17-アレインとの約束
つまるところ、こういうこと。
ちょっといかがわしい雰囲気の酒場に行くと、十回に八回は、アレインが事前に待機している。
また現れなかった残り二回も、時間差でアレインがポップする。
まさに鉄壁のディフェンス。
これこそが、グリムが"純潔"であることの根本的原因であった。
「……水の味は、どこも変わらないな」
カラン……と、グリムは氷水の入ったグラスを鳴らす。
正直言えば、これは大分強がり。
水さえ地下は美味かった。
それでも、他の飲み物よりはまだマシだった。
「まあ、水ですからね」
苦笑しながら、隣でアレインが答える。
お店に合わせた服装だからだろう。
アレインはいつもよりも露出の多い、煽情的なドレスを身に纏っている。
だから、グリムは少しだけ目線に困った。
「ですがグリム様。本当に、その……ただのお水で良いのですか? もちろん、体調に問題がなければですが、多少なら良いと思いますよ? ……ああじゃなければ……」
そう言って、侮蔑的な瞳をアレインは遠くに向ける。
そこには女性を周りにこれでもかと侍らせ酒を大量に呷るご機嫌なアラドの姿があった。
「あれは……うん……」
一日三杯ルールを無視するとかそういった細かいことは関係なく、純粋に人間性が酷くて、人としてああはなりたくない。
それに……これは記憶の欠けたグリムでも理解出来る。
勧められるままに高い酒を頼み、褒められながらご機嫌に飲むあの姿。
アラドは、完全にカモにされていた。
あれはもう手遅れだ。
狩人のつもりなのだろうが、むしろバリカンを前にした羊である。
「止めますか?」
「いや、構わん……と思う。狩るか刈られるかと言ったのはあいつ自身だ。それに、たぶん俺たちはそういう関係だったんだと思うしな」
馬鹿をやったら笑いあう。
そういう友情だったはず。
苦笑しながらもその滑稽さを肴に、ちびちびと水を飲んだ。
「……どうして水なんですか?」
「病み上がりだからだよ」
あらかじめ用意していた言い訳を口にする。
地下の美味さを知って以来、味があるものが辛いなんて言えるわけがなかった。
ちらりと、グリムはアレインの様子を覗き見る。
長い付き合いだからだろう。
上手に言い逃れ出来た気はしているが、気づかれる可能性は十二分にあった。
けれどアレインに気づくそぶりはなく、他の女性スタッフがこちらに来ないよう威嚇するように一生懸命だった。
まるで嫉妬しているみたいだが、そうじゃない。
彼女はただ、自分との約束を守っているだけ。
それを今、グリムはこの瞬間に思い出した。
「苦労をかけるな」
「そんなことありません。どうぞお頼り下さい」
そう言って、アレインは微笑をグリムに向け、小さく頭を下げる。
グリムがアラドと交わした密約はいまだ思い出せない。
けれど、アレインと約束は思い出えsた。
非合法の飲み屋に行く時は、出来るだけ先回りして合流してほしい。
そして他の女性を牽制して欲しいと。
「せめて理由を話しておけば……」
呟き、グリムは頭を掻いた。
「何がですか?」
「この状況。俺がアレインに来て欲しいと頼んだのは覚えてる。けど、なんでこんなことを頼んだのかが思い出せん。昔の俺は一体何を考えてこんなバカなことを――」
本当に無意味で馬鹿でわけがわからなくて、アレインに迷惑をかけている。
それでも……これはきっと大切な約束だったはずなのだ。
その理由さえ、忘れてはいけないような――。
アレインは少しだけ表情を曇らせた後、耳元に近づき周りに聞こえないような囁く声で囁いた。
「昔のグリム様は、女性と親しくなることを怯えていました。たぶん、ハニートラップで酷い目に遭ったのかと」
「ふむ。まるで覚えてないけど……まあ、そういうことか」
それなら納得出来る。
二人っきりになるのは怖いけど、アラドとの付き合いをなくしたない。
ハニトラは怖い。
けど、女性に興味がないわけでもない。
楽しくお話して飲む分には歓迎だし、目で見て愛でる分には得しかない。
だからこうやって、申し訳ないが男同士の付き合いをしつつ、アレインに泥をかぶってもらっているのだろう。
それもちょっとおかしい気もするが、他に理由が思いつかなかった。
「それと……グリム様は昔から、付き合いなどで一線引いた立場でいることが多かったです。輪の中に入りたがらないというか、輪の外で微笑んでいると言いますか……」
全く記憶にない自分の話をされ、グリムはなんとも言えない気分となった。
「そうか。全然覚えてないわ。けど……納得は出来るな」
「納得……ですか?」
「ああ。だって俺らしいじゃないか。記憶があろうとなかろうと俺は俺だって思ってな」
「――ええ、私もそう思います」
静かに、アレインは微笑んだ。
最初、どうしてアレインのことだけは忘れてないのだろうと疑問に思った。
自分にとって大切だから?
最も信頼できる相手だったから?
彼女がいなければ今の自分がいないから?
それが違うとは言わないが、たぶん……もっと根本的な理由がある。
『多少記憶を失ったところで問題ないから』
忘れていないのではない。
忘れても尚、他の人よりも思い出が多いだけ。
それほどにグリムとアレインは長く深い付き合いがあった。
始まりは、まだグリムが勇者などではなく一般参加者としてダンジョンに潜っていた時。
その頃のグリムは、控え目にいっても使い捨てという扱いだった。
どこの生まれともわからない、小汚い身なりの青年が、真っ当な仕事ではなく命の軽い探索者を希望する。
これで重宝などされるはずもない。
だから、グリムの仕事は通常規約のダンジョン探索ではなかった。
故意に微弱の防衛反応を起こし、意図的に魔物の数を増大させたという、そんな危険な職場に放り込まれた。
同行する探索者は逮捕された犯罪者や借金持ちの食い詰め物などまともじゃない奴らばかり。
行きと帰りで同じ人数だったことは一度としてない。
それでも、母から鍛えてもらっていたグリムにとっては温い環境だったが。
グリムがアレインと出会ったのは、そんな時期のダンジョン内。
当時アレインは、奴隷落ちしかけていた。
地下世界のような奴隷じゃない。
本当の意味ですべてを奪われる、そんな奴隷に。
親に売られたか、人さらいに騙されたか。
ダンジョン内のどさくさに紛れ拉致されて袋に詰められそうになっているアレインを発見し、グリムは助けた。
助けたと言っても、その頃のグリムは最低限の衣食をようやくという状況である。
一人の人間を食わせることなんて出来るわけがない。
それでも見捨てるなんて選択肢は一度も湧いてこず、二人で創意工夫をして、懸命に生きた。
餓えに耐え、凌ぎ、極貧生活から駆け上がって――。
「そんで、気づけば勇者だもんな」
苦笑いをしながらアレインに呟いた。
「私は、やはりと思いましたよ?」
「なんで? 俺別に聖人君子でもなければ善人でもないぞ」
アレインは呆れた表情になった。
「……あのですね、聖人君子だってあんなこと出来ませんよ。……私は忘れませんよ? 寒い中、身を寄せ合って飲んだ、温い塩スープの味」
アレインの見上げるような表情を見ていたら急に恥ずかしくなって、グリムは思わず目を反らした。
「そりゃたぶん、アレインの外見が好みだったんだよ。だから助けた。男なんてそんな単純なもんさ」
そう誤魔化し、水を飲む。
すっかり氷は解け、温くなっていた。
「だ、だったら、手を出しても……」
何かアレインが呟いた瞬間、どすんと大きな音と共に部屋が震える。
何事かと目を向けると、アラドがひっくり返るよう倒れていた。
ご機嫌な様子で、顔真っ赤で眠るように倒れるアラド。
周りには大量の酒瓶が並び、十人近くの女性が勝ち誇った顔をしている。
何があったかは、なんとなく理解出来た。
「……今日はお開きですね」
アレインの言葉にグリムは苦笑しながら頷いた。
ひらひらと自分たちにハンカチを振る女性陣は、皆とても良い笑顔を浮かべていた。
まさに勝者の笑みだ。
グリムはもうまともに立つことも出来ない巨体の馬鹿を背負いながら、苦笑いで彼女たちに手を振った。
「また来てね。お酒飲めなくてもお兄さんなら歓迎だから」
「カモを連れてきてくれるからかい?」
「その男らしいお兄さんも可愛くて好きだけど、お兄さんだけでも嬉しいわよ?」
「リップサービスが上手だね」
そう言って苦笑いし、グリムはえっちらおっちらと歩き出した。
「いやぁ~悪いなぁ~ぐり~む~。なんか地面が回っててな~あはははは~」
そう言って、馬鹿がバシバシ背中を叩いてきた。
「落としてやろうか」
「あはは~」
「……はぁ」
溜息を吐く横で、アレインはくすくすと楽し気に笑ってみせた。
「おや、そんなに困る俺が面白かったかい?」
アレインは慌てぶんぶんと手と首を横に振る。
「違うんです! グリム様が楽しそうだったので」
「……そうか。楽しそうだったか」
「はい。……とても。妬けちゃうくらいに」
その言葉に言い返す言葉がなくて、グリムは困った顔で笑った。
無言で、歩く。
背の馬鹿は空気を読んだのはガチで寝てるのか、思ったよりも静かだった。
がやがやとする歓楽街の中で、静かな沈黙が二人を包む。
けれど、不快な感じはない。
むしろ落ち着いた空気が心地よく、背の重みを忘れそうになって……。
急に、ドンっと後ろから誰かに突き飛ばされ、グリムは潰れながらその場に倒れた。
「っと!? 危ないな。誰が……」
グリムはアラドを持ち上げながら上体を起こし頭を動かすと、小さな背丈の何かが見えた。
おそらく子供とは思うそれはボロ布を深く纏い、顔を隠しながら謝りもせず全力で逃げていく。
その直後、どこからか叫び声が響く。
「そいつを捉えろ! そいつは"モドキ"だ!」
たったその一言で、歓楽街の温い空気が冷たいものに変わった。
「グリム様。行きましょう!」
「い、いや行くってどこに? というかアラドを置いては……」
「馬鹿野郎!? 俺のことなんて置いて良いから早く行け!」
アラドは怒鳴りながらグリムの背から離れ、壁にもたれかかり必死に立ち上がろうとしていた。
「ちっ! 無理か。足に来てやがる。情けねぇ。俺は無理だから代わりに行ってくれ。頼む!」
アラドが真剣にそう告げるとアレインは頷いてみせた。
「はいっ! グリム様。急いで!」
アレインは、グリムの腕を掴み、駈け出した。
周りも何人か走っている。
全員が、追いかける対象に敵意を向けている。
自分だけ。
自分だけが、違う。
世界が、とても遠くに感じた。
ありがとうございました。




