23-血の繋がり
木製の床はギシリと大きく軋む。
ほんの一歩、それも慎重に足を踏み入れたというのに。
扉の後光が、舞い踊る埃を映し出す。
この部屋は相当放置されていたらしい。
次に刺激を受けたのは、鼻。
つんとした、鋭い刺激臭にグリムは思わず顔をハンカチで覆う。
一瞬毒を警戒したが、隣の緑踏が平然としているから、たぶんただ何かが腐っただけ。
そうして入った部屋は、そんな汚ささえ気にならないほど、常軌を逸していた。
紫色に煌めく煙に焚かれる空のビーカー。
あちこちに見える細いホースと、そこから溢れる色とりどりの液体。
そして極めつけは、牛肉の如く吊るされる人間の上半身。
いや……それは人間かどうかさえ怪しい。
半ば干物化していても、瞳や歯、髪の毛といったものが人からどこか逸脱している。
緑踏のような外見が人から外れた彼らともまた異なっている。
歪で、異質で、そして冒涜的。
グリムには、そのミイラが何なのか例えることさえ出来なかった。
「……ろくでもねぇ」
そう、本当にろくでもない話である。
こんな部屋で、自分の息子が生まれたなんて。
「あの子を調べてる途中、身体中に痣が見られました。ご丁寧に、服を着ていれば見えない位置に……」
その負傷は、虐待の範疇を超えていた。
赤や青で飾られた色とりどりの打撲痕。
何度も、治療せずに癒着が繰り返された痕跡があり、骨は歪んでしまっている。
どのくらい痛めつけたらこうなるのか、医者さえわからなかったそうだ。
これはただごとではないとして調査を行った結果、こうして色々と事態が発覚した。
「んで、その"母親"とやらはどうなったんだ?」
グリムが尋ねると、緑踏は怒りを堪えるよう目を細めた。
「魔女は現在、尋問中です」
「まだゲロってないことあるのか?」
「…………ある……かも、しれませんね。だから、丁寧に調べております」
「――なるほど。尋問ね」
呟き、グリムは苦笑した。
やっぱり、世界なんてのはどこもそう大きな違いはないようだ。
事件の概要は、そう複雑なものではない。
落ちぶれた魔法使いが一攫千金を狙って、最大級の馬鹿をやった。
極論を言えば、それだけの話となる。
魔王の嫡子を名乗るなんてのは誰もが知る典型的な詐欺の手法であることを踏まえたら、落ちぶれた理由は腕だけじゃなかったらしい。
そして、その魔法使いが人体実験やら生贄の儀式やらを平然と行う邪法使いだったという事実が、面倒事に拍車をかけた。
「私は、どこぞで貴方様の種を手にしたのか、それが最初疑問でした。でも、違った。手にしたのは、ほんの髪の毛一本と、血の一滴だけ」
手元の資料を見ながら、緑踏は呟いた。
「……俺の子、なんだよな?」
「血を継いだという意味を広義に捉えてよろしければ」
「なら、狭い意味で捉えたらどうなるんだ?」
「……この製造過程を得て生まれた命を、人間と呼ぶのは難しいですな。……いえ、命を呼ぶことさえ……」
グリムは、何も言わない。
その言葉に怒りは覚えている。
けれど、自分同様義憤にかられる彼に不満を言って何になるというのか。
「人造人間であり、人造人間でない。ホムンクルスであり、ホムンクルスでない」
「じゃあ、何になるんだ?」
「残念ながら、彼を示す言葉は存在しません。こんな……狂気と禁忌の産物なんて、想定さえ……」
「……そうか。なあ、緑踏」
「なんでしょうか?」
「あの子は、どうなるんだ?」
「……正直に申しても?」
「頼む」
「良くてスペア扱いですね。貴方様、並びに貴方様がこれから生むべき嫡子の」
「……嫌な思いをせず、暮らせるようには出来るか?」
「それが命令でしたら」
「なら、魔王として命じる。あの子に……名さえ与えられなかったあの子に最大限の配慮を」
緑踏は仰々しく頭を垂れた。
「拝命、謹んで――」
「……俺は戻る。ここは、気分が悪い」
それだけ言い残し、グリムは部屋を去っていった。
その背を見送った後、緑踏は小さく溜息を吐いた。
「真の忠臣であるならば、言うべきだったのかもしれませぬな。けれど……これ以上今の貴方に負担をかけるのは……」
緑踏は複数の資料から一枚抜き、くしゃくしゃに握りしめ、ゴミ箱に投げ捨てる。
丸め捨てたというのに、突きつけるように『耐久年数』という文字が見えて、緑踏は静かに溜息を吐いた。
翌日――。
再び玉座の間にて、グリムはアレイン、緑踏と共に彼と向き合った。
少年は、恭しく頭を垂れる。
今世では最初の顔合わせだが、グリムは彼の顔を一度見ている。
少年は、子供らしかったあの時と比べ大分落ち着いていた。
大人びていると言っても良い。
つまるところ、前回の幼稚さは故意であったということなのだろう。
「楽にして良い」
グリムが答えると、彼は顔を上げる。
利発そうな……と思うのは、自分の血が入っているからではないはず。
親馬鹿になるには早すぎる。
むしろ自分の血が入った割に馬鹿そうでなくて安心できた。
グリムは玉座から降り、彼の傍に寄る。
緊張する様子が見えたから、グリムは落ち着かせるため微笑を浮かべる。
「何か、辛いこととか困ったこととかないか?」
少年は、びくっと身体を震わせた後、静かに首を横に振った。
「いいえ。皆良くしてくれてますので、何も辛いことはありません。ありがとうございます。魔王様」
「……そうか。困ったことがあったら遠慮せず、申し出てくれ」
「ありがとうございます。あの……無礼でなければ、一つだけ、尋ねてもよろしいでしょうか?」
「ああ。なんでも聞いてくれ」
「魔王様は、私がどうすれば助かるでしょうか?」
「助かる……ってのはどういうことだ? 助けて欲しいなら、言ってくれたら出来るだけのことはするが……」
「――私が邪魔で、死んだ方が良いのならこの場でも命を絶ちましょう。私に使い道があるのなら、何でもやります。私の身体が魔王様の予備となるのでしたら、喜んでこの身を捧げさせて頂きたく思います」
髪が逆立ちそうな気持ちを、グリムは隠す。
わかっている。
彼はそういう風に生み出され、そのような日々を送っていた。
そういう生き方が、彼にとっての日常であった。
それでも、グリムは悔しくてしょうがなかった。
自分を愛することさえ知らないこの少年の生き方に。
グリムはゆっくりと、顔だけでも笑みを作る。
怯えさせないよう、彼そのものを否定しないよう。
「子供の内に無理しなくても良い。遊び、休み、学び、育ってくれ。未来の君がやりたいことをする。それが一番、世界のためになる」
「……ありがとうございます。魔王様」
答え、再び彼は深く頭を下げる。
小さく頷き、グリムは玉座に戻って座り直した。
「それで緑踏。今日の予定は?」
「はっ、はい! 午後に世界樹のテストが入ってます。昨日の様子を見るに不要とは思いますが、もしもがありますので」
昨日というのはネガの時ユグドラシルと自分が一つだと言った時のことだろう。
「いや、あれはったりだから」
「そうは思えませんでしたが、どちらにせよやることは変わりませぬ。その時は、彼にも同行をお願いしようと思います」
そう言って緑踏は少年の方に目を向けた。
「……何故だ?」
「彼たっての希望です。学びたいのと、魔王様のお役に立ちたいと」
「……そうか」
答えるグリムは、苦渋に満ちた表情だった。
子供は仕事なんてせず遊ばせるべきだ。
そう思う気持ちはあるが、『どの口が』ということになるから、言うことが出来ない。
それに、実際少年が自分の後継者となる可能性はそう低くない。
むしろ偽りの記憶を持つ自分よりよほど魔王として相応しい気もする。
ならば、今の内にその業務に触れさせるのは悪いことばかりじゃないだろう。
「私が一緒だと、迷惑でしょうか?」
少年の言葉を聞いて、グリムは首を横に振る。
「――まさか。君自身が望むのなら、俺は何も止めるつもりはないよ」
その言葉を聞いて、少年は安堵の笑みを浮かべた。
彼はたった一人、外道であっても親を失いここに立っている。
不安にならないわけがないだろう。
そんな彼に何も出来ないことが、無性に腹立たしかった。
だからだろうか。
ズキリと、頭が痛んだような気がした。
ありがとうございました。




