↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
坂東の風  作者: 青木 航
第二章 幼年編 弐 陸奥へ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/123

第1話 蝦夷 ⅲ

 千方らが郷を離れた日、芹菜は崖上の岩に立って見送っていた。吹く風の冷たさは全く芹菜の意識の中に入って来ない。ただ、千方が郷を出て行く姿が永遠(とわ)の別れのように思えて胸が苦しい。


 千方が旋風丸《つむじまる》に襲われたと知った時は複雑な思いだった。千方が無事だったことも同時に分かったので安心したが、一方で旋風丸の死も知ることとなったからだ。 

 旋風丸と何か有った訳では無いが、気になる存在ではあった。芹菜《せりな》は何度か旋風丸の視線を感じたことが有った。別に話し掛けて来る訳では無いが、気が付くと遠くからこちらを見ている。しかし、気の強い芹菜が視線を合わせると、すっと視線を外してどこかへ消えてしまう。『何なのだ』と思いながらも気になっていたのは事実だ。

 思えば、芹菜《せりな》自身も変わり者として通っていたが、旋風丸《つむじまる》も仲間と余り交わることの無い変わり者だったから、そう言った意味での親近感を感じていたのかも知れない。その旋風丸が千方を襲ったということ自体信じられないことであった。そして斬られて死んだ。哀れと思ったが、千方が無事だったことがその十倍も嬉しかったのは事実だ。そう思う自分に後ろめたさが僅かに残った。


 騒動の後、千方と話す機会は無かった。遠ざかって行く千方ら一行を見送っていると、嫌でもいずれ来る別れのことを考えざるを得ない。ひょっとしたらこのまま帰って来ないのではないか? という不安が過(よぎ)り『いや、そんなことは無い。必ず帰って来る』と思い直してみてる。例え帰って来たとしても永遠の別れが必ず来るという事実が胸を押し潰しそうになる。せめて子が欲しい。そう思うのだが、そういった兆候は全く見られない。千方ら一行の影が見えなくなっても、芹菜《せりな》は暫くの間、岩の上に立ち尽くしていた。

 翌日も、芹菜はいつもと全く変わらず働いていた。だが、そう思っていたのは、実は本人だけだった。

「珍しいねぇ。手が止まってるよ」

 ひとりの年嵩(としかさ)の女に注意され、はっとしたが、気が付くとまた物思いに耽(ふけ)っている。それを見た女達は、もう注意をしなかった。ただ、お互い視線を交わし含み笑いをした。


『何故(なにゆえ)こうなってしまったのだろうか?』と芹菜《せりな》は思った。男(おのこ)など興味が無いと自分では思っていた。だが、そう見せていただけだということを、今では分かっている。

 年頃の他の娘達が男(おのこ)のことを話しながら笑い転げているのを見ると、卑猥に思えて何か無性に腹が立った。しかし、考えてみれば、それは、他の娘達のような素直な表現が出来ない自分への腹立ちだったのかも知れない。正直、心惹かれる男(おのこ)も居なかったのだ。それに、自分は男(おのこ)達にあまり人気が無いということも分かっていた。もし誰かを好きになって打ち明けたとして、断られたらみっともないという強い意識があった。だから、たまにそれらしく話し掛けて来る男(おのこ)が居ても、『汝(なれ)も暇だなあ。吾は忙しいんだ』などと、つい毒口を吐いてしまう。『けっ! 男女(おのこおなご)が……』と捨て台詞(ぜりふ)を残す男(おのこ)も、懲りずに、また話し掛けて来る男(おのこ)も、本性が見えてしまい、結局嫌いになっていた。


 大和の偉い人の子がこの郷に来る。そう聞いた時『迷惑な話』と思った。犬丸も、扱き使われるのではないかと心配していたから『そんなことされたら、姉(ねえ)が言ってやるから心配すんな!』と宥(なだ)めた。 

 小生意気な童(わらべ)という想像しか出来なかった。ところが、実際来てみるとそうでもなさそうだった。

『どんな奴か見てやろう』と犬丸を誘って弓の稽古を木陰から見ていた。『やはり、大和の者は下手糞だな』と思って見ていたが、稽古が終わって矢を拾い集めている姿を見ていると、何か微笑ましく思えて来た。

「藪の中にも大分打ち込んだようだな」 

と犬丸に言うと、 

「見付からんだろうから、吾が拾って来るわ」

と言って、藪の中に入って行った。そして、竹の小枝を踏み抜いた千方の足を治療してやることになったのだが、その時は、本当に童としてしか見ていなかった。


『千方を男(おのこ)と意識したのはいつからだろうか?』と芹菜《せりな》は思った。それ以来話すことも無かったが、ふと気が付くと、時々見掛ける千方の体が大きくなって来ている。千方の方は芹菜に会いたくて毎日のように作業場を通っていたのだが、当初全く関心の無かった芹菜の方は、振り向きもせず作業をしていたので、そういうことになる。まず、大きくなったという印象が少し残った。それと共に、他の娘達の千方に関する噂話が耳に入って来るようになった。

「手が止まってるぞ。下らんこと言うてないで仕事しろ」

と、毒口を吐いて『相手は童だぞ。何を考えてるんだ。あの女子(おなご)らは』と思ったが、考えてみると歳は幾つも変わらないのだ。そうしているうちに千方は、ただ身長が伸びただけで無く、鍛錬に寄って筋肉も付き、男らしい体付きになって行った。芹菜《せりな》も無意識の中では千方を男(おのこ)として見始めていた。そして、千方が自分に関心を持っていることも感じ始めていたのだ。だから、犬丸が『牧で千寿丸様が呼んでいる』と言いに来た時にも、何かを感じ取っていた。

 だが、『済まぬ。忙しいところを呼び立ててしまったかな?』と言われると『どんな用か? 有るなら早く言ってくれ』と言ってしまった。

『傷の手当をして貰ったあの時より、ずっと好ましく思っておった』と言われた時には、既に嬉しいという気持ちを抑えることが難しくなっていた。だが、その意に反して、口から出た言葉は『それで? ……』と冷たい言い方になっていた。不安を打ち消す為に、更に強い言葉が千方の口から出ることを期待していたのかも知れない。そして、更に追い打ちを掛ける言葉が芹菜《せりな》の口から発せられた。だが、期待に反して、やがて千方の口から出た言葉は『分かった。もう良い。忙しいところを呼び立てて済まなかった。許せ。…… 今申したことは忘れてくれ』と言うものだった。

 芹菜は衝撃を受けた。芹菜らしい言い方では有ったのだが、

『何と馬鹿なことを言ってしまったんだろうか。これで終わってしまう。でも、それは嫌だ!』そんな激しい想いが湧き上がって来て、千方を見詰めているうち、突然、芹菜の中で何かが弾けた。

 どうして、あんな大胆な所業に出たのか自分でも分からない。また、もう一度同じことをやれと言われても出来ることではない。だが、考えの入る余裕も無く取ってしまったあの大胆な行動が無ければ、その後の千方とのことは無かった。そういう意味では、良かったと思うほか無いのだが、喜びと共に苦しさが増して行ったことも事実であった。


 佐野から戻った千方を見掛けた時、元服していることに驚いた。その姿に見惚(みほ)れたことは事実であったが、それと共に何か遠い人のように思えて、出掛けて行った千方とは別人ではないかとさえ感じた。

 現に暫くは話す機会さえ無く、その為に芹菜《せりな》は、その想いを一層強くしていた。それも驚きではあったのだが、犬丸も含めて、供をして行った童達も皆元服を済ませていた。戻った日、犬丸は、家に帰ると、

「どうだ! 吾は六郎様の郎等になったのだ。見てくれ、父(てて)、母(かか)、姉(ねえ)も見てくれよ。どうだ、どうだ、凄いだろう」

と言いながら直垂(ひたたれ)姿を見せびらかし、はしゃいでいた。

「変わったのは着る物だけで、中身は何も変わっておらんな」

 芹菜《せりな》はそう言って茶化した。 

「うん、うん」と嬉しげに頷く父、

「良かったのう。良かったのう」 

と繰り返す母を後目(しりめ)に、芹菜は犬丸に対しては、相変わらずの毒舌を吐いていた。しかし、心の中では、佐野で何が有ったか、犬丸が喋ってくれることを期待していた。  

 どんな些細なことでも知りたかった。その芹菜の期待に違(たが)わず、犬丸は、佐野でのこと、宮の二荒山大明神《ふたらさんだいみょうじん》でのこと、更には草原(かやはら)の人達のことまでも、微に入り細に入り喋り続けてくれた。興味深げに聞き入る両親とは少し離れて、犬丸の話には興味無さげに仕事を始めた芹菜《せりな》だったが、その実、一言も聞き逃すまいと聞き耳を立てていた。


 十日ほどして芹菜(せりな)は、千方とゆっくりと話す機会を得ることが出来た。芹菜の不安を他所(よそ)に、千方は以前と同じように接してくれ、初冠(ういこうぶり)の様子など色々と話してくれたので、当面の不安は芹菜の心から払拭された。


 千方主従の日常は特に問題も無く過ぎて行き、郎等達の教育も進められていた。


 一方、古能代が願い出ていた陸奥《むつ》行きの件については、千常からの許しがなかなか届かずにいた。もはや季節も夏と言える頃になって、やっと千常からの使いが来て、佐野に来るようにということであった。古能代は早速佐野に向かい、舘を訪ね千常に会った。

「色々とするべきことがあって小山(おやま)の方に行っておった。今、新たな舘を建てておる。呼んだのは他でもない、兼ねて願い出の有った陸奥へ行きたいとの件だが、六郎を同道して貰おうと思ってな。各方面への段取りに時を要した」

 千常はそう言った。

「六郎様も…… ご一緒に陸奥に行かれるのですか?」

 千常の思惑が読めなかった。

「そうだ。このまま三年の間、郷(さと)に置くつもりであったが、そのほうが陸奥に行くのであれば、この機会に旅をさせてみるのも良いのではないかと思うてな。六郎同道のこと、承知してくれるか」

と聞いて来た。命令では無い。

「ご下命(かめい)とあれば……」

 余り気は進まなかったが、古能代はそう答えた。千常はふっと笑った。

「迷惑そうな面(つら)をしておるのう。ま、良い。これも役目と思うて承知してくれ。そのほうひとりに守りをさせるつもりは無い。朝鳥と他の郎等二人ばかりを連れて行け。さすれば、時に寄ってそのほうひとりで動くことも出来よう」

 それであれば、気儘な行動も可能と思い、古能代は、

「畏(かしこ)まりました」

と返事をした。

「陸奥守(むつのかみ)・平貞盛(たいらのさだもり)様には、父上から書状を送って頂いた。万事手配は済んでおる。良いな」

 許しが出るまでに時が掛かったのは、千方も行かせる段取りをする為だったのかと納得した。

「はっ」

と返事をする。


 事の次第は、戻った古能代から、千方と朝鳥に伝えられた。

「陸奥《むつ》か! それは面白そうだな。いつ出立する、古能代」

 好奇心の旺盛な千方は大乗り気である。

「その前に、誰を連れて行くか決めねばなりませんな」 

と朝鳥が千方に言った。

「う? そうだな、二人ということであれば、やはり、夜叉丸と秋天丸が良いのではないか」

と千方が答える。

「はい。麿もそう思います。しかし、六郎様。こんな時に何ですが、将来、立派な将になって頂く為に、敢えて申し上げさせて頂きます」

 朝鳥が何か面倒な事を言い出すのではないかと千方は感じた。

「何か?」

と探るように聞いてみる。

「ひとつのことにのみ、心を奪われてはなりません。ひとつのことにのみ心を奪われれば、他のことが疎(おろそ)かになります。もし、戦(いくさ)を前にしてのことであったならば、それが命取りになるのです。お分かりか?」

『始まったな』と思った。

「ふむ……」

と曖昧に応じる。

「まず、夜叉丸と秋天丸を選ぶのは妥当と思われますが、他の者達は見捨てられたと思うかも知れません。その不満をどう宥(なだ)めるか、まず、それをお考えなされ。次に、六郎様も吾も、更には古能代までも居なくなった後、あの者達をどうするか。放って置けば、今まで積み重ねて来たものが失われてしまいます。鍛錬に付いては祖真紀に任せて置けば心配は有りますまいが、郎等としての躾はどうなさいます?」

 旅の話に舞い上がっていた千方だったが、朝鳥の言葉ひとつに寄って、悩ましげな表情に変わり、腕組みをして溜息を吐く有様となってしまった。千方は暫(しばら)くそのまま考え込んでいた。

「うん。皆には麿が心を尽くして話す。後のことに付いては、兄上の郎等から、誰か適当な者を差し向けて貰う訳には行かんだろうか?」

と、やがて言った。それを受けて朝鳥がにやりとした。

「その程度のお考えでは、戦(いくさ)なら、まず敗れます。戦の際には、もっとお考えなされ。将の決断ひとつが多くの者の命と運命(さだめ)を変えてしまうのですから、どれほど考えても考え過ぎることは御座いません。ですが、いつまでぐずぐずと考えてばかりと言うのもいけません。機を逸すれば、どんな考えも役に立たなくなります。必要なことを適切な順序で吟味し、後は素早く決断を下す。それが、将に求められることですぞ」

 思わず『ふーっ』と溜め息を付きそうになったが、何か言われると思って堪えた。そして取り敢えず、

「…… 分かった。『心を尽くして』などという曖昧なことで無くどう説得するか、言葉ひとつまで考えよということであろう。暫し時をくれ」

と返事をした。

「はい。お考えください。…… と言うより、今申し上げたようなことを徐々に身に着けて行って頂きたいと言うことで御座います。口幅ったいことを申し上げて水を差し、申し訳も御座いません。後に残る者達のことに付いては、麿に考えが御座います。先日、宮で六郎様もお会いになった国時(くにとき)と言う男、今は隠居し、日頃は大殿のお話し相手などを務めておりますが、大殿にお願いして、残った者達の躾をやって貰おうと思います。あの男は、既にこの郷のことも良く知っておりますし、祖真紀とも親しゅう御座いますので、何とかなると思います」

『なんだ。答えは用意していたのか。いつか自分が居なくなった時思い出して欲しい。そう言うつもりで言っているのだろうな』と千方は思った。

「そうか。三輪国時《みわのくにとき》と言えば、佐野に行った折、迎えに出てくれていた者だな。分かった。宜しく頼む」

と答える。


 残る郎等達の説得は意外と上手く行った。最初は明らかに落胆した彼等だったが、千方の心が通じ、朝鳥と古能代の口添えも有り、最終的には皆快く承知したのだ。それに、彼等自身、千常から二人という指定が有ったのであれば、夜叉丸《やしゃまる》、秋天丸《しゅてんまる》の二人が選ばれるのはやむを得無いと言うことは皆納得していた。


 郷人《さとびと》総出の見送りを受けて、初夏の或る日、古能代と千方一行は陸奥《むつ》に向けて旅立った。見送りの輪の中には、三輪国時そして芹菜《せりな》の姿も有った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。