8-魔王
奴隷問題で悪化した混乱を何とか抑えようと、グリムはゆっくりを深呼吸を一つ。
そして、意を決し話を切り出した。
何も知らないからこそ、会話の主導権を取らないと……。
「このとおり、俺は記憶喪失で常識さえわからなくなっている。もう何から聞けば良いかさえわからん」
グリムの言葉に二人は沈黙し、心配そうな目を向ける。
その後、グリムは緑踏をじっと見つめた。
「だから緑踏。あんたが思う、俺が最も知るべきことをまず、教えてくれ」
その言葉に思うことがあったのか、緑踏はまるで国王にひれ伏すよう、その場に跪いた。
「はっ! で、あるならば、まずは貴方様、つまり【魔王】について説明したいと思います」
グリムが頷くと、緑踏はちらりと窓から外を見つめた。
「ここからでは見えませぬな。申し訳ありませんが、一旦お部屋の外までお越しくださいませ」
緑踏はドアを開け、先に部屋の外に出て待機する。
グリムはベッドから足を下ろし、立ち上がった瞬間、膝の力ががくんと抜け倒れそうになる。
慌ててアレインがグリムの身体を支えた。
「悪い。助かった」
「いえ、奴隷の嗜みにてございます」
どこか自慢げなのは、たぶんさっきの意趣返し。
その態度が、グリムの良く知るアレインのそれだったから、グリムはつい耐え切れずくすりと笑ってしまった。
部屋を出た先の廊下もまた、相も変わらずの黒が続く。
その黒の道を少し歩いた先。
その窓の外に――光があった。
目を、奪われた。
他のすべてが、映らないほどに。
暗い地中の中に存在する、ただ一つ輝く存在。
それは、『大樹』。
小さな光球を無数に連ねる巨大な大樹が、洞窟世界を押し広げている。
淡くぼんやりとした輝きに照らされる大樹はどこか幻想的で、同時に儚げ。
けれど、その美しさの中には、得も言われぬ底知れない恐ろしさも混じってあった。
「あれは……一体……」
「『防衛樹』と呼ばれるもの。我々を護って下さる、尊き世界樹にてございます」
「護る? 一体、何から――」
「無論、侵略者から」
かちりと、頭の中にあったパズルがハマったような気がした。
けれどそれを認めたくなくて、グリムは、最後の確認をする。
「あれの名前は……あの世界樹を呼称する名称は、何かあるのか?」
「正式名称は【大規模防衛樹ユグドラシル】となっております」
「……そう、か」
それしか、返せなかった。
鎮痛の面持ちでグリムは俯く。
【第三等級ダンジョン ユグドラ】
【大規模防衛樹ユグドラシル】
これを偶然の一致と考えるほど、グリムの頭はお花畑ではない。
むしろ、名前の一致こそが、確信に至る最後のピースとなった。
あれは、あの世界樹は――『ダンジョン』だ。
自分たちがあれほど恨み、滅ぼすことを願っていた。
まるで違る二つの世界なのに、これだけは、グリムの知る地上の世界と似ていた。
限られた空間に閉じ込められ、狭い世界となっているという、その部分だけは。
「あの尊き世界樹を管理なされる支配者こそが貴方様。すなわち【魔王】でございます」
病室に戻った後、緑踏はそうグリムに告げた。
「管理……ね」
「はい。管理です。ユグドラシルを調整して侵略者を効率良く排除し、地上にその種子を伸ばす、そのための」
「は、はは……」
つい、笑みが零れてしまう。
だってそうだろう。
表の世界では勇者と呼ばれ、あれだけ必死にダンジョンを攻略して。
そんな自分が今度は魔王になってダンジョンを運営し、侵略者を撃退する?
皮肉にも程がある。
だったら、自分がこれまでやってきたことは、何だったんだ?
人生をかけてダンジョンに潜り続けたその意味は、どこにある?
下らない。
あまりにも下らな過ぎて、何のやる気も起きなかった。
グリムの自認は人間であり、化物ではない。
銀幕に閉じられた地上こそが真実であるのだから、それと敵対するこの世界に愛着などあるはずもなかった。
「なぁ、その管理とやらはさ、知識が必要なことだよな? だったら、記憶喪失の俺は用済みになるんじゃないか?」
緑踏は顔を顰めながら、ふるふると首を横に振った。
「確かに、効率的な世界樹運用に知識は重要な要素となるでしょう。ですが、それとこれとは別。貴方の代わりはおりませぬ。貴方様以外に世界樹は動かせず、貴方様の命なくば世界樹は存続さえ叶いません」
「……俺がいないと、世界樹が存続出来ない?」
「はい。魔王様と世界樹は一心同体。それゆえに、王なのです」
それならば、今この場で自分が死ぬことこそが最大の善行となるのではないだろうか。
そう、グリムは思ってしまった。
ダンジョンがなくなり、開放された時、あちらにいる仲間たちはきっと幸せになって――。
銀に染まる髪が目に留まった。
不思議そうに首を傾げながら、それでも控え目に彼女は微笑みをこちらに向けて。
ふぅ……と、小さく溜息を零れ、覚悟と共に息が外に吐き出された。
――決断するには、早計過ぎる。
グリムは口の中で呟く。
まるで、自分にそう言い聞かせるように。
ガラガラという音を耳にして、グリムは音の方角、入口の方に目を向ける。
緑踏が部屋の外からえっちらおっちらとカートを運んでいた。
銀色ではなく、鉛色の金属をしたそのカートの上には、血のように深い深紅の水晶玉が丁寧に配置されていた。
緑踏は慎重に、ベッドの横にカートを添える。
「測定器にてございます」
「測定器?」
「はい。世界樹を操るその能力を、即ち魔王としての力を測ることが出来ます。……会話をしていて、思ったのです。魔王様は肉体の五割以上を損失なさいました。なので、出力の低下が懸念されますし、最悪の場合その力を失っている可能性さえも……」
「ふむ……。そういうものなのか?」
「復元したとはいえ、失った部位が多かったので。ですので、お手数かもしれませんがご確認の程を。そして最悪の場合、このことを民に隠す必要が……」
「何故隠す必要がある? 俺が駄目になったと、さっさと伝えるべきだろう? 今後の対処のためにも」
緑踏は優しい笑みを浮かべ、何度も頷いた。
その言葉は正しいと、正しき王となって下さって感激ですと言わんばかりに。
けれど、グリムの言葉を明確に否定した。
「そうですな。世界としては、その方が正しいでしょう。……ですが、我々はそれを拒否しましょう。私とアレインは、貴方あっての世界と思っておりますので」
静かに押し黙り、グリムは二人を見る。
例え正しくても、貴方を犠牲にしない。
そう言ってくれる二人がここに居るということがどれほどの幸運か、わからないグリムではなかった。
「……すまんな」
「いえいえ。とまあ、今後の対処も変わりますので、どうか測定器にお手を」
「こ、こうか?」
おずおずとグリムは水晶玉の上に手を当ててみる。
瞬間、きゅいっと、身体の何かが吸い取られるような錯覚を覚えた。
そうして数秒。
水晶玉はふわりと柔らかく発光し、グリムの手の甲の上に小さな魔法陣を展開した。
浮かび上がる魔法陣は幾何学模様で描かれ、緩やかに回転を続けている。
手の平より小さい程度の、だけどみっちりと情報が詰まった頭が痛くなりそうな魔法陣。
それが何を意味するか、グリムにはさっぱりわからなかった。
「これで、良いのか?」
尋ねるも、緑踏は眉を顰め険しい顔をしていた。
「……以前と、違う? それに、これは……」
そう、緑踏が呟いた瞬間……。
グィンと不思議な音が響き、魔法陣の上に一回り大きな魔法陣が展開される。
更に連鎖するようその上に巨大な魔法陣が。
二重、三重、四重……。
連鎖と共に魔法陣は徐々に大きなり、最終的には、五つ目の魔法陣が展開され、天井を覆い尽くした。
煌々と輝く巨大な魔法陣は、まるで絵画のように美しく、暗い黒の部屋が、星でも宿ったかのように照らされた。
アレインと緑踏はぽかんとした、完全な間抜け面で天井を見上げていた。
「あー……。その様子だと、どうやら想定外らしいな。それはさ、どっちの意味で想定外か聞いても?」
「い、一応はポジティブな方です。以前の魔王様は、三重の魔法陣でしたし、これほど強大でも……」
アレインの呟きに緑踏は同意を示し頷く。
「何故こんな強大な力が……。そのような事例は過去には……生命の危機に反応して? けど……。いえ、まあ良い結果です。素直に喜びましょう」
緑踏は険しい顔のまま、そう呟いた。
「あまり素直に喜べない顔してるのに?」
緑踏は「慧眼です」と呟き、乾いた笑みを見せる。
その態度なら誰でもわかるという言葉は、そっと呑み込んだ。
「……希望は、容易く絶望に変わりますので。それに、強すぎる希望は、それに反する力も強くなります」
「良くわからないが、空回りして酷い目に遭うかもって話か?」
「政治的敵対勢力とか、期待し過ぎた民衆の暴動とか、そういう話ですじゃ」
「なんとなくだけどわかった」
先に、国よりも大切と言ってくれたからだろう。
その言葉を、素直に受け入れられた。
グリムは頷き、水晶玉から手を外すと再び世界の明度は落ちた。
「……知識は後から足せます。けれど、才能はそうもいきません。その力を巧くお使い下さいませ。この世界のため、引いては、貴方自身のために」
神妙な面持ちで、緑踏は言う。
その言葉に、ズキリと胸が痛んだ。
彼の世界と、グリムの世界は違う。
けれどそれを口にすることは許されず、ただ罪悪感という形でグリムを蝕んで……。
突如大きな鐘の音が響き、グリムの陰鬱な思考は掻き乱された。
ゴーン、ゴーン、ゴーンと、複数回。
低く鈍いその音色は、壁などないかのように反響しどこから聞こえているかさえわからなかった。
「どうやら、時間切れのようです。本当ならもっと色々説明しておきたかったのですが……」
緑踏はそう言った後、グリムをまっすぐ見つめる。
「何かあるのか?」
「はい。三名程、見舞いの客人が。今日のことだというのに、魔王様の目覚めをどこで聞きつけたのやら……」
そう、憎々し気に緑踏は呟いていた。
「あまり歓迎してない様子だが何か理由が?」
「基本的に、見舞いは断らせていただいております。記憶喪失というのもそうですが、病み上がりの魔王様に無理をさせたくありませんので」
緑踏がどのような立場なのかわからないが、自分が魔王である以上相当に高いポジションであると推測出来る。
その緑踏が見舞いを断り切れず、不本意であると不満を表にしている。
「つまり……面倒な相手ってことか?」
緑踏は無言で、ぺちぺちとカエルのような手を鳴らし拍手をしてみせた。
ありがとうございました。




