16-汚い心の焔
酒場を出た後も、グリムの中には小さな違和感が残る。
喉に刺さった魚の小骨のように、どうにも気になった。
酒は一日三杯まで。
種類も麦酒、葡萄酒、蒸留酒の水割りの三つだけ。
ツケ払いは許されるが、奢りは基本認められない。
昔から、どの酒場でもある共通のルール。
高級なバーでも変わらない、当たり前の常識。
これに不満があるわけでも、問題があるわけでもない。
一日三杯は翌日のため。
酒の種類が少ないのは銀幕に閉じられた世界だから。
奢りはトラブルの元になるから。
そう、自分で説明出来るくらい理由におかしな点はない。
それなのに――。
考え込むグリムの傍にアラドがより、小声で囁いた。
「飲みなおそうぜ――大人の店で」
瞬間、グリムの目の色が変わる。
さっきまで気になってしょうがなかった違和感が、ぽんと頭から消えていた。
『大人の店』
記憶にないはずなのに、憧れが胸に溢れた。
もう、その言葉のことしか考えられなくなるくらいに。
「アレイン、悪いがアラドと話がある。先に戻っていてくれ」
真剣な表情でアレインに言い残す。
それは、男の顔だった。
――色々な意味で。
グリムとアラドは妙にダンディな背中でしばらく歩き……後ろから彼らが折ってこない気配がないことを何度も振り返っては確認してから……グリムは、こそこそとした態度でアラドに尋ねた。
「詳しく話を聞こう。いや、その前に……俺とお前は、本当の親友だったんだな」
グリムが拳を向けると、アラドは答えるようこつんと拳を合わせた。
「当然、お前好みの姉ちゃんがいるのも確認済だ」
「ほぅ。参考までに……俺の好みってのはどんなのだったんだ?」
「でっかいでっぱいボンキュッボン」
何の反論もない。
百点満点だった。
「……アラド、あんたは?」
「でっかいケツが俺の宝島さ」
グリムは静かに瞳を閉じ、天を見上げる。
心から、この出会いに感謝をしていた。
彼らは再び拳をぶつけあい、固く握手を交わす。
こいつ気持ち悪いなと、お互い思いながら。
ほのかに明るい淡い夜、二人は馬車の中。
ここは銀幕に閉ざされた狭き世界。
それでも街から街へ移動するには、馬車が必要になる程度には広かった。
「さて、記憶を確認するためのお勉強の時間だ。世界がどんな感じになってるか覚えてるか?」
「そう……だな。とりあえず、銀幕の中には三つの大都市のダンジョン管理のセントラル。つまり世界には四つの都市がある……ということは覚えてるぞ」
「んじゃ、今俺たちが向かってるのはどれだ?」
「決まってる。五つ目だ」
グリムの返事にアラドはにやりとした笑みを見せた。
「そう。俺たちが向かう……というかもう到着しているここは、『ローロゥタウン』。五つ目の街だ」
ローロゥタウン。
呼びづらいから『ロロ』だったり『アール』だったりと呼ばれるこの街は、厳密に言えば正式な都市の認定を受けていない。
この銀幕の中『ユグドラ』内で正式に存在するとされる都市は『三つの大都市』と『セントラル』のみ。
だから、ここローロゥタウンを示す最も近い表現は、『ゴミ捨て場』である。
大都市が廃棄物を放棄し合い、人の目に届かぬ場所に生まれた枠外の街。
正式な都市ではないため、法律上存在していない。
とはいえ、言うほど無法地帯というわけでもない。
スリや喧嘩は多い程度の、いわば下町くらいの治安。
むしろ酒の制限のような細かい決まりを無視し、自由を売りにすることによって銀幕下最大規模の歓楽街へと成長を遂げた。
「あんたの記憶喪失があんま知られたら不味いと思って新規開拓の新しい店にしたが、その様子だと気にしなくても良かったか?」
「いや、実際助かる。アラドもそうだが、そういう店に行った記憶さえ正直ないわ。……なぁ、実際どういう店なんだ? どういうサービスがあるのかとか、タブーとかは……」
わくわくと好奇心満載で……いや好奇心以外も満載にして、グリムは尋ねた。
「んー……。あんたの沽券に関わることだから言いたくないんだが、言っておかないと色々誤解が進むと思うから、先にこれだけは言っておくな」
「ん? あ、ああ……」
「グリム、あんたは……ぶっちゃけ【童貞】だ」
「……ふぁい?」
「巡り合わせが悪いというか、運が悪いというか、お前が悪いというか……まあ色々あって、俺と出会ってからあんたにそういう経験が一切ない。それ以前は知らんが……たぶんないだろうとは思うぞ」
「……まじかよ。俺結構良い歳だよな?」
「二十五くらいだったかな? 確か。ちなみに俺は二十九だ」
「……そうか。……そうかぁ……」
ちょっとだけだが、グリムはがっかりとしていた。
「んで、話を戻すが……俺の行く飲み屋は、まあシステム的に言えば、酒を頼めばねーちゃんが傍に来てサービスしてくれる感じだ。サービスと言っても、お酌をしたり一緒に飲んで楽しくお話する感じの、健全な店だ」
「なるほど。楽しくおしゃべり出来る健全なお店。けんぜんなおみせだいすき」
「俺も。ただし……口説き落とせば、話は変わって来る」
「……なにっ?」
「合意の上なら、いつでもねーちゃんを連れだして良い。当然その場合は、不健全もオーケーだ」
「……つまり、そういうことか?」
アラドは、ニヤリと笑った。
「ああ。俺たちは今宵――狩人となる。ちなみにだが……あんた、戦績自体は悪くない。悪くないんだが……まあ、駄目な理由はおいおいな。とりあえず、今はこれから行く楽園は狩るか刈られるかの戦場だってことを覚えておきな」
「金と体力が続くうちに狩れるか、俺たちが財布として刈られるかということか。ところで、軍資金とかはどうなってるんだ? 俺、今一文無しなんだが……」
「ああ。そっから話さないといけなかったか……」
アラドはしまったという顔をし、頭を掻いた。
「えっとな……ぶっちゃけて言えば、あんたとダンジョンに行ったらセントラルからそれなりの手当が貰えるんだが、俺は特別契約でな他の奴の倍以上貰ってる」
「ふむ」
「あんたが俺を使えるとエイメスに伝え、俺は結果を出した。それで増えた取り分の何割かを、俺たちの交友費に回してる。俺にも得、お前にも得、エイメスにも得。三方良しって奴だ」
「なんと」
「というわけで、金の心配はいらねーぜ」
「良いのかい? あんたの金なのに……」
「違うぞ。間違ってる。これはあんたと俺、二人の金、俺たちの努力の結晶だ。だから……今日こそ、決めてきな」
とんと、胸を叩くアラド。
不思議と、胸に熱い気持ちがこみ上げた。
「……ありがとう。親友」
「良いってことよ。親友」
そうして二人は暑苦しく抱擁を交わした後、店の前で馬車を降りた。
その店は、紫のキャンドルに照らされ、どこか淫靡な雰囲気を醸し出している。
健全な店――そのはずなのだが、外装からして期待せずにはいられない。
いや、違う。
男に無駄な期待を抱かせるため、敢えてこういう外装にしているのだろう。
それがわかっていても、期待してしまう。
――それが、男という悲しい生き物だった。
「さあいざいかんパライソへ!」
アラドはグリムの肩を抱き、店を指差す。
大きな声で回りから不審な目を向けられているが、気づいてもいない。
「ああ! 俺たちの冒険はこれからだ!」
心の焔を燃え上がらせ、グリムは店の中へ入って――。
「いらっしゃいませ! グリム様」
そこにアレインがいた。
にっこりと、笑ったアレインが。
焔は、一瞬で鎮火した。
ありがとうございました。




