18話
あの騒動から半年ほどが過ぎた。あれ以来、特に大きな問題は起きていない。相変わらず病で亡くなる方もいるが、あの事件に比べたら些細な問題である。
最終的に死者十二名、失明者三十六名を出したあの事件は、私が転移して以降、最悪のものであった。しばらくの間、村の雰囲気も暗くなっていたが、徐々に以前の状態に戻りつつある。
「聖女様、おはようございます」
「おはようございます」
「聖女様、これをもって行ってください。うちの畑で取れた新鮮な野菜ですよ」
「ありがとうございます。おいしそうですね」
村の中をぶらぶら歩いていると、村の人たちから次々と声を掛けられる。あれ以来、私のところに文句を言いに来る人はいなくなった。平穏無事な日々を過ごしている。
門の近くまで歩いて行ったとき、遠くに行商人の姿が見えた。最近はこの村にも頻繁に来てくれるようになった。私は門の前で迎え入れる。
「こんにちは。最近、他の村の様子はいかがですか?」
挨拶もそこそこに、私は尋ねた。外部の情報を入手するには、行商人に聞くしか方法がない。
「相変わらずですね。近くの村は飢饉の影響で、とうとう廃村になったようです」
「廃村ですか?」
以前から飢饉に苦しんでいるとは聞いていたが、まさか廃村になるとは思わなかった。元の世界でも昔はよくあったようだが、私にとっては非現実的なことだ。
「ええ。多くの人は餓死したようですけど、中には他の村に移動した人もいるらしいですよ。この村には誰も来ていないですか?」
離村か。私は思考をめぐらす。特にそんな話は聞いていないはずだ。
「来ていないと思います」
私は首を横に振って答えた。
「飢餓状態の人は何をするかわかりませんから、気を付けた方がいいですよ。物乞いだけで済めばいいですけど、襲われるかもしれませんからね」
それを聞いた私は、ゾンビのようなものを想像してしまい身震いする。
「肝に銘じておきます。感染症の被害は以前と比べてどうですか?」
「落ち着いてきたところもあるようですけど、感染症の影響で人口が激減している村があるそうです。ここのように辺境の村です。畜産業が有名なところなんですけど、結構やっかいな感染症らしいですよ」
「そうですか。行商人さんもお気を付けください。そういえば……」
そのあとも雑談をしばらくしたあと、行商人は村から出ていった。
私は行商人を見送りながら、この村ではこのまま何も起こらないでほしいと切に願う。ようやく被害が収まったのだから。再びまったりとスローライフをおくりたいものだ。
数日後、私はひとりで山を散策していた。新しい化学物質を探索するために、様々な草や果実を摘み取る。最近の私の日課だ。近場はだいたい探索を終えているため、少し深部へ向かうと何やら見覚えのある光景に遭遇した。近くに川が流れているのが見える。
「ここに来るのも久しぶりね」
私は感慨にふける。
少し休憩しようと川に近づくと、女性が立ち尽くしていた。木漏れ日が差し込み、女性の周りには光の粒子が舞っている。どこか神秘的な雰囲気を感じる、とても美しい娘だ。この村の住人ではない。どうやら迷い込んできたらしい。
彼女は私に気が付くと、その大きく、くりくりとした目をさらに見開き、抱き着いてきた。よほど不安だったのだろうか。私は彼女を抱きしめ返し、背中をさすりながらできる限り優しい声色で尋ねる。
「あなたは誰? どこから来たの?」
動揺しているようでイマイチ要領を得ない。かろうじて、「お、やま」と「し、しぇーなでしゅ」と聞き取れた。お山とはこの山のことを指しているのだろう。名前はシェーナというらしい。
なぜここにいるのかもわからないらしい。気が付いたらここにいたようだ。
私も迷い込んでこの村に来たようなものだし、この娘は私の後輩みたいなものよね。これ以上、しつこくあれこれ聞くのも悪いし、できる限りのサポートをしてあげよう。
「ついてきて。みんなに紹介するわ」
そう言うと、私はシェーナの手を取り、山を下る。シェーナは私の手を強く握り返してきた。安心感を与えることができているようで良かった。
まずは村長のところに行き、シェーナの紹介と連れてきた経緯を説明する。シェーナを一瞥するとどうやら落ち着いた様子だ。それにしてもきれいな娘だと改めて思う。
「他の村では、いまだに飢饉などに苦しんでいると聞きます。おそらく、彼女は生き残るために村を捨てて逃げてきたのではないでしょうか」
行商人から話を聞いていた私は、そう推測した。
「この村は、ここにいる聖女様のおかげで平和な村です。安心してお過ごしください」
村長は、私が転移してきたときから今までのことを事細かくシェーナに説明した。それをシェーナは自分のことのように真剣に聞いている。
「昨年の感染症からも見事にこの村を救ってくれたのです」
なぜか村長が胸を張り、自慢げに言った。
「感染症ですか?」
「ええ。たしか、おんかる症といったかな」
私は「オンコセルカ症です」と訂正する。
「多くの者が失明し、死者も十人ほど出て大変でした」
その話を聞いて、シェーナの顔色が悪くなった。
「死者が出たのですね……。それはお悔やみ申し上げます」
重い空気が流れる。その空気を断ち切るように村長が明るく話す。
「でも、聖女様がすぐに薬をつくってくれたおかげで被害を食い止めることができたのです。今はもう安全なところですから」
「薬ですか?」
「ええ。あの時は……」
村長が詳しく話そうとしているが、私は嫌な予感がした。こんな話は、よそから来た人に話すようなことではない。
「村長、今夜は彼女のために歓迎の宴を開きましょう」
私は話を遮り、話題を変えた。
「ああ、そうですな。村のみんなに伝えましょう」
「これからシェーナに村の中を案内しますので、私からみなさんに伝えます。突然のことですから、全員が集まるのは難しいかもしれませんが」
「それで構いません。お任せします」
村長の家を出た私たちは次の目的地に向かう。
「そろそろお昼だし、次は食堂に行きましょう」
返事がない。シェーナは上の空のようだった。
心配になった私は、顔を覗き込む。
「大丈夫? 調子が悪いなら少し休もうか?」
「あ、すいません。ぼーっとしていました。大丈夫です」
まだ不安なのだろう。疲労もたまっているのかもしれない。私は安心感をあたえようと頭をなでた。
「この食堂は私も常連なの。私のおすすめはこの鶏のから揚げよ。衣がサクサクっとして、中の肉もジューシーで」
「わたしもから揚げ大好きです。それにします」
私は二人分の注文をした。そのとき女将さんが姿を見せた。
「あら、聖女様。いらっしゃい」
「こんにちは、女将さん。今日もいい天気ね」
私は女将さんとたわいもない会話をする。
「その娘は?」
女将さんが不審な表情をして言った。
外からこの村に人が来ることは滅多にない。怪しく思うのは当然だろう。
私は女将さんにシェーナのことを説明し、そのあとシェーナに女将さんを紹介する。
「こちらの方はこの食堂の女将さん。私もすごく助けてもらっているの。何かあれば女将さんに相談するといいわ」
「女将さん、よろしくお願いします」
シェーナは会釈しながら言った。
女将さんは「娘が増えたようでうれしいよ」と言い、破顔していた。
話をしていると注文した料理が運ばれてきた。早速料理に手を付けていく。
相変わらず美味しい。私は同意を求めるようにシェーナに聞く。
「美味しいでしょう?」
シェーナを見ると驚いたような、不思議な表情をしている。想像以上においしかったのだろうか。……いや、多分違う。彼女にとって久しぶりの食事なのかもしれない。おそらくは胃が受け付けないのだろう。
「大丈夫? ゆっくりでいいからね」
私はシェーナにお茶を渡しながら言った。
「ありがとうございます。とても美味しいですね」
「お酢をかけて、味変しても美味しいわよ。かけてみる?」
「それでは、せっかくなので」
私はシェーナのから揚げにお酢をかける。
シェーナは口をつけると、「あ、本当だ」と呟いた。
ご飯を食べ終わり、私たちは食堂を出ることにした。
女将さんが「またいつでもおいて」と見送ってくれた。
ここの目と鼻の先に酒場があるので、次に酒場に行こうと思ったが、歓迎の宴の時でいいだろうと思いなおした。研究室に案内しよう。
研究室にはアシスタントたちが勢ぞろいしていた。私はアシスタントたちにシェーナを連れてきた経緯を説明するが、その間、彼らはシェーナを見て目じりを下げていた。私はアシスタントたちを追い払い、シェーナに研究室内を案内する。
「ここで日夜、研究をしたり、薬剤の量産をしたりしているの。例えば、これはアスピリンといって、解熱鎮痛剤に使われるのよ」
「こっちはなんですか?」
シェーナが瓶に指を差しながら言った。
「これはサリチル酸メチル。そっちは酢酸エチルであれはエタノール。これまでに合成したものはすべてここに保管してあるの。私の子供みたいなものだからね」
「全部ここでつくったんですか?」
「私がひとりでやったわけじゃなくて、さっきのアシスタントたちが頑張ってくれたおかげだから。私ひとりではここまでできなかったよ」
「それでもすごいです」
「ありがとう」
褒められることは素直に嬉しいが、現状に満足しているわけではない。
私は「でも」と話を続ける。
「私は、この村の人々を病気や飢餓から救いたいの。村だってもっと発展させたい。そのためにはまだまだ足りない。もっと頑張らなくちゃ」
目を輝かせた彼女から「これは?」、「あれは?」と次々に質問が飛んでくる。
こんなに興味を持ってくれるなんて。私は胸がいっぱいになって言葉が出なかった。
化学実験室の説明が終わったので、果実酒の実験室に向かう。
「ここでは、蒸留したエタノールを使って果実酒も製造しているの。以前はこの村も不作でお酒が造れなかったから」
私は果実酒の樽を確認した。そろそろ飲み頃だ。シェーナはお酒もしばらく飲んでいないだろう。
「お酒は好きかしら?」
「好きです。あまり強いお酒は飲めませんけど」
「あとで行く酒場にも卸しているの。もしよければここで少しだけ味見してみる? アルコール度数は高いけれど、水やサイダーで割ることもできるから」
「ありがとうございます。せっかくですが、まだ時間も早いので、夜の楽しみにしておきます」
「それもそうね。そろそろ次に行きましょうか」
次に向かうのは畜産家のところだ。私の予想通り、ヒツジはこの村のマスコットキャラクターのようになっていた。子供たちがはしゃぐ様子を見てうれしく思う。
私は畜産家にシェーナを紹介した。
畜産家は「よろしく」とだけ言って、慌ただしく去ってしまった。まだ仕事が忙しいのだろう。邪魔してしまったようで少し申し訳ない気持ちになる。
「見て、シェーナ。モフモフでかわいいでしょう」
私はヒツジを撫でながら言う。
「本当にかわいいですね。わたしも触ってもいいですか?」
「もちろん。背中あたりを優しく撫でてあげて」
「本当だ。毛が柔らかくて気持ちいいです」
シェーナが無邪気に楽しんでいる。
それを私は微笑ましく見守っていた。美人が動物と戯れている姿は絵になる。
「でもなんかべとべとしますね」
急に冷静になったシェーナがヒツジを撫でた手を見ながら言った。
「そうね。お風呂に入ってないから、当然といえば当然ね」
意表を突かれた私は「ぷっ」と笑ってしまった。
「次はエサをあげてみましょうか。指を嚙まれないように気を付けてね」
私はエサをてのひらに乗せて、ヒツジにエサをあげる。
それを見たシェーナも、私の真似をしてエサをてのひらに乗せる。
「なんか、くすぐったいですね」
「すぐ慣れるわ。このエサをあげ終わったら、次に行きましょう」
「わかりました。次はどこに行くんですか?」
「まだ酒場に行くには早いわね。どうしようかな」
まだ時間に余裕があった私たちは、温泉へ向かった。
「こんなところにも温泉があるんですね」
シェーナが辺りを見回しながら言う。
「鉱山採掘をしていて、偶然温泉が湧き出したのよ。それをここまで引いているの」
温泉に到着すると、人が大勢いた。今や村の大人気スポットだ。
「人がたくさんいるわね。どうする? また今度にしようか?」
「せっかくなので入りたいです。身体もべとべとですから」
ヒツジと戯れていた私たちの身体は汚れていた。
私も今すぐに身を清めたい気分である。
「そうね。入りましょう」
私たちは、隅の方で体を寄せ合いながら入浴する。
シェーナが目を瞑りながら言う。
「気持ちいいですね」
一日の疲れが癒される。やはり温泉はいい。最高だ。
「シェーナは恋人とか憧れのひとはいないの?」
リラックスした私は、突っ込んだ質問をすることにした。これだけきれいな娘だ。彼氏の一人や二人いてもおかしくない。
私が横に目をやると、シェーナは目を大きく見開いていた。
しまった、と思ったが“時すでに遅し”だった。
「恋人はいませんが、憧れのひとはいます。女性ですけど……」
シェーナは私を見つめて答えた。
いわゆる“百合”というものなのだろうか。私はこの手の話題には疎い。言いにくいことを言わせてしまったのかもしれない。これ以上踏みこまないほうがいいのだろうか。
悩んだ末に、私は「そうなんだ」とだけ答え、話題を変えた。
「シェーナはこれからこの村で暮らしていくのよね」
「はい、そのつもりです」
「家はどうするのかしら。今は空き家がないし、大工さんたちは忙しいはずよ」
以前やった土のう工法で村中の家を再築してもらっている。すぐに新しい家を建築することは難しいだろう。
「え? そうなんですか。どうしましょう」
「後で村長さんに確認しましょう」
夜になり、私たちは酒場に向かった。シェーナの歓迎の宴だ。想像よりも多くの人たちが集合している。
私たちに気が付いたマスターが近寄ってくる。
「聖女様、何にする?」
「私はワインにしようかしら。シェーナは?」
「わたしも同じものにします」
「君が新しく村に来た人かい? よろしくな」
マスターはシェーナに手を差し出した。シェーナはその手を握る。
「よろしくお願いします、マスターさん」
「他の村と違って、ここでは酒を気軽に飲めるようにしたからな。好きに飲んでくれ」
「それは私の台詞ですよ」
私は冗談めかして言う。気軽に飲めるようにしたのは私だ。
「それもそうだな。ほら、お待たせ」
「ありがとうございます。シェーナ、行きましょう」
マスターとの会話が終わりお酒を受け取った私は、シェーナを連れて村の人たちに挨拶周りをした。みんながシェーナを囲み、歓迎している。
この宴はシェーナとみんなが交流する場だ。私がずっと一緒にいると邪魔になりかねない。今のうちに村長に相談しよう。
「村長さん、シェーナの家はどうしますか?」
「困ったことに、今は空き家がないのです」
それは知っている。他になにかアイディアがないか聞きたかったのだが、おそらく何もないのだろう。
さて、どうしようか。研究室なら誰も住んでいないから泊めることはできる。でもあそこには危険な薬品がいっぱいあるので、素人のシェーナを泊めるのはやめた方がいいだろう。そうなると残る選択肢はひとつだ。
「そうですか。それなら私の家に住んでもらいましょう。その間は私が研究室に泊まります」
そう言いながらシェーナの方を見ると、青年たちが群がっている。
「君、めちゃくちゃ可愛いね。どこから来たの?」
青年のひとりがシェーナに聞いた。その様子はまるでナンパのようだった。
後輩を守るのは、先輩の私の役目よね。私は全力疾走する。
「あなたたち、やめなさい。シェーナが困っているでしょう」
私はボディーガードのように振る舞い、青年たちを追い払った。
「シェーナ、大丈夫? ごめんね。普段は良い人なんだけど、お酒を飲んでいたから」
私はシェーナのことを心配しつつ、青年のこともフォローした。正直、普段が良い人かどうかも知らないが、それは別にどちらでもいいだろう。
「大丈夫です。気にしていません」
言葉の通り、まったく気にしていない様子のシェーナに安心する。この美貌だ。おそらく慣れているのだろう。
「さっき村長さんに聞いたら、やはり家がないそうなの。しばらくの間、シェーナには私の家に泊まってもらう予定なんだけど良いかしら?」
「はい、もちろんです。お世話になります」
宴会のあとシェーナを私の家に招いた。家を簡単に説明すると、私は研究室に行く準備をする。
「私は研究室に泊まるから。ここは自由に使ってね」
「え、ここで一緒に住まないんですか?」
シェーナが私の袖を引っ張りながら言った。落ち着いたように見えたが、やはりまだ不安なのだろう。
「シェーナは二人の方がいいの?」
「はい」
シェーナがそう言うのであれば、私に異存はなかった。今日は一日中歩き回ったので疲労困憊だ。移動しないでいいのであればそれに越したことはない。
私は布団を敷くとその中に入り、シェーナを手招く。
「ごめんね。狭くない?」
「大丈夫です」
私は横にいるシェーナを見ながら、柔らかな口調で尋ねる。
「今日はどうだった? この村でやっていけそう?」
「はい。みなさん優しい方ばかりで。最初は不安だったんですけど、今は楽しくやっていけそうです」
シェーナは満面の笑みを浮かべて答えた。私はその笑顔を見て安心する。
「それならよかった。これからの予定は何か決めているの? もしよければ、私の研究室で働いてみない?」
「ありがとうございます。でも、やりたいこともあって……。少し考えさせてください」
「そうね。今すぐ決める必要はないわ。ゆっくり考えて」
「わかりました」
「何かあったらいつでも相談してね」
「ありがとうございます。あの……」
沈黙が流れた。シェーナが目を閉じている。寝てしまったのだろうか。
そう思った時、シェーナがか細い声で聞いてきた。
「手を繋いでもいいですか?」
私はシェーナの手を握りしめてそれに答えた。
それから私たちは夜遅くまで語り合った。




