第14章 享徳の乱
享徳三(1454)年十二月十日の大地震から二週間が過ぎ、鎌倉もようやく平穏を取り戻しつつあった二十七日、上杉側の事実上の総大将である長尾景仲は、先祖の霊と今回の震災で亡くなった人々の霊を慰撫すべく、長尾郷(現在の神奈川県横浜市栄区長尾台町)にある御霊宮に泊りがけで参詣に出かけた。道真も、この日は品川の太田屋敷に滞在し、鎌倉を留守にしていた。
景仲と道真が鎌倉にいないのを密かに確認すると、鎌倉公方・足利成氏は、震災復興を含めた来年の政治指針について協議したいという名目で、二十七日の夜、関東管領・上杉憲忠を公方御所へ呼び出した。
(公方さまが、我ら上杉と力を合わせて政務を執り行おうとお考えくださったのは、何とも嬉しい限りだ)
二十二歳の憲忠は何ら疑う事なく、山内上杉家の家宰である長尾実景とその息子・景住を含めた三十名ほどを連れて、いそいそと公方御所へ向かった。随行員の中には紅衣長頼も加わっていた。
憲忠の一行が公方御所の中へ入ったところ、その背後で門が固く閉じられた。
「ん? どした?」
憲忠が不審に思ったその瞬間、結城合戦で死んだ結城氏朝の子・結城成朝に率いられた兵三百が一斉に襲い掛かってきた。
「卑怯な。騙し討ちか」
三十対三百では初めから勝負にならず、憲忠の一行は全員あっという間に斬り殺された。
「父の仇、討ち取ったり!」
成朝はそう叫んで、誇らしげに憲忠の首を高く掲げた。
関東管領・上杉憲忠が鎌倉公方・足利成氏によって謀殺されたという一報は瞬く間に広がり、関東じゅうに衝撃が走った。もう年末だとか正月だとか言っている場合ではなかった。大混乱だった。
景仲は大急ぎで長尾郷から鎌倉へ舞い戻ると、直ちに山内にある上杉屋敷に火を放ち、憲忠の正室(先の扇谷上杉家当主・上杉持朝の娘である)ら生き残った人々を糟屋にある上杉屋敷へ避難させた。
「公方の奴、遂にやりやがったか」
品川にいた資長はそう叫び、すぐに出陣の支度を始めた。資長の支度を手伝いながら沙羅が心配そうに尋ねた。
「父は無事でしょうか?」
沙羅の父・長頼が死んだという情報は、このとき未だ品川には知らされていない。
「いま鎌倉は公方側に制圧されているから、お父上の安否は確認できないけど、大丈夫だよ。きっとお父上は無事だよ。これから父上に従って糟屋へ行くが、お父上の消息が分かったらすぐ知らせるから、紫音と一緒に待っていてくれ」
資長はそう言って沙羅を落ち着かせると、道真と共に景仲のいる糟屋へ急行した。
糟屋の上杉屋敷に重臣たちが集まり、景仲を中心に今後の対応が協議された。それにより決定したのは、第一に殺された憲忠の弟で、京で将軍・足利義政の近習になっている二十歳の上杉房顕を、新たな関東管領に迎えること。第二に長尾実景の死により空席になった山内上杉家の家宰に景仲を再任すること。第三に鎌倉公方・足利成氏を討伐すること、である。
協議が終わると、景仲はただちに兵を集めるよう重臣たちに命じると共に、越後上杉家の上杉房定(殺された憲忠は房定の従兄にあたる)に援軍を要請する使者を送った。また、長男の長尾景信を京に派遣して、房顕を関東管領に迎えることの承諾を幕府に求め、併せて援軍を要請した。
年が明け、享徳四(1455)年の正月を迎えたが、関東武士は皆いくさの準備に追われ、正月どころの騒ぎではなかった。上杉側は一刻も早く兵を集め、成氏に占拠された鎌倉へ攻め込もうと躍起になっていた。しかし、成氏には敵が攻めてくるのを待って鎌倉で迎え撃つなんて悠長な考えはまったく無かった。攻撃の主導権は常に自分が握っていないと気が済まない性分だった。
「よーし、上杉をおびき出して殲滅してやる」
一月五日、成氏が先に動いた。一千数百名の兵を従えて鎌倉を北上し、武蔵国の府中にある高安寺に入ったのである。ここで北関東方面から集まってくる上杉側の兵を迎え撃つ作戦であった。
(鎌倉には留守番の兵がわずかに残っているだけであろう)
鎌倉を奪回する絶好の機会と考えた上杉側は、島河原(現在の神奈川県平塚市)に約一千名の兵を集め、鎌倉へ攻め込む準備を始めた。軍を率いるのは、先の扇谷上杉家当主・上杉持朝である。上杉家の危機を黙って見過ごすわけにはいかないし、殺された娘婿の敵討ちをしなければならないというわけで、隠居を撤回して乗り出して来たのである。資長と資忠は、道真に命じられて、この軍に加わっていた。
兵たちは翌朝の鎌倉攻撃に備えて野営していた。その中にいた資長は真夜中過ぎても妙に目が冴えて眠れないので、隣で寝ている資忠に話しかけた。
「起きてるか?」
「ああ」
「うちらの兵だけどさ、数は多いけど相変わらず頼り無さげだよな」
「うん」と、資忠は頷いた。「本気度を感じないね」
「自分たちのいくさじゃねえと思ってるんじゃないのかな、あいつらは?」
「そうかもね」
「こんなんで勝てるのだろうか?」
「また江ノ島の二の舞になるかもしれないね」
「いま鎌倉は留守番の兵がわずかに残っているだけだから攻める好機だという話だけど、あの公方がみすみす敵に鎌倉を明け渡すような真似をすると思うか?」
「え? なに?」資忠は体を起こした。「これは公方の罠だと言うつもりなのかい?」
「うん。俺はそう思う」
「罠だとしても、あいつらに何が出来るんだい? 鎌倉に残っている敵兵が少数なのは確かなんだろう?」
「古来、少数で多数の敵を倒す戦法といえば何だ?」
「夜襲だよ」
「そうだ、夜襲だ。こちらは大軍で油断している。そこを夜襲するのさ。俺だったら絶対にそうするな」
「でも、夜襲に出しちゃったら、肝心の鎌倉を守る兵がいなくなっちゃうんじゃないの?」
「だから、いま鎌倉を守っている敵兵は外へ出てこない・・・人数的に守るのが手一杯で、積極的な攻撃はしてこない・・・わが軍の上層部はそう思っているはずだ。そこに油断がある。公方はその油断につけ込むのさ」
「本当に?」
「間違いない。公方の奴はいつだって大胆不敵な策を仕掛けてくる」
「もし兄キの言う通りだとしたら、敵はいつ夜襲して来るんだい?」
「今この瞬間に来てもおかしくないのだが・・・」
資長がそう言った途端、自陣内から「敵襲!」という叫び声が次々と上がり始めた。
「やはりこうなったか」
資長と資忠は起き上がり、周囲の状況を確認した。
「兄キの予想通りになったね」
「公方は俺より年下だけど、思い切りが良いよな。度胸がある。こういうところは俺も見習わなくちゃね」
鎌倉に残っていた成氏側の兵三百名が全員で突風のように夜襲してきた。三百名とはいえ、武勇の誉れ高い一色直清と武田信長に率いられた精鋭部隊である。一千名いた上杉軍は、たちまち総崩れになった。
「もはや収拾がつかない。ここはいったん引くしかないな」
資長がそう言うと、資忠が「逃げるが勝ちだね」と頷いた。
「資忠、今の俺たちに課せられた最大の使命は、お館さまを無事に逃がすことだ」
「ああ、合点承知の助だ」
「よーし、いくぞ」
資長と資忠は、次々と襲い掛かって来る敵兵から持朝を守りながら、命からがら三島方面へ撤退した。一方、夜襲に成功した成氏軍は、ほぼ無傷の状態で意気揚々と鎌倉へ引き上げていった。
島河原で自軍が敗走したという知らせを受けた景仲と道真は、
「またしても公方にしてやられたか」
と地団駄踏んで悔しがったが、悔しがってばかりいても埒が明かないので、関東各地から集まってきた援軍や島河原から逃げてきた兵を吸収しながら北へ向けて進軍した。立川に到着した時、その総数は約二万に膨れ上がっていた。
援軍の中には上杉憲秋率いる犬懸上杉家の家臣団が含まれていた。憲秋は反乱を起こした上杉禅秀の息子であり、このいくさで手柄を立て、父の死と共に没落した犬懸上杉家を再興しようと企んでいた。景仲も道真も「今さら犬懸かよ」と少しばかり迷惑に感じていたが、もちろん口に出しはしなかった。資長と資忠は、持朝を無事に三島へ送り届けた後、大急ぎで戻ってきて合流した。
成氏側にも続々と援軍が到着した。こちらの総数は約一万。上杉側の半分だが、島河原で勝利したばかりの猛将・武田信長が鎌倉から府中へ移動してきたこともあり、陣営内は意気盛んだった。これまでの経験から兵士たちは口々にこう叫んでいた。
「いくら数が多くても、上杉は俺たちの敵じゃない」
上杉側の人間がこれを聞いたとしたら、おそらくほとんどの者が「確かにそれは否定できない」と思ったであろう。それくらい上杉軍の兵の弱さは 周知の事実だった。




