第13章 大地震
享徳三(1454)年の夏が過ぎ、秋が過ぎ、このまま平穏に年を越せそうだと思っていた十一月二十三日の深夜、資長は体の揺れを感じて目が醒めた。
「地震だ」
横で寝ていた沙羅も目を醒ました。すぐに収まることを期待しながら様子を窺っていたところ、逆に揺れはどんどん大きくなり、遂には屋敷全体がガシャガシャ物凄い音をたてて激しく揺れ始めた。
「大きいぞ。すぐ外へ出るんだ」
資長と沙羅は紫音を抱きかかえて庭へ飛び出した。屋敷の中から次々と侍女や下人たちが悲鳴を上げて逃げ出して来る。月明かりを頼りに沙羅と紫音を庭の中央の周囲に危険物が何も無い安全な場所へ避難させると、次に資長は屋敷へ引き返し、「母上! ご無事ですか?」と叫んだ。そこへ佳子が侍女二人に両脇を抱えられて脱出してきた。
「母上、ご無事で良かった」
そう言って資長が駆け寄ると、このところ気が強くなっている佳子もさすがにブルブル震え、「怖かった。怖かった」と資長に抱きついた。資長は佳子を沙羅と紫音がいる場所へ連れて行った。そこには家臣たちが怯えた表情をして集まっていた。揺れはまだ続いている。資長は沙羅、紫音、佳子、そして家臣たちとひと固まりになって暗闇の中で揺れが収まるのをじっと待ったが、揺れはなかなか収まらなかった。こんなに長く揺れる地震は初めてだ。誰もがそう思ったほど長く揺れていた。
ようやく揺れが収まり、建物はどうにか倒壊を免れた。家臣たちが屋敷内の倒れた家具を片付けていると、再び大地が大きく揺れ始めたので、みんな慌てて外へ逃げた。その後も大きな余震が何度も続いた。屋敷内にいるのは危険なので、朝まで外で過ごすしかなかった。しかしながら、季節は初冬である。全員、布団にくるまって夜中の寒さに耐えた。火の気の無い夜中に起きた地震だったので火災が発生しておらず、それだけが唯一の救いだった。
これが享徳の大地震である。この時、震源地である東北地方の太平洋沿岸は、巨大な津波により壊滅した。私たちは平成二十三(2011)年三月十一日に起きた東日本大震災を体験したので、津波の恐ろしさを思い知らされているが、あれと同じ規模の大津波が発生したのである。津波は房総半島の太平洋沿岸にも到達し、下総国、上総国、安房国にも相当な被害を与えたと思われる。関東の内陸部の被害は地震によるものだけだったが、それでも倒壊した建物の下敷きになって死亡した者は数知れなかった。
夜が明けた。余震はまだ断続的に続いている。資長は家臣の一人を鎌倉へ走らせ、被害状況を確認してくるよう命じた。また腕の立つ家臣を何組かに分けて品川の街中を巡回させ、泥棒や婦女暴行犯等の犯罪者を見つけたら問答無用で斬り捨て、治安を維持するよう指示した。それが済むと、庭の数か所に杭を打って天幕を張り、その中に沙羅、紫音、佳子、それと地震で負傷した家臣を入れて休ませた。怪我をしていない者には、余震に注意しながら、屋敷内を片付けさせた。
これらの指示をテキパキと出し終えると、資長は太田屋敷を出て鈴木道胤の屋敷へ向かった。途中、倒壊もしくは半壊した家屋をいくつも見た。道端に放置されたままの死体もあった。港では多く船が損壊していた。尋常ならざる大災害が起きたことは明らかだった。
道胤の屋敷は無事だった。資長は到着するや道胤に向かい、息せき切った調子で、
「妙国寺を避難所にして、あそこに家を失った者を収容し、怪我人を治療し、当分のあいだ朝と夕に炊き出しをおこなうから、その費用を都合して欲しい」
と頼んだ。資長の勢いに押された道胤は二つ返事で承諾した。話がまとまると、資長はすぐさま妙国寺へ向かった。その姿を見て道胤は、
「あの若さまは、平時はさえないけど、乱世でこそ力を発揮できるお方なのかもしれないな」
とつぶやいた。
資長の命令により、その日の夕方から妙国寺での炊き出しが始まり、多くの被災者が食べ物を求めて列を作った。太田屋敷の人間は総出で手伝い、沙羅は紫音を背中におぶったまま被災者が差し出す椀に次々と粥を注いでいたし、佳子は本堂で怪我人の頭や腕に包帯を巻いていた。
その夜、鎌倉に行かせた家臣が戻ってきた。報告によれば、鎌倉でもいくつかの建物が倒壊したが、被害は当初の予想より遥かに少なく、道真を含め上杉側の人間はみな無事だった。紅衣長頼も無事だった。資長はすぐにこの報告内容を沙羅と佳子に伝えて二人を安心させた。小さな余震が続く中、震災初日目の夜が過ぎていった。
二日目以降も太田屋敷の者たちは、地元の人々と力を合わせて、様々な復興作業に従事した。そうこうしているうちに次第に情報が集まり、地震の真相が明らかになってきた。それによれば、今回の地震の震源地は関東ではなく東北であり、陸奥国は地震と津波により誰も見たことが無い程の壊滅的な被害を受けたという話だった。関東も甚大な被害を受けたが、陸奥に比べれば遥かにマシだと聞いて資長は背筋が冷たくなった。
皆で力を合わせた結果、地震からの復興は順調に進んだ。余震の数もめっきり減って、人々がほっと一息ついていた十二月十日の昼過ぎ、とつぜん鎌倉を大地震が襲った。これが一連の余震の一つなのか、誘発されて起きた別の地震なのか分からないが、いずれにせよ鎌倉では多くの家が倒壊し、多数の死者が出た。品川もとうぜん揺れたが、たいしたことは無く、鎌倉ばかりに被害が集中した形だった。
資長は家臣数十名と共に救援物資を担いで急ぎ鎌倉へ向かった。その際、沙羅から
「父の安否も忘れずに確かめてきてくださいね」
と頼まれたので、資長は
「わかったから、そう心配するな」
と微笑んだ。
資長一行が鎌倉に到着すると、目を覆いたくなる惨状が待っていた。華やかだった東国一の都は、もはや存在していなかった。倒壊した家の柱や壁の山が一面に広がり、そのあちらこちらから火災が発生していて、住民たちが懸命に消火していたが、なかなか追いついていなかった。鎌倉じゅうに焦げ臭い煙が漂っていた。
扇谷にある太田屋敷も、その隣にある上杉屋敷も半壊していた。資長は大声で道真を呼んだ。
「父上!」
すると「おお、ここだ」という声がして、半壊した屋敷の横から道真がのっそり姿を現した。
「父上、ご無事で良かった」
「ああ、何とかな」
道真の背後から資忠が姿を現した。
「資忠、おまえも来ていたのか」
「うん、兄キよりちょっと前にね」
資忠はそう言ってニヤリと微笑んだ。
「糟屋の被害状況はどうだ?」
「たいしたことないよ。鎌倉がいちばん酷いな、これは」
資長は周囲を見回し、暗い表情で「そうだな・・・」と呟いた後、道真の方へ向き直り、扇谷上杉家の当主・上杉顕房の安否を尋ねた。
「お館さまはご無事だ」
「山内の皆さまはどうですか?」
「あっちも無事だったようだ」
「紅衣どのも?」
「ああ、大丈夫だ」
「それは良かった」
「最も被害を受けたのは粗末な家に住んでいる庶民だ。大きな屋敷はわりと平気だった。公方御所も一部が壊れただけで無事だったらしい。しかし、小さい家は軒並み倒れた」
道真のこの言葉で資長の気持ちはさらに沈んだ。
「これから両上杉家と我らが力を合わせて鎌倉を再建しなければなりませんね」
資長がそう言うと、道真は「鎌倉公方とも力を合わせてね」と付け加えた。
「そうですとも。考えてみれば、鎌倉の再建を共に成し遂げることで、公方さまと両上杉家の長きに渡る確執も解消されるのではありませんか?」
「そうなれば良いけどね」
「いや、そうなりますよ。そうならない方がおかしいでしょう、普通」
常識的に考えれば資長の言う通りだった。このような大災害を前にして鎌倉公方と上杉が争っている場合ではない。今こそ両者が力を合わせて復興に取り組むべきだし、そうしなければならないのは明らかである・・・ただ、残念な事に、鎌倉公方・足利成氏には、そのような常識が通用しなかった。成氏は逆に「好機到来」と捉えた。
(人々の関心が震災に向いている今こそ、俺さまが上杉を倒す絶好の機会だ)
敵が予想していないところから攻撃を加えるのが戦術の基本だが、成氏はまさにそれを実践しようと考えたのである。公方御所には地震の後、結城、里見、武田らの兵が集まっていたが、それは災害時における不測の事態から成氏を警護する為であろうと思われていた。上杉側の事実上の総大将である長尾景仲も、副将格の道真も、まさかこんな時に成氏がいくさを仕掛けてくるとは夢にも思っていなかった。災害時にそんな事をするのは掟破りの卑劣な戦法であると一般に認識されていたので、いくら成氏でもそこまで卑怯な真似はするまいと考えていたのである。しかしながら成氏は、いくさに卑怯もヘチマもあるものか、とにかく勝てば良いのさ、という現代っ子的な考えの持ち主だった。




