畏敬と、不明瞭な自覚
柔らかくて、暖かい。
このまま抱きしめて、ずっと眠っていたいとすら思ってしまう程に、心地良い、何か。
何だか、前にも抱いたことがあった気がするような感触を覚える。
ぼんやりとした意識のまま、閉じられた瞼を開けていき──
──目の前に、黄金の瞳がある。
顔が映り込んでしまうほどの、至近距離だ。
脳の神経が、急速に意識を覚醒させていく。
これも、前に感じたことのあるような感覚だ。
手を少し動かすと、手のひらいっぱいに、ふわふわとした彼女の髪の毛の感触が蠢いて、くすぐったい。
少しの、身動ぎ。
横倒れになった俺が、何故か同じく横倒れとなっている彼女の胴体を抱き締めていたことは、理解できた。
地面には、積もった枯葉や草花の上に、ローブが覆いかぶさっている。
妙に寝心地が良かったのは、それが原因だろう。
胴体は依然として彼女の尻尾で締められている。
横目に、枝葉の合間を縫うように抜ける陽光は、まだ位置を大きく変えていない。
……時間は、そこまで経ってない、か。
視界の端に、ちょこんと置かれた本が映る。
そしてまた、目線を彼女の目に戻し、その瞳孔のど真ん中を、見つめてみる。
……やっぱり、よく分からない。
彼女は、あまり表情を動かさない。
それこそ、顔を顰めることはあれど、俺はそれ以外の表情を見たことがない。
威圧的であるわけでもないのに、その縦に割れた瞳は、言い表し難く、けれどそれでいて、絶対的な圧のようなものを感じさせた。
……まぁ、だからこそ。
「……本は、どうしたんだ?」
なんて、少し呆れた目で言ってみる。
ここで彼女に畏怖を払い、敬語や丁寧語を最大限扱いつつ接する予想をしてみても、あまりいい反応をするとは思えなかった。
なんなら、不機嫌に唸ってその尻尾で投げ飛ばされるまでがセットになるだろうな、とすら思う。
もっとも、それは俺の予想であって、実際に彼女がどう反応するか、なんて微塵も分からないが。
少なくとも、彼女の反応を見る限り、選択肢を間違えたわけでは無さそうだった。
彼女は、その瞳を横に少しだけ細めて、口を開く。
「……ねむい」
「……そう」
どうやら、眠いらしい。
簡潔に相槌だけ打って、二度寝の誘惑に敗北するように、緩めていた腕を、また少し締め付ける。
彼女は、んっ、と息を漏らすだけで、特に不機嫌になったりすることはなかった。
何となく分かってはいたが、彼女は、言葉足らずだ。
それは、言葉を知らないからなのか、今までろくに話したことがなかったからなのか、そもそも伝えようとする気がないのか。
恐らくは、その全て、なんだろう。
今までの様子を見るだけでも、それくらいは予想できた。
…………。
……だからといって、どうこうする訳でもないが。
言葉足らずの原因を予想出来たとて、それで俺が彼女に何かしてあげたい、と思うことはない。
……彼女に、押し付けるつもりはない。
ただ少しだけ、彼女がどうしたいのか……どうしていきたいのかが、気になった。
緩やかに、風が通る。
その度に、微弱に彼女は身体を震わせて、締め付ける力を強くする。
そんな姿を見て、肌で感じて、俺もまた、身を寄せる。
柔らかく綺麗な白髪と、折りたたまれた龍の羽ごと。
彼女の身体を包み込むように抱きしめる。
……あぁ、眠くなってきた。
枝葉の隙間から差す陽光と、彼女の身体から発せられる熱が相まって、温かい。
眠気が、身体を支配していくのを感じた。
ふと、彼女の顔を見ると、細めながらも瞳を僅かに開けたまま、どこかを見ている。
警戒というか、何か、癖のような。
それが、前世で飼っていた、猫の半目に、近いもののように見えて。
片腕を、動かす。
上の方に持っていき、彼女の後頭部にある、髪を撫でながら、彼女へ向けて。
「……寝ても、いいよ」
しっかりと、彼女に聞こえるように。
されど不愉快にならないよう、静かな声を、耳元で。
彼女の瞳が、閉じていく。
それと同時に、身体を締め付ける力が、少しだけ弱まって。
「……そう、か」
そうとだけ言って、彼女は、俺の胸に顔を埋めて、寝息を立て始める。
今の様子だけを見れば、これのどこを見て、災悪と呼べようか。
少なくとも今の様子だけを見ると、俺の目には、ただの可愛らしい少女にしか、見えなかった。
……空間が歪む程の魔力が、
俺を無視して、通り抜けている。
そんな恐ろしい光景を、無視して。
ぼんやりと、眠気に抗おうとするように考えた。
下を向く。
そこにいるのは、可愛らしい少女だけ。
腕の中には、心地の良い柔らかさと、温かい体温が籠り、どこか落ち着いてしまうような匂いすらしている。
横に長い瞼と、それに沿うような白く長いまつ毛。
その裏に隠れた、あの黄金の瞳を、俺は知っている。
まるで、人形のような、造形美すら感じさせる顔立ちに、純白の長い髪が一束、たらりと垂れている。
その姿を見る度に、俺の脳裏には、あの時の、紅に染まった純白を、思い出さずにはいられなくて。
…………。
……なんだ、これは。
自分でも分からない何かが、胸の奥で、膨らんでいく。
酷く音を鳴らす心臓のことなど、俺には理解出来なかった。
思わず、手のひらで顔を覆う。
身体が……顔が、いつもより熱い気がする。
その理由が、俺には……分からなかった。
恐ろしいと。
そう、感じているはずなのに。
この高鳴りは──それとは、違う気がして。
これは、なんなんだ……。
「……なぁ」
何なんだと、思う?
……これ。
静かな声で。
そう、目を閉じて寝息を立てる、彼女に向けて。
返事が来ないことなど、わかっている。
けれど、この分からないは、言葉にしないと、ダメな気がしたんだ。
……言葉にして。
分からない何かがあるのだと、自覚しないと、ダメな気がしたんだ。




