8話
私は今日も山を散策している。最近の日課だ。
薬剤の量産に成功して安定供給できるようになったため、村の状況は好転している。
量産のほとんどの作業はアシスタントたちに任せられるようになった。私は少しサポートをしてあげればいいだけだ。
今の私には散歩する余裕がある。
自然豊かなこの村は、空気がおいしい。深呼吸するだけで頭がさえわたる気がする。私は大きく息を吸った。
……あれ、変な臭いがする。気持ちが悪い。
「ゲホゲホ」
新鮮な空気を吸うつもりだった私は、突然の腐敗臭に思わずむせる。この卵が腐ったような臭いを私は知っている。
見上げると、湯気が立ち上っているのが見えた。湯気の方へ近づいていくと、鉱山採掘をしていた採掘工たちがなにやら騒いでいる。
温泉だ。こんなところで温泉に巡り合うとは思わなかった。
温泉好きな私はテンションがあがり、あることに思い至る。
温泉が湧き出るということは、ここでは硫黄が取れるはずだ。
私は採掘工の輪に交じり尋ねる。
「ここでは硫黄も取れるんですか?」
「取れますよ。村にもあります。火薬の製造なんかに使っています」
こういうのを“青天の霹靂”というのだろうか。その可能性を全く考えていなかった。
有機合成化学者である私は、無機物である鉱物に疎い。鉱物からは貴重な金属が入手できるはずで、有機合成の触媒などにもなり得るが、わからないものはわからない。そのため、今までは鉱物を選択肢に入れていなかった。
しかし、硫黄となると話は別だ。硫黄とは温泉周辺で取れる鮮やかな黄色い結晶だ。これなら私にもわかる。
元の世界では石油類の精製(脱硫)によって副生するため、大量に廃棄されており、ほとんど価値がないものになっている。しかし、この世界では貴重な資源だ。
硫黄の用途は多岐にわたる。例えば、硫黄自体が農薬や土壌改良剤にも利用でき、硫黄とサリチル酸を組み合わせるとニキビや皮膚炎の外用薬になる。硫黄を酸化してから水に溶解すると硫酸が合成できる。これは汎用化学品であり、使い勝手がいい。今後重要になるだろう。さらに、生ゴムの加硫にも使える。ゴムの弾力性や耐力性を高めるために重要だ。これで、材料にも幅をもたせることができる。
私は頭の中でシミュレーションを開始する。何から手を付けるべきなのだろうか。
よし、決めた。最初にこの温泉の整備をしよう。正確な効能はわからないが、疲労回復、健康増進やストレス解消には絶対いいはずだ。硫黄を使った実験よりも早く効果が得られるだろう。
それに、果実酒を製造したときの村人たちの喜びようといったらなかった。娯楽とは言えないかもしれないが、温泉施設も喜んでもらえるだろう。もしかしたら、観光客を呼び込めるかもしれない。
湧き出た源泉に私が近づくと、採掘工は慌てた様子で言う。
「聖女様、下がってください。熱いのであまり近寄らないほうがいいですよ」
「大丈夫ですよ。元の世界でもよく温泉に入っていましたから」
私は源泉に左手を入れた。いや、正確には入れようとして少し触れた瞬間、勢いよく手を引き抜いた。
「あっつ!」
火傷した。またやってしまった。いつもながら、自分の不注意さに呆れる。
採掘工が「大丈夫ですか?」と心配そうな顔をしている。私は右手の親指と人差し指で円をつくり、それに答えた。
源泉とはこんなにも熱いものなのか。こんなものに人間が入れるわけない。入れたとしたら化け物だ。
私は近くの川まで走って行き、左手を冷やしながら頭をひねる。さて、どうしたものか。
最初に思いついたのは、水を加えて冷やす方法だ。この川から温泉へ水を流して冷やすのが一番簡単だろう。しかし、水を加えたらその分温泉は薄まり、効果が減るかもしれない。それでは意味がない。
それよりも、湧き出ているところとは別のところに穴を掘り、ここからその穴へ源泉を流せばいい。流れている間に温泉水が空気で冷やされて、温度が低下するはずだ。問題は、源泉をどのくらいの距離流せば適温になるか、ということである。これはトライアンドエラーで確かめるしかないだろう。
距離を変更するために至る所に穴をあける方法ではだめだろう。採掘工に手伝ってもらうとしても時間がかかりすぎるし効率が悪い。彼らにも採掘の仕事があるので、長期間手伝ってもらうことは難しい。
いや、もっと単純な話だ。穴は男湯と女湯用の二つだけ掘ってもらえばいい。そこに至る流路を曲げることで距離を稼ぐことは可能だ。その流路は、流しそうめんのように、竹を使えば簡単に作製することができるだろう。
手を冷やし終えた私は、元の場所に戻ると採掘工に言う。
「穴を掘っていただけませんか?」
「穴ですか?」
採掘工は怪訝な表情をする。一体何をするつもりだ、と思われているのだろう。当然のことだ。この辺りは彼らの仕事場なのだから。私はそれに気が付かないふりをする。
「ええ。ここと、ここに」
どうせなら、川が見える方が風流だろう。私は掘ってほしい箇所に足で円を描いた。
「わかりました。掘っておきます」
「よろしくお願いします。私は研究室に戻りますので」
「アルバート、ちょっと手伝ってほしいことがあるの。一緒に来てもらえないかしら」
研究室に戻った私は、アルバートに声をかける。山から駆け下りてきた私は肩で息をする。
「どうしました?」
アルバートは私を見て驚いたような表情をしていた。
状況を簡単に説明する。もともとは木こりだったアルバートにとって、竹の伐採や加工など、お手の物だろう。
「わかりました。やってみましょう」
一緒に竹林へ行くと、アルバートは竹を切り倒していく。伐採した竹の節を取り、加工して流路を作製する。手際よく作業を進め、あっという間に一つ目の試作品ができあがった。
このペースでやっていけば、温泉の整備はすぐに終わるだろう。私はそう考えていた。
それが間違いだと気が付いたのは、試作品を使って温泉を溜めているときだった。すぐに問題が浮かび上がってきた。
「うわ、溢れていますよ」
アルバートが言った。竹の流路の確認をしていた私は、浴槽へ目を向けると温泉水が溢れていた。
「え? 本当だ。いったん止めて」
「止めてって、どうやって……」
アルバートは「うりゃ」と言って、竹の流路を破壊して止めた。私はそれを見て唖然とした。
取り外すだけでよかったのに。まあいいか。余計なことを言うのはやめておこう。
さて、どうしようか。私は知恵を絞る。
このままでは温泉が溜まる一方であり、排水することができない。排水溝のようなものが必要だ。さらにその排水をそのまま川に流すと川が汚染され、生態系に影響が出る可能性がある。下水道も必要だ。
……いや、むしろこのまま溢れさせてしまった方がいいのかもしれない。溢れた温泉水はそのまま山に返せばいい。もちろん環境に良くないとは思うが、排水処理場をこの村でつくるのは現実的ではない。元の世界でも、規制が厳しくなったとはいえ、自然へ放流しているところもあったはずだ。
そうと決まれば、問題は浴槽周りの整備だ。このままでは、ぬかるんでドロドロになってしまう。石を周囲に敷き詰めよう。
採掘工にお願いして岩を加工してもらうと、その敷石を持ちながら私はアルバートに言う。
「私は採掘工とこの石を敷き詰めていくから、アルバートは屋根をつくってもらえないかしら」
「どれくらいの大きさですか?」
「雨が降っても、浴槽と流路に水が入らないようになればなんでもいいよ」
私がお願いすると、アルバートは明らかに厭そうな顔をする。よほど大変なのだろう。
心の中で「ごめん」と謝り、作業を開始した。
アルバートは木こり仲間に手伝ってもらうことにしたらしい。数日で整備は終了した。これで流路の検討を再開できる。
私たちはいつも通り、トライアンドエラーで検討していく。意外と今回のアルバートはやる気が続いている。やはりこういう伐採や加工作業が好きなのか、はたまた、温泉に入りたいだけなのか。
興味がないので、答えは知らない。




