15-安物の麦酒
高々と、杯が掲げられる。
睡眠不足も疲労も押し殺し、無理やりテンションを上げて騒ぎながら、彼らは杯を一気に呷った
それは勝利の宴。
誰一人、命を失うことなく戻ってこれた。
例え装備がボロボロになって、彼ら自身の利益がほとんどなかったとしても、酒を囲う彼らに不満の色はなかった。
杯を掲げる彼らは皆、最高の笑顔だった。
この小さな酒場の安酒こそ、彼らが日常に戻って来た証。
世界が危機を救ったなんてのは柄じゃないから、さっさと単なる探索者に戻る。
この宴は、そういう儀式でもあった。
薄い麦酒が喉に流れ込む。
大量の氷で冷やされた、苦みのある心地よさ。
その冷たさが、疲労に満ちた身体へゆっくりと染み渡っていく。
心地よい。
身体には心地よい。
なのに……悲しいことに、舌が味を受け付けないかった。
「グリム様? どうかしましたか? やっぱり、病み上がりにお酒はよろしくなかったでしょうか?」
半分残ったグラスを見ておろおろと心配そうにアレインがまとわりついてくる。
グリムは苦笑しながら首を横に振った。
「いや……そうじゃないんだけどさ……」
グリムは不味さを誤魔化すよう、ちびちびと残った麦酒を舐めるよう口に含んでいく。
美味しかったのは最初の一口だけで、こうなるともう駄目だ。
味は浅いし苦みはきつい。
そもそもなんでこんなに氷が入っているだ。
薄いんだよ。
まあ濃くても別に美味くないだろうけど……と、悪いところばかり目につき内心で愚痴る。
以前はこれが当たり前に美味しいと感じていた。
貧乏だった時からのお気に入りで、高い酒より美味いんだと豪語して。
けれどそれは、ただ知らなかったというだけ。
地下世界の味を知ってしまったら、これを美味いなんて口が裂けても言えなかった。
「無理はなさらないでくださいね?」
「ま、この一杯で止めておくさ」
「そうしてくださいまし。そして、三十三階層の攻略お疲れ様でした。これで危機的状況は脱し、時間的猶予が生まれましたが……これからどうなさいますか?」
「そりゃ俺も聞きたいと思っていたところだ。今後の攻略計画について教えてくれや」
ぐいっとアラドが会話に割り込んで来る。
その手には既に二杯目の麦酒が握られていた。
「張り切ってるところ悪いが、数日はお休みだな」
「当然です! 病み上がりなんですから」
ふんすとアレインが言うが、グリムは苦笑し首を横に振る。
「いや、体調じゃなくて記憶の方だ。俺に自覚はないが、記憶喪失のリスクってのをお前らは感じただろ?」
三人は揃って頷いた。
何度も何度も頷いた。
「はい。天井蹴ってゴーレムの頭を切断って……何故、あんな曲芸染みたことを……」
「いやすげぇとは思うぞ? けど、やる必要あったか?」
「そもそも、頭部が弱点とわかった時点で僕に頼って下さっても構わなかったんですが?」
揃って言われ、グリムは両手を挙げて"お手上げ"と降参を披露する。
「わかったわかった。まあそういう事情で、数日はちょっとお勉強しようかなって思ったんだよ。あまりギリギリだと不味いから……そうだな、三日……いや、四日後かな。今回の無茶はせず一階層をまったり軽くくらいで」
アラドはぐっとガッツポーズを取り、ディートはがっくりと肩を落とした。
「残念。僕の方は予定がありますね」
「ん? 日にち変えようか?」
「いえ、大丈夫です。元々僕はおまけのようなものなので」
「おまけ?」
「はい。僕には本業がありますので元々参加頻度はあまり高くなかったんですよ。臨時みたいなものです。アラドは……」
「ダンジョン深奥の冒険! 心が躍る!」
アラドはぐっとマッスルポーズを披露。
ムキムキで暑苦しかった。
「という感じで最多参加のレギュラーメンバーです。悔しいですが、実力も相応ですね」
「なるほど。なら、四日後はもう一人誰か探さないと――ってそうか。それでエイメスか」
グリムの脳裏にエイメスの顔が過り、二人で探索者のプロフィールを読みながら相談しあっている光景が頭に浮かんだ。
「その通りです。私とグリム様を固定としてアラドさんを参加させて後一枠は……今日のことを考えたら前衛が望ましいでしょう。というか前衛の方を呼びましょう。前衛の方が良いはずです。間違いありません」
前衛推しと化したアレインの姿に、グリムは見覚えがあった。
というか、実際何度も同じことを繰り返していた。
「……あー。これも思い出した。アレインに相談したら、必ずこうなるんだよなぁ」
「当然です。その分グリム様の危険が下がるのですから」
「おう。そうだそうだ。それについてちょいと俺から言いたいことあるんだけど良いか?」
アラドはそっと手を上げ、発言の許可を取ってきた。
「なんだよらしくない。どうかしたのか?」
「いや、真面目な話なんだけどさ、グリム、お前後衛の方が絶対良いわ」
隣でアレインが、残像を生むくらい高速で首を縦に振っていた。
「記憶がないからか?」
「それはあんま関係ない。単純に能力の話だ。お前の弓、なんかおかしくね?」
グリムはきょとんと小首を傾げた。
「いや、大して変わってないはずだけど……」
「弓ってのは本来サポート武器であって、それ単体で火力を出すもんじゃねぇ。なのに、お前バカスカ後ろから撃ち抜いてたじゃねーか」
そう――弓というのは優秀な殺人兵器だが、ダンジョンにおいては主力兵装たりえない。
人と比べ魔物ははるかに頑強で、しかも鉄や岩などの鉱物を主軸とした魔物も多い。
はっきり言えば力不足。
そのはずなのに……グリムはその弓で三十階層オーバーの魔物を討伐してみせた。
強く引いたからと言ってそれほど火力が上がるわけでもない。
弓や矢も大したものではなく、極めて一般的な代物。
「なのにお前は――明確に魔物の弱点を狙い撃っていた」
アラドはそう、断言した。
「……そう、か。いや、無意識なんだが……見ていたアラドが言うならそうなんだろうな」
「魔物の弱点がわかるなんてのは一体どういう理屈だ? 記憶喪失で強くなるなら俺だってそうしたいくらいなんだが……」
困った顔をするグリムの助け舟を出してきたのは、アレインだった。
「おそらく、それこそがグリム様の真の力なのかもしれません」
「アレインは何か気づいたのか?」
アラドの問いかけに、アレインは頷く。
「推測ですけど。グリム様は魔法が使えないだけで、魔力が低いわけでもなければ操作が苦手なわけでもありません。むしろ、魔法が使えたら一流の魔法使いに成れただろうとさえ言われています」
「ふむ。それで?」
「おそらく、グリム様には実際に見えていたんです。魔物の体内に流れる魔力が」
「……なるほど。魔力の流れか。まあ、確かに変だとは思った。勇者だからと言って魔法が使えないなんて聞いたことがない。つまり……」
「あくまで可能性ですが、グリム様は探知能力に特化していたということです。もしかしたらそちら方面の呪文なら詠唱できるかも……」
「待ってください。だとしたら、我々魔法使いでも魔物の弱点探知が出来る可能性があるということでは……」
アラドとアレインの会話に、ディートも混ざる。
宴ということも忘れ、三人で議論を進める彼らの姿は探索者の鏡だ。
そう思いながらグリムは「そーなのかー」と、他人事のようにその議論を見つめていた。
とはいえ……実を言えばグリムは議論の答えに心当たりがあった。
当然、魔力探知なんて代物じゃない。
それは彼らの勘違いだ。
地下世界にて、同調率『500%』という状態。
あれでユグドラシルと一体になった時、その記憶や知識も共有情報とされ、一部グリムに流れ込んでいる。
それにはユグドラシルで製造された人工生命体――つまり魔物の情報も含まれる。
情報通りの魔物が現れたことはない。
階層の影響か、グリムが覚えた知識と比べて魔物の姿は大分変わっている。
本来のスライムは球体を維持しておらず、ゴーレムは灰色に統一され、リザートマンは武器を持たない。
地下で閲覧した情報は、地上で確認した魔物よりも大分単調だった。
それでも、ベースとなる素体のパターンを知っているというのは大きく、魔力の伝達ルートや肉体の構造により、相手の長所や短所を推測するくらいは出来た。
何の知識もなく闇雲に狙うよりは遥かにマシと言えるだろう。
まあ、地下世界のことも、転生して魔物の親玉だったことも話せるわけがない。
グリムはただ遠くから彼らの盛り上がる会話を他人事のように見つめていた。
テーブルに近づく足音に彼らは議論を止め、足音に顔を向ける。
そこに居たのは、グリムの上司である『エイメス・アンサラー』。
彼は相変わらず、胡散臭い笑みを浮かべていた。
「三十時間にも及ぶダンジョンアタック、並びに階層奪取、間引きご苦労様でした。おかげで来週の朝日が拝めそうです」
軽く会釈をして、エイメスは四人に声をかけた。
「おうおつかれー。さっき話し合って、四日後で再アタックって決まったところだ。メンバー一人欠員が出るから、誰か探してくれ」
「了解しました。他に何か問題はありませんでしたか?」
「特には――」
そうグリムが言った瞬間、三人はじっとグリムを見つめた。
視線の痛さに耐えられなくなったグリムは言い訳をするよう言い直した。
「――あった感じだから、後で報告する。少し話す時間を作ってくれ」
三人の責めるような表情を見て、エイメスは静かに察した。
またグリムが何かやらかしたのだ、と――。
「……わかりました。アレインと共に私の部屋に来て下さい」
「何故アレインと一緒なんだ? 別に構わんが……」
「貴方一人だと、面倒がって話すべきことを省略したり、大したことないと勝手に決めて過小に報告するでしょう?」
「あはは……否定できねぇや」
グリムは気まずそうに頭を掻いた。
「あー……。あとさ、これ関係ないことなんだけど……」
グリムはそう前置きをして、エイメスに声をかけた。
「はい。なんでしょうか?」
「どうしてさ、酒場って"酒三杯まで"ってルールがあるんだ?」
エイメスは怪訝な表情をグリムに向けた。
「いきなりどうしたんですか?」
「いや、酒場なんだから、飲まれた分だけ得じゃん。なのに三杯までって、おかしくない?」
「別に変じゃないでしょう? 翌日アルコールが残った状態で困るのは自分ですし」
「まあ、そう……なんだけどな」
グリムはガシガシと頭を掻く。
間違っていない。
なのに、なにかがおかしく感じる。
「世界の在り方なんてものは所詮歴史の積み重ねです。あまり考えない方が良いですよ」
そう言い残し、頭を下げた後エイメスはその場を後にした。
ありがとうございました。




