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江戸の道灌  作者: ふじまる
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第29章 明子

 資長すけながの二度目の新婚生活が始まった。最初のうち明子あきこは猫を被っていて口数が少なかったが、慣れてくるにつれ持ち前の陽気な性格が現れ、よく笑い、よくしゃべるようになった。資長は明子の明るく屈託の無い性格を愛したし、また彼女の白く豊満な肉体に耽溺した。

(まったく伯父上は良い女性を紹介してくれたものだ)

 資長は心から景信かげのぶに感謝した。

 結婚後、明子は太田家に仕える家臣を始め様々な人間から挨拶を受けたが、肝心かなめの紫音しおんとは会えないままだった。

「なぜお嬢さまは、わたしに会ってくださらないのですか?」

 明子にそう尋ねられた資長は困惑した顔をした。

「紫音は幼い頃から一緒にいる馴染みの人間にしか姿を見せんのだ」

「それはまたどうしてですか?」

「子供のとき罹った疱瘡の後遺症で顔にあばたがあってね、そのことを気に病んでいるのだ。本人はそうじゃないと否定しているが」

「なるほど、そういうことですか・・・疱瘡の後遺症で顔にあばたのある人間なんか世間にはたくさんいるということを、疱瘡だけでなく様々な病気や怪我で体が不自由になった人間が世の中にはわんさかいるということを、紫音さまは御存じないのですね」

「紫音は小さいとき江戸城に来て以来、外へ出たことが無いから、世間の事は何も知らんよ」

「旦那さまは、紫音さまが今後もずーっとこのままで、籠の鳥状態のままで良いとお考えなのですか?」

「良いとは思っていないさ。何とかせねばと思っている。ただ、今すぐにというわけにはいかない。なにしろ紫音はただでさえ傷つきやすい思春期の真っ盛りだからな」

「難しい年頃ですよね」

「そうだろう? 俺のような五体満足な男であっても、思春期にはどうでも良いような体の悩みを抱えていたものさ。たとえば自分のナニは他人より小さいのではないか、とかね」

「旦那さまのナニは標準的な大きさですので、ご心配なさらないでください」

「はい?」

「ごく普通で平凡なナニですから、ご安心くださいと申し上げているのです」

「それは・・・どうもありがとうございます・・・」

「いずれにせよ、まずは紫音さまに会ってみないことには話が進みませんね」

「でも、ごく普通で平凡って・・・」

「無理にでも紫音さまに会う段取りをつけてください」

「そこまでナニに詳しいということは・・・」

「こういう事は早いに越したことがありませんからね」

「今まで何本のナニをナニしたのか・・・」

「旦那さま、わたしの話を聞いていらっしゃいますか?」

「え? ナニの話でしょう?」

「何を寝とぼけた事をおっしゃっているのですか。紫音さまとの面会の件ですよ。明日会えるように話をつけてきてください」

「明日? そらまた急な話で」

「善は急げ、です」

 翌日、資長に強く言われた紫音は、明子の部屋に不承不承やって来た。ただし、目の部分だけ空いた白い頭巾を被って。明子は頭巾などまったく眼中に無い様子で満面の笑みを浮かべて駆け寄り、

「紫音さま、ようやくお会いできて嬉しいです」

 そう言って紫音の手を両手で握った。紫音は戸惑ってソワソワしている。

「明子と申します。これから仲良くしてくださいね」

「ふぁい」

 紫音は「はい」と答えたつもりだろうが、頭巾で口が覆われているので「ふぁい」と聞こえた。明子はこれもまったく気にしない。

「わたしを本当の母親のように思ってくださいとか、そんなおこがましい事を申すつもりは毛頭ございません」

「むぅ」

「でも、せめて生き別れした姉と十数年ぶりに再会したくらいには思ってくださいね」

「ふぁ?」

「わたしの方は前の夫との間にできた娘を病気で亡くしておりますので、紫音さまのような素敵な娘ができたかと思うと、嬉しくて仕方ありません」

「ぐぅ」

「流行り病で夫と娘を一度に亡くした時は、あまりにも悲しくて、つらくて、いっその事わたしも一緒に死のうかと本気で思いました」

「ふぃ」

「しかし、それが何の役に立つのでしょうか? わたしが死んで娘が生き返るのならいくらでも喜んで死にますけど、娘はわたしが死のうが生きようが、もう二度と戻って来ないのです」

「くぅ」

「それなら死んでもしょうがない。無駄死になんかするものか。生きて、病気や怪我で苦しんでいる人の助けになりたい。そうする事が亡くなった夫と娘の供養になる。そう思ったのです。わたしの考えはおかしいですか?」

 明子にそう尋ねられた紫音は「むうう」と言って首を横に振った。

「江戸へ来る前、わたしは医師の助手になって、病人や怪我人の治療、老人の介護、孤児の世話などをしていました。この度、縁あってこちらへ嫁いで参りましたので、今後はこの江戸でこれまでの活動を継続させてもらえるよう旦那さまにお願いするつもりです。旦那さまのお許しが出たら、いちど紫音さまにもわたしのやる事を見てもらいたいと思っています。それで、もし共感できるならば、ぜひ協力して頂きたい、そう思っています」

 紫音は明子の放つ尋常ならざるエネルギーに圧倒され、まともに何も受け答えできないまま自分の部屋へ引っ込んだが、明子の方はその勢いのまま江戸市中に病人や怪我人の治療や世話をする救済施設を作るよう資長に進言した。

「そういえば、大震災の時、品川の妙国寺みょうこくじを臨時にそういう場所にして、母上や沙羅さらも総出で怪我人を治療したり、住む家を無くした者たちに炊き出しをしたりしたなぁ」

 資長がそう言ってしみじみと地震の時の事を思い返していると、明子が嬉しそうな声を上げた。

「さすが、わたしの旦那さまは慈悲の心を持っていらっしゃる」

「照れるよ」

「今も困っている人間は大勢います。彼らを助けるため力を貸してくださいますね?」

「ああ、おまえがぜひやりたいと言うのなら協力するよ」

「ありがとうございます。がんばります」

 資長に感謝した明子は、さっそく翌日から江戸のほうぼうを精力的に歩き回り、救済施設の場所を決めたかと思ったら、ただちに次の日から建設に取り掛かり、併せて施設で働く人員を募集した。てきぱきとこれらの仕事をこなしてゆく明子を見て、資長は

(あれ? 当初に想定していた後妻の姿とはだいぶ違うなぁ・・・)

 と思ったが、黙っていた。明子の方は、資長の困惑などまったくお構いなしに、江戸城主・太田資長の妻であるという権威と、太田家の豊富な財力にものを言わせながら、寝る暇も惜しんで救済施設の準備に邁進した。その間、資長のことは放りっぱなしである。

(もしかして俺は伯父上に騙されたのか?・・・)

 天平時代、光明皇后こうみょうこうごうが建てた悲田院ひでんいんという救済施設があったが、その名称に自己主張の強い明子らしく自分の名前の一文字「明」を加えて悲田明院ひでんみょういんと名付けた救済施設が瞬く間に完成した。

(悲田明院? 何じゃ、そりゃ?)

 こうなるともう明子は悲田明院の方にかかりっきりで、いよいよ資長と顔を合わせる機会が少なくなった。

(こんなんで跡継ぎができるのだろうか?)

 明子の暴走とも言える行動は資長を大いに戸惑わせたが、その反面、彼女の活動に賛同し、協力を申し出る者も少なからず現れた。資家すけいえもその一人である。資家は前々から医学に興味があった上に、普段は何を考えているのかわからない無表情な顔をしていながら、その実どうせ一度しかない人生なら社会の弱者を救済する仕事に一生を捧げたいという大志を密かに抱いていた。こういう性向の人間が明子の慈善活動に共鳴するのに時間はかからなかった。資家は完成したばかりの悲田明院で働く許可を資長に願い出た。

(伯父上の野郎、つまりは俺に問題児を押し付けやがったんだな)

 資長としては自分の妻がおこなっている事業に協力するなと言うわけにもいかず、表向きは笑顔で承諾したが、内心では予想外の方向へ進んでゆくばかりの展開に不安を隠しきれなかった。

(まさか紫音まで巻き込まれることはないだろうな?)

 資家が悲田明院で働き始めてしばらくすると、遂にというか、やはりというか、資長が恐れていた事態が勃発した。紫音が悲田明院を見学しに行きたいと言い出したのである。

「行ってはいかん」

 資長は止めたが、我慢できなくなった紫音は、とうとうある日、例の白頭巾姿でこっそり見学に出掛けた。

「あら、紫音さま、ようこそいらっしゃいました」

 院長の明子が紫音を大喜びで迎え入れたのは言うまでもない。

 一方、紫音が城を抜け出して悲田明院を見学しに行ったと知った資長は「まずい。これはまずいぞ・・・」と呟いた。

「見ればまず あはれ年ふる 四十あまり 半ばふけゆく 秋の夜の月」

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