19-歪み
一日経った今でも、グリムはあの瞬間が頭に焼き付いていた。
アレインが少年を刺した、その一瞬が――。
グリムの記憶にある彼女は誰かを害すことに傷つく優しさを持っていた。
確かに、グリムと価値観を共有していた。
そんな彼女が――平然と子供を刺した。
淡々と、当たり前に。
あの瞬間にグリムの常識が、音を立てて崩れた。
いや、そうじゃない。
たぶん、ずっと昔に壊れていた。
ただ、【目を反らすことが出来なくなった】だけで。
そして……気づいてしまったのなら、もう後戻りは出来ない。
ずっと感じていた違和感と孤独感に、説明がついてしまったのだから。
歪んでいるのは、世界か、自分か。
少なくとも、どちらかがおかしいとグリムは思わずにはいられなかった。
何故、この世界の住民はあそこまで『モドキ』と呼ばれる存在を許さないのか。
あそこにいたのは、ただの子供だった。
人と違うのは、耳くらいで。
何故彼らのような存在が居るのか、何故あそこまで残酷な処刑をしなければならないのか。
不安と猜疑が、頭の中でぐるぐると回る。
何が正しくて、何がおかしいのか。
それすら、もう分からない。
その日の午後。
呼び出されたグリムは、ノックをしてエイメスの部屋に入った。
そこはグリム用セーフハウス内に臨時で用意した事務室なのだが、気づけばエイメスはヌシのように居座るようになった。
ここで仕事をして、セントラル中央政府に登庁し、戻ってから再び仕事をする。
余った休憩時間が彼の睡眠時間で、残りは仕事と仕事のサンドイッチ。
つまるところ、過重労働である。
「おいっす」
上司への軽い挨拶を見て、エイメスは眉間に皺を寄せる。
「……本当、変わりませんね」
「そうか。昔からこんななのか俺」
「……覚えてなかったのですか」
「エイメスのことは覚えてるぞ。ただ、ここに来た記憶はないだけで」
「そう……ですか。それで要件はこれですね。リストアップは済んでます。選んでください」
グリムはエイメスの用意した書類を手に取り微笑んだ。
「さすが、仕事が早い」
答え、書類に目を通す。
それは次ダンジョンに潜る時の四人目について。
老若男女バラバラの十人程がピックアップされており、誰一人見覚えがない。
だからだろう。
個人情報の最後には、これまで共に活動した回数と、以前のグリムなら覚えていたであろう一口評価まで記載されている。
ペンの滲み具合や綺麗な書式からはみ出ていることから、エイメスがわざわざ付け足したものだと理解出来た。
「たぶんさ、前こういうの決める時すげぇもめてたよな?」
グリムの言葉にエイメスは頷く。
「ええ、とてももめてましたね。今は違うので?」
「というか、もめるほど情報がない。ぶっちゃけ誰を選べば良いか……」
「この二人はどうでしょうか?」
エイメスは、紙を二枚引き抜く。
その二人の共通点は、一目で理解出来た。
「なんで女性?」
「おや、差別主義に目覚めましたか?」
「いや、そうじゃないけどさ……露骨過ぎない。何か意図があるんだろ?」
「男性ばかり採用されると、女性の応募が減るんですよ」
淡々とした口調で詰められ、グリムは諦めたかのように二枚のうち一枚を手に取ってエイメスに渡した。
「一応程度に聞いときたんだがさ」
「なんでしょう?」
「俺にさ、子供を残させようとかしてないよな?」
その言葉に、エイメスは珍しく言葉を失う。
真顔となり、固まって、呆然とした様子でグリムを見ていた。
「な、なんだよ? 俺そんな変なこと言ったか!?」
「いえ……そうではなく、その言葉が出たということは、『勇者の子』が価値あるということを思ってのことですよね?」
「そうだな」
「そんな政治的配慮が貴方にあったということに衝撃を覚えています。ついでに感動も」
「そこまでか?」
「貴方はそこまでの人でしたので。それで、その問いの答えなのですが……私は、貴方に女性をあてがうつもりはありません。むしろ遠ざけたいくらいです」
「どうしてだ?」
「面倒事は嫌いですので」
「はあ、さいで」
グリムは盛大に、わざとらしく溜息を吐いた。
そうして、ぐだぐだな空気の中部屋を退出しようとした瞬間、ふとグリムは立ち止まり、再び振り返った。
「なあエイメス。一つ聞いて良いか?」
「なんですか?」
「モドキって、何だ?」
ぴくりと、その眉が動いた。
「……どうして……いえ、昨夜遭遇したと報告がありましたね」
「ああ。俺は全く覚えてなくてな。だから色々教えて欲しいんだが……」
「その必要はありません」
まるで切り捨てるように、エイメスは冷たく言い放った。
「いや、必要ないってことはないだろ」
「実際必要ありませんので。知識も、憎しみもいりません。民衆のように熱狂する必要さえも。処分すれば良い。それだけ知っていれば十分過ぎます。当然、以前の貴方もそうでした」
「だが……」
「だがも何もありません」
「……それが、世界を維持するのに必要なことだからか?」
「そう思ってくださって結構です」
エイメスは融通が利かない男であるのは確かだが、一方的に押さえつけるような物言いを好むような男でもない。
むしろこちらが理解出来るよう懇切丁寧に嫌味ったらしく説明するのが普段の彼である。
その彼が頑なな態度を貫いていることが、真実であるとグリムに伝えていた。
「何も知らず、見かけたら処分すれば良い。そう言いたいんだな」
「ようやく、理解していただけたようですね」
グリムは軽く頭を下げ、エイメスの部屋から退出した。
エイメスは立ち去ったグリムの背を見るよう、じっと扉を見つめていた。
「……信じてます。信じてますが……一応、手を打っておきましょうか」
グリムは勇者であるが聖人というわけではなく、何なら善人でさえない。
勇者というのは物語のようなものではなく単なる役職。
社会奉仕の意識などではなく、ただ飴玉が美味しいからやっているに過ぎない。
つまり、グリムヴァルド・リヴァイスという男は勇者という能力を備えただけの、ちょっとマシなだけのチンピラに過ぎなかった。
他人よりも仲間が大切。
仲間よりも友人が大切。
友人よりも親友が大切。
そして親友以上なのが、アレイン・クローバーハートという女性。
記憶を幾つか失ったことと、地下世界とのループを経験していることがノイズとなっているが、その本質はどこにでもいるありきたりな男に過ぎない。
少なくとも、彼は自分に対しそう結論づけていた。
だからこの彼ら"もどき"と呼ばれる存在への調査ことだって、決して善行ではない。
あれだけエイメスに言われたのだから、これが間違っていることだって重々に承知している。
それでも――彼には知るべき理由があった。
あの少年の外見はまるで、地下世界の住民のようだったのだから。
「というわけで、『廃棄街』に来たは良いが……ここからどうしようかねぇ」
時刻は昼前。
アールはまるで眠っているように静まり返っている。
人はいるが、皆元気がない。
アールの主力産業は歓楽街であるため、本番は夜。
それまで彼らは力を蓄えているから、喧嘩などのトラブルもあまり――。
「おっと。油断した傍からこれか」
グリムは背後からぶつかってこようとする男を躱し、足払いをしかける。
当たり屋か、もしくはスリあたりだろう。
すっ転んだ男はどこか気まずそうに、そそくさとその場を離れていった。
相変わらず、アールは軽犯罪に対して大らかである。
だからこそ、もどきが隠れている可能性が一番高いと踏んだのだが……。
「……ま、あてもないし、適当に歩くか」
グリムはきょろきょろと周囲を見回し、より治安が悪そうな辺りに足を踏み出した。
ありがとうございました。




