第27章 古河城
古河公方・足利成氏は京の西陣側から関東を支配する正統な公方であると認められたが、こうなると今度は意地でも自分たちから見て偽物の公方である堀越公方・足利政知を倒さなくてはならなくなった。だが、それは簡単ではない。古河から伊豆の堀越までの距離は遠い上に、その道中の大半は扇谷上杉家の所領だった。敵の領地を横断し、その奥深くにある目標を襲撃するなんて、どだい無理な話である。成氏ほどの優秀な戦略家が、そんな無謀な作戦を実行するはずがない。そう考えるのが普通である。ところが、文明三(1471)年三月、古河公方側の軍勢が突如、伊豆へ向かって進軍を始めた。これは長きに渡る膠着状態にしびれを切らした小山、結城の軍勢による暴発だった。暴発軍は上杉側に悟られぬよう裏道をこっそりと隠密裏に進んでいたつもりだろうが、江戸城の資長には全てお見通しだった。
「愚か者どもめが。袋の鼠にしてやるわ」
一方、このままでは伊豆へ進軍した小山、結城の兵が全滅するとわかっている成氏は、自ら旗本を率いて連れ戻しに向かった。
資長はわざと気づかないふりをして敵の軍勢を素通りさせ、どんどん伊豆へ向かって誘い込むと共に、弟の資忠が率いる一軍を五十子陣へ送り、山内上杉家の家宰・長尾景信に、すぐさま古河城を攻めるよう要請した。この時期、景信は体調が思わしくなかったので、実際に指揮を執っていたのは息子の長尾景春である。このとき景春は二十八歳。知力体力共に充実し、周囲からは祖父である名将・長尾景仲の再来と讃えられており、敵の大将である成氏にもその名が知られる程になっていた。
景春はすぐさま資忠軍と合流し、敵の支城を次々と落としながら敵本陣である古河城へ進撃して行った。それを知った成氏は大慌てで古河城へ引き返した。伊豆へ向かった暴発軍は箱根の峠で上杉勢の挟み撃ちに遭い、あっけなく全滅した。景春は怒涛の勢いで古河城へ迫った。資長も箱根で敵を倒した後、急いで加勢に参陣した。上杉勢の総攻撃を受けた古河城は遂に落城し、成氏は「くそ、景春め、憶えとけよ」と毒づいて下総へ逃げていった。
古河城が落ちた。敵の本拠地が落ちた。
この大勝利は上杉側に大いなる喜びを与えた。これでようやく十七年続いた戦乱が終わるのだ・・・そう思うと誰の目からも自然と歓喜の涙が流れ落ちた。資長にとっても感慨深いものがあった。享徳の乱が始まった時、紫音はまだ赤ん坊だった。景春だって子供だった。それが今では二人ともすっかり一人前になって・・・景春なんか、もはや上杉軍の若き総大将という風情だ・・・時間が過ぎたんだなぁ、沙羅・・・そう思う資長の目にも涙が光った。
「梓弓 思ひなれしも 憎みしも 絶えて我のみ 月を見るかな」
古河城内でささやかな祝宴が催された。酒が入ると勝利の喜びと相まって話が弾む。話題の中心は何といっても景春である。今回のいくさで見せた景春の勇猛果敢さ、緻密な戦略、卓越した統率力を、皆が口々に褒めそやした。景春は照れて下を向いていたが、内心ではまんざらでもない様子だった。そんな景春を見て資長は
(この景春が紫音と結婚してくれれば問題ないんだけどなぁ)
と思ったが、残念ながら景春には既に妻も子もいた。
(なかなかうまくいかんものだなぁ・・・)
ぼんやりそう考えていた資長に、
「兄キ、何を一人でしみじみ考え込んでいるんだよ?」
と、酒に酔った資忠が話し掛けてきた。
「いや、子供を育てるのは苦労が多いなと思ってさ」
「何だ、そりゃ」
「資忠、おまえは良いよな、お気楽で」
「はぁ? まるで俺が子育てで苦労していないみたいじゃないか」
「その通りだろう?」
「冗談じゃねえよ」と、資忠は顔をしかめた。「兄キは知らねえだろうけど、俺は子育てですっごく悩んでいるんだぜ」
「おまえにどんな悩みがあるというんだよ?」と、資長はあざ笑った。「どうせ悩みなんか何もないくせに」
「ウチの十六歳になる長男の資雄、こいつは元気で、血の気が多くて、喧嘩っ早くて良いんだけど、問題は次男の資家、これが悩みの種なんだわ」
「資家がどうかしたのか?」
「弱々しくて武将に向いていないんだ」
「病弱なのかい?」
「そういうわけじゃないんだよ。ただ生まれつき性格が優しくて、内向的で、外で体を動かすより、家の中で読書したり、絵を描いたりする方が好きな奴なんだ」
「我が太田家には武将の血の他に芸術家の血も流れているみたいだから、そちらの傾向が強く出たのかもしれないな」
「その芸術家の血ってのは何なんだよ?」
「俺なんかは両方の血が案配良く混ざり合っているけど、資忠、おまえには芸術家の血はまったくと言って良いほど流れていないな」
「ああ、俺は芸術のゲの字も分からぬ無粋者だよ」
「そもそもおまえはがさつだしな」
「はぁ?」
「それに比べて俺さまは繊細で優雅で感性豊かで・・・」
「はい、はい、それは良ござんしたね」
「だから、おまえに行かなかった分の芸術家の血が、まとめて資家に流れたのだろう」
「あのね、そんな呑気なこと言われても困るんだよ。太田家に生まれたからには、どうしたって武人の道を進んでもらわなければならないのだから」
「必ずしもそうじゃないだろう。文人として生きる道もあるはずだ」
「ええ?」
「俺が和歌を教えてやれば西行法師みたいな優れた歌人になるかもしれないぞ」
「まさか」
「そうだ、しばらく資家は江戸城で預かるから連れて来いよ。俺が文学芸術をみっちり仕込んでやるからさ。俺のところで預かるのなら、母親の結花だって安心だろうしね」
「結花はそれほど兄キのことを信頼していないけどね」
「なに? 結花はもともと俺の方を好きだったんだぞ」
「んなわけあるかい」
「あら、そうなの?」
「ぜんぜん違います」
「ま、とにかく資家のことは俺に任せろ。いいな?」
後日、軍議の席で、資長と景春は成氏を追って下総へ攻め込むべきであると主張した。今が好機だ。この勢いのまま一気に決着をつけるべきである、と。しかし、関東管領の上杉顕定と、その補佐役である上杉房定は、兵が足りないとの理由で反対した。現有の兵力では古河城を守るので精一杯だ。下手に深追いしたら、やっと手に入れた古河城を失いかねない。下総を攻撃するのは幕府から援軍が来てからにする、そう言って。資長と景春は、ここで時間を与えたら成氏に巻き返される恐れがある。今の幕府には関東へ援軍を送る余裕が無い。だから成氏が反撃の準備を整える前に下総へ攻め込むべきだと主張したが、実質的な総大将である房定は首を縦に振らなかった。これに総社長尾家を継いだ景春の叔父・長尾忠景が賛同したものだから、資長と景春は諦めざるを得なかった。両上杉家は一致団結して越後上杉勢の増長を牽制するはずだったが、この忠景のみは露骨に顕定と房定にすり寄っていた。資長と景春はそんな忠景の態度が気持ち悪かったし、見ていて気分が悪かった。
仕方なく江戸城へ帰還することになった資長だが、戻る前に五十子陣へ寄って長尾景信を見舞った。
「すまなかったな、総大将のわしが古河城へ行けずに」
病床の景信はそう言って資長に詫びると、資長は笑顔で両手を横に振った。
「何を申されます。景春が伯父上の代わりを立派に務めましたよ」
「少しは役に立ったかな、ウチの息子は?」
「役に立つも何も立派な総大将ぶりでした」
「資長どのにそう言ってもらえたと知れば、景春の奴もさぞ喜ぶであろう。なにしろ、あいつは資長どのを目標にしておるからな」
「初めて景春に会ったのは私の元服のご報告で父と一緒に鎌倉のお屋敷へお伺いした時だと記憶しておりますけど、あの時の赤ん坊がこんな立派な武者に成長したかと思うと、何だか夢の中にいるような気がいたします」
「時のたつのは早いのぉ」
「ええ、あどけない赤ん坊があっという間に頼りになる跡取り息子に変身するわけですからね。早いです」
「跡取り息子といえば」と、景信は話題を変えた。「確か資長どのには未だ跡を継ぐ男子がおらんかったのぉ」
「はい。わたしのところは娘が一人ですので、いずれは婿を取ろうかと思っております」
「いかん、いかん、それはいかん。資長どのはまだ若いのだから、どんどん子供を作らなくては」
「作れと申されましても、今のところ相手がおりませんし」
「再婚する気がないのか?」
「再婚する気はあります。大いにあります。娘の幸せの為にも、ぜひ再婚したいと願っております。ただ相手が見つからないのです」
「そういう事なら、わしに任せておけ」と、景信は目をらんらんと輝かせた。「わしがぴったりの相手を見つけてやろう」
死に損ないだとばかり思っていた景信が、急に張り切りだしたものだから、資長は戸惑った。
「実はな、前々から目をつけていたおなごが一人おるのじゃ」
「はぁ・・・」
資長は蜘蛛の糸に搦めとられた昆虫の気分だった。




