ただいま会議中
「第一回、あの猫の化けの皮剥いで追い出して元の平和な城へ戻そう会の会議を始めます。本日の証人ゲストは、我ら魔王陛下の六柱の一人、ネーベル殿です」
あの猫の化けの皮剥いで追い出して元の平和な魔王城へ戻そう会、略して猫魔王の会。
主な活動内容はそのまま会の名前である。会長は魔王城、唯一の宰相である、シュベルツァー・ノール・カルティエだ。彼は猫レディ魔王城に来てからは、その関連でいくつもの苦汁を呑まされてきた。前々から忌々しく思う存在だったが、徹底的な溝が出来てしまったのは、やはりあの“閣下襲撃事件”だろう。公衆の面前で飛び掛かれ襲われ服の中を這い回られ、何故かいつの間にか持っていたドン・グラを口にまんまと逃げられてしまった。ドン・グラのことはさておき、大勢の前で恥をかかされてしまった事は許しがたい。
つづいて会員第一号、フレイル・ギュスター。彼は魔王城侍従頭であり、魔王陛下の側仕えを勤めあげる、所謂“出来る人”だ。会員になった動機は、部下であり、サーベルキャット被害者の会の侍女達からの嘆願書を受け取ってしまったことによる。解決した今では、すでに脱会したいと思案中だが、今回の会議では宰相閣下の貯蔵コレクションの一つ、地上のシムウェルト産ワインの年代物が振る舞われるとの事で、今回は参加を決意した次第だ。器用に獣の前脚で
、いそいそと空になったグラスへとボトルを傾ける。
忘れてはいけないのは、本日のゲスト、ネーベル・リベル。
吸血鬼の始祖とも謂われる人物だが、その正体は古代人。身体の機能は至って普通の人だが、唯一違うのがとんでもなく寿命が長い事。因みに魔王陛下の一番血の気が多かった数百年前の時期もバッチリ体験済みの為、血生臭いあんな事やこんな事まで挑戦させられたの歴戦の強者である。当然、とっくの昔に普通の人分類からは外れている。
吸血鬼と謂われる原因は、彼の偏食主義からきているのだが、その事実を知る者は余り少ない。
第一回にして、こんな大物が出席するに至ったのは、ひとえに宰相閣下の人徳、かもしれない。
魔王城、小会議室の一室では、今まさに栄えある第一回目の会議が開かれた。
内容は議題の通り、魔王陛下の大層可愛がっておられる猫、レディの企みについてだ。
「で、どうなのです?」
初めはやはり宰相閣下からの発言だ。対する侍従頭フレイルは、獣型でだらしなく椅子に寝そべりながらパタンと尻尾を力無く振っている。
「ダメダメ、完全に自分を忘れてる。人型になってもアッチコッチにマーキングしたり、マリベール嬢の扇子にじゃれついたり、カーテンを引っ掻いて引っ張って怒られたり。このまま理性が消えて普通の猫になるのも時間の問題だな。あっ、そう言えば例の魔術板がとうとう爪研ぎにされてた! あぁ、陛下になんて言い訳しよう……」
魔術板は、魔王陛下が自ら考案し製作した魔道具だったりする。
用途は表向き、外交取引の際にこっそりひっそり相手の思考を盗み見るため、といかにも魔王らしい考えだが、実際の所は、まあ、たぶん、犬や猫と喋りたかったんだなぁ、とフレイルは考える。あの方は、子供っぽい私欲を満たす時の方が全力を出す。
「おのれっ、陛下の力作を! 他には何か収穫はないのですか?」
「うーん、他は危うく母性が芽生えそうになったことぐらい、かな?」
「母性? ……ああ、そう言えばメスでしたね、メス猫」
「……いや、寝室掃除してたら、いきなり腹下に顔を突っ込まれてさ、こう、お乳をねだるように前足をふみふみされて、危うくグラッと心が傾きかけたくらい」
芽生えそうになったのは貴様か!!
シュベルツァーは危うく突っ込みを入れ掛けて、寸前で思い止まる。表面上では無表情を保てたのは、日頃の努力の賜物だ。
「うおっほん!」
ほのぼのとしかけた場の空気を引き締める為に、咳払いを一つ。
はぁ、と溜め息が部屋に響く。
「騎士団の連中も気に入ってるみたいだし、現状放置でいいんじゃないですかね。情報持って逃げられないように、やることはやってるし。猫の魔力も弱い方だし、万が一暴れられても楽に取り押さえられる」
「そもそも、あの噂は一体なんなのです?」
「あー、噂、噂ねぇ。ひょっとして、地上で魔王陛下の純情を弄ばれた挙げ句にポイ捨てされたって言う、すんごい悪女の噂? 三股されてたとか、飽きられてボロ雑巾みたく捨てられたとか、実は婚約者のいる相手に陛下が横恋慕、ほかにも略奪愛説とか、今では尾ひれに背びれに胸ひれに、色々付きまくってドン・グラも真っ青な大魚になったっていうあのヤツ?」
「ああ、陛下っ、下々の者にそこまでボロくそに言われているなんて! 出来ることなら私が替わって差し上げたい……。……うおっほんっ、それが本当ならその女は万死に価します。魔王陛下相手に三股する余裕があるなんで、一体どれほどの猛者なんですか」
「それは、背びれの部分かなぁ」
「真偽はともかく。そもそも、こんな醜聞とも言える事が、外部に漏れること自体おかしいのですよ。出所は一体どこです?」
「さあ?」
「さあって貴方、仮にも侍従頭でしょう? 城の事は何でも、城勤め全員の勤務時間帯から、素性、噂の出所まで、大概の事は把握しているはずでしょう?」
「大概の、はね。こればっかりはホント気がつけばアッチコッチでペチャクチャ皆喋ってた。それこそ、噂に気付いた俺が今さらどう動こうにも止まらないくらいに」
「それは……」
たかが噂。
そう思おうにも、薄気味悪い何かを感じる。
「……猫の出没と噂が出回ったのがほぼ同時期。悪女の特徴と猫の特徴、髪と瞳の色は一致しています。偶然と片付けるには少々早計かとおもうのですが。貴方はあの噂の悪女について知っているのでしょう? 知らないとは言わせません、陛下の休息中に現地を取り仕切っていたのは貴方でしょう」
シュベルツァーの視線の先には、それまで会話を聞きながらも口出しせず、澄ました顔で一人ちびりちびりと血入りワインに口付けていた男がいた。
渋い表情でシュベルツァーを睨む。
「出し渋ったな宰相よ。今回は貴様の血で我慢してやっているというのに、オマケに安酒に薄められたものでは私の身体は潤わん。さあ、情報提供を望むのならばもっと血を寄越せ」
バシバシと机を叩いて催促するこの人こそ、六柱ネーベル・リベルだ。広大な魔界の中でも僅か六人にしか授かれない称号を冠する一人。長きに渡り、王を支える柱であり続ける者。
色々と大層な呼び名だが、やっている事は腹が減った子供と大差ない。
「……上品かつマイルドな味わいのこのワインに一体なんの不満が。閣下、ネーベル殿は今度から薄めるものは水でいいそうですよ。その余った分のワインは勿論こちらに」
「薄めるな。原液希望だ」
「くっ、貴方もなかなか足元を見ますね」
そんなシュベルツァーの流した血の量は、針で指先をチョコッと一突き分。基本エリートな道を歩いてきた宰相閣下は荒事は不得意、とても可愛いピヨちゃんを胸に飼っている。
「で、先日尻尾を揺らしながら能天気に歩いていた女は、やはり噂の悪女ですか!?」
「悪女、という名称は少々納得がいかん。あれは確かに得体が知れない所はあったが、陛下への想いは本物であった。でなければ、婚約など断固として許したりはしない」
「こっ、婚約!? そりゃすごい、俺らの知らないところで魔界初の魔王妃が誕生しかけてたとは!」
「婚、約っ、貴方という方が付いていながら、陛下に変な虫、いや、変な猫をくっ付けてしまうとは!
そもそも、なぜそんな怪しい人間を近付けてしまったのです?」
「……近付けたというより、陛下の方から近付いていった。もっとも、アレは最初は陛下を相手にはしていなかった。だから安心していた私にも非があることは認めよう」
「相手にしてなかった!? 陛下からの求愛を相手しなかったとは、猫の癖に生意気なっ!
なぜもっと、徹底的に邪魔をしなかったのです!?」
「した。思い付くかぎり」
「うへぁ……」
フレイルは顔をしかめる。七百年生きる吸血鬼の嫌がらせを、思いつくかぎり想像して主に同情した。
それでも婚約までこじつけるとは、さすが魔王陛下! と心の中で絶賛する。つまり、障害を糧に結び付きを深めてしまったという訳か。
あるある、そんなのよくある。
「……しかし、あの状態で人型を取れるだけの知識と意識を保っていたとは。その事だけでも驚異だ。これは案外、魔王妃の器かもしれん」
「……俺、この件、降りよっかな」
「裏切るつもりですか?」
「うーん、だって思ったより大物の可能性が出てきたからなぁ。今の内に媚びを売って好印象を植え付けようかと。いや、だって俺、長年勤めあげた職を魔王妃陛下のイビリの末に辞めます、だとか絶対に嫌だって!」
「貴様っ、陛下と猫とどっちの味方ですか!」
「……冗談はさておきまして、マジでこのまま猫だと思ってちょっかいかけて、手に負えない獅子でした、なんてオチは本気で笑えないって。せめて陛下の立ち会いの下で、それとなーく誘導してポロっと向こうからボロを出させるのが一番だと思いますが、後は煮るなり焼くなり婚約なり魔王陛下にお任せする! これでどうでしょうか宰相閣下!」
「それも、一理ありますね。……本当にあの猫が、ネーベル殿の言う婚約者殿ならば」
「ひっかかるなぁ、その言い方。やけに猫に対して否定的だし。閣下はまさか噂の悪女……いやいや、婚約者は別にいるって? 猫は実は婚約者で、晴れてハッピーエンドとは違うって事?」
「忘れてはいませんか? 陛下はお記憶を封じておいでです。相思相愛でありながら何故そんな結末に至ったのか」
ピクリとネーベルの眉が動く。
「改めてネーベル殿、貴方に確認して頂きたい“モノ”があります」