第1話 蝦夷 ⅱ
千方に取っては慌ただしい数日であった。突然、旋風丸に襲われ、考える間も無く、結果として殺してしまった。己の腕が格段に上であったなら、或いは取り押さえることが出来たかも知れない。しかし、身を守るのが精一杯であった。気が付いたら斬ってしまっていた。だが、旋風丸は、敵でもなければ盗賊でも無いと千方は思う。郷人のひとりなのだ。向き合って話したかった。腹を裂かれて呻いている声が耳に残り、腹の裂け目から飛び出した腑が目に焼き付いている。
人ひとりを殺すということは、こんなにも苦しいことだったのか。そう思った。初冠の慌ただしさの中、忘れていた後悔の念が、床に就き暗い屋根裏を見詰めている中で蘇って来た。
『襲われたら、考えること無く殺せ。それが生き残る術だ』千常はそう言った。確かに、斬らなければ斬られていた。斬ったからこそ自分は今生きている。ならば考えることなど無い筈だ。しかし、この苦しさは何なのだろうか? これから先、一体、何人の人間を殺すことになるのだろうか? それが即ち強くなるということであるならば、耐えるしか無いのだろう。耐え切れなくなれば、臆病者の汚名を着ることになる。経験を重ね、人を殺すことに無感覚になって行くことで、猛き兵と呼ばれるようになるのか…… ?
『はい。麿も兄上のように猛き兵になりとう御座います』
武蔵から下野に向かう途上、ほんのお世辞のつもりでそう言った時、兄・千常に殴り倒された。
『麿の話に調子を合わせて勇ましきことを言いおったが、口で言うだけなら、都の長袖の公家でも言える』
千常はそう付け加えた。
『確かに、あの時の吾は何も考えていなかった。こんな気持ちなど想像の端にも無かった』
朝が来るまで、千方は、暗闇の中で眠れぬまま、鬱々とした夜を過ごした。
翌朝、秀郷を見送った後、武蔵に帰る者達と、下野の山郷に戻る者達が何組かに分かれて、暫しの間、談笑をしていた。
久稔は夜叉丸達を捕まえて色々と話し掛けているが、郷の者以外には千方と朝鳥としか接触したことの無かった千方の新たな郎等達は、戸惑い気味だ。祖真紀と朝鳥は豊地と話し込んでいる。多分、千方の幼き頃のことなど聞いているに違いない。
千方は母と向かい合っていた。
「あまり眠れなかったようですね。そのような顔をしていますよ」
母はすぐに千方の寝不足を見破っていた。だが、事実を言えば心配を掛けるだけだと千方は思った。それに、母に甘えて泣き言を言うような真似をしたくもなかった。
「はい。興奮したせいでしょうか、あまり眠れませんでした」
と答える。
「ほんの僅か見ぬ間に、すっかり大人らしい体になりましたね。まあ、一番背も伸びる年頃ではあるが…… 元服したのですものね」
と言って露女が微笑んだ。
「体は育ったが、心はまだまだだと兄上に言われました」
と千方が照れる。
「それなら、心を鍛えなさい。麿から見れば、心もだいぶ大人に成ったように見えるが、千常様がそう言われるなら、まだまだなのでしょう」
「はい、心も強くなるよう心掛けます。また当分お目に掛かれませぬが、お健やかに」
千方が露女に、そう別れの挨拶をした。
「麿のことは案ずるには及びません。それよりも、己に負けてはなりませんぞ」
『相変わらずこの女は強い』と千方は思った。
「…… あ、はい」
一瞬口籠った後、そう返事した。
下野の隠れ郷に戻ってからの千方主従の生活は朝鳥の主導で一変した。
まず、夜明けと共に夜叉丸達六人が千方の舘に出仕する。そして、揃って千方に挨拶し、今までは郷人達が行っていた舘の内外の掃除をする。裏の作業場で女達がやっている炊事に付いても、薪を揃えたり水汲みなどの手伝いをする。それが終わると、朝鳥が皆を集め、郎等の心構えや立居振舞や言葉遣いなどの指導を始める。ただ、今までと違うのは、今まで面白可笑しくやっていた朝鳥が、急に真面目腐って厳しく指導を始めたことである。
千方は不安を覚えた。昨日まで遊び回っていた者達に急に厳しい躾をしようとすれば、反発を招くのではないのかと思ったのだ。大和人であれば、元服して主に仕えることになったのだから当然のことと思うだろうし、覚悟も出来るだろう。しかし、夜叉丸達は蝦夷だ。多くの俘囚の反乱が、大和の習俗を強制されることに対する反発がその一因と成っていると言うことは、千方も知っている。朝鳥のやり方が、取り返しの付かない事態を招くのではないかと案じたのだ。
「張り切るのは良いが、急に何もかも変えると、皆も戸惑うのではないか?」
そう朝鳥に言ってみた。
「戸惑いましょうな」
と朝鳥は当然のように答える。
「なら、徐々にやってみてはどうか」
と重ねる。
「いずれ、この者達を草原にお連れになることになりましょう。その時に問題が起きては困ります。それ迄に、どこから見ても大和の者と思えるようにして置きたいのです。そうすれば、草原の郎等衆も、殿が付けてくれた郎等で、単に下野から来た者としか思いますまい」
笑みを見せながら朝鳥が答える。
「言いたいことは分かる。しかし、皆はどう思っているのか?」
千方は夜叉丸達の顔を見た。
「あの~、ひとつ聞いてもいいですか?」
と秋天丸がおずおずと尋ねる。
「『ひとつ伺っても宜しいでしょうか?』だ」
秋天丸の言葉を透かさず朝鳥が訂正した。
「朝鳥、今はやめよ。皆が話せ無くなってしまう」
と千方が朝鳥を制する。
「何故蝦夷と分かってはいけないんですか? 蝦夷は大和人に嫌われているんですか?」
秋天丸が朝鳥の方をチラッと見た後、そう続けた。
「そんなことは無い。嫌われている訳では無い。ただ……」
千方は答に詰まった。そこへ、
「六郎様。宜しいでしょうか?」
と千方に一言断ってから、朝鳥が話し始めた。
「この国には、昔から朝廷に従っている者とそうでない者がおった。従っていなかった者達が蝦夷だ。しかし、朝廷の力が強くなり、蝦夷は敗れた。朝廷は蝦夷を支配しようとしたが、なかなか上手く行かん。着る物も習慣も考え方も違うからだ。お互いの心が分からないから不信の念も湧いて来る。勝った者は抑え付けようとするし、負けた者はそれに反発する。そうして蝦夷の反乱は繰り返されたのだ。そう言う麿も、この郷で暮らすようになるまでは、蝦夷とは良う分からん者達で、油断のならぬ者と、正直思うておった。だから、お互いにお互いを嫌う者達もおることは確かだ。この郷にも、大和を嫌う者達がおったそうだ。旋風丸の父などもそのひとりだった訳だ。
大和人の中にも蝦夷を嫌う者は正直多い。しかし、その考えを変えさせるのは難しい。だから、六郎様の郎等と成ったからには、余分な揉め事を起こさぬ為にも、蝦夷と分からぬようにして置く他無いと麿は思う。草原に行った後、汝達に嫌な思いをさせたくないのだ。蝦夷と分からなければ、避けられる事も有る。どうしてもそれが嫌な者がおれば、仕方が無い。麿が殿にお願いして、今のうちに郎等から外して頂く…… 六郎様、それが麿の存念で御座います」
朝鳥は千方にそう説明した。
「うん…… 朝鳥。汝の覚悟は分かった。…… 皆はどう思う?」
と千方が皆に聞く。
「吾は何としても六郎様の郎等になりとう御座います! その為にはどんなことでも耐えます」
いきなり夜叉丸が大声で答えた。しかも、きちんとした言葉遣いである。
秋天丸が驚いた表情で夜叉丸を見た。口数の少ない男なので皆気付かなかったが、夜叉丸は真剣に朝鳥の言葉を聞き、頭の中でそれを繰り返し、必死で覚えていたのだ。外の世界で自分の力を試してみたいという強い想いが有った。
正直、秋天丸には迷いが有った。揉め事を起こさぬ為とは言え、蝦夷と言うことを隠さなければならないということに、何か割り切れぬ想いが有った。ところが、夜叉丸の力強い言葉に触発されて、持ち前の負けず嫌いがむっくりと頭を持ち上げたのだ。
『もし拒否してこの郷に残ったとしたら……』と考え、夜叉丸が千方の郎等として成長して行く姿を想像した時『それは負けになる』と思った。
「吾も同じです」
と秋天丸は答えた。
「吾も!」
と尻馬に乗ったのは犬丸だ。鷹丸、鳶丸の兄弟も「吾も。吾も」と続いた。
「でも、しんどそうだな……」
竹丸ひとりが、気負っていない。
「なら、汝はやめておけ。無理をすることは無い」
透かさず夜叉丸が突っ込む。
「そんな…… 吾ひとり仲間外れにせんでくれ。分かった、やるよ、やる」
と慌てて答える。
「大丈夫か?」
と秋天丸が聞き、竹丸が頷く。
「ならば、これから泣き言は言うな」
夜叉丸が釘を差す。
「と言う訳で、皆承知したようで御座います」
朝鳥が千方に言った。
「分かった。朝鳥が厳しく言うのも、皆のことを思うてのことと分かってくれたようだな。ならば、励んでくれ」
そう言った千方だったが、先への不安が全て拭い切れた訳ではなかった。
千方は、朝餉の後、折を見付けて、簡単な読み書きを六人に、自身で教え始めた。そんな日々が五日ほど続いた頃、
「名が決まったぞ」
と千方が皆に告げた。
郷の者が名乗る姓は大道、駒木、広表、広岡、小山の五家である。
平安時代、庶民と雖も大和人は全て姓を持っていた。しかし、元々蝦夷にそれは無い。だが、降伏し大和朝廷の為に働くようになった蝦夷即ち俘囚には、官位と共に『吉弥侯部』などの姓が与えられるようになる。
秀郷は隠れ郷を手に入れた時、郷人達の血を辿って新たに字を与えた。もちろん、朝廷の許しを得てのことでは無いので正式な姓では無い。勝手に作ったのだ。それが、大道、駒木、広表、広岡、小山の五家だ。
郷の者達は皆、この五つの姓のいずれかの系統に属する。祖真紀、古能代親子が”おおみちの”と”の”を付けて名乗ることがあるが、賜姓では無いので実は僭称となる。
犬丸は祖真紀、古能代と同じ「大道」血統に属する。夜叉丸は「小山」、秋天丸は「広表」、鷹丸、鳶丸の兄弟は「駒木」、竹丸は「広岡」の血統である。
「まず、夜叉丸は小山武規、秋天丸は広表智通、犬丸は大道和親、竹丸は広岡大直、鷹丸は駒木元信、鳶丸は同じく末信とする」
千方が木簡に書いた字を示しながら皆に告げた。
『これは又、大層な名前をお考えになったものじゃ。己の名を書けるようにするだけでも大変なことだわい』
朝鳥はそう思ったが、まだ、あまり文字の読めない当人達は、ただぽかんとしている。
「ま、今まで通り呼ぶので安心せよ。ただ、覚えておいて、いずれ書けるようにもなって貰う。良いな」
と千方が皆に言い渡した。
「ひろおか……ひ・ろ・な・お? なんか、ややっこしいな……」
と竹丸が呟いた。
「戯け! まずは御礼を申し上げろ」
と朝鳥が叱る。
「有難う御座いました」
と一応、六人揃って千方に頭を下げた。
「竹丸。大直とは大きくて真っ直ぐという意味だ」
千方が竹丸に告げた。
「では、吾の和親と言うのは?」
と尋ねたのは犬丸である。
「和やかで親しみ易いと言う意味だ。夜叉丸の武規は武によって規す。秋天丸の智通とは知恵に通じる、元信、末信は信ずるという意味だ。ま、多少こじつけ気味かも知れぬが、麿なりに考えて付けた。不服の有る者はおるか? 気に入らなければ変えても良い」
「いえ、不服など御座いませんが、何か、ぴんと来ません。何やら他人の名のようで。……」
秋天丸は首を捻っている。
「ま、良い。今は取り敢えず覚えておくだけで十分だ」
宿題を片付けた千方は、それに付いては幾分ほっとしていたが、もうひとつ心に掛かっていることが有った。芹菜とゆっくりと話す機会を、まだ持てていなかったのだ。




