16話
行商人と別れた私は、山を登っていた。やはり自然に囲まれていると心が安らぎ、鬱屈とした気分が軽くなる。
結局、行商人に話を聞いても何もわからなかった。これからどうすればいいのだろう。今わかっていることは、他の村で感染症が蔓延していることとその感染症が何か不明であること。これでは対策のしようがない。私はその場にしゃがみ込み、頭を悩ませる。
新しい治療薬がつくれないのであれば、現状の手持ちでなんとかできないだろうか。薬は複数の病気に効くことも珍しくない。何か感染症の治療に使えるものはないか。今この村で量産しているものは、酢酸、エタノール、アスピリン、硫酸、……。
エタノール。そうだ、もっと簡単な話だった。治療薬の開発が困難なのであれば、感染症予防をすればいいだけだ。もちろん予防していても感染する可能性はあるが、その可能性を下げることはできる。消毒剤はすでにエタノールが、うがい薬は松葉チンキや塩水がある。今の私にできることはマスクの作成だ。
私は急いで山を下ると研究室に戻り、アルバートに言う。
「マスクをつくるよ。手伝って」
「ますく? なんですかそれ」
のんびり説明している暇はない。無視をして指示を出す。
「布を村中からかき集めてきて。お願い、急いで!」
本来ならサージカルマスクの方がいいのかもしれないが、つくり方を知らないし、この村でつくるのは難しいだろう。とりあえずの間に合わせでもいい。布を切り、輪ゴムを付けた簡易的なものでも十分な効果があるはずだ。
アルバートが布を取りに行っている間に、私は輪ゴムをつくる。これは以前つくったゴムと基本的には同じだ。あとは、チューブ状に成型してそれを切ればいい。本来なら、ゴムの耐久性や弾力性を検討して、できる限り耳への負担が少ないゴムをつくるべきだが、今回はそれも断念する。マスクとして付けることができればそれでいい。
「布を持ってきましたけど、どうするんですか?」
アルバートが戻ってきた。私は両手の親指と人差し指を使って四角形をつくりながら言う。
「これくらいの大きさに切って」
「わかりました」
私の輪ゴム作りとほぼ同時にアルバートが布を切り終えた。布を受け取り、輪ゴムを取り付けていく。人数分をつくるのは無理かもしれない。まずは、高齢者と子供たちの分を最低限確保し、余った分を他の人たちにも配ることにする。
「できた。アルバート、村のみなさんに配るよ!」
私は、ガタンという音をたてて勢いよく立ち上がる。
「は、はい。い、行きます」
私の勢いに気圧されたのか、アルバートが吃った。
「これを両耳にかけて、鼻と口を覆うようにこの布をつけてください。それから、消毒とうがいはこまめにやってください。よろしくお願いします」
私は村中をまわり、マスクを手渡しながらお願いする。必死な形相の私に驚いたのか、村の人たちは何とも言えない顔をしながらマスクをつけた。しかし、この布マスクはただの布なので息苦しいらしく、すぐに外してしまう。
強制することは不可能だ。私が見ていないところで外してしまうだろう。それでも、心を込めてひたすらお願いし続けた。あとは感染症が起こらないよう、神頼みをするしかない。
そして、その日は突然訪れた。
「聖女様、大変です! すぐにこちらへ来てください」
真っ青な顔をした村人が、研究室に勢いよく駆け込んできた。何かあったのだろうか。もしかして……。
アルバートと共に急いで駆け付けると、現場は阿鼻叫喚のすさまじさだった。
私は息を呑んだ。私は近くの人の肩を掴み、尋ねる。
「何があったんですか?」。
「苦しんでいたと思ったら、急に目が見えないと言い出して」
私は、目を抑えて俯いている人に目をやる。
「失明ですか?」
私の声は村人たちの喚き声によってかき消された。
「これで十人目よ!」
「一体何が起こっているんだ!」
「この村は呪われている。もうおしまいだ!」
周囲を確認すると、目を抑えている人以外に倒れている人もいた。そのうちのひとりは、以前に私のところに文句を言いに来た初老の男性だった。ここから見る限り、それ以外の症状は確認できない。
話を詳しく聞くと、昨日から村人が数人失明しているという。亡くなった人もいるようだ。原因はわからないらしい。しかし、一度に複数人が同じ症状を訴えている。これが偶然なわけはない。何かしらの原因があるはずだ。
私はまさかと思った。ついにこの時が来た。時限爆弾が爆発してしまったのだ。
「アルバート……」
私はアルバートに目配せする。
「そんなまさか」
私が首を縦に振ると、アルバートは顔面蒼白になった。
しかし、私には思い当たる節があった。私ならこの問題を解決できる。
「みなさん、落ち着いてください。私が居た世界では、オンコセルカ症(河川盲目症)やトラコーマといった感染症により、失明することがありました。この村のような、発展途上の地に起こり得るものです。症状や状況がこれらの感染症と合致します」
「おんこ……?」
村人は困惑している。想定通りだ。彼らがそんな感染症の名前や症状を知っているわけがない。そんなことはどうでもいい。
「オンコセルカ症は寄生虫が原因で起こる感染症です。エタノール消毒もマスクの着用も予防になりません」
「よくわかりませんが、それは治せるんですか?」
「残念ながら、すでに失明した方を治すことはできません。しかし、元の世界には失明を予防するための特効薬が存在していました。これ以上の被害を出さないためには、できる限り早く対処しなければいけません」
「その特効薬はすぐにつくれるものなんでしょうか?」
「わかりません。でも、原因はほぼ特定できているので大丈夫です。最善を尽くします」
「聖女様、どうかこの村をお救いください」
それを聞くと、私はすぐに研究室へと戻り、頭をひねった。次に何をすべきだろう。今の状況で最善とは何だろう。
「聖女様、何かお手伝いすることはありますか?」
突然声を掛けられ、びくっとする。考え事をしていて気が付かなかった。
私の隣にはアルバートが、さらに見渡すとアシスタントが勢ぞろいしていた。
「俺たちもお手伝いします!」
「なんでも言ってください!」
アシスタントたちはまだ私のことを慕ってくれている。こんなに不甲斐ない私を……。私は涙が出そうになるのをこらえた。今はだめだ。冷静になろう。このままでは迷惑だ。
「みんな、ありがとう。でも、まだ考えがまとまっていないから」
確信が持てるまでじっくり考える必要がある。重要な局面だからこそ焦ってはいけない。今ここで変な指示をしたら、判断を間違えたら、うまくいくものもいかなくなる。
「今はひとりで考えたいの。考えがまとまって、力を貸してほしいときに声をかけるから。その時はみんな、よろしくね」
アシスタントたちは「わかりました」と言うと研究室をあとにした。それを見送り、ひとりになった私は改めて考える。
失明した人数は十人と言っていた。それに加え、死亡者が何人かいるようだ。これからも被害者は増え続けるはずだ。どのくらいのペースで失明者が出るのか、私にはまったく想像がつかない。しかし、短期間で十人だ。そのペースは速いと考えるべきだろう。
翌日、八人の失明者が出たと報告を受けた。さらに次の日には十一人だ。私が思っていたよりも明らかにペースが早い。考えることをやめて、そろそろ行動に移したほうがいいか。この考えでおそらく大丈夫なはずだ。私は覚悟を決め、アシスタントたちに連絡をした。




