22-死点ーデッドポイントー
最悪だ。
目の前に居るのは、今この場にて一番現れてほしくない相手だった。
エイメス・アンサラー。
行政に携わる、秩序の執行者。
世界維持のためなら自分の命さえも平然と捨て去る。
説得に応じるような相手では、決してない。
「……今ならまだ間に合います。それを、貴方の手で処分して下さい」
いつもの淡々とした表情で、エイメスはそうお願いしてきた。
そう……あくまで自主性によるお願い、そして懇願。
エイメスもまた、祈るように必死な気持ちだった。
そのくらい、グリムはギリギリのラインに立っていた。
グリムは小さな声で、モカに尋ねる。
「モカ、子供たちは……」
「最初から、逃げるよう言い伏せてある。悪いが、最初から君を信用していなかった」
元からモカは自分を犠牲にして子供たちを逃がすつもりだった。
最悪グリムと刺し違えるくらいの気持ちで。
その生きるためのいつもの裏切りが、今回はセーフティとして働いた。
エイメスとグリムは互いを見つめ合う。
妙な、緊張感が二人の間に走っていた。
グリムは、エイメスが融通の効かない男であると知っている。
けれど同時に、エイメスもまたグリムに同じことを思っている。
だからだろう。
エイメスは後ろを向き、顔に手を当て、嘆いた。
「残念だ。……本当に、残念だ」
それは慟哭。
友を失った諦めの境地。
ギリギリのラインを、グリムは越えた。
飽和する水が溢れた。
勇者という、社会維持に大きな力を持つ歯車を、廃棄した。
確かに、エイメスにとってグリムは無二であり、友。
けれど、エイメスにとってこの話は、それほどまでに重かった。
乱暴に寝室の扉が蹴破られ、グリムはエイメスから扉に視線を移す。
そこに居たのは、アレインだった。
その目は険しく憎悪に染まり、その身体は深紅に汚れ――。
誰の血かは、すぐに気づいた。
モカもわかったのだろう。
顔を青ざめ、呆然としたまま膝から崩れ落ちた。
「……どうして。あいつらは……ただの子供だろう?」
グリムの言葉にアレインは何も返さず、ただ憎悪の瞳をモカに向ける。
ふと、一瞬目が合う。
アレインの顔が憎悪から、悲しみに変わった。
その直後、とすんと、グリムは自分の身体が微弱に揺れたのを感じる。
腹部にじわりとした熱を感じ、緩やかに広がっていく。
それが痛みに変わるまで、そう時間はかからなかった。
「……えっ?」
グリムは自分の腹を見る。
見覚えのある剣が、突き刺さっていた。
それは、つい最近同じ物を見た。
あの時と比べ、随分刃が綺麗に磨かれて……その刃を、グリムの血が汚していた。
ぽたり、ぽたりと雫が床に零れ落ちる。
それはグリムの血だけでなく、アレインの涙も混じっていた。
「せめて、せめて出来るだけ苦しまないよう……」
アレインは剣を引き抜き――続けざまに一閃を放った。
介錯となる斬撃を受け、倒れ込むグリムをアレインはそっと抱きとめる。
その手は、どこまでも優しかった。
「……すぐに、後を追います」
それが、グリムの聞いた最後の言葉だった。
そんなことしなくても良い。
自分のことなんて気にせず、アレインは生きてくれ。
けれどその願いを伝える手段がなくて、グリムは、自分が何か選択を間違えたのだと理解した。
そうして、表の世界から裏の世界に、グリムは堕ちた。
瞳を開き、暗い昏い地の底――『黒の世界』を、グリムは認識する。
終わって、堕ちた。
最悪の結果だけ遺して。
何が悪かったのか。
どうすれば良かったのか。
グリムの中にはずっと、それだけが渦巻いていた。
この地下世界も悪くないと感じつつあるのは確かだ。
けれど、それでも……ここは、自分の居場所じゃない。
たとえ孤独感に苛まれようと、自分と皆の考えが違おうと、それでも――。
グリムの故郷は、銀幕の下にある小さな白の世界だった。
やり直したい。
あの子供たちやモカを、迫害される彼女たちもそうだが、それ以上にアレインだ。
アレインに、あんな顔をさせてはいけなかった。
あんな想いをさせるつもりはなかった。
追い詰め、殺させ、後追いをさせた。
それだけは、あの前回だけは、グリムは認められない。
だから、出来るなら、すぐにやり直したい。
白の世界に戻り、次こそアレインが悲しまない未来を――。
そして、そのためにどうすれば良いかもわかっている。
表で死ねば裏へ落ち、裏で死ねば表に変わり。
その繰り返し。
ならばここで死ねば良い。
それだけなのだが――駄目だった。
死ぬことを考えるだけで、怖くて身体が震える。
自分の情けなさにグリムは苦笑を零す。
他の人と違って死が終わりじゃない。
それなのに、怖くて、堪らなくて。
アレインはあの後、きっと後追いを実行したというのに……。
グリムは、耐え切れないほど自分が情けなかった。
そうしてグリムは前に地中世界で目覚めた時と同じような流れを繰り返した。
アレインを泣かせ、緑踏と話し、玉座の間にて三名の見舞い客との対面を迎える。
グリムは出来るだけ前回の流れを変えないよう、同じような行動を取った。
今回だけは、同じ行動を取って、同じ結果にしなければならなかった。
白の世界には、零れ落ちそうなほどの大きな未練を残している。
けれど、それだけじゃない。
こちらの世界にも一つ、やり残したことがあった。
そうして面会一人目、『ミミューリア・トロット』と同じような会話をした後、二人目が現れる。
『ネガ・グロウ』
半木半人の彼は微笑みながらグリムに近づこうとして――。
「止まれ」
グリムの一声に、ネガの足は止まる。
殺気ほど剣呑でなく、敵意と呼ぶ程悪意もない。
言葉にするなら、戦意、もしくは闘気。
グリムの放つ放つそれを受け、ネガは怯みその場に立ち尽くした。
アレインや緑踏さえもグリムの変化に驚きを覚える。
二人だって、知るわけがない。
それは地上世界、勇者として生きて来たグリムの力なのだから。
「ネガ・グロウ。貴様に問う」
魔王らし過ぎる、グリムらしからぬ言葉。
演技と虚勢の混じった偽りの威厳。
それでも十分にらしかったのか、ネガはうやうやしく頭を垂れた。
「ユグドラシルに何用で踏み入った?」
緑踏とアレインは慌てた様子でグリムを見る。
けれど、言葉を挟めない。
間に入り込めない迫力が、今のグリムにあった。
「えと、何のことでしょうか? 正直、言っている意味が……」
「誤魔化す必要はない。どうせ悪いと思っていないのだろう?」
半分以上ははったりだ。
前回がそうだったからと言っても今回もそうだとは限らないだろう。
けれど、確率は低くないとグリムは踏んでいた。
しかも、これは放置したら確実に死ぬ死点である。
はったりをかます価値は十分にあるだろう。
「すいませんが、グリム様が何をおっしゃっているのか良くわかりません。そもそも、証拠はあるのですか? 私がそうしたという証拠は――」
「俺の身体に入って、何が証拠だ。笑わせるな」
そう、グリムは言い放った。
彼ら自然教の考えはわかっている。
外部の存在が不当にユグドラシルを操作することを嫌っていると。
後の教義は推測だが、それでも世界樹が重要なことはわかっている。
なら――崩すのは容易い。
つまり……。
「そんな……まさか。いえ、でもっ!?」
ネガは慌て、その場にひれ伏す。
そして、グリムからの答えを期待するような眼差しを向けた。
「――ああ、ユグドラシルは俺自身だ」
グリムは平然と、嘘を付いた。
繋がるという意味で言えば一部真実はあるだろう。
だが、盛りに盛っている。
けれど、嘘でも何でも構わなかった。
それを、ネガが信じれば。
「あ、ああ……あああ。そんな、そんな馬鹿な!? あれは、魔王一体論は為政者の戯言で、そんなはずないと……」
「ならば、貴様の行動を知る理由は何だ? 誰にも見られていないのだろう? 誰も知らないのだろう? 貴様が、ユグドラシルの木を通過出来るなんてことは」
「……本当に、貴方様は世界樹なのですね!? あの、我らを護る始祖の大樹なのですね」
グリムは何も答えない。
答える必要さえ当然のこととばかりに。
「わ、わたくしめに、この木っ端たる身に、な、なな何か使命はございませんでしょうか!? 貴方様のためならば、偉大なる世界樹のためなら、この身は――」
「ない。世界樹に足を踏み入れ、汚した時点で貴様はもう害でしかない。ゆえに――この場にて、即刻首を刎ねよ。それを世界樹の忠義とせん」
これは、一つの確認だった。
自然教が、本物か、偽物かの。
そして――。
「はい――よろこんで」
ネガはその場に立ち、仰々しい態度で一礼。
そうして、自らの枝を触手のように操り平然とその首を落としてみせた。
にこやかに、躊躇うことなく。
首から噴き出る血液は樹液ではなく、人と同じ深紅。
首が転がっても尚、その身体は歓喜に満ちたかのように、立ち尽くしたままとなっていた。
「……狂信者かぁ。くっそ厄介だな……」
偽物……つまり宗教を隠れ蓑にした悪党が相手なら対処はそう難しくない。
利益という餌を用意すれば食いつくとわかっているからだ。
そこから餌を吸わせて飼殺しても、矛先を反らし潰しても良い。
けれど、本物の異常者に鼻薬は通じない。
狂人の理念を理解することは不可能で、意味を求めることさえナンセンスとなる。
敵としても味方としても邪魔で、潰そうとしても雑草の如く湧いてくる。
だから、グリムは頭を抱えることしか出来なかった。
「すまんな。ここを汚して」
平然と言い放つグリムを見て、緑踏は静かに涙を流した。
「立派な魔王となりまして、爺は嬉しゅうございます……。これもきっと私の教育が良かったからで……」
なんかしらんが一人で勝手に悦に入っていた。
流石に首が転がり血まみれとなった部屋に子供を入れるのはどうかと思って、三人目の見舞いは急遽キャンセルとなった。
と言っても要件はわかっているし、流れも変わらない。
この病棟のどこかで検査を受け、しかる後適切な保護者の元に戻るだろう。
今回のような騒動を企てた馬鹿ではなく、真っ当な保護者の元に。
だから、重要となるのは明日のユグドラシルについて。
一応今回のことがあって厳重な事前チェックが行われるが、前回の死の原因である。
不安がないわけではなかった。
それでも、結局は一歩ずつ進むしかない。
そう思って病室で目を閉じていると……。
こんこん、こんこん。
控え目なノックの音が、部屋を響いた。
グリムは立ち上がり、鍵を開け扉を開く。
そこにアレインが立っていた。
前回と違う流れに少し戸惑いながら、グリムはアレインに微笑みかけた。
「こんな夜……夜? まあ、寝る時間にどうしたんだ?」
外が変わらないから、時間の感覚が酷く曖昧だった。
「えっと……その……」
アレインは目線をあちこちに飛ばしながら、言いよどむ。
あちらの世界を含めたらアレインとの付き合いは本当に長く、お互い考えてるいことは大体理解出来る。
だから表情から読み解こうとしてみたものの――今の表情が何を意味しているのかわからなかった。
笑おうとしているのか、嘆こうとしているのか。
困っているのか、落ち込んでいるのか。
怒ってはいないものの、不快な感じでもあって、けれど同時に嬉しいという気持ちも……。
――駄目だ。推測さえ出来ないわこれ。
「何かトラブルか?」
「はい、いいえ。トラブルと言えばトラブルなのですが……。すいません。私も緑踏様程ではないですが、大いに混乱しておりまして……」
「ふむ。俺はどうしたら良い」
「えと、とりあえず、わかった事実だけ端的に述べますので、聞いていただけますか?」
「ああ。聞くだけで良いのか?」
「はい。本日いらっしゃった魔王様の嫡子を名乗る方。その方と、魔王様の血縁関係が認められました」
「はい。――はい? え? いや、それは、あの……えっと……」
深呼吸を一つ入れてから、アレインは言い直した。
「あの子は、グリム様のご令息でした」
ありがとうございました。




