ただの転生者
パチパチと、火の粉は音を鳴らし、空気を焼いていて、灰色の雲が、立ち上っていた。
揺れ動く尻尾は、掌でそっと流すように撫でると、動きを落ち着かせる。
昼にも使った、まだ使い慣れないであろう木製のフォークを不器用に握り、切り分けられたステーキへと、差し込んでいく。
焼いた肉すらも食べたことがないのか、彼女の瞳に移る光は、見る度に映り方を変えていた。
…………。
……紅く染まった彼女を、思い出してしまう。
振り被る鮮血に、なんの疑念も、不快感も感じることなく、ただ紅く染まっていたように見えた、彼女の姿を。
彼女が言っていたことを、そのまま鵜呑みにするのなら、一体どれだけの生き血と、生の肉を喰らって来たのだろうか。
思考が逸れたな……。
彼女の突き刺したフォークは、弾力のあるきつね色を貫いて、その肉ごと、持ち上げられる。
口を小さく開けて、普通の歯に、牙のようなモノが垣間見え、そのまま──一口。
瞳の輝きが、僅かに、変わった気がした。
血の冷たさではなく、焼いた肉の持つ、口の中に籠る熱。
彼女がそれをどう思うのかは、やっぱり分からない。
けれど、昼よりも、不機嫌になっていないような気もして……気がするだけにも、思ってしまって。
俺から見た彼女の姿に、自信が持てない。
そんな思いが、目の中に入り込んでしまったのか、それとも、変な雰囲気を、醸し出していたのか。
少し細められた彼女の目が、こちらを見る。
ジッと。
ただ、見つめられる。
その目で見つめられるだけで、胸の奥が、震えて仕方ない。
少しの、間。
彼女の目が、またしても呆れたような半目に、戻っていってしまう。
そのまま顔を逸らして、また一口。
…………。
……そうか。
彼女らしい。
不器用で心優しいご配慮に、痛み入ってしまうよ。
なんて思いながら、揺れ動く尻尾を、優しく撫でつける。
無言で、そして無表情。
目も、鋭いまま。
……なのに、どうしてかな。
不思議と、彼女が今、不愉快に思っていないと、確信出来てしまうのは。
「……いったい、どれだけの借りを返せばいいのかな」
「……ふんっ」
おどけたように、少しの笑みを浮かべて、軽口を呟けば、そっぽを向かれてしまう。
そのまま、尻尾の先で、撫で付けていた手を、叩かれる。
手には、少しの痛み。
見てみれば、少し赤くなっている程度。
あの、巨大な魔獣を貫いていた彼女の姿が、脳裏をよぎる。
…………。
……まぁ、つまりは、そういうことだ。
そう思って、またゆっくりと、尻尾を撫で付ける。
「……」
感謝の意を述べれば、彼女は嫌がるだろうから。
口に出した訳でもないのに、彼女が俺を見る目はさっきよりも、少しだけ鋭さを増している。
遠くには、異世界の月が見えた。
光に満ちた、円のような月が。
……そろそろか。
◇◆◇
いくら反抗期の子供といえど、いくらこの世界の倫理観がおかしかったとしても。
流石に、ここら辺が潮時だろう。
目の前に見えていた月は、段々と、頭上の方へと位置を変えている。
木々の隙間からは、黒い帳に満ちた星々と、青白い月光を反射する、満月が垣間見える。
「さて、そろそろ俺は行くよ」
「……そうか」
相変わらず、ぶっきらぼうな返事だ。
前よりはマシになったものの、まだ拙さを感じさせる、大人びた幼い声色。
俺の言葉に、前よりも彼女の反応が増えている気がする。
少しは、関心を持たれた、と。
そう解釈してもいいのだろうか。
そんな、少し気持ちの悪い思考を流す。
振り向いて、彼女の目を、その動向の真ん中を、しっかりと見て。
少しの困惑が見られる彼女の目に答えることはなく、そのまま、口を開く。
「それじゃあ、またね」
「……」
少し顰められた顔を、逸らさず見て。
これだけは、言っとかないとダメな気がした。
「また、逢いに行くから」
「……チッ」
そうして、彼女から背を向けて。
月明かりも届かない、暗い森の中へ。
言い逃げをするように、帰路を辿ろうと、一歩。
後ろから、足音が聞こえて──
──手首が、握られる。
思わず振り返ると、そこには、純白の髪を揺らす彼女がいて……。
見れば、その顔は、彼女から俺の手首を掴んだはずなのに、僅かに表情の変化が分かるくらいには、驚いていた。
少し冷たくて、小さな手が、俺の手首を握っている。
見開かれた目は、それでも逸らすことなく、俺を見ている。
「……どう、したんだ?」
なんで、そんな表情をして……。
驚いたせいか、変に途切れた言葉が、口から出てしまう。
ずっと無表情だった彼女が、僅かとはいえ、表情が分かるくらいに、表情を動かしたんだ。
血に汚れても、少女に逃げられても、無表情だった彼女が……。
はっきりとした表情を見せたのは、"災悪"と、そう呼んだあの時以来。
けれど、その表情は、あの時のような、不愉快を露わにしたものじゃない。
夜風が、吹いている。
風に吹かれ、揺れ動く純白の髪の毛も、今は意に介せない。
黄金の瞳から、この輝きから目を逸らすが、今の俺には出来ない。
そうしていくうちにも、段々と黄金の瞳は、その感情を落ち着かせて。
それでも、見開かれたその瞳は俺を見つめて。
「…………ぇ」
「えっ……?」
小さく、彼女が口を動かした気がした。
声は、風に流れて、俺の耳には届かない。
彼女は、少し顔を顰めて。
「なまえ、おしえろ……」
…………。
先程よりも強く、手首を握られる。
少し荒く、そして拙い、彼女の声。
今度は、はっきりと聞こえた。
無表情に見えるのに、どこか違うようにも見える、そんな表情だ。
そんな顔をしているのに、彼女が聞いているのは、ただの俺の名前。
たかが俺の名前に、何を見出すのか。
けれど、彼女の目は、しっかりと、逃がさないように俺を見ている。
…………。
……なんだ、その目。
思わず、目を逸らしてしまう。
黄金の、俺すらも照らしてしまいそうな輝きを放つ、その目から。
「……クロガネだよ。変な奴ではなく、クロガネだ」
「……そうか」
名前と、少しの誤魔化しを混ぜて。
それだけ言い捨てて、暗い森の中へ、駆け足になりながら帰路を辿る。
足が勝手に、彼女から離れようと動いてしまう。
……変だ。
やっぱり、変になる。
前もそうだった。
彼女を見てから、その存在を、肌で感じてから。
いつも通りの俺じゃなくなってしまう気がするんだ。
喉の奥が、キリキリと痛んで、震える。
目がブレて、視界が安定しない。
荒い、俺自身の呼吸の音が。
激しく鼓動する、心の音が。
静かな夜の森では、しっかりと聞こえて、思わず、胸元に爪を立てる。
変わってしまう感覚が、怖くて、恐ろしくて。
……嫌な、はずなのに。
瞼の裏に、彼女の姿がこびりついて離れない。
心のどこかで、それを嫌と感じない自分もいて、
「……なんだ。なんなんだ……ッ、これは……」
胸元に置かれた拳を、強く、握りしめるように力を入れてしまう。
分からない、俺自身のことが。
分からないのに、嫌じゃないと感じるこの心が、なんとも言えないこのもどかしくも気持ち悪い心が。
心底不気味で、虫唾が走る。
一歩、一歩と、勝手に動く足をそのままに。
気づけば、足元には水溜まりがあって、反射する満月の姿の横には、俺の顔が僅かに反射している。
その、顔面に向かって。
「お前は、なんだ……」
返事は、帰ってこない。
月明かりと共に反射する俺の顔は、暗がりのせいか、表情が見えなかった。
水面を発つ小さな虫が、その水面に波紋を起こして、その顔面は崩れ去る。
…………。
……帰ろう。




