28-たとえ今日世界が終わっても
静かに眠るグリムを、アレインは起こさないよう静かに見守った。
眠っている時だけは、昔と変わらない。
安らかで、穏やかな寝顔。
愛おしさからその髪に触れようとして、ぴたりとその手を止める。
彼にとって苦しみのない時間は、眠っている時だけ。
こんなことで起こすのは忍びない。
伸ばした手を引っ込め、横顔を見つめる。
――護ろう。
自分に出来るすべてを費やして。
彼に救われたから……いや、そうじゃない。
ただ、彼を愛しているから。
彼を大切に思う気持ちだけは、彼女にとって決して譲れない唯一であった。
放浪の旅が始まった。
アレインにとっては初めての、グリムにとっては母に次いで二度目の。
痛くも苦しくもない。
ただ、責任から逃げるだけの旅路。
だから、心が痛かった。
アレインを護るために生きてきた彼にとって、アレインに助けられるだけの旅は、あまりにも惨めなものだった。
ある日、彼らは砂漠を歩いた。
狭い世界の狭い範囲。
大したことのない物だけど、彼女は笑った。
水がなくなる前に出られて良かったね、と――。
またある日、彼らは町の中にいた。
それが三大都市のどこかもグリムはわからないし、彼女が何をしていたのかも知らない。
対しグリムはホテルに籠り、何もしなかった。
それでも、彼女は満足げだった。
旅立ちの日、良い本に巡り合ったとかなんとかで。
また、ある日には野宿の中、鳥を落とすグリムにぱちぱちと拍手をしてみせた。
装備を持ち出さなかったから、ありあわせで作った粗雑な弓。
それで外すことなく獲物を狩るグリムにアレインは感心していた。
嬉しいという気持ちはまだ思い出せない。
けれど、ちょっとだけ気恥ずかしく思えた。
気づけば、あてのない放浪の旅は二か月を超えた。
思ったよりも、長生きしていることに少しだけグリムは驚きを覚える。
どうやらセントラルの外には死点が少ないらしい。
それでも――終わりの時は近かった。
「アレイン」
静かに名前を呼ばれ、アレインはグリムに目を向ける。
「そろそろ、終わりだ」
グリムはとんとんと、自分の頭を指で叩く。
じくじくと痛む頭痛が、徐々に強まっていた。
それは痛みという形と変わった死の恐怖。
逃れられない死神の鎌。
死の経験そのもの。
初めての旅だと思ったが、どうやらそうじゃなかったらしい。
この旅は未知なのだと――ほんの僅かでも信じたかった。
何をしても、何があっても、繰り返しの輪廻の輪の中。
たとえどう生きようとも、運命は変わらない。
まるで、誰かがそう言っているようで――。
「なら、急がないといけませんね」
アレインはそう言って、寂しげに微笑んだ。
当てのない、放浪の旅。
それでも、最後だけは、二人で行く場所を決めていた。
終わりの時があるならば、そこに向かおうと。
その日から数日の末、二人は山の中に入り、目的の場所にたどり着く。
そこは、グリムにとって始まりと終わりを示す。
つまり――母を失った廃墟。
「……ありがとう」
静かに、グリムは呟いた。
「ふぇっ!? な、なにについてですか? 別に私はお礼を言われることなんて……」
「ここに、連れて来てくれて。忘れる前に、見ておきたかったんだ」
「お礼を言われることなんて……。私も、グリム様の話を聞いてここにいつか来たいと思ってましたので」
「……どうして?」
「グリム様のお母さまに挨拶しておきたかったからです」
アレインは、傍らに崩れた木製の十字架を見つけた。
「ここに?」
「ああ。丁寧に作ったつもりだったけど……今みると雑だな」
「そんなことありませんよ。……挨拶が遅れて申し訳ありませんでした」
そう言って、彼女は木に向かい手を合わせる。
グリムもそれに倣って両手を合わせ、母に想いを馳せる。
くり返し生きた所為で、もうその顔さえ思い出せなかった。
どちらともなく目を開けた後、グリムは告げた。
「おそらくだが、今日がリミットだ。俺は明日死ぬ。だからもう、良い。ここまでありがとう。後は自由に――」
「自由に生きてますよ。これまでも、そしてこれからも!」
そう言って、アレインはグリムの手を引き廃墟の中に向かう。
まるで子供のようにはしゃぎながら……。
最後の夜――。
ボロボロの廃墟の中、泥のように眠るグリムに目を向ける。
おおよそ三か月の旅。
それは中々に過酷で、流石に疲れが溜まったのだろう。
想像以上に深い眠りについていた。
「……最後まで、笑わせてあげられなかったな」
旅を始めた時よりは多少マシに見えるが、その程度。
この旅でその心を癒すことが出来なかったというのが、アレインは心残りだった。
とは言え、結果が不満であっても旅はもう終わり。
最初から、旅の最後はここで迎えると二人で決めていたのだから。
「……もっと、ずっと続けたかったな」
この旅についてグリムはずっと謝罪していたが、アレインにとってはそうじゃなかった。
ずっと二人でいられた。
その一点で、今までの人生で一番の……いや、二人ぼっち貧乏生活に次いで二番目に幸せな日々だった。
昔はいつもこうだった。
貧乏で、苦しくて、寒くて二人で一枚の毛布を羽織って寝て。
それが当たり前と思ったから、別々の部屋になって、どんどん寂しく感じて。
だから、アレインは昔から願っていたのだ。
「こんな日がずっと続けば良かったのに……」
けど、そうじゃなかった。
永遠なんてものは、どこにも存在しない。
微笑を浮かべ、アレインはグリムの寝顔を見る。
正直に言えば、アレインはグリムの言ったことの一割も理解出来なかった。
もっとはっきり言えば……アレインは、グリムの言葉を妄言と捉えている。
地中に世界なんてない。
侵略者ではなく単なる魔物が、ダンジョンで生まれるだけ。
世界は繰り返さず、一度しかないからこそ尊い。
頭痛だって単なる怪我の後遺症。
すべてはグリムの勘違い。
半年という長い眠りによる、悪夢。
そう思っている。
思っているが……。
「私の考えなんて、関係ないんですけどね」
そう、関係ない。
信じるとか信じないとか、そんなことはどうでも良い。
グリムがそう言ったのなら、アレインにとってそれは真実だった。
明日、グリムに死が迫る。
それだけを理解し、今日までその為に備えて来た。
アレインはそっとグリムの頭を撫でる。
寝ている時さえ警戒を解かない彼なのに、目覚める気配はまったくない。
「ん、効いてくれて良かった」
静かに呟き、アレインは名残惜しそうに彼を見つめる。
いつまでもそうしたいがそれは許されず……アレインは荷物を持ち、テーブルに手紙を遺し廃墟を出た。
ありがとうございました。




