第9話 禍福 ⅱ
正面に千方、左脇の席に朝鳥。炉を挟み下座には祖真紀が着き、右に少し下がって古能代が坐った。
「何と申し上げて良いか……」
そう言って祖真紀は再び額を床に着けた。
「起きた事は仕方有るまい。幸い麿もかすり傷ひとつ負うておらん。それよりも、なにゆえ、旋風丸が麿を襲ったのか、事情が知りたい」
まだ完全に気持ちが落ち着いた訳では無かったが、務めて冷静さを心掛けながら千方が言った。祖真紀が語り始める。
「あれは、天慶二年のことで御座いました。古能代は大殿の許に在って、この郷を離れておりました。恥ずかしながら吾を嫌っており、親子仲が悪く、大殿のお声掛けも有って、弟ら他の若者達と共にこの郷から出しておりました。そんなこともあって、手前の不徳から、当時、郷の中での考え方も割れておりました。手前は、この郷の将来を考えれば大殿にお縋りするより他に道は無いと考え、皆を説得して廻っていたのですが、一部にはそれに反対する者達がおりました。
従兄弟の杜理矢という男がその中心となっておりました。しかし、杜理矢は自制心の有る男でしたので、考え方の違いは違いとして、仲間達の暴走を抑えておりました。ところが、運の悪いことに杜理矢が急な病を得て死んでしまい、その後、手前に反対する者達の中心に立ったのが、息子の佳手由井という当時二十八になる若者でした。
若さのせいもあり、佳手由井は過激でした。その六年ほど前に妻を得て子が生まれていましたが、妻は子を産んだ際に死にました。六歳になるその子を、佳手由井は、或る日いきなり旋風丸と改名しました。それは、一見、子らの名を大和風にしようという、手前の考えに従ったかのように思えることでしたが、実は、嘉祥元年(八百四十八年)に上総国で乱を起こした俘囚・丸子廻毛を意識してのことでした。
佳手由井は『我等から全てを奪った大和の者達から奪うことによって、この郷の糧を得て行けば良い』と説いて回ったのです。つまり、この郷を山賊の村にしようと言うことです。殆どの者達はそれに耳を貸しませんでしたが、やがて若い者を中心に、新たに何人か佳手由井に心を寄せる者が出て参りました。
手前としては、郷を滅亡へと導くような動きを、それ以上見過ごすことが出来なくなり、止むを得ず佳手由井を捕えて洞窟に監禁しました。五日ほどして、見張りの者が、佳手由井が手前と話したがっていると伝えて参りました。出向いてみると、佳手由井は、前非を悔いており、今後は行いを慎み手前の指示に従うと申すのです。捕えられて何日も経たぬうちの変わりよう。それを真に受けるほど手前はひとが良くは御座いません。『そのような言信じられるか』と突っぱねようかと思いましたが、このような策を弄する者を放って置くことは危険と思いました。この時、佳手由井を除くことを腹に決めたのです。
とは言え、心を改めると言い続ける者をいつまで捕えたままで置くことも出来ませぬ。手前は騙された振りをして佳手由井を解き放ちました。ですが、秘かにその行動を見張らせて置いたのです。表向きは大人しくしておりましたが、既に佳手由井を見限っている者もおりましたので、佳手由井が陰で画策を始めたという情報は入って来ておりました。案の定、ひと月ほど後の或る晩、佳手由井は仲間を引き連れ手前を襲って参ったのです。手配りは抜かり無くして居りましたので、逆に佳手由井を始め三人を討ち取り、後の者は捕えました。
捕えたのは七人ですが、そのうちの二人は既に佳手由井を見限り、手前に報せを入れてくれていた者だったので、すぐに解き放ちました。後の者も、捕えた後本当に心を改めましたので暫くして解き放ちました。しかし、郷の者達の心をひとつにするのに、その後三年ほども掛かりました」
「ふん。この郷にも、そのような血塗られた過去が有ったのか」
朝鳥が呟いた。
「で、旋風丸はその時どうなったのだ?」
千方が尋ねた。
「父の死を聞いた時、泣き喚いたりはしませんでした。無表情に黙しておりましたそうです。孤児となってしまったので、祖母に当たる杜理矢の妻が育てることになりました。大人しい子で、祖母の言うことを良く聞き恙無く育っておりました。恨み事など言っているのを聞いた者は、誰もおりませんでした。まさか、そんな恨みを抱き続けていたとは……。この祖真紀としたことが、童に謀られ続けていたのを見抜けなかったのです。焼が回ったものです。申し訳御座いません」
祖真紀はまた床に額を擦りつけるようにして詫びた。
「恨みは、幼心に焼き着けられたものなのか、それとも、祖母である杜理矢の妻が吹き込んだものなのか……」
朝鳥は、祖真紀に問う、というよりも独り言のように呟いた。
「杜理矢の妻が吹き込んだとは思えませぬ。そのような女子ではありませぬゆえ」
祖真紀は杜理矢の妻が吹き込んだと言う可能性をきっぱりと否定した。
「息子が殺されたのだぞ。恨んで当然だろう。そのほうとしては、そうは思いたく無かろうが」
と朝鳥が突く。
「はい。…… 実は、我が妹に御座います」
「妹?…… ふん…… そうか。…… と言うことは、旋風丸の父・佳手由井とやらは、そのほうの甥と言うことか?」
「はい、狭い郷のこと、大方の者は血の繋がりを持っております」
朝鳥が無言で頷く。
「旋風丸はどのような思いで日々を過ごしておったのであろうか……」
千方が感慨深げに呟いた。
「祖真紀、大方の事情は分かった。きつい物言いと成ったことは許されよ」
朝鳥が祖真紀にそう言った。
「いえ、飛んでもない、朝鳥殿。全て手前の落ち度。六郎様にお怪我が無かったことがせめてもの救いです」
「うん。だが、このことは殿にご報告せぬ訳には行かん。佐野に参って申し開き致すことになろう。麿も同道する。まずは使いを立てて貰おうか」
「はい。承知致しました」
「急ぎお報せせねばならぬことが起こりましたゆえ、祖真紀を同道の上お舘に戻るお許しを頂きたい」
との朝鳥の口上を携えて、その日のうちに佐野の千常の舘に使いが走った。
この頃、秀郷は形の上では隠居して唐沢山西麓の田沼に舘を建てて引き移り、佐野の舘には千常が入っていたが、実態的にはその影響力を十分に保持していた。前年の春、最初に千方が連れて来られたのは佐野の舘だった。戻って来た使いの男は、意外な千常の命を朝鳥に伝えた。『祖真紀の他、古能代、千寿丸、それに夜叉丸ら六人の童達も同道せよ』と言うものだった。
『六郎様は兎も角、六人の童達も同道せよとはどう言うことか?』と朝鳥は思った。
『事の次第を聞いた上なら、童達にも旋風丸のことについて問い質すつもりということで納得できるが、何が起こったかは伝えていない筈だ。或いは、仔細を聞かれて、この男が喋ったのか?』
「殿に何か聞かれたか?」
使いの男にそう問い質してみた。
「いえ、何も…… 。申し付かったことのみお伝えしただけです」
「そうか…… いや、ご苦労であった。戻って休むが良い」
翌朝、千方、朝鳥、祖真紀、夜叉丸、秋天丸、犬丸、鷹丸、鳶丸、竹丸の九人、更に郷の男四人を加えた十三人は佐野に向けて出立した。
童達は、初めてこの郷を出、しかも佐野の舘に行けるということで心の中は躍り上がらんばかりにわくわくしていたのだが、既に起こった事件に付いて聞かされていたので、務めて静かにしていようとは思っていた。しかし、そこは子供、犬丸などは溢れる笑みを抑え切れず誰かに話し掛けたくて仕方が無い。一方、夜叉丸は自らの高ぶる気持ちを抑えながら、竹丸が何か馬鹿なことを言い出すのではないかと目を光らせていた。
一行が郷の出口の手前に差し掛かった時、秋天丸が馬の歩みを速め、千方に近寄って来た。何かと思い千方が顔を見ると、秋天丸は黙ったまま顔を右上に向け、崖の上に視線を投げた。釣られて千方が秋天丸の視線の先を追うと、そこには芹菜の姿が有った。
冷たい風に吹き晒されて着衣が小刻みに揺れる中、岩の上にすっくと立った芹菜が千方らを見降ろしている。じわっとした何かが、千方の胸を覆った。『話したかった』と思った。事件後慌ただしく、常に朝鳥や祖真紀と一緒だったので、芹菜とは会っていない。『話したら何と言ってくれただろうか?』と思った。
『仕方あるまい。それとも、自分が死んだ方が良かったとでも思っているのか? 殺さなければ殺された。ならば、悩むことなど何も無いではないか』とでも言ったか。或いは、年頃から言って意外と旋風丸と親しかったかも知れない。もしそうなら、気持ちはもっと複雑だろう。いずれにしろ、一度話したかった。千方はそんなことを考えながら、ぎりぎりまで首を回し、芹菜の居る崖の上に視線を送っていた。
郷を出るまでの一行は、郷の男二人が先導し、次に朝鳥と祖真紀、続いて千方、童達、古能代、最後にまた郷の男二人という順であったが、いつの間にか祖真紀が後ろに下がり、一列でしか進めない路に差し掛かる頃には、古能代の前に居た。それに気付いてはいたが朝鳥は『麿の側では気が重いだろうし、古能代と話したいこともあろう』と思い、敢えて声を掛けたりはしなかった。
千方はと言うと、この郷を出ることに余り感慨を覚えてはいなかった。この郷を出るということよりも、祖真紀を出来る限り庇いたいという思いを募らせていた。
その一方で、己自身の心情は郷の者を殺してしまったという悔いに苛まれていたのだ。何処に連れて行かれるのか分からない不安な気持ちのまま辿ったこの路も、逆方向から進むと見える景色も違い、千方には全く別の路のようにも思える。武蔵に帰る訳では無いので、懐かしさに想いを馳せることは無い。内容は違うが、先が見えないということに於いては、来た時となんら変わらない状況だ。
細い杣道を進み、崖にへばり付いたような危うい路を抜けて、やっと馬二頭が並んで歩けるほどの道に出た時、祖真紀が古能代の側に馬を寄せて来た。しかし、何を話し掛ける訳でも無く、黙々と並んで進む。やがて、古能代の方から口を開いた。
「死ぬつもりか?」
と古能代が尋ねる。
「う?…… 全て殿のご裁可次第じゃ」
祖真紀が冷静に答える。
「六郎様にお怪我は無かったのだ」
古能代は、祖真紀が自害を考えているのではないかと案じている。
「さりとて、旋風丸を見抜けなかった吾の落ち度は変わらぬ」
責任を被るつもりと言う事は分かるが、何処までの考えなのか、古能代にはそれが分からなかった。
「ふっ」
と古能代が溜息を突く。
「何故そこまで殿に尻尾を振るのかと思ったであろう。あれが、佳手由井では無く汝であったなら、吾が死んでいたであろうな」
旋風丸の父・佳手由井の反逆に触れてのことだ。
「何が言いたい?」
と古能代。
「もし、吾が刀工であったなら、汝は一世一代の傑作よ。ただ、名刀になるか妖刀になるか分からぬ一振りであった」
古能代が再び祖真紀を見て、
「太刀には刀工の魂が入ると言うからな」
と言った。
「そうだ。そのどちらも、元々我が心の中に在ったものだ。それが、汝という形を取った時、吾は愕然とした。愛しくもあり憎くもあった」
「吾は憎いだけであったよ。祖真紀という男が…… あの時まではな。…… そう言えば、山賊の洞窟で助けて貰った礼も言っていなかったな」
祖真紀がニヤリと笑う。
「ふん。埒も無い。礼など、端から期待しておらぬわ」
「やはり、憎たらしい親父だな」
無表情な古能代の顔にも、僅かに笑みが浮かぶ。
「ふふっ。汝は汝らしい祖真紀に成れば良い」
と祖真紀。
「御免蒙る。吾は親父のように、ふたつの己を使い分けたりは出来ぬでな」
古能代がはっきりと断る。
「皮肉か?」
と祖真紀。
「いや、感心している。吾には出来ぬことだからな」
「足らざるところ有らば、それを補う者を側に置け。夜叉丸と秋天丸を見よ。夜叉丸は汝同様口の重い男だが、秋天丸がそれを良く補っておる。六郎様の良き両腕となろう。童ながら見習うべきところは有る」
「吾は祖真紀などに成るつもりは無い。まだ、当分やって貰う」
「ふん。何様のつもりでおる。それをお決めなさるのは殿じゃ」
祖真紀は、古能代の意外な物言いに、呆れたという表情を浮かべながらも、胸に詰まるものを感じていた。
古能代は『吾にはまだ、殿に少しばかりの貸しが有るはず』と思った。
貞盛が秀郷を頼って来た少し後、古能代達は秀郷に呼ばれ、佐野の舘に行くことになった。郷を出て、既に十年の歳月が経っていた。この頃には、古能代ばかりでなく、他の若者達もすっかり、郎等としての言葉遣いや所作を身に着けていた。
名が与えられたのはその五年ほど前のことだ。つまり、郷を出て五年を過ぎた頃には、古能代達五人には、既に郎等の装束も支給され、和名も与えられていた。
支由威手は大道国影、沙記室は駒木時影。いずれも国時の一文字を上に頂いた名だ。
「汝は一番手を焼かしおったが、何故か憎めぬゆえ、我が名の上の文字を呉れてやるわ」
国時は支由威手にそう言った。
「我等は親父殿の影と言う訳ですかな?」
支由威手が戯けて聞いた。
「不服か?」
と国時が質す。
「いや、なんの。天にも登る気持ちで御座ります」
「ふん。良くぞ申すわ」
と言って、国時はニヤリとする。
悪童であった支由威手でさえそれなりに成長し、国時ともそんな会話が出来るほどに打ち解けた関係になっていた。
摩射手は広表忠影、威手李裡には広岡義影という名が与えられた。だが、古能代ひとりは、
『吾の名は、大和風の名に聞こえぬことも有りませぬゆえ』と命名を辞退した。名を貰い、衣装を与えられたとは言っても、その時彼等が正式に郎等として認められたという訳では無く、郎等扱いとするということでしかなかった。郎等の格好をして公の場に出ることも無く、やることと言えば、相変わらず盗賊の探索である。郎等の装束に袖を通してはしゃいでみたりしていたのは数日で、その後は、装束は仕舞い込まれ、専ら、一緒に支給された忍び装束を着ることになった。探索の仕事にはその方が好都合であったからだ。また、彼等はお互いを、相も変わらず蝦夷名で呼び合っていた。
だが、仕事の内容が少し変わって来ていた。相手が少数の時は、探索だけで無く、急襲し捕縛したり、抵抗する者を斬り捨てたりすることも彼等自身で行うようになっていたのだ。
古能代達はいつか賊達の間で恐れられる存在になっていた。そこで分かったことが二つ有る。一つは、"賊"と言っても、いわゆる山賊ばかりでは無く、大規模な盗賊の多くが輸送を生業とする業者であったり、土豪であったりすること。もうひとつは、押収した盗品の多くが秀郷の懐に入って行くと言うことだ。
最近盗まれた物や、親しい者から訴えのあった盗品は持ち主に返してやるが、それ以外の物は、ほんの一部を国衙に納めるだけで、後は殆ど秀郷の懐に入ってしまう。持ち主に返してやったものも、礼としてその一部が戻って来る。
盗賊退治に力を入れるのは、掾としての職務と言うよりも実利であり、この収入こそが、秀郷の力の源泉のひとつとなっているからだ。
正に盗人の上前を撥ねる所業であるが、再三述べた通り、それが当たり前の時代であった。




