第26章 応仁の乱
江戸に戻った資長は両上杉家の本拠地である五十子陣を訪れ、将軍・足利義政や幕府の有力者・細川勝元と面会した仔細を報告した。報告を受けた関東管領・上杉房顕、山内上杉家の家宰・長尾景信、扇谷上杉家当主・上杉持朝は、将軍が資長を気に入り、援軍を約束してくれた事、細川勝元も上杉側への助勢を約束してくれた事を喜び、大いに気勢が上がった。資長は皆の笑顔を見てうれく思ったが、ただひとつ関東管領である房顕の顔色が妙に悪く、元気が無いのが気になった。後で資長が山内上杉家の下人にこっそり尋ねたところ、房顕はこのところ病気がちであるらしかった。
享徳の乱が始まってから十年以上の歳月が過ぎ、上杉側と古河公方側の双方とも、いくさ疲れが目立つようになっていた。それゆえ、寛正六(1465)年七月、両軍は武藏国の太田荘、下野国の足利荘でぶつかったが、大きな戦闘にはならず、明白な勝敗もつかなかった。ただ、それでも勢いは上杉側にあったと言える。なぜなら、古河公方側が現有戦力を維持するので精一杯なのに対し、上杉側には京の幕府から新たな援軍がやって来るアテがあったからである。
ところが、そんな上杉側の勢いに水をさす出来事が起きた。資長が心配したほど顔色が悪かった関東管領・上杉房顕が、文正元(1466)年二月に五十子陣内で病没したのである。まだ三十二歳の若さだった。房顕には子供がいなかったので、越後上杉家から十三歳の上杉顕定が山内上杉家の養子に迎えられ、関東管領に就任した。それだけなら良かったのだが、顕定は弱年でまだ何もできなかったので、何と実父の上杉房定が、補佐人という名目で関東へ乗り込んで来た。こうなると心中穏やかでいられないのは、山内上杉家と扇谷上杉家、それに彼らの家宰を務める長尾家と太田家である。これでは山内上杉家が越後上杉家に乗っ取られたようなものであり、このままでは自分たちの権益がぜんぶ越後上杉家に持ってゆかれる・・・そういう危機感を抱いた両上杉勢は、かって渋川義鏡が現れた時のように、一致団結して越後上杉勢の増長を牽制する構えを見せた。内部に亀裂を抱えた上杉側には、ピリピリとした緊張感、猜疑心、陰謀と駆け引きばかりが渦巻き、勢いに乗るどころの話ではなくなった。
さらに、翌年の応仁元(1467)年五月、京で管領・畠山家の家督争いに端を発した応仁の乱が始まり、関東への援軍の派兵など夢のまた夢と化してしまった。しかも、同年九月には、扇谷上杉家当主であり、両上杉家の長老的存在だった上杉持朝が没したので、完全に上杉側の勢いは消滅した。五十二歳で亡くなった持朝の跡は、十六歳になる孫の上杉政真が継いだ。
応仁の乱は京の都を焼け野原に変えた。そのため都を捨て、地方へ移住する人が続出した。芸術家や文化人の多くも地方の有力者を頼り、都から離れていった。応仁の乱という悲劇に関して、強いて良かった点を挙げるとすれば、それまで京が独占していた文化・芸術を全国に拡散したことであろう。これにより地方に数多くの小京都と呼ばれる町が生まれ、日本全体の文化水準を底上げする結果となったのである。
歌人としても名高かったせいで、資長の元へも多くの京の芸術家たちが助けを求めてきた。資長は彼らを呼び寄せ、江戸や品川で保護した。また、宗祇や心敬ら著名な歌人を関東へ招いては、盛大に歌会を催したりした。
京で勃発した応仁の乱は次第に複雑怪奇な様相を呈し、応仁二(1468)年になると、それまで東軍の総大将だった足利義視が、なぜか今度は西軍の総大将となった。また西軍は、どこからか南朝の後胤を引っ張ってきて、新しく天皇に擁立した(西陣南帝)。関東にとって問題なのは、この義視と西陣南帝が古河公方・足利成氏の関東支配権を認証した点である。成氏は幕府により公方職を罷免され、さらに朝敵の汚名をきせられていたが、今回は胡散臭さだらけとはいえ曲がりなりにも天皇とされた人物、それに西陣側が将軍と仰ぐ義視から、正式なお墨付きを得たわけである。これにより古河公方側は俄かに勢いづいた。
そんな状況下にあった文明元(1469)年、資長は三十八歳になり、娘の紫音は十六歳になった。十六歳といえば、当時は結婚適齢期である。父親として資長は否が応でも紫音の嫁入りを意識せざるを得ない。しかし、相変わらず紫音は、資長や昔からいる侍女の前では明るく活発でよくしゃべるものの、それ以外の人間の前には決して姿を現そうとしなかった。顔のあばたを気にしているのは明らかだった。それでも、いつかはこの問題に決着をつけなければならない。試しに資長は紫音の前で縁談をほのめかしてみた。
「紫音もそろそろだよね」
「そろそろって何よ?」
「いや、あの・・・そろそろ結婚を考えても良い時期だよねと思ってさ・・・ねえ?・・・」
結婚という言葉を聞くや急に紫音の表情が固まり、黙りこくってしまったので、資長はハラハラしながらその様子を見守った。
「紫音ちゃん」
「・・・」
「聞いてる、お父ちゃんの話を?」
「聞いてるわよ」
「もちろん、いますぐにという話じゃないんだけどさ・・・いずれはね・・・そういう事もね・・・まぁ、考えてというか・・・」
「わたしはいいの」
「いいのって、どういう意味ね?」
「このままでいいの」
「このままずっと独身でいるという意味か?」
「うん」
「それはいかん、それはいかんぞ、紫音」
「どうして?」
「どうしてって・・・女性の幸せは結婚して子供を産むことでしょうが。これが世間の常識ですよ」
「わたしはそういうのに興味ないから」
「興味がないとか、そんなこと言わずにさ、人生なにごとも経験だから、一度はね、嫁にね、行ってさ、その・・・」
「結婚なんかしたくないの」
「紫音が結婚して幸せになる事をいちばん願っていたのは、死んだ母さんなんだよ」
「母上は関係ありません。これはわたしの人生ですから」
「そりゃ勿論そうさ。俺も母さんも紫音の幸せを一番に考えているだけで、他人の人生をどうこうしようという考えは無いよ」
「それなら放っといてください」
「放ってはおけないよ。時間はこうしている間にもどんどん過ぎてゆくのに、女性には子供を産める期限があるのだから」
「自分の時間をどう使おうと、わたしの勝手です」
「あのさぁ・・・顔のあばたを気にしてるのなら心配は無いんだよ」
「誰も顔のことを気にしてるなんて言ってません」
「それはわかってる。わかってるけどさ、もし仮に気にしてるとすればだよ、大人になってあばたは目立たなくなったし、それに何よりも紫音ちゃんは母親譲りの美女だから、それも絶世の美女だから、多少のあばたなんか誰も気にしないって」
資長がそう述べると、紫音が語気を強めて「わたしの顔の話はやめてください」と言ったので、資長はおろおろと狼狽した。
「はい、もうしません。もうしませんけど、紫音ちゃんの一度しかない人生を無駄にしない為にも、結婚はした方が良いと思うよ」
「そんなに結婚は良いのですか?」
「良いよ。もちろんだよ」
「それなら、わたしにばかり勧めずに、まずはご自分が結婚なさってください」
紫音にそう言われた資長は面食らって目を丸くした。
「俺が?」
「はい」
「俺はもう結婚したじゃないか」
「でも、今は独身です」
「それはそうだけど・・・」
「父上が再婚なされば、わたしも結婚を考えます」
「そんな無茶な」
「無茶ではありません。これが世間の常識です」
「俺が後添いをもらっても、紫音、おまえは平気なのかい?」
「もちろん平気ですよ。わたしは父上の幸せを一番に考えておりますから」
「あら、そうなの? 俺はまた再婚を嫌がられるのかと思ってた」
「なぜですか?」
「娘は父親を独占したがるって聞いたものだから・・・」
「バーカ」
「えええ?」
「とにかく、わたしに結婚させたいのなら、まずは父上が再婚なさってくださいね。そうじゃない交渉には一切応じられませんから。わかりましたか、父上?」
「はぁ・・・」
体よく紫音に言いくるめられた資長だが、こうなると真剣に再婚を考えなければならなくなった。生涯おれの妻は沙羅ただ一人と心に決めていた資長だったが、そんな自己満足的な決意より紫音の将来の方が大切に決まっている。俺が再婚すれば紫音が嫁に行くというのなら、そんなのお安い御用だ、いくらでも再婚してやろうじゃないか・・・そう思った資長だが、いざとなると肝心の相手が思いつかない。軍事と芸術以外は不器用極まる資長は戸惑った。
(再婚相手って、どこで見つければ良いんだっけ?)




