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江戸の道灌  作者: ふじまる
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第12章 紫音

 沙羅さらが産んだのは女の子だった。資長すけながは沙羅の手を握りながら「良かった、良かった」と言って泣き続けたが、あんまり資長が泣くものだから、さすがに沙羅も呆れた様子だった。

「殿、もう泣くのはおやめください。家臣の手前もありますから」

「だって、俺のために、命懸けで、こんな可愛い赤ちゃんを産んでくれてさ・・・それを思うと泣けて、泣けて・・・」

 そう言って再び資長は号泣した。ようやく泣き止んだかと思ったら、鎌倉から紅衣長頼べにいながよりが駆けつけて来て、沙羅と初孫の顔を交互に眺めながら泣き出したものだから、それにつられて資長も再び泣き始める有り様だった。もちろん道真どうしんも鎌倉からやって来て、初孫の愛らしい寝顔を見ながら佳子よしこと嬉しそうに談笑していた。

 赤ん坊は紫音しおんと名付けられた。紫音の小さい指やぷっくらした頬が可愛くて、資長はいくら眺めても飽きなかった。

「紫音は可愛いなぁ」

 そう言いながら資長は一日じゅう沙羅と紫音が寝ている布団の横でゴロゴロし、そこから離れようとしなかった。それを見て怒ったのが佳子である。更年期障害のあらわれか、資長が小さい頃は優しかった佳子が、年をとるにつれ猛禽類のように筋っぽくなり、同時にひどく怒りっぽくなっていた。

「いい加減にしなさい、資長。あんたにはやらなくちゃならない仕事があるでしょう?」

「母上、わたしはしばらく産休をとらせて頂きます」

「何が産休ですか。紫音ちゃんを産んだのは、あんたじゃなくて沙羅さんでしょうが」

「夫婦は一心同体ですから、これからは夫も妻と一緒に子育てを分担しなければならないのです」

「もし今ここへ敵が攻めて来たら、それでも産休だと主張して戦わないつもりなの?」

「大丈夫です。今のところ敵はどこからも攻めて来ませんから」

「万が一の場合に備えて準備しておくのが、あんたの役目でしょうが」

「ですから、万が一の場合に備えて、わたしはこうして沙羅と紫音を警護しているのです」

「そういう屁理屈はもういいから、沙羅さんと紫音ちゃんの事はわたしら女に任せて、男のあなたは外へ出て働きなさい」

 佳子がそう命じるや、資長は「ずるいですぞ、母上」と言った。

「え?」

 意味がわからず、佳子は困惑した表情を浮かべた。

「そうやって紫音を独り占めする気なんでしょう?」

「はぁ?」

「ずるい、ずるい、可愛い紫音を独り占めしようとするなんて、ず、る、い」

「あんなぁ・・・」

「いくら母上とはいえ、紫音の独り占めは許しませんよ、絶対」

「つべこべ言ってないで、さっさと出てゆけ!」

 激昂した佳子は資長を屋敷の外へ蹴り出した。資長は涙ぐみながら自分の任務に戻った。鬼のような形相だった佳子だが、資長がいなくなるとたちまち表情が緩み、紫音を抱いてあやし始めた。

「さぁ、紫音ちゃん、おばあちゃんが遊んであげまちゅよ」

 資長の言う通り、差し当たって戦乱の予兆は無かった。しかし、鎌倉公方・足利成氏あしかがしげうじが諦めたわけではない。成氏しげうじはすぐにでも上杉にいくさを仕掛けたかった。ところが、上杉側の監視が殊のほか厳しく、不穏な動きを少しでも察知すると、すぐに対策を講じられたので、さすがの成氏も動けなかったのである。

「くそ、景仲かげなか道真どうしんめ」

 と、成氏は唸った。

 長尾景仲ながおかげなかは江ノ島合戦の責任を取り、山内やまのうち上杉家の家宰職を義兄弟の長尾実景ながおさねかねに譲って隠居したが、実質的には未だに上杉側の総大将であり、太田道真おおたどうしんがその副将であるという構図は変わっていなかった。

「ガッチガチに固めやがって。このままじゃ身動きがとれないじゃないか」

 成氏がそう嘆くと、側近の結城成朝ゆうきしげともが言った。

「何かあちら側の気をそらすものがあれば良いのですけどねぇ」

「そこなんだよ。まさにそこ。こちらに注意を向ける余裕が無くなるくらいの大事件が起きないかなぁ?」

「たとえば、どういうのがよろしいのですか?」

 持光にそう尋ねられた成氏は考え込んだ。

「うーん、たとえばさぁ・・・これまで想定していなかった敵が、とつぜん意外な方面から攻めて来るとか・・・」

「第三の敵? 海を渡って異人が攻めて来るとかですかね? 考えづらいですなぁ・・・」

「そうじゃなかったら、富士山が噴火するとか・・・」

「富士山がねぇ・・・これも望み薄ですなぁ・・・」

「とにかく何か事件が必要なんだよ、今の俺には」

 年が明けて享徳三(1454)年になった。

 鎌倉公方側と上杉側による睨み合いは相変わらず続いている。資長は品川太田屋敷のあるじとしての仕事をこなしつつ、仕事が終わると一目散に帰宅し、親子三人の時間を楽しんでいた。紫音の可愛い顔を眺めては、その日の出来事を沙羅に話しながら晩酌の膳に向うのが、資長の一番の楽しみだった。

「今日聞いたんだけど、弟の資忠すけただが、遂にこの夏、結婚するんだって」

 いつものように晩酌をしながら資長がそう伝えると、沙羅は「それはおめでとうございます」と笑みを浮かべた。

「で、お相手はどなたですか?」

扇谷おおぎがやつ上杉家重臣の娘・結花ゆかが相手だ。小さいころ近所に住んでいたので、結花は俺たち兄弟の幼馴染で、昔からよく知っている仲なんだ」

「あ、そう言えば、いつだったか殿から伺ったことがありましたよね、資忠さんには幼馴染の恋人がいるって」

「そうそう、それが結花さ。父上と母上も結花をよく知ってるし、資忠は小さい頃からずっと結花のことが好きだったみたいだから、この結婚は既定路線だね」

「資忠さんにとっては待ちに待った結婚ですね」

「結花にとってもね。なにしろ結花は小さい頃、大きくなったら亀千代かめちよさまのお嫁さんになるんだって、しょっちゅう言ってたからなぁ」

「殿のお嫁さんになるとはおっしゃらなかったのですね?」

「・・・うん。資忠はお調子者だし、俺よりずっと可愛い顔をしていたからさ・・・」

「幼い頃からの純愛を実らせて結婚できるなんて、ホント資忠さんは果報者ですわ」

 沙羅が夢みるような表情でそう言ったので、資長は不安げな顔をした。

「何だよ、俺と結婚したことに不満があるのかよ?」

「ありませんよ、何も」

「本当は都に好きな男がいたんじゃないのか?」

「ふふふ、それは内緒」

「え? いたの、やっぱり?」

「内緒」

「んもー」

 と、資長は沙羅に抱きついた。そして床の上を転がりながら二人でいちゃつき始めた。子供が産まれても、まだまだお熱い資長と沙羅だった。

 資忠と結花の結婚式は、享徳三(1454)年七月に鎌倉の太田屋敷で執り行われ、品川からは資長と佳子が出席した。資忠と結花は幸せ一杯という顔だった。二人はこれから糟屋かすやにある太田屋敷で生活することになる。資長夫婦を品川へ行かせたのと同じように、資忠夫婦の糟屋行きも道真による成氏が鎌倉で挙兵した場合の用心の一環である。

 成氏に挙兵の意志があることはよく分かっているが、それが可能なのか、本当にやれそうなのか、については資長にも確信が無かった。そこで、挙式後の宴会の最中に、資長はそれとなく道真に尋ねてみた。

「最近の公方さまのご様子は如何ですか?」

「くすぶってる感じだな」

 道真はニヤリと笑ってそう答えた。

「諦めたご様子はありませんか?」

「そういう様子は見えないな。むしろ秘めた闘志を感じるほどだ」

「もし公方さまが挙兵したら・・・これから鎌倉には父上しか残りませんけど、大丈夫ですか?」

「俺は大丈夫さ。いざという時は一人の方が身動きがとりやすくて良いからな」

「それならよろしいのですが・・・くれぐれも無理はなさらないでくださいね」

「おう、わかったよ。心配してくれてありがとうな。ところで、紫音はどうしてる? 元気か?」

「紫音は元気ですよ。うるさいくらいです」

「もうすぐ生まれて一年になるものな」

「はい、十月で一年です」

「紫音の顔が見たいな」

「え? どうなされたのですか? 父上はそういう類いの事をおっしゃる人ではないじゃありませんか」

 資長が驚いてそう言うと、道真は苦笑した。

「俺だって人並みに孫が可愛いさ」

「孫はこれから資忠のところにじゃんじゃん出来ますし、わたしのところにもまだまだ出来ます。すぐに孫だらけになりますよ」

「そうだな。これから生まれてくる孫たちの為にも、この鎌倉を守らなくちゃな」

 道真は静かにそう言った。

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