19話
シェーナがこの村にやってきてから、数か月が過ぎた。その間にずいぶんと村になじんだようだ。天真爛漫な彼女の笑顔は、この村をさらに明るくしていた。
彼女は村長宅、畑、食堂そして酒場に日替わりで手伝いに行っているらしい。失明した人たちや高齢者の介護も進んでやっているそうだ。そして研究室にも週に数回手伝いに来てくれている。私は彼女専用のデスクを与えていた。
今日は、研究室にシェーナが来ている。彼女の家が建てられ、私の家からはすでに出ていったため、会うのは数日ぶりだ。最近は頻繁に私の研究を見学している。
「まただめだ。うまく抽出できてない」
これで何度目だろう。相変わらず、新しい有用物質を単離することができていない。
正確には“何か”を得ることには成功しているが、それが何なのかがわからない。分析技術のないこの世界では、どんな物質なのか判断できない。
得られた物質は、いちおう実験動物に飲ませている。しかし、何度やっても実験動物がすぐに死亡してしまうのだ。
「これも毒か……」
可愛い後輩のためにかっこいいところを見せたいが、そううまくはいかないようだ。次はどうしようか。私は考えていた。
「投与量や投与経路を変えてみてはいかがですか?」
私の実験を黙ってみていたシェーナが突然言った。
「え?」
「薬と毒は紙一重といいます。投与量を減らせばいいのかもしれません。水や塩も人間には必須ですが、過剰摂取すると命に関わります。あるいは、経口だけでなく吸入や静脈注射などに変更することで、良い結果が得られるかもしれません」
なるほど、と思った。私は医薬品の研究開発をしていたが、有機合成に関する技術と知識しかない。非臨床試験のことなど、まったくといっていいほど知らなかった。シェーナのような素人の方が、物事を大きく見ることができるのだろう。
「いいアイディアかもしれないわね。早速やってみましょう」
「わたしにもやらせていただけませんか?」
シェーナもやりたいらしい。これまで簡単な作業しかお願いしていない。今回の抽出物は猛毒かもしれないから特に危険だ。
「シェーナにはまだ早いんじゃないかしら」
「だめですか?」
捨てられた子犬のような目で私を見てくる。可愛い後輩の頼みをこれ以上断れるわけがなかった。
「わかった。一緒にやりましょう。その代わり、私の言うことをしっかり聞いてね」
私たちは投与量を変更して検証していく。それでもやはり、実験動物は死んでいった。かなりの猛毒だったのだろう。
「うまくいきませんでしたね」
シェーナがうなだれていた。
「いったん、お昼休憩にしましょう。食堂に行くわよ」
私はアシスタントたちにも声をかける。
「今日も研究室で食べていいですか? やりたいことがあるので、これを持参しました」
シェーナの手にはパンや餅のようなものがあった。
「やりたいこと。何かしら?」
「内緒です」
シェーナはいたずらを企む子供のような笑顔で答えた。
訝しく思ったが、変なことはしないだろう。私はアルバートやほかのアシスタントたちと食堂に向かった。
「シェーナのことどう思う?」
食堂で食事をしていた私たちだったが、やはり先ほどの様子が気になり、アルバートに尋ねた。
「可愛いですよね。すごい好みです」
「そういうことじゃなくて」
的外れなことを言うアルバートに呆れる。
「何ですか? 何かありました?」
アルバートの箸が止まり、私を凝視している。私が呆れたのが分かったのか、少し怒っているようにも見える。
「最近の彼女、様子が変じゃないかしら。今日もひとりで研究室に残って昼食をとっているでしょう。ひとりで何かやっているみたいなのよ」
「考えすぎですよ。彼女に限ってそんなこと。大丈夫ですよ」
「でも、危険なことをやっているかもしれないじゃない。さっきだってほら、猛毒かもしれない物質の検討をやりたがったのよ。好奇心旺盛な娘だから、変なことをして火事とか爆発とか起こるかもしれないから。私はただ彼女が心配なのよ」
私は最悪の場合を想像する。有機合成化学は常に危険と隣り合わせである。爆発などで亡くなることもそう珍しいことではない。
「内緒ってことは聖女様を驚かせたいんでしょう。あまりしつこく聞くとかわいそうですよ。大丈夫ですって」
そう言うと、アルバートは食事を再開した。
「そうよね」
アルバートの言う通り考えすぎだろう。考えることをやめて私も食事に集中した。
私は食堂からの帰り道、アルバートたちとは別れてヒツジの様子を見に行く。しかし、ヒツジの姿がどこにも見当たらない。きょろきょろしていると、畜産家に話しかけられる。
「聖女様、どうかしましたか?」
「ヒツジはどこにいるのでしょうか?」
「それが、突然死にましてね。とりあえず剪毛だけはしたんですけど、死骸はもうそこに埋めました」
“生ある者は必ず死あり”だ。仕方がない。
しかし、ヒツジはこの村の人気者になっていた。これでは子供たちが悲しむだろう。それに、羊毛は今後も必要だ。
「わかりました。次に行商人が来たときにまたお願いしておきます」
私は肩を落として研究室に戻ると、みんなにヒツジの件を話した。シェーナの様子を確認すると、悲しそうな顔をしていたが、不審な点は見当たらない。
実験を再開すると、またシェーナが見学に来る。いつも通りだ。何も変わらない。それでも、どうしてもシェーナへの疑念が晴れない。私は余計なことを考えないようにこの場を離れることにした。
「アルバート、私は山に行ってくるから。あとのことはよろしくね」
「わかりました。いってらっしゃい」
私が研究室から出ようとすると、シェーナが立ち上がる。
「私もついて行っていいですか。山にはあまり行ったことがないので」
さて、どうしたものか。私はひとりになりたいので山に行こうとしたが、むしろシェーナを見張っていた方が良いのかもしれない。
「いいわよ。おいで」
山に向かうと、シェーナが「これはテングタケです」、「あれはイチイです」と植物を指差して言う。
「植物に詳しいのね」
「はい。好きなんです。すごいですよね。植物が自分たちを守るために生産するものが、人間には毒にも薬にもなるんですよ」
「ちなみに、これは食べられるの?」
「テングタケはいちおう食べられるみたいですけど、一般的には毒キノコです。イチイの実は、赤い部分は食べられますが、種子には毒があります」
それを聞いて寒気がした。シェーナには毒の知識がある。いや、好奇心旺盛なこの娘のことだ。それ以外の知識もあるかもしれない。
もしかしたら、近くの村が廃村になったことにシェーナが関与しているのではないだろうか。注意して見ておかないと。
そしてその報告があったのは数日後のことだった。




