第2話 貞盛児干を取る ⅰ
東山道は都から陸奥、出羽に至る街道であり、今日の中仙道の基になった。
近江、美濃、飛騨、信濃、上野、下野を経て陸奥、出羽に至る。七道駅路のひとつであり中路である。
下野に入った東山道は足利(現・足利市伊勢町(国府野))、三鴨(現・栃木市岩舟町新里)を経て、現・栃木市岩舟町和泉付近で東北に方向を変え、下野国府(現・栃木県栃木市田村町300)の西南端まで一直線に走っていた。ほぼ現在の両毛線沿いである。
佐野は三鴨駅の手前に有り、東山道沿いに位置している。千方一行は、一旦佐野に向かい千常に挨拶を済ませた後、陸奥に向う。
この時代の東山道の道幅は、現在の表記にすると六メートル。両側に一.五メートルほどの排水のための側溝を備えていた。
晴天に恵まれ、日差しは既に強い。
「北へ行けば涼しくなるのか?」
などと古能代に尋ねたりしながら、千方は馬を操り、のんびりと歩みを進めていた。
急ぐ旅では無いし、駅家で馬を替える訳でも無いので、馬に無理はさせられない。常歩(時速六~七キロメートル)で進み、時折、気分が乗ると短い距離を速歩で駆けてみたりした。
頬に受ける風が心地良かった。やはり、旅は心を弾ませる。旋風丸のことも、芹菜のことさえも千方の意識から遠のいていた。
三年の月日を覚悟して修行に励んでいたとは言っても、やはり、どこかで閉塞感を感じていたのだろうか? 遠くに見える山が、谷川のせせらぎが、木々の緑が、そして、どこまでも続く真っ直ぐな道が千方の心を解放した。
「ご機嫌ですな。六郎様」
と朝鳥が声を掛けた。
「うん? 心地良いのう。旅は良い。…… しかし、今、何か嫌な予感がしたぞ」
と言いながらも、千方は笑っている。
「はて、何故で御座いますかな?」
朝鳥はにやりとして目を動かした。
「そのほうの顔を見たら、また何かしかつめらしいことを言い出すのではないかと思ってな」
「ほう…… では、せっかくですから、何か申し上げることを考えてみることに致しましょう」
嬉しそうに朝鳥は思索を巡らす素振りをする。
「要らん、要らん」
そう言うと、千方は馬の腹を軽く蹴って駆け出した。夜叉丸、秋天丸が続く。
若者達が走り去るのを笑って見送っていた朝鳥は古能代と馬首を並べることになったが、双方とも言葉は無い。元々口数の少ない古能代とふたり、朝鳥の方から話し掛けなければ会話は始まらないのだ。
しかし、実は朝鳥には少し心の重いことがあった。小山の舘に立ち寄った際、朝鳥は別に千常に呼ばれた。何事かと思っていると、何かぎごちない表情をした千常が
「もしもの場合のことだが、そのほうにやって貰いたいことがひとつある」
と切り出した。千常は何か妙な雰囲気を漂わせている。その様子を不審に思いながらも朝鳥は、
「はい、何なりと、御命じ下さい」
と答える。
「うん。…… 実は、これは万が一にも有り得ぬことではあるのだが……」
益々千常らしくもないと朝鳥は思った。
「これは、殿らしくも御座いませぬな。そのように持って回った言い方をされる殿は、初めてで御座います」
と伝える。千常は一つ大きく息を吐いた。
「万が一にも有り得ぬことではあるが、万万が一の場合を考えて命じて置く。もし、古能代があらぬことを言い出した時は、殺せ」
思い切ったように一気にそう言った。思わず朝鳥が、
「えっ ?」
と問い返す。
「例えそれが、貞盛様の御前であったとしても構わぬ」
千常はそう続けた。朝鳥は驚いた。そして、暫しの間千常の顔を見詰めていた。
「…… 『あらぬこと』とは、どのようなことで御座いますか?」
思い余ってそう問い詰めた。
「申せぬ。例えそのほうでも、申せぬことじゃ。だが、言い出せばすぐにそれと分かることだ」
千常はもはや朝鳥を見てはいない。あらぬ方向に向かって言葉を続ける。
「…… 何かは分りませぬが、古能代に限って、余計なことを申すとは考えられません。…… 事情をお聞かせ頂く訳には参りませんか?」
事情もわからず従えることでは無いと思った。
「いや、済まぬが言えぬ。…… それ程の大事ということだ」
と千常は説明を拒否した。
「…… この朝鳥、殿の命とあらば、どのようなことでも致す覚悟に御座いますが、こたびだけは、何か、食ろうた物が喉から降りて来ぬような心地に御座います」
千常がそういうつもりなら結局は黙って従うしか無いとは思ったが、精一杯の想いを伝えた。
「麿も有り得ぬことと思う気持ちは同じだ。だが、もし、その時は瞬時たりとも迷うな。迷えば気配を察せられる。察せられれば、今のそのほうでは古能代には勝てまい。…… 良いか、迷うてはならぬ」
「…… 畏まりました」
そう答えたものの、未だに心に引っ掛かっている。
『一体、古能代が何を知っていると言うのだ。そして、殿が恐れていることとは…… 貞盛様に関係あるとなれば、やはり、あの北山の戦いで見た男は古能代だったのか?』
そんな事を想っていると、
「日下部様、残して来た者達のことが気掛かりで御座いますか?」
と珍しく古能代の方から話し掛けて来た。
「うん? そのような顔をしておるかな? 麿は……」
そう思っていてくれれば幸いだと朝鳥は思った。
「三輪様は厳しいお方ですから、それに慣れさせる為に、三輪様が見えると決まってからは、皆に更に厳しく接しておられた。そう見ておりました」
「うん、そうであった。汝は、十年も国時の下で働いておったのであったな。それで、国時の気性は良く存じているということか…… あの男は決して、厳しい訳では無い。ただ、融通の利かぬ男だから、命じられたことを果たそうと思う余り、心に余裕が無くなってしまう。要は真面目なのだ」
「はい。確かに」
古能代が同調する。
「だが、国時も、もはや隠居の身。少しは丸くなったであろう」
「そう願います。昔のままの御差配様だったら、竹丸、犬丸などは音を上げてしまいましょう」
「ふん。有り得ぬことでは無い」
少しの間、何かを想うような目をしていた古能代が、小声でぽつりと言った。
「もし、夜叉丸、秋天丸が残っていたら、或いは殺してしまうかも知れませぬな」
半分上の空で古能代に話を合わせていた朝鳥だが、古能代の言葉で我に戻った。
「これ! 物騒なこと申すで無い」
朝鳥は気色ばんだ。
「御無礼致しました」
日頃の朝鳥なら、軽口(冗談)として切り返していたろう。だが、千常の命が引っ掛かっていた。それに、古能代は軽口など言う男では無い。
三日目の夕刻近くに、一行は多賀城を遠望する辺りまで辿り着いた。
佐野は元より、下野の国府よりも遙かに壮大な佇まいに、千方と夜叉丸、秋天丸は驚きの声を上げた。
信じられないほどの長さで、黄土色の壁面に瓦屋根を載せた築地塀が続いている。
外郭南門までは八丈ほど(二十三メートル)の幅を持つ南北大路が真っ直ぐに続き、外郭南門を潜ると、瓦屋根、朱に塗られた柱を持つ二層の政庁南門が正面に見渡せ、朱雀大路が、四丈(十二メートル)の幅を保って政庁南門まで伸びている。
政庁南門近くの大路の西側には大きな池が有る。(現在、「鴻ノ池」と呼ばれているその池は、「国府の池」が訛ったものなのか? 因みに、栃木県栃木市に有る国府町は「こうまち」と読む。「こくふ」という読みは堅いので、庶民は「こう」と呼ぶことが通例だったのかも知れない)
多賀城は、その名に「城」という文字が入っていても、城郭が有る訳では無い。いわゆる『柵』である。しかし『柵』と言うと今度は、牧場の柵のように、丸太を打ち込んでそれに横にした丸太を縛り付けたようなイメージとなるかも知れないが、それもまた違う。確かに、当初はその程度のものから始まったのかも知れないが、築地塀を張り巡らし、政庁、脇殿、そのほか、幾つかの建物を配した構造へと変わって行った。
柵が何より特徴的なのは、政庁だけで無く、街全体を外塀、外堀で囲んだいわゆる総構えの構造を持っていることだ。
ヨーロッパや中国では当たり前のことだが、日本では、いくつかの例外(小田原など)を除いて、街全体を塀や堀で囲うということは、後代に於いても余り例が無い。ところが、陸奥の柵に於いては、これが一般的な形となっていた。当然、蝦夷の攻撃から、国司、その郎等、鎮兵、入植者達を守る為のものである。
多賀城跡の敷地は九百メートル四方の変則的な矩形となっており、一万人以上の人口を抱えていたと見られる。
当初、対蝦夷戦争の最前線基地であり、陸奥の政庁であり、鎮守府もこの中に置かれていた。しかし、延暦二十一年(八百二年)坂上田村麻呂が胆沢城を築いたことにより、鎮守府は胆沢城内に移っていた。
「これが多賀城か!」
千方が興奮気味に言った。見回りから戻った兵達の列が、足早に追い越して行く。仕事を終えた職人達ものんびりと話しながら通り過ぎて行く。
陸奥国は大国であり、養老律令の官位令が定める大国の官位相当は、守が従五位上、介が正六位下、大掾が正七位下、少掾が従七位上、大目が従八位上。職員令が定める定員は、守から少目まで各一人、計六人である。
国司には含まれない史生の定員は養老令では三人だが、延喜式では五人である。他に国博士一人、国医師一人、学生五十人、医生十人が定員として置かれていた。
南北大路に沿って右側には川が流れており、それが少し先でほぼ直角に左に曲がり大路と交差する。その手前左側には、碁盤の目のように路が走る街並みが有る。
左折し、四丈(約十二メートル)幅の路を進むと、二区画目左に陸奥大掾の住む国司舘が有る。次の区画の右側にあるのが介の住む国司舘だ。陸奥守の住む国司舘は右側の更に四区画先に有り、政務を司る建物も敷地内に有る。
通常の政務は内郭の内にある政庁では無く、陸奥守の屋敷内にある舘で行われていた。
佐野を発つ時、千常から渡されていた絵図を基に、一行は貞盛の居る国守の国司舘に向かった。
貞盛は秀郷の後、天慶十年(九百四十七年)より鎮守府将軍を務めているが、陸奥守を兼ねている為、胆沢の鎮守府では無く、多賀城に滞在していた。
築地塀に沿って進み、門を入るとほぼ正面に政務を執る為の舘が在り、左手奥に回廊で繋がった居宅が有る。その周りには、幾つかの建物が回廊で繋がれている。
門番に案内を乞うと、少し待たされて正面の建物内に案内された。千方が下座正面に控え、後ろには、左から朝鳥、古能代、夜叉丸、秋天丸が横一列に並んで貞盛の出座を待った。
やがて、陸奥守・貞盛がゆっくりとした歩みで現れると、一同、両の拳を床に突き頭を下げる。
貞盛も既に五十になる。若い頃、明るく快活であった面影は無い。一度立ち止まって、なんと無く憂鬱そうな眼差しで一同を見渡した後、席に着く。
「秀郷殿から書状を頂いておる。長旅、大儀で御座ったな」
と千方に視線を注いだ。
「お初にお目に掛かります。秀郷が六男、六郎・千方と申します。こたびは、お世話をお掛け致します」
千方は両の拳を突いて頭を下げる。
「何の。秀郷殿には色々と世話になっておる。碌な持成しも出来ぬが、ゆるりとされよ。武蔵で育ったそうじゃな。幾つになる?」
「はい。十五になります」
「十五? …… そうか、あの乱の折に生まれたのか。秀郷殿も、色々と忙しいことであったのじゃな。……」
そう言って貞盛は僅かに笑った。その後貞盛は、朝鳥に視線を移し、
「おう、朝鳥と申したな。覚えておるぞ」
と言った。
「陸奥守様に覚えていて頂けたとは、真に恐縮に御座います」
と言って、朝鳥は平伏する。
「下野・藤原家の日下部朝鳥と言えば音に聞こえた荒武者じゃ。忘れるものか。あの折、麿と共に本陣を飛び出しおって」
と言って笑う。
「恐れ入ります」
「隣の者も見た覚えが有るのう……」
古能代に視線を移した貞盛が、その顔を凝視している。
『この事か!』
貞盛の態度を見て、朝鳥は千常の言葉の意味を察した。貞盛に取って絶対に知られてはならない秘密を古能代は知っているのだ。それは、秀郷が貞盛の首根っこを押さえ付ける為に欠かせない秘密でもある。
古能代を胆沢行かせる為には、貞盛の協力が欠かせない。しかし、古能代を貞盛と対面させる事は、もし、貞盛が秀郷の意図を曲解すれば、危険な賭けにもなると千常が用心したと言う事だ。
朝鳥は緊張した。太刀を抜くには左側に居る方が有利である。そう思って古能代の左側に席を取っていた。
「いえ、お人違いかと」
古能代が平然と答えた。
「手前、取るに足らぬ者で、郎等の末席を穢しておる者。陸奥守様へのお目通りは初めてのことに御座います」
そう付け足して頭を下げる。
「…… ふん、そうか。秀郷殿に、そう申せと言われておるのか?」
射るように古能代を見て貞盛が言う。
「そのようなことは、御座いません」
古能代は無表情に答える。
「あの折、将門の許に使いした郎等に良く似ておるな……」
尚も見詰めて、貞盛は探るような眼差しをした。そして突然、
「ま、良い。別人ということにしておこう」
と笑った。そして千方に視線を戻すと、
「千方殿、麿はまだ、少しせねばならぬことが有るゆえ、済まぬが中座する。後は全てこの者に申し付けてある。不自由があったら、何なりと申し付けられるが良い。のちほど宴を共に致そう」
と言って立ち上がった。傍らに控えていた郎等が、頭を下げる。
「御用繁多なところ、お出まし頂き有り難う御座いました。お言葉に甘え寛がせて頂きます」
千方が貞盛に向かって頭を下げると、後ろの四人も同じように倣った。その直後、朝鳥はふーと息を吐いた。
居室に戻った貞盛は人を遠ざけ、虚空を見詰めながら、親指の爪を噛んでいた。
『秀郷殿は、何故今頃、あの男を寄越したのだろうか?』
と考えていたのだ。
『麿に“恩を忘れるな"と言いたいのか?』
そう思った。将門に向けて矢を放った後、その矢が、将門に払い落されたのを確かに見た。しかし『しまった!』と思う間も無く、将門が馬から雪崩落ちた。はっとして右手を見ると、離れた所に四~五人の郎等達の姿が有った。その先頭に居たのがあの男だった。そしてその手には、半弓が握られていた。
『確か名は、大道古能代』
将門の許へ使いに出した郎等の名を聞いた時、秀郷が答えたのを、貞盛は覚えていた。それほど気になる男だったのだ。
『射落としたのはあの男の矢なのではないか?』
そう考えているうちに、将門の許に駆け寄った秀郷が、いきなり、倒れている将門の頭を踏ん付け、刺さった矢を抜き、辺りに散らばっている矢の中に、抜いた矢を放り込んだ。そして、
『皆、聞け~っ! 謀叛人・平将門は、左馬允・平朝臣・太郎貞盛殿が射落とし、下野押領使、この藤原朝臣・太郎秀郷が首討った』と叫んだのだ。
『いや、違う』とは言えなかった。もう、そんなことを言える雰囲気では無くなってしまっていたのだ。
『あの時から麿は、秀郷殿に首根っこを押さえられてしまったのだ。そして、あの時から麿は憂いの中で生きている』
そんな想いが強く迫って来た。まず始めに『将門を射落としたのは、貞盛殿では無い』と言い出す者が出て来ないかと案じた。
あの雰囲気の中で気付いた者が居なかったのか、或いは、気付いていて『それで良い』と思ったのか、幸いにも、そんなことを言い出す者はひとりも居なかった。
兵の矢には、名前や本人と分かる印が書いてある。恩賞を願い出る時の証拠とする為だ。しかし、秀郷は、証拠の矢を抜くなり、散らばった矢の中に放り込んでしまった。そして、大声で宣言することに寄って、周知の事実としてしまったのだ。それに異を唱えることは、秀郷に反抗するということになってしまう。
太政官への恩賞申請に際して秀郷は、野犬を射て血塗りを付けた貞盛の矢を提出していた。
次に貞盛の心を悩ませたのは、弟の繁盛だった。
「兄者はひとが好過ぎる。口惜しくは無いのか? 将門を射殺したのは兄者で、秀郷殿は、死人の首を獲っただけではないか! それなのに、秀郷殿は大出世をし、兄者は僅かな昇進にとどまっている。きっと、秀郷殿が己の手柄を都合良く太政官に申し立てたのだ」
繰り返し、そう言い募って来た。
「繁盛! 滅多なことを申すな。秀郷殿は、そのようなお方では無い。元はと言えば、麿が秀郷殿を頼って、助力をお願いしたのだ。そして、軍勢の粗方は秀郷殿の兵であったのだ」
「そんなもの、既に崩壊しておったでは無いか。それに、兄者の持っていた将門追捕の官符が無ければ、軍を興すことも出来なかった筈だ」
正に、繁盛の言うことに違いは無い。将門を殺したのが本当に貞盛であれば……。だが、例え弟であっても、真実を言うことは出来なかった。
「お上にも色々とお考えのあってのご措置だ。不服を申してはならぬ。公卿の方々はちゃんと考えていて下さる」
繁盛を宥める為に言った言葉だが、嘘では無かった。




