第16章 家宰
命からがら品川へ逃げ帰ってきた資長だったが、太田屋敷へ入ると沙羅が寝込んでいた。資長の出陣後、父親の紅衣長頼が関東管領・上杉憲忠と共に殺害されていたという知らせがもたらされ、ショックのあまり倒れたのである。母親の佳子に帰宅の挨拶をし、乳母が面倒をみている紫音を自分の手でたっぷり抱いた後、資長は沙羅の寝室に入った。憔悴した顔の沙羅は起き上がろうとしたが、資長は優しくそれを制して再び床に寝かせた。
「沙羅、ただいま」
「すいません、お出迎えもできなくて」
「いいんだよ、そんな事は。それよりも、ゆっくり休んで、早く良くなってくれ」
「はい」
「お父上のことは本当に残念だった・・・」資長がそう言うと、沙羅は涙ぐんだ。「俺がお父上に政庁の仕事なんか世話しなければ、こんな事にはならなかったのかもな・・・」
「いいえ、父は喜んでおりましたし、お役所の仕事にやりがいを感じておりました」
「政庁の仕事なんか辞めさせて、品川へ来させておけばよかった」
「父は自分の仕事に誇りを抱いておりました」
「確かにお父上は有能で、それゆえ管領さまも側近の一人に加えていたのだろうけど、まさかそれが仇となろうとは・・・」
「今回も敵の卑怯な不意打ちから管領さまを守ろうとして死んだのですから、わたしは父を褒めてあげたい気持ちです」
沙羅はそう言うと、寝たまま体を横に向けて嗚咽した。こちらを向いている沙羅の背中を資長は優しく撫でた。
「父しかいなかったのです、わたしには・・・長い間ずっと・・・父しか・・・」
「わかってる。でも、今は俺がいるし、紫音もいる」
「ええ」
「心の傷はすぐに癒えないだろうけど、俺と紫音がいつもそばについているから、ゆっくり立ち直ってくれよな、沙羅」
そう言って資長は横になり、しくしく泣き続けている沙羅の背中に頬を寄せた。二人はしばらくの間、そのままの姿勢でじっとしていた。
品川の太田屋敷には各地から次々と情報が寄せられてきた。それによると、道真と資忠は糟屋に無事ついたらしい。また、長尾景仲も首尾よく小栗城に入ったようだ。しかしながら、上杉軍の総大将だった扇谷上杉家当主の上杉顕房は逃走の途中で敵に追いつかれ、自害して果てたという話だった。
「まだ十九歳だったのになぁ・・・」
資長は顕房の若さに溢れた顔を思い浮かべて暗澹たる気持ちになった。
分倍河原の戦いに勝利して勢いづいた鎌倉公方・足利成氏は上杉側の拠点を次々と攻略したが、景仲が小栗城で籠城していると聞くや軍を引き戻して小栗城を攻撃し始めた。景仲の目論見通りになったわけである。
「小栗城などすぐに攻め落としてやるわ」
ところが、成氏の目論見に反して、景仲の言葉通り城は容易に落ちなかった。成氏が小栗城の攻略に手こずっている間に京の幕府は成氏の討伐を決定し、後花園天皇から錦の御旗を賜った駿河国守護・今川範忠が、駿河、遠江、三河、尾張、美濃から兵をかき集めて関東へ進軍してきた。成氏はようやく小栗城を落としたものの、肝心の景仲は下野国の只木山へこっそり逃げた後だった。
「おのれぇ、景仲め。年寄りのくせにすばしっこい奴だ」
成氏は悔しがったが、今更どうしようもない。気持ちを切り替え、京からやって来る幕府軍を迎え討つ計画を立てた。幕府軍を鎌倉に入れたらおしまいなので、その手前の平塚周辺で待ち伏せて決戦を挑む作戦である。ところが、味方の宇都宮等綱と千葉胤直が寝返って幕府側についたものだから、成氏はそれどころの話ではなくなった。
「宇都宮も千葉も絶対ゆるさねえからな。覚えてろよ、てめえら」
公方側が寝返りによる混乱の最中にあった享徳四(1455)年六月十六日、三島に集結していた上杉軍(もちろん道真や資長も加わっている)と合流した幕府軍は鎌倉に突入し、成氏の留守を任されていた里見義実らの兵を掃討した。鎌倉が再び上杉側の手に戻ったのである。ただし、その代償として、震災からの復興途上だった鎌倉は、寺も神社も民家も武家屋敷も再び炎上し、すべてが灰燼に帰してしまった。焼け野原と化した鎌倉に見切りをつけた成氏は、下総国にある古河城に入り、以後ここを御所となし、古河公方と呼ばれるようになった。七月に年号が康正に変わったが、自分を朝敵にした幕府と朝廷に対し怒り心頭の成氏はそれを認めず、頑固に享徳を使い続けた。
このようなわけで関東は、古河公方・足利成氏の勢力が支配する東側と、新しく関東管領に就任した上杉房顕の勢力が支配する西側が、利根川を挟んで睨み合う形になったのである。
道真が家宰を務める扇谷上杉家では、顕房が戦死したので次の当主を決めなければならなかった。戦時下であるし、緊急事態でもあるので、経験者が相応しいという家臣の総意により、上杉持朝が再登板することになった。その際、道真は家宰職を資長に譲ると宣言した。
「まだまだお元気ですし、公方とのいくさは終わっていないというのに、なぜこの時期に隠居なさるのですか、父上?」
突然の表明に戸惑った資長がそう尋ねると、道真は苦笑いした。
「隠居するわけじゃないよ。扇谷上杉家の家宰職をおまえに譲るだけだ」
「この非常時にわたしのような若輩者では家宰職は務まりません。やはり父上にもう少し頑張って頂かなくては」
「いやいや、左衛門尉さまからも先日言われたであろう?」と、道真は首を横に振った。左衛門尉というのは長尾景仲の受領名である。「もう俺のような年寄りの時代ではないのだ。これからは資長、おまえたち若者の時代だ。公方だって若い。あの公方に、俺ら年寄りでは勝てない。勝てるのは、おまえや資忠ら新しい世代の人間だ」
「家宰職を辞めた後、父上は何をなさるおつもりなのですか?」
「公方とのいくさはすぐに終わりそうにない。長く続くだろう。今後、わが上杉勢は武蔵国の五十子に陣を構え、ここを本拠地にする予定だ」
五十子とは現在の埼玉県本庄市五十子周辺である。この後、上杉勢はここに五十子陣という巨大な基地を築き、古河公方側と戦うことになる。陣という名がついているが、実際は城を三つ合わせたくらいの大きさを誇る難攻不落の城塞である。
「五十子ですか・・・」
資長は関東平野の真ん中より少し北側辺りの情景を漠然と頭に思い浮かべた。
「そうだ、五十子だ。公方と戦うのには、ここがいちばん便利で都合の良い場所だからな。五十子陣が完成すれば、管領さまも、我らのお館さまも、左衛門尉さまも、みな入られることになろう。俺も五十子陣に入って、これらの方々を補佐しなければならない。そうなると家宰の仕事は出来なくなるし、扇谷の兵を率いて戦うことも難しくなる」
「しかし、わたしの家宰就任は、お館さまがお認めにならないのではありませんか?」
「その点は心配ない。お館さまは既にご了承済みだ」
「あ、そうなんですか?」
「お館さまは島河原から三島へ逃げた際、おまえと資忠に助けられた事にえらく感謝しておられてな、資長なら安心して任せられる、とおっしゃっておられる」
「はぁ、それはどうも・・・」
「そういうわけだ。やってくれるな、資長?」
「・・・はい」
かくして康正元(1455)年十二月、二十四歳の資長は正五位下に昇叙のうえ備中守に任じられ、扇谷上杉家の家宰に就任した。
資長は久しぶりに品川の太田屋敷に戻ったが、夜遅かったので紫音はもう寝た後だった。二歳になり、言葉を憶え始めた紫音が、資長は可愛くて仕方なかった。出来ることなら一日じゅう紫音と一緒にいたかった。しかし、扇谷上杉家の家宰になった以上、それはますます難しくなるだろう。資長は紫音の寝顔をしばらく眺めた後、沙羅の部屋へ向かった。
沙羅はまだ起きていた。起きて資長の帰りを待っていた。
「具合が悪い時は無理に起きて俺の帰りを待っていなくても良いんだよ」
資長が労わりの言葉を掛けると、沙羅は礼を述べた。
「ありがとうございます。今日は普段より体調が良かったものですから」
父・長頼の死を知って倒れた沙羅だったが、その後も体調が思うように回復せず、寝床の中で過ごす日が多かった。
「無理をせずに養生してくれよ、俺と紫音の為にな」
「はい」
「本当はずっとそばに付いていてやりたいんだが、そうもいかないんだよ」
「わかっています」
「もっと平和な時代に夫婦でいたかったな」
そう言うと資長は沙羅の傍らでごろんと横になった。そして、すぐに鼾をかき始めた。沙羅は資長の寝顔をじっと見つめていた。




