第17章 江戸城
康生二(1456)年になった。古河公方・足利成氏に言わせれば、享徳五年である。新しい年になっても公方勢と上杉勢との戦闘は散発的に続いたが、五十子陣の建造を阻止しようとした公方軍と、それをさせまいとした上杉軍が激突した岡部原の戦い以外は、大きな戦いにはならなかった。前の年の戦闘で両軍とも数多くの戦死者をだしたので、まだまだ兵が揃わなかったからである。当面の間は両陣営とも自分たちの足場固めに注力する他なかった。
成氏がまずおこなったのは、上杉側へ寝返った宇都宮等綱と千葉胤直への報復である。等綱は成氏自らの手で宇都宮城より追放し、胤直は同族の千葉康胤に討たせた。成氏は裏切り者を処罰して味方の結束を強めつつ上杉側への攻撃計画を練っていた。
一方、上杉側は攻撃よりも防御に重点を置いていた。五十子陣の建造は着々と進んでいたし、その他にも岩槻城を公方側から奪い獲り、その西に河越城を築き始めた。防衛線を完璧にする為には岩槻城の南、海の近くにもう一つ城が欲しいところだった。再び公方側となった千葉氏の攻撃に対処する為にも海沿いに城が必要だった。そこで新しく扇谷上杉家の家宰になった資長に、関東管領・上杉房顕から、海から遠くない場所に築城するよう命令が届いた。資長が綿密に調査・検討したところ、最もふさわしい場所は、いちど船の中で鈴木道胤から説明を受けた江戸村であるという結論に達した。結論が出たら後は実行あるのみである。道胤ら商人たちから金をかき集めて、資長はさっそく築城に取り掛かった。
資長の築いた江戸城がどのような姿をしていたのか明確には分かっていない。自然の地形を利用して築城するのが効率的だから、資長も当然そうしたであろう。当時の東京湾は内陸部までずっと海が入り込んでいて、現在の日比谷あたりは切り立った断崖の入り江になっていた。その断崖の上の北西から伸びる舌状台地の先端に資長は、子城、中城、外城の三つの曲輪からなる江戸城を築城した。城の東と南は海に守られ、北と西には水掘が張り巡らされていて敵の侵入を防ぐようになっていた。この時代、石垣はまだ無かったので、水堀の上には高い土塁が積み上げられていた。三つの曲輪の間にも深い堀があって、各曲輪は橋でつながれており、一つの曲輪が落とされても他の二つは守れるよう工夫されていた。子城はいわゆる本丸で、ここには静勝軒と呼ばれた望楼の付いた建物があり、資長の館になった。後に資長は、この天守閣のさきがけのような静勝軒に多くの文化人を招き、歌会などを催すことになる。
工事は資長が総監督となり、それを資忠が補佐しながら急ピッチで進んだ。
「すごい城だね、これは」
資忠が次第に露わになってきた江戸城の全貌を見て讃嘆の声を上げると、資長はまんざらでもない顔をした。
「そうだろう、これほど大掛かりな城は滅多にないはずだ」
「これで海側の防御はバッチリだね」
「ああ、利根川沿いの五十子陣、岩槻城、それにこの江戸城の三城により、公方の軍が我らの領地に侵入するのを防げるだろう。父上が築城中の河越城が完成すれば守りはより完璧だ」
道真は関東管領・上杉房顕から河越城の築城を命じられていたのである。
「大丈夫かな、父上は? うまくやってるかな?」
「父上は大丈夫さ。なにしろ経験豊富だからな」
「でも父上は兄キのように最新の築城方法を学んでいないだろう?」
「頼りになるのは知識より経験さ。それより、おまえ、また子供ができたんだって?」
「えへへ、まぁね」
と、資忠は照れて頭を掻いた。
「結花も大変だなぁ、猿並みの精力を持つおまえから毎晩毎晩せめられてさ」
「そういう兄キはどうなんだよ? 沙羅さんとちゃんとやってんのかよ?」
「沙羅は病気療養中だ」
返事を聞いた資忠は一瞬口ごもった。
「・・・まだ良くならないのかい?」
「少し良くなったかと思ったら、急に気持ちが落ちこんだりして、なかなか安定しないんだ」
「厄介だね」
「気長に快復を待つよりしょうがないさ、こればかりは」
「子供は元気かい?」
「紫音は元気だよ。元気すぎてうるさいくらいだ」
「一緒にいたいんだろう?」
「まあね」
「そんなら静勝軒を早く仕上げて、品川から沙羅さんと紫音ちゃんを呼んであげなくちゃね」
「うん、そうしたいね」
資忠が気を遣って優先的に工事を進めたので、静勝軒は予定より大幅に早く完成した。さっそく資長は品川から家族を呼び寄せた。家族には沙羅と紫音の他、母親の佳子が含まれている。
「あんらま、大きな城だわね、ここは」大手門をくぐるなり佳子は驚いてそう言った。「わたしの部屋もちゃんとあるんだろうね?」
「静勝軒の中にちゃんと用意してあります」
家来に命じて先に佳子を静勝軒へ送らせると、資長は沙羅の方を向いた。
「疲れたかい?」
「いいえ、そんなには・・・」
沙羅は恥ずかしげに俯いた。
「今日からここが俺たち家族の城だ」資長はそう言って周りをぐるりと見回した。「まだ半分くらいしか完成していないから殺風景だけど、なかなかたいしたものだろう?」
「お城のすぐ横が海なのですね」
「ああ、船から城へ上がれるようにしてあるし、海があれば敵の侵略を防げる」
「安心ですね」
「うん、安心してこの城で体を休めてくれ」
そう言うと資長は侍女に抱かれていた紫音に歩み寄り、自分の手で抱き上げた。
「どうだ、紫音、広い城だろう? 思いっきり駆け回れるぞ。これからは一緒に暮らせるからな。たくさん遊ぼうな、紫音」
資長に抱かれた紫音は「トトちゃま、カカちゃま」と歓声を上げてハシャいでいた。
この時期、資長は久しぶりに家族と過ごす時間を持てていた。というのも、古河公方と上杉のいくさは双方が攻めあぐね、膠着状態に陥っていたからである。
両上杉家が謀反人・足利成氏を討伐できないことにしびれを切らした京の将軍・足利義政は、自らこの問題を解決しようと乗り出してきた。晩年の義政は政治への関心を失い、専ら芸術の世界へ耽溺するようになるが、二十歳だったこの当時は将軍としての職務を全うしようと若い情熱を燃やしていたのである。
義政は成氏がなかなか滅びないのは公方という権威を有しているからだと考えた。実際には成氏の公方の地位は剥奪されており、現在名乗っている古河公方というのはいわば自称なのだが、それでも関東にただ一人の公方であるから自ずと権威が生じている。それなら都から関東へ本物の公方を送り込めば、誰もニセ公方・成氏の命令に従わなくなるはずだ・・・そう考えた義政は天龍寺の僧になっていた腹違いの兄・清久を還俗させ、本物の鎌倉公方・足利政知として関東へ送ることにした。その際、義政が政知の補佐役に付けたのが、渋川義鏡、上杉教朝、宇都宮等綱の三人である。
渋川儀鏡は四十代半ばの、横柄で、いけ好かない感じの、高慢ちきな男だった。なぜ義政が義鏡を選んだかというと、第一に渋川氏が将軍家身内の高家、すなわち御一家として吉良氏、石橋氏と共に厚遇されていたからであり、第二に渋川氏の分家が蕨城主になっていたので、関東で兵を集めやすいであろうと考えたからである。
上杉教朝は上杉禅秀の息子で、分倍河原の戦いで戦死した兄の上杉憲秋同様に、犬懸上杉家の再興を強く願っている老人だった。
(政知さまが鎌倉公方になれば、我が犬懸上杉家を再興できる・・・)
そう期待して政知の補佐役を買って出たのである。義政が教朝を選んだ理由は、犬懸とはいえ同じ上杉一族には違いないから、両上杉家との交渉が上手く捗ると思ったからである。
最後の宇都宮等綱は、ついさいきん成氏により追放されたばかりなので、関東の実情をよく把握しているし、敵の造反を引き出せるかもしれないという理由で選ばれた。




