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15話

「はぁ……」


 何度目になるか、私は深いため息をついた。


 私は最近悩んでいた。この世界に来て既に三年が経っていた。


 これまでに消毒剤や農薬、鎮痛剤など様々なものを合成し、それらを量産することにも成功した。温泉や噴水は今や大人気スポットになっていて盛況だし、建物や道路など、村自体の整備を行ったことで、寂れた雰囲気はなくなった。お祭りなどの行事も定期的に開催している。


 それらの改革により、私が来た当時よりもこの村は確実に発展しているはずだ。


 しかし、これだけでは不十分だった。エタノールや酢酸、重曹など既存の薬剤だけでは対応できない微生物や害虫は数多く存在している。


 また、サリチル酸ナトリウムやアスピリンのようなサリチル酸系薬剤では治療できない病気は多く、亡くなった人も少なくない。最近も高齢の女性が癌と思われる病気で亡くなった。


 薬剤耐性も深刻だ。サリチル酸系薬剤しか解熱鎮痛剤がないため、過度に服用した結果、アスピリン不耐症(喘息や蕁麻疹など)にも悩まされている。アセトアミノフェンなど、サリチル酸系以外の鎮痛剤を早く合成しないといけない。


 行商人の話によると、感染症が蔓延している村もあるとのことだった。この村はまだ感染症の影響はないが、いつパンデミックが起こってもおかしくない状況だろう。抗生物質や抗真菌薬も必要だ。


 もちろん、私もただ手をこまねいていたわけではない。常に新しいことに挑戦し続けている。しかし、この村でできることには限りがあり、なかなか新しい化学物質を合成することができていない。焦燥感に苛まれている。



「聖女なんだろ。なんとかしてくれよ!」


 初老の男性が声を荒らげた。


 また来た。今の私を最も悩ませているものだ。


 私がここに来た当初は、腰痛を和らげただけであんなに喜んでくれていたのに、今ではこれだ。


 慣れとは怖いものである。それが当たり前になると、より良い状態をつくり続けなければいけない。本来ならそれには限度がある。この人にはそれが分からないのだろうか。


 しかし、反論しても仕方がない。私はこの場をおさめるため、とにかく謝罪する。


「申し訳ありません」


「このままだと全員死んで、この村は破滅だよ!」


「何とかしますので、もう少しお待ちください」


 ……ここの住人を不老不死にでもしないといけないのだろうか。


「まったく、何が聖女だよ。使えねえな」


「すいません……」


 散々文句を言って満足したのか、初老の男性は千鳥足で研究室から出ていく。


 最近はこの男性を筆頭に、多くの人たちがひっきりなしに文句を言いに来る。日中は実験や考察をする時間がなかなか取れないため、私は徹夜続きだ。肉体的にも精神的にもかなり疲弊している。


「お疲れのようですね。大丈夫ですか?」


 心配したアルバートが、温かいお茶を入れてくれている。


「さすがにこれだけ続くとね……。でも大丈夫。頑張るよ」


 私は心配をかけまいと力こぶをつくってみせ、カラ元気を装う。


「お茶でも飲んでゆっくりしていてください。雑用はこっちで引き受けます」


「ありがとう」


 私はお茶を飲んで一息つく。それでも私の表情が冴えないからなのか、アルバートが顔を覗き込んでくる。


「あんまり気にしないでください。のんびりと薬をつくっていきましょう。手伝えることがあったら何でも言ってください」


 そう言うと、アルバートは外へ出ていった。気を遣って私をひとりにしてくれたようだ。


 しかし、一体どうすればいいのかまったくわからない。睡眠不足のせいか頭が回らない。


 このままでは被害はどんどん大きくなるだろう。それは避けなければいけない。とにかくなんとかしないと。


 研究室内を見回して思索していると、果実酒が目に入る。


 そういえば、そろそろ果実酒を酒場に納品しないといけないはずだ。時間に追われていてすっかり忘れていた。


 樽のふたを開けて味見をすると、なんとなくアルコール度数が低い気がする。さて、どうしたものか。頭の中でシミュレーションをする。


 酒場に納品後でも、アルコール度数は水で薄めれば簡単に下げることができるが、上げることは難しい。ここでアルコールを少し足したほうがいいだろう。あとはこれを持っていけばいいだけだ。


 私はアシスタントたちを呼び、果実酒を酒場へ運んだ。



「マスターさん。果実酒を納品しにきました」


「おお、ありがとな。そこに置いてくれ」


 マスターが在庫置き場を指差す。私たちはそこに果実酒を運び込んだ。


「少し遅くなってしまいましたが、まだ大丈夫でしたか?」


 納期はまだ過ぎていないがぎりぎりだ。いつもは余裕をもって納品している。まだ在庫は大丈夫だろうか。


「あと数日分は在庫があるからな。果実酒は人気があるから本当に助かっているよ。俺もこの梅酒が好きなんだ」


 果実酒は私たちが量産をしているので安く、ワインや他のお酒よりも気軽に楽しめる。もしかしたら、味で人気を取っているわけではないかもしれないが、それを聞いた私は思わず顔を綻ばせる。


「それはよかったです。今回納品した果実酒は特にいいと思いますよ」


「それは楽しみだな」


 納品が間に合ってよかった。これでやるべきことはやった。



 あれから数日が経過した。まだ何も起こっていないようだ。今の状況は、時限爆弾が爆発するのを待っているようなものだ。


 今日も初老の男性が文句を言いに来ている。私は適当に相槌を打ちながら、謝罪を繰り返す。ストレスが発散できるのだからたいしたことではない。この場を我慢しよう。


 初老の男性が部屋を出ていくと、実験を開始する。


「この粉末をこの結晶と混ぜて加熱して……。だめだ、また失敗だ」


 私は肩を落とした。最近はずっとこの調子だ。


 私は感染症に備えて、化学合成や天然物の抽出を行い、抗生物質や抗真菌薬になる化学物質を探索しているが完全に行き詰まっていた。


 だいたい、ひとえに感染症といっても多くの種類があり、有効な治療薬はそれぞれ異なる。インフルエンザと結核では治療薬がまったく異なるように。


 感染症の特定ができなければ方針は立てられない。逆に言えば、感染症の特定さえできれば、なんとかなるかもしれないのだ。


 行商人は、他にヒントになるようなことを言っていただろうか。……思い出せない。


 私は文字通り頭を抱えた。その様子を見たアルバートが口を開く。


「行き詰っているようですね。気分転換に散歩でもしてきたらどうですか。もうずっと家にも帰ってないですよね」


「そうね。そうさせてもらおうかな」


 私は研究室をあとにした。



 気分転換をするために山の方へ向かっていると、行商人がやってくるのが見えた。以前にお願いしたヒツジを数頭連れてきてくれたようだ。かわいい。モフモフだ。


 ヒツジを見た瞬間に、先ほどまで落ち込んでいた気持ちが一気に晴れた。畜産家に育ててもらおう。これで羊毛が手に入るから、布団も良質なものになるだろう。羊毛布団は睡眠の質が上がるというし、抗菌作用もあるらしい。病気の予防に繋がるはずだ。


 私はヒツジを撫でながら言う。


「この子たちを畜産家に運んでいただけますか?」


「あなたが育てるわけじゃないんですか?」


「私には畜産の知識がありませんから。それよりもお聞きしたいことがあります」


 ヒツジを愛でていても、私は本題を忘れてはいない。この奇跡のようなタイミングを逃すわけにはいかない。


「なんですか?」


「以前お聞きした感染症についてです。どのような症状があったかわかりませんか?」


「死んだ人がいるってことくらいしかわからないですね」


「些細なことでもいいんです。高熱があった、咳があった。なんでもいいんです」


 この行商人に頼るしか道はない。私はすがるような思いで尋ねた。


「感染症に詳しくないんで。わかんないですね」


「そうですか……。ありがとうございます」


 行商人は怪訝な表情を浮かべると、畜産家の方へ向かった。その後ろ姿を見ながら私は呆然としていた。


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