第11話 初冠(ういこうぶり) ⅰ
郎等長屋で祖真紀と古能代が対座している。
「何としても、吾は隠居するべきと思うておる」
祖真紀が古能代にそう告げた。
「何故? 殿はお許し下されたではないか」
古能代が詰める。
「『祖真紀ともあろう者が抜かったな』とも仰せになったであろう。それに、六郎様の剣の腕を鍛えたのは朝鳥殿だ。吾では無い」
思いとどまらせようとする古能代と、最早決めた事と表情を変えない祖真紀。
「吾には郷長など無理だ。務まらん」
と古能代が祖真紀継承に抗う。そんな話題は終わらせたかった。
「我等と下野藤原家との繋がりが出来たのは吾の父の代のことだ」
祖真紀が問わず語りに話し始めた。
「偶然郎等のひとりに、隠れ郷が有ることを嗅ぎ付けられてしまったのだ。郷では戦おうという声が多くを占めた。『大和に下ることを拒んだ杜木濡の意志を継ぐべきだ』と多くの者が思っていた。しかし、時が経ち杜木濡の時代からは世の中も変わっていたのだ。
『戦っても滅びるのみ。何としても蝦夷の血を残せ』と命じた阿弖流爲の心を汲むべきだと父は皆を説得して回った。
確かに、大殿の父上・下野大掾・藤原村雄様の力に逆らってこの下野で生き残ることは不可能であったろう。それが、だんだん皆にも分かって来た。かと言って他国に逃がれて、また同じような場所を見付け出せる見込みはなかった。
郷人の全てを説得することは出来なかったが、大方の同意を得て、父は村雄様の許に出頭した。元より己の命は捨てるつもりでおった。
村雄様は郷人全てを捕えて朝廷に報告すると言われた。ところが、同席していた若き日の大殿が『この者達のこと、麿にお任せ下さい。朝廷にもご報告は無用に願います』と申し出られたそうだ。ふ、ふふふぁっふぁっ」
と祖真紀が急に笑い出した。古能代は訝しげに祖真紀の顔を見た。
「その頃の大殿はな。鼻摘まみ者だったのよ。大掾の嫡子でありながら『官人と揉め事は起こすわ、朝廷への不満は言うわ』で、村雄様もほとほと手を焼いておられたそうじゃ。
当然、村雄様は『引っ込んでおれ』と怒鳴り付けた。そうしたら大殿はな、何と『ならば、この者達と郷に立て籠もって父上と一戦交えます。宜しいか?』と言ったそうじゃ。それも、どう見ても本気としか思えぬ表情でな。
その時の村雄様の表情は、何と言って良いか、何とも言い表せぬお顔をされたそうじゃ。まさか、現職の大掾ともあろう者がそんなことで息子と戦をする訳には行かぬ。制圧したとしても責任問題が起こって来る。
大殿を兵に捕えさせて牢に押し込めることも出来たろう。しかし、村雄様はそうしなかった。
『勝手にせい!』と言うことになった。何故であったのかな? その時大殿は、父に、『命らの力、我が夢のために使う。麿のために働いてくれるか?』と仰せになったそうだ。『命』と呼ばれて父は大そう驚いたそうだ。それ以来、大殿から命と呼ばれることは無かったが『夷俘』と呼ばれたことも一度も無かったと何度も聞かされた」
実は、蝦夷を『夷俘』と呼ぶことは、疾うの昔に朝廷も禁止していたのだ。
弘仁五年(八百十四年)十二月一日、嵯峨天皇は次のような勅を発した。
『帰降の夷俘、前後数有り。
仍りて便宜を量りて安置す。
官司・百姓、彼の姓名を称せずして、常に夷俘と号す。既に皇化に馴れて、深く以て恥と為す。
宜しく早く告知して、夷俘と号すること莫かるべし。
今より以後、官位に随いて称せ。若し官位無ければ、即ち姓名を号せ』
つまり、
『降伏して来た蝦夷がこのところ多く居る。
そこで、彼等が生活し易いように便宜を量ってやっている。
ところが、官吏や良民達は、彼等の名前を呼ばずに、常に夷俘と呼んでいる。
既に朝廷の治めるやり方に馴んで来ている者達に対して、このような呼び方は誠に恥ずかしいと思う。
速やかに皆に知らせて、夷俘と呼ぶことの無いようにしなければならない。
今後、官位のある者は官位で呼べ。官位が無ければ名前で呼べ』
と言うことである。
この時代でも差別用語禁止という通達は存在したのだ。しかし、誰もゴミを捨てないところに『ゴミを捨てるな!』と書かれることは無い。皆が『夷俘』と呼ぶから、蝦夷がそれに反発して政情が不安定になる。そのことを恐れて朝廷はそういう呼び方を禁止した訳だ。だが、その通達が守られることは無かった。
そんな情勢の中で、秀郷は先代の祖真紀を、同等の相手に対する敬語である『命』と呼んだのである。
「父はえらく感激して、自らの命も郷の運命も大殿に賭ける決心をしたと言っておった。そして、吾もその父の想いを引き継いだという訳だ」
正に秀郷は"人誑し" の名人と言える。言葉ひとつで、強力な配下を手に入れてしまったのだ。そして村雄も秀郷の傍若無人振りに手を焼きながらも、どこかに才気を見出しており、只の愚か者とは思っていなかったのだろう。そうでなければ、例えどんな経緯であろうと、祖真紀一族をそっくり預けたりはしなかった筈だ。
その後、暫くして藤原村雄は亡くなった。後ろ盾を失った秀郷は、たちまち国府から圧迫を受けるようになる。
しかし意外なことに、秀郷は破れかぶれになるようなことは無く、それにじっと耐えながら徐々に実力を蓄えて行ったのである。暴れ者でありながら策士でもあるという二面性が秀郷には有った。
「吾にもその想いを継げと言うのか?」
古能代が祖真紀に問う。
「いや、汝は汝の考える祖真紀に成れば良い。大殿と殿に恩を売ったのは汝だからな」
そう言われて、古能代ははっとした。将門を射殺したのが実は古能代だったと言う事は、祖真紀も知らない筈なのだ。
「何のことだ?」
と惚ける。
「親を甘く見るな。疾うに知っておるわ。北山でのこと……」
「誰が言った!」
古能代がむきになって問い詰めた。
「誰も言うてはおらん。支由威手も他の三人も何も言うてはおらんぞ。口止めしたのであろう。だが、吾は知っておる。この祖真紀を甘く見てはいかん。それはそれとして、喋らぬことが殿や大殿の信頼を得ておるのだ。何が有ってもそれは守らねばならぬ。だから、吾もこのことは今後一生口にせぬ…… 汝が祖真紀を継げば御二方も安心される」
「どこまで読んでおるのか? …… やはり親父は空恐ろしい男だ」
祖真紀と古能代がそんな会話を交わしている頃、舘の奥の間では、千常と千方が対座していた。
「明日、父上がこの舘にお見えになるのですか?」
と千方が聞いた。
「いや、元服は宮(現・宇都宮市)の二荒大明神(現・二荒山神社)で執り行う。父上もそこにお見えになる」
「暗い気持ちで佐野まで参りましたが、まさかこのようなことが待っていようとは、思うてもおりませんでした。兄上、本当に有難う御座います」
「暗い気持ち? 何故だ」
と千常が問う。
「郷の者を殺してしまったのです。あの、腹からはみ出した腑が目に焼付いて離れないのです。それに、あのことで祖真紀が何らかの責任を問われるようなことになるのではないかと心配でした」
そう述懐する千方の顔を千常は見ていた。
「千寿丸よ。体は見違えるほど大きくなり、腕も上がったと見えるが、心はまだじゃな。『体も心も強くならねば生きて行けぬ』そう申したであろう。覚えておるか?」
と聞いて来た。
「はい。覚えております」
千常の舘から隠れ郷へ向う途中、いきなり殴り倒された事を思い出した。
「襲われたら、相手を殺すか己が死ぬかだ。例えその相手が麿であったとしても、躊躇無く殺せ。それが生き残る術だ。祖真紀のことは案ずる必要は無い。麿に任せて置け」
と千常は千方に告げた。
「はい……」
と返事をする。
「修羅じゃ。修羅だ。都の公家共は『穢れ』と言って血を嫌う。そして、『穢れ』は全て我等に押し付けて来る。まるで、我等を犬ころか何かのように思うておるのよ。坂東武者はな、例え目の前で親が死んでも、その屍を乗り越えて戦う。そんな我等が、なにゆえ腰抜け公家共に扱き使われているか分かるか?」
と千常が問い掛けて来た。
「朝廷の権威というもので御座いますか?」
千方は自信無さげにそう答えた。
「権威とは何か?」
と千常は突いて来た。
「さあ…… 帝で御座いましょうか?」
と又も自信無さげに答えた。
「そればかりとも言えぬな。だが、将門はきっとそう思ったのであろうな。だから、己が帝になれば世の中を変えられるとでも……。だが、将門のやろうとしたことは朝廷の猿真似だ。兵は戦だけで無く、あらゆることに於いて兵で有り続けなければならんのよ。いずれ、我等の前に都の公家共が膝を屈する日が必ず来る。我等はそう思うておる。
だから、我等はいかなる時にも強くあらねばならぬ。いつの日か、我等の世を作り上げる為にな。だが、今はまだ、朝廷の権威というものも利用せねばならん。今の我等の力は朝廷の権威には遠く及ばぬ。坂東武者の力は未だ蟷螂之斧でしか無いのだ。 …… 尤もこれは、父上の受け売りじゃがな」
千常は自嘲気味に笑った。
「父上がそう仰せられているのですか?」
朝廷に反発を感じている父が、何故将門を討ったのか? それが千方の感じた疑問だった。
「他言は無用じゃ。漏れればやっかいなことになる」
「はい。しかと肝に命じて置きます」
と少し頭を下げる。
少し時刻を遡る。その日の朝餉を終えた時刻。田沼に有る秀郷の舘を訪ねる者達が有った。
それは、武蔵国・草原郷の郷長・草原久稔。その娘であり千方の母である露女、その弟で千方の叔父に当たる豊地の三人である。三人は、秀郷の郎等に案内されて舘に入った。
奥の間に通され少し待たされたが、やがて秀郷が現れる。
「良う参った。久稔殿」
秀郷は、まず久稔に声を掛けた。
「此度は思いも掛けぬことでお招きにあずかりまして、望外の喜びを感じております。これも偏に将軍様のお陰。この久稔、生涯この御恩を忘れることは御座いません」
久稔が丁寧に挨拶する。秀郷はとっくに鎮守府将軍の職を離れている。 正確には『前将軍様』と呼ぶべきであろう。しかし、当時の習慣としては、このような場合、配下の者は、面と向かっては『前』などとは付けない。それ以上の職に就かない限り、いつまで経っても『将軍様』と呼ぶのである。
「大袈裟なことを申すな。実はな、これ全て千常の段取りよ。千寿丸を迎えに行った直後から準備を始めておったようだ。麿のところへも何度来居ったことか……」
「左様で御座いますか。では、千常の殿にも厚く御礼を申し上げねばなりませぬな」
「露女」
ふいに秀郷が呼び掛けた。
「久しいのう。いや、一瞥以来と申すべきかな?」
「はい。殿にお会いするのは、これで二度目で御座いますから」
面を上げた露女が答える。
「恨んでおるのか?」
と聞く。露女はゆったりとした表情で微笑んだ。
「何でお恨みすることが御座いましょう。千寿丸がご一族として認められ、立派に元服すること。この十四年間持ち続けた唯一の望で御座います。それが適おうとしている今、何の不足が御座いましょう」
下手に出てはいるが、その態度には余裕さえ感じられる。
「そうか。捨て置いたにも拘わらず、それで他の男に嫁がなかったという訳か……」
と秀郷が納得したように頷く。
「はい。嫁げば、千寿丸は、その方のお子ということになってしまいますゆえ」
露女はにっこりと微笑んだ。
「強い女子じゃ。全ては子の為という訳か。寂しいとは思わなんだか?」
と秀郷が問う。
「千寿丸だけでは御座いません。父に取っても郷に取ってもそれが幸いとなります」
『腹が座っておる』と秀郷は感じた。
「己がことは考えぬか?」
と聞いてみる。
「考えます。殿方は、弓矢で周りの者達を護ることで心が満たされることが御座いますでしょう。童は女子。殿方のようには弓矢は使えませぬ。己が出来ることで役に立てればと思うております。それで心が満たされます」
「天晴れな物言いよのう。…… のう久稔殿」
露女の対応に参ったとでも言いたげに、秀郷が、苦笑交じりに久稔に振る。
「恐れ入ります。このようにずけずけと物申す娘ゆえ、もう、ぐっしょりと冷や汗をかいております。申し訳も御座いません」
久稔ははらはらしていたのだ。
「ふふふふ。考えて見れば、村岡五郎のせいかも知れぬな。あの折、村岡五郎が乱に関わって来ておれば、麿も、もっと足繁く草原に通っておったかも知れぬ。遂にあの男が腰を上げなかったばかりに、草原とも露女とも疎遠になってしもうた。千寿丸にしても、近くにおりながら気持ちの中では彼方に置いてしもうた。許せ」
と僅かに頭を下げる。
「もったいない。この度のことで、何もかも報われます。重ねて御礼申し上げます」
露女が手を付いてまた頭を下げる。
「暫し休むが良い。今日のうちに宮に参る」
立ち上がり歩き出した秀郷が、ふと立ち止まって振り向いた。
「露女……」
と呼び掛けた。
「はい」
面を伏せて秀郷を見送ろうとしていた露女が顔を上げる。
「この舘に移る気は無いか?」
と唐突に告げた。露女は表情を変えない。
「…… もったいないお言葉では御座いますが、どうか、草原に捨て置かれますよう。その分、千寿丸のこと、宜しくお願い申し上げます」
と何事も無いかのように答えた。
「ふん…… そうか。今更よのう。あい分かった。思うままに致せ」
そう言って頷き、秀郷は出て行った。
三刻(一時間半)ほど後、秀郷は数人の一族の者、郎等、草原の者達を引き連れて宮(現・宇都宮)に向かった。
二荒山大明神。下国・河内郡・池辺郷・宮の地に在り、現在の宇都宮市の中心部(馬場通1の1の1)、臼ヶ峰(標高約百三十五メートル)の山頂に鎮座する。
宮は二荒山大明神の門前町として栄えていたが、この時代まだ、後の下野の覇者・宇都宮氏の影は無い。
因みに、二荒山とは日光の男体山のことであり、『宇都宮』とは『移しの宮』から来ているとも言われる。
宮の戦いを前にして、秀郷は二荒山大明神に戦勝祈願をしている。その折、陸奥国の黒川で打たせた毛抜形太刀を奉納したが、その時、宮司は、
「『吾霊力この太刀に込めん。汝この太刀振るわば怨敵の首を得ることになろう』との御神託が有り、大明神様はこの太刀を改めて秀郷殿に与えるとのお思し召しに御座います」
と言って、太刀を返して寄越した。そして、秀郷はその太刀を使って将門の首を討ったのだ。
戦勝後、秀郷はこの神社に、大枚の寄進をした。そういうことで、秀郷に取ってこの神社は縁もあり縁起の良い神社なのである。
折り返しも無く一直線に山頂まで続く長い階段を一行は登って行く。
「ふ~っ。麿も歳かのう? 息切れするわ」
中段に差し掛かった時、秀郷が言った。
「何の…… 殿に付いて行くのは大変で御座います」
国時が秀郷以上に息切れしながら答える。やっとのことで山頂に着き神門を潜ると、冬と言うのに薄らと滲んだ汗を拭き、続く者達の到着を待った。
広場を挟んで一対の狛犬が護る神明造の社殿が聳える。
神明造は奥行きより幅が大きく、高床式倉庫から発展し、穀物の代わりに神宝を納めるように変化したと考えられている。左右対称で、左右方向には偶数本の柱が配されており、柱と地面の間には礎石も土台も無く掘立柱。屋根は茅葺である。
「千寿丸と申す子のこと、五郎(千常)は随分と力を入れておるようですな」
秀郷のすぐ下の弟であり、秀郷に最も忠実な弟でもある高郷が言った。
「武蔵守も退任した今、太政官は、武蔵からもこの秀郷の影響力を排し、下野一国に封じ込めようとしておる。武蔵に楔を打ち込んで置く必要がある」
と秀郷が答える。
「大田郷は兎も角、確かに草原郷に付いては今のままでは心許無い状況ですな。そこで、落し種のことを思い出したという訳か。兄上、あの折、作っておいて良う御座いましたな」
高郷は可笑しそうに笑った。風貌は秀郷と良く似ている。
「勝手と思う者もおるであろうな」
「露女と申しましたな。あの女子で御座いますか?」
高郷はその辺りの事情に興味を持ったようだ。
「うん。不満は申さぬが、心の底は分からぬ。この度の元服に付いても、五郎はえらく熱心であったが、ずっと捨て置いたことが気に掛かって、すぐには返事せなんだ」
「これは兄上らしくも無い。打つべき手を打つに当たって女子のことなど気になさるとは。露女とて、子の元服をこのように立派にして貰えるのですから不足は御座いますまい」
「全て読んでおるのよ。あの女子はな……」
高郷が秀郷を見てニヤリとする。
「惚れなさったか?」
「うん? 何を申すか、戯けたことを。もはや色気など無いわ。…… ただ、側に置いて色々話してみるには面白い女子かも知れぬと思ったまでよ。だが、断られた」
「はっはっはっは。兄上の申し出を断るなど…… それを聞いただけでも、並の女子では無いことは分かりますぞ」
高郷も露女に興味が湧いて来た。
「もし、麿が腹を立てて、首刎ねると申したら、表情も変えず『左様で御座いますか』と首差し出すやも知れぬ女子じゃ」
僅かな会話を交わしただけだが、昔の遣り取りも思い出した上で、秀郷は露女をそう言う女と見たのだ。
「これは、また……」
高郷が驚きとも笑いとも取れる複雑な表情を見せた。
その時、禰宜と数名の祝を従えて宮司が走り出て来た。
「これは将軍様。このように早いお着きとは思わず、階下までお出迎えもせず申し訳御座いませんでした」
としきりに頭を下げる。
「何、気にすることは無い。年を取ると気が急いてな。約束の刻限よりも大分早く来てしもうた。この階段を登って、やはり歳だなと思うたぞ。戦勝祈願に訪れた時には苦にもならなんだのにな」
と秀郷が応じる。




