中で確認して行く。
時が過ぎ一応の締めとなって、殆どの者が席を外した。残っているのは味方のみと確認したが、千方は、その者達を含めて人払いを貞義に依頼したのだ。
敵が居るうちに人払いを頼めば当然疑われる。かと言って、味方のみを残して長い間留め置けば、矢張、何か相談していると勘繰られることになるからである。それで、味方と思える者達も下がらせるよう依頼したのだ。
「貞義殿。お人払いして頂いた理由を申し上げます。今、貴殿は危うい立場に立たされていると聞いています。甲賀の兼家殿より父に貴殿の力になって欲しいとの依頼が有ったそうに御座います。明日の朝、貞義殿を亡き者にしようとしている者共を一掃するつもりです。御身の安全は麿が責任を持ちますのでご協力をお願いします」
貞義は一瞬無言で千方を見詰めた。そして、手を一つ打った。一人の郎等が表れる。貞義が最も信頼を寄せている側近なのだろう。
「そのほうを含めて二、三人で良い。心利きたる者に、人が近付かぬよう周りを警戒させよ。だがもし誰か来たら、追い払うのでは無く、気取られぬようにして直ぐに報せよ」
そう命じた。
「はっ」と一言返事して郎等は出て行った。
「手の者を林の中に潜ませております。明日の朝、野駆けに行くと偽って、我らと共に舘を出て頂きます。その儘林に向かい、手の者を率いて戻り、一挙に方を付けます」
千方が貞義の目を見詰めて、低いが力の籠もった声で伝えた。貞義は黙って頷く。
地方の兵の郎等とは、都の貴族の家人や従者たちとは違い、その殆どが自作農である。単に力の有る者、立場の有る者を中心に集まっているに過ぎないとも言える。力関係が変化すれば、従う相手を変えることもまま有るのだ。望月に付いては、滋野三家と言う強力な背景があるので、全く別の者が上に立つことは難しい。しかし、身内であれば可能だ。伯父の兼光は郎等達との付き合いも長い。家督を乗っ取れると思っても不思議はないのだ。
翌朝、千方と貞義は、朝駆けと称して信頼出来る者達だけを連れて舘を出た。そして、外に伏せて置いた手勢と合流し、舘に引き返し兼光派の主な者達を捕らえて一気に決着を付けた。
信念を持って兼光に従っていたものは少なく、大方が長年の付き合いだけで従っていた者達だったので、状況不利と悟ったとたん兼光を見捨て貞義に従う意思を表明した。




