13-表の世界
優しくも暖かな陽ざしが身体を包み込む感覚。
これが至上の贅沢なのだと、グリムは今まで知らなかった。
この微睡の中に差し込む陽射しに身体が焦がれていたことさえ、気づけなかった。
地中の闇に閉じ込めらるという圧迫感が、歓喜と共に浄化されていく。
帰って来たという実感が内から湧いてきて……。
グリムは、世界に祝福されるかのように目覚めた――。
当たり前に色がある、白の世界。
穏やかなで落ち着く、表の世界。
銀幕に閉じこめられた、牢獄の世界。
この世界に……自分の世界に帰って来たんだとグリムは実感する。
静かに上体を起こし、ゆっくりと胸に溜めた息を吐きだした。
これからどうしようか。
考えてから、ふと、グリムは何かを忘れているような気がした。
いつもの既知感でもなければ記憶の混濁や混乱でもない。
もっと根本的な、大切な何かを忘れているような――。
グリムは、はっと我に返り慌てて正面に目を向ける。
けれど、時すでに遅し。
その時には、既に金色の塊がこちらに突撃していた。
「グリム様……グリム様ぁぁぁぁあああ!」
「猪突猛進!?」
完全に油断していたからだろうか。
気を失いそうになるほどの、素晴らしき突進だった。
そうしてアレインと出会い、エイメスと会話をし、同じような流れで同じようにダンジョンに向かい、アラドとディートと合流。
そして降格機にて三十階層へ向かった。
流れは同じ。
けれど、一つ大きく異なる部分があった。
ダンジョンに足を踏み入れたのに、前回あれだけ苦しめられた頭痛がない。
当然、"既知感"も。
魔物も、罠も、予知できない。
ダンジョンすべてが、未知だった。
頭痛が消え、既知が消え、残ったのは孤独感のみ。
仲間が居て、頼れる上司が居て、アレインが居てくれて。
それなのに、何故かわからないが叫びたくなるような寂しさに襲われる。
今になって思う。
不思議なことに、地下世界ではあまり寂しくなかった。
まるで、そちらが本当の世界であるかのようで……。
「病み上がりだからって腑抜けてんじゃねーぞ?」
ニヤ付いた顔で、アラドが巨大な剣を叩きつけるよう振り下ろす。
その一撃は、グリムに襲い掛かっていたサソリの尾を持つ蟻の魔物を叩き潰した。
「おっと。悪いな。考え事してた」
グリムはぽんとアラドの肩を叩く。
アラドはそれを見て、にこっと微笑んで見せた。
その一連の動作は、探索者としての暗黙の了解。
何かミスがあればすぐ指摘し、反省を示す一言だけを返す。
喧嘩や言い争いをせず、短く合理的な会話だけを行い、怒りを後に残さない。
憎しみからの自滅でパーティー崩壊しないようにという、血のルール。
アラド、ディートの二人とダンジョンに潜った記憶を失ったグリムも、それは身体に染み付いていた。
大体フロア内の小部屋を二十ほど攻略したあたりだろうか。
概ね、次階層まで十前後で階段を見つけられることを考えたら、大分時間を無駄にしたと言える。
そこでようやく、大部屋に巡り合った。
「あの……グリム様。大丈夫ですか?」
アレインが心配そうに声をかけてきた。
何故……と、一瞬思ったが、すぐ理由は理解出来た。
息苦しいと感じるほどに荒い呼吸に、顔中はべたついていると感じるほど汗にまみれている。
そんなの、誰が見ても一目で異常とわかる。
どうりで、さっきから心臓が煩かったわけだ。
「ああ、悪い。何でもないから、大丈夫大丈夫」
「それで何でもないなんてことはないですよ。どこか痛むんですか?」
「いや、マジで何でもない。強いて言えば、ビビってるだけさ」
誤魔化すようグリムは微笑み、腕で汗をぬぐう。
心臓バクバク鳴る。
息が、苦しい。
既知感はない。
それでも、前回の死が忘れられないのか、恐怖が身体中駆け巡っていた。
身体が震えあがらないようにするだけで精一杯なほどに。
――落ち着け。本物の恐怖は、この程度じゃないって知ってるだろ。
限界まで恐怖が高まると、痛みとなる。
そうグリムは知っている。
だからこれには耐えられる。
まだ痛くないから、自分は大丈夫。
そう……冷静なつもりになって、グリムは何度も自分に言い聞かせた。
死にたくない。
死なせたくない。
「……すぅー、ふぅー」
大きく、一つ、深呼吸。
そして剣を構えると、地響きがグリムを襲った。
がくんがくんと身体全体が跳ね上がりそうになるほどの地響き。
その正体が、地面の下から姿を現す。
大きな鼠色の岩の塊が、人型となった。
「……ゴーレムか」
アラドが憎々し気に低い声で呟いた。
身体を岩で構築する、典型的な重装甲高火力モンスター。
けれど、守護者補正によって通常のゴーレムの何倍も巨大で、見上げるような巨体となっていた。
――あいつじゃ、ないのか。
グリムの恐怖が、霧散していく。
アラドが顔を顰める程度にはゴーレムが厄介な相手であり、また決して油断して良い状況でもない。
それでも、あの黒い剣鬼ではないという事実が、グリムの心に宿っていた暗雲をかき消した。
守護者はゴーレムとは思えないような速度で接近し、巨体より剛腕が振り下ろされる。
その一撃が大地を揺らし、開幕のゴングとなった。
グリムの横で、アラドが大剣を盾のように構え一歩前に出る。
その目が"どう動くか?"と聞いてきていた。
後衛のディートとサポート役のアレインは既に後退している。
だから、後はグリムの方針次第。
「……なんか、普通にいけそうだな。アラド、援護を頼む」
一瞬眉をひそめるもアラドは静かに頷いた。
グリムを狙い、掴みかかるようゴーレムの腕が伸びる。
「おらよっと!」
アラドが大剣を振り上げて拳の軌道を変えると、グリムは低い姿勢で腕の下をくぐり、滑り込むよう一気にゴーレムの足元に。
そのまま剣を構え、足先に数度斬撃を叩き込み離脱した。
回転するような横の一閃は、その足に深い傷を付ける。
だが、まるで巻き戻ったかのように細かい岩が傷口に付着し、一瞬で修復された。
「ま、そりゃそうか」
再生能力のないタイプのゴーレムだっているからもしかしたらと思ったが、それなら守護者としてあまりにも弱すぎる。
冷静に考えて、巨体であることがデメリットになるようなことするわけがなかった。
今度は浅い斬撃を複数回、広い範囲に振りまいていく。
アラドもグリムの行動を理解したらしく、反対の足に同様の細かい斬撃を重ねていた。
乱雑に、適当に、出来るだけ広い範囲で傷を作って。
そうして再生する様子を観察する。
左右共に再生力に差異はほとんど見られなかった。
「ふむ、変化のないパターンか。それとも……。もう少し絞るか」
グリムは武器を剣から弓に換装し、目にもとまらぬ連続射撃を披露する。
ゴーレムは岩で出来てるため、ほとんどの矢が弾かれ意味を為さなかった。
百近い無数の矢を放って、生じた目に見える傷は腰、手先、腕の根本、首のたった四つ。
そしてその四つは、首、腕の根本、腰、手先の順に修復された。
ゴーレムは外見では判断出来ないが、その特性は幾つかのパターンに分けられる。
判断基準は主に再生力の速度差。
その中でも特に再生力に長けた存在は、身体の中にコアを隠し持つタイプとなる。
コアが破損しない限りどこまでも再生するという、一部のスライムやゴーストなどと同じ特性。
その特性持ちは、コアに近い程再生が早い。
つまり――。
グリムとアラドの目線が、ゴーレムの頭部に集中した。
――これで、殺せる。
グリムは注意した戦闘から早期討伐に目標を切り替える。
それは多少のリスクがあっても早期討伐の方が総合的に被害が少ないだろうという推測からの結論だった。
弓を剣に換装し、刃をゴーレムに向け駆け出す。
ゴーレムに接近しながら、ふと……グリムは地下世界のことを思い出した。
牙堕竜と呼ばれる存在に引かれる車体の中から見た光景。
人ならざる存在が人のように生活している世界。
畑を耕す、ゴーレム。
姿形はゴーレムだが、彼は、人だった。
街での営みを行う、普通の……。
外見はまったく違う。
そもそもサイズから異なっている。
それなのに……彼と、目の前のゴーレムを重なって見えた。
ゴーレムが……一瞬だけ、人に見えてしまった。
刃に、戦意に、迷いが生じる。
まるで時間を止めたみたいに、ぴたりとグリムの動きが止まった。
その瞬間、ゴーレムの腕が傍まで来て――。
「このっ! 馬鹿野郎が!」
アラドは全力でグリムを蹴飛ばした。
剛腕はアラドの足をかすり、グリムのつい先ほどいた地点を抉り砕く。
グリムは蹴られた鈍い痛みで我に返り、吹き飛びながらも地に足付けて踏ん張る。
そして即座に前線に復帰した。
「悪い!」
「原因は!?」
「特にない!」
「なら気を付けろ!」
「あいよ!」
グリムは気持ちを切り替える。
いや、切り替える必要さえない。
ダンジョン内の魔物はすべて、ダンジョンが作る人工生命体に過ぎない。
だから最初から、それは無意味な感傷に過ぎなかった。
グリムは再びゴーレムに向き、接近する。
迎撃の拳が襲い掛かるも、グリムは跳び避け、腕を踏み台に。
ゴーレムの腕を走って駆け抜け、上を目指した。
ゴーレムは蠅を払うようブンブンと腕を振りグリムを叩き落とそうとするが、躱し続けグリムはどんどん上ってゆく。
そのまま頭頂部を蹴って遥か高くに跳び、ぐるんと身体の上下を反転。
天井を足蹴にして急降下。
そして――換装した大斧をゴーレムの頭部に全力でフルスイングした。
キィンと、金属とガラスが混じったような音が響く。
音に呼応するようゴーレムは崩れ、追い詰められるような息苦しさが消えていく。
それは、このフロアが開放されたことを意味していた。
「っし! ……ってあれ? あの……この空気は何です?」
何故かわからないが、しらーっとした、白けた空気が漂っている。
グリムは、三人から苦笑いに等しいジト目で見つめられていた。
ありがとうございました。




