27-逃避行
彼女にとって、その日はいつもと同じ朝だった。
穏やかな朝日を浴び、目覚め、彼の部屋に行き挨拶をする。
いつまでも目覚めない彼に――。
それが、『アレイン・クローバーハート』の日常。
だから――起き上がるグリムを見て、アレインの心は歓喜に染まった。
彼が眠りについてから半年。
その間、毎日この日が来ることを祈り続けた。
自分を責めなかった日は一日たりともなかった。
もしも彼が目覚め、恨み言をいうのならそのすべてを受け止める。
恨まれたって、呪われたって、殺されたって良い。
それでも、ただ一目会って、その声が聞きたかった。
そう願い続けて、ようやく今日が来た。
感極まり、飛びつこうとして、そこで気づく。
グリムの瞳には、同じ物が宿っていた。
この半年の間、自分が宿した物と、同じ物――絶望が。
けれど……彼が宿す闇は、半年自分を責め続けた後悔よりも、はるかに底が深かった。
いったい何を抱えているのかなんてのはわからない。
だけど、彼が今苦しんでいることだけはわかった。
「グリム様。貴方は今、何をしたいですか?」
その言葉に、グリムは驚いたような表情を浮かべる。
その後少し考え、グリムは弱々しい声で答えた。
「もう、何もしたくない……」
アレインは微笑み、頷く。
「わかりました。じゃ、逃げちゃいましょう」
アレインはグリムの手を取り、そのままセーフハウスを脱走した。
「……これは、初めてだな」
ぽつりと呟くその言葉の意味は、アレインにはわからない。
それでも、グリムが抵抗しない限り、どこまでも一緒に逃げようと決めた。
そうして、何から逃げているのかもわからないまま、二人だけの逃避行が始まった。
手元のお金で買えるだけの旅道具を揃え、一時間もしないうちにセントラルの外に出た。
アレインにここまでの行動力があるなんて、グリムは知らなかった。
そのまま手を引かれ続け、道なき道を進む。
山の中に入る頃には、日が落ち始めていた。
アレインは野宿の準備をはじめた。
呆然としたままのグリムに、アレインは微笑みかけた。
「少し待ってくださいね」
そう言って、アレインはテントの設置を始める。
もたつくアレインを見ながら、グリムは自分の手のひらを見つめる。
今日、ずっと繋ぎひっぱられたからだろう。
まだ、温かさが残っていた。
グリムは立ち上がり、アレインの背後からその手を握った。
「ぐ、グリム様?」
「……俺がやる。代わってくれ」
そう言って、グリムはアレインから設置用のハンマーを受け取った。
アレインは、ぱーっと明るい笑みに変わる。
「は、はい! お任せします! 私はご飯の準備をしていますね!」
アレインは嬉しそうな顔でそこを離れ、焚火のため魔法で炎を用意する。
ざざっとした、魔法特有のノイズが流れて、グリムは少しだけ嫌なことを思い出した。
あの日、子供が燃やされたことを。
耐え切れず、アレインから目を逸らしテントの設置に集中した。
「こういうのもなんか楽しいですね」
ニコニコと笑いながら、焚火を囲んで食事を取る。
その間、グリムは無表情だった。
焼いた肉でも、スープでも。
美味しくなかったかな。
アレインは不安な気持ちでお肉を口に含み――思いっきり吐き出した。
「ちょっ!? これ、砂糖だ! ごめんなさいグリム様。こんな失敗するなんて……」
そう言ってグリムを見るも、グリムは気にせず食べ続けていた。
砂糖塗れになって、だだ甘いだけの肉を、淡々と。
「……ぐ……グリム……様?」
無表情のまま、グリムは何も言わない。
食べるのを止めろと言ったら止めるだろう。
けれど、言わない限りは食べ続ける。
そう命じられたかのように。
「……グリム様」
真剣な様子だったから、グリムは手を止め、アレインをじっと見つめる。
「言いたくないなら、言わなくても良いです。でも、もし何かから逃げているのでしたら、教えて下さい」
「……ここまでしたのに、聞かなくて良いのか?」
「聞きたくなったら、話してください」
アレインはにこりと微笑み、グリムが口を開くのを待った。
以前は、話すべきではないだろうと思った。
死を繰り返せるのは自分だけ。
それを一度の死で終わる人に話すというのは、傲慢だろうという感覚があったからだ。
いや、それだけでない。
人と違うことを知られ、自分が拒絶されることも恐れた。
こんな与太話を信じられるとも思えなかった。
けれど今は、そんなことさえどうでも良くなっていた。
隠すことさえ、億劫だった。
「少し、長くなるぞ?」
「構いません。時間はたっぷりありますので」
「たっぷり……か。まあ良い」
グリムは、嘲るような笑みを浮かべると、おとぎ話のような話を始めた。
二つの世界と永劫の生。
繰り返される死と、その中で積み重ねてきた日々。
ただ一つ――アレインに殺されたことだけは、グリムは話せなかった。
ありがとうございました。




