第九十八話 営業課長、十年前の裏切り者を追う
翌朝。
アルトたちは商人ギルドの一室に集まっていた。
机の上には、十二社の商会から集めた資料が山のように積まれている。
「多すぎる……。」
マルクが頭を抱えた。
「商会ごとの取引先、物流経路、倉庫の場所、過去三年分の取引記録……。」
「まだ序盤だよ。」
アルトは平然としている。
「これから聞き込みもする。」
「……本当に八歳か?」
「その質問、最近多いですね。」
エリシアが笑った。
「アルトだから仕方ないわ。」
だが、レオンは笑っていなかった。
机の端に置かれた古い資料を見つめている。
「お父さん。」
「……ああ。」
「十年前の事件について、もう一つ聞きたい。」
「何だ?」
「裏切った人って、誰だったの?」
レオンの表情が変わった。
しばらく黙った後、静かに答える。
「名前は、ダリウス・グレン。」
「ダリウス……。」
アルトはその名前を書き留めた。
「当時、何をしていた人?」
「商務省の地方監査官だった。」
「じゃあ、かなり重要な立場じゃないですか。」
「ああ。」
レオンは頷いた。
「物流網の記録を確認する立場だった。」
「エドガーさんとも?」
「仕事上、何度も会っていた。」
「そして、お父さんとも?」
「そうだ。」
アルトはペンを止める。
「その人が裏切った?」
「私は、そう考えている。」
「証拠は?」
「ない。」
「また……。」
アルトは苦笑した。
「十年前は証拠がない事件ばかりですね。」
「だから、今でも決着していない。」
レオンの声には、わずかな悔しさが混じっていた。
「ダリウスは、事件の直後に王都へ戻った。」
「その後は?」
「商務省を辞めた。」
「辞めた理由は?」
「体調不良という話だった。」
アルトは眉をひそめる。
「その後、何を?」
「分からない。」
「消息不明?」
「ああ。」
アルトは考え込む。
「……それなら、探せばいい。」
「簡単に言うな。」
「でも、十年前に王都で働いていた人間なら、記録があります。」
「商務省の職員記録。」
「住居記録。」
「取引記録。」
「全部調べます。」
マルクが呆れた顔をする。
「どこまでやるつもりなんだ?」
「犯人探しです。」
「営業じゃないだろ。」
「営業も犯人探しも、情報が大事です。」
「一緒にするな。」
そんなやり取りをしていると――。
「失礼します!」
商人ギルドの職員が駆け込んできた。
「アルト様、大変です!」
「何がありました?」
「ヴァルガス商会の倉庫で問題が起きました。」
「倉庫?」
「はい。」
「何が?」
「帳簿が何冊か盗まれました。」
アルトの表情が変わる。
「いつ?」
「昨夜です。」
「……。」
アルトはレオンを見る。
レオンも同じことを考えていた。
十年前。
消えた帳簿。
そして今回。
「犯人は?」
「まだ分かっていません。」
「警備は?」
「破られた形跡はありません。」
アルトが立ち上がった。
「行きます。」
ヴァルガス商会の倉庫。
そこにはオルガン本人が立っていた。
「来たか。」
「何が盗まれたんですか?」
「十年前の記録だ。」
アルトの目が鋭くなる。
「……十年前?」
「ああ。」
オルガンは苦い顔をしていた。
「正確には、十年前から十五年前までの物流記録だ。」
「他の帳簿は?」
「無事だ。」
「つまり、狙われたのは十年前の記録だけ。」
「そういうことだ。」
アルトは倉庫内を見回した。
棚。
帳簿。
荷物。
そして床。
「ここ。」
アルトがしゃがみ込む。
「何だ?」
床には小さな紙片が落ちていた。
「紙?」
アルトが拾う。
古い紙だ。
端には、小さな数字が書かれている。
「三十。」
レオンが近づく。
「それは……。」
「秘密の物流網で使われていた番号です。」
アルトが答える。
オルガンの表情が険しくなる。
「やはり、十年前と繋がっている。」
「そう思います。」
アルトは紙を裏返した。
そこには、さらに小さな文字があった。
「北部第三中継所。」
レオンが息を呑む。
「……そこか。」
「知ってるの?」
「ああ。」
「十年前、荷物が盗まれた場所だ。」
アルトは顔を上げる。
「じゃあ、犯人はわざとこの紙を残した?」
「可能性は高い。」
「だったら、これは罠かもしれません。」
オルガンが頷く。
「私もそう思う。」
「でも、行く価値はあります。」
「危険だぞ。」
「だから行くんです。」
アルトは立ち上がった。
「犯人が罠を張っているなら、その罠を利用して情報を取ります。」
レオンが苦笑する。
「本当に営業課長だな。」
「相手が何を考えているか、知りたいですから。」
その日の午後。
アルトたちは北部第三中継所へ向かった。
そこは、十年前の事件以降、使われなくなった古い施設だった。
建物は半分崩れている。
扉には錆が浮いている。
「ここが……。」
エリシアが辺りを見回す。
「十年前に事件が起きた場所。」
「そう。」
アルトは慎重に中へ入った。
床には古い木箱。
壁には壊れた棚。
そして――。
「誰かいる。」
レオンが低い声で言った。
奥から人影が現れる。
「……。」
男だった。
年齢は五十歳前後。
古びた外套を着ている。
男はアルトたちを見ると、驚いたように目を見開いた。
「レオン……。」
レオンが固まる。
「お前……。」
「知っている人?」
アルトが尋ねる。
レオンは答えなかった。
男が苦笑する。
「ずいぶん大きくなったな。」
「……。」
「アルト。」
レオンが呟く。
「こいつが、ダリウスだ。」
アルトは目を見開いた。
十年前の裏切り者。
行方不明になっていた男。
その本人が、目の前にいる。
「あなたが……。」
ダリウスはアルトを見る。
「君がレオンの息子か。」
「はい。」
「なるほど。」
ダリウスは小さく笑った。
「確かに、あの頃のレオンに似ている。」
レオンが一歩前へ出る。
「なぜここにいる?」
「お前に会いたかった。」
「なら、十年前に逃げる必要はなかっただろう。」
ダリウスは黙った。
「……逃げたんじゃない。」
「何?」
「逃げさせられた。」
アルトが口を挟む。
「誰に?」
ダリウスはアルトを見る。
そして、ゆっくり答えた。
「十年前の事件を起こした本当の人物に。」
全員が黙った。
「ヴァルガス商会ではない。」
「……。」
「私でもない。」
ダリウスは続ける。
「お前たちは、ずっと間違えていた。」
レオンの拳が強く握られる。
「では誰だ?」
「それを話す前に、一つ約束してほしい。」
「何を?」
「私を信用しないことだ。」
アルトは首を傾げる。
「どういう意味?」
「私は一度、仲間を裏切った。」
「そして今も、すべてを話す勇気がない。」
ダリウスは古い箱を開けた。
中には数冊の帳簿が入っている。
「これを見ろ。」
アルトが一冊を手に取る。
そこには十年前の物流記録が残っていた。
しかし――。
アルトの目が止まる。
「この数字……。」
「気づいたか。」
「おかしい。」
「何が?」
「当時の物流量と、記録されている物流量が一致していない。」
ダリウスが頷く。
「そうだ。」
「実際には、記録の二倍近い荷物が動いていた。」
「二倍……?」
オルガンが驚く。
「じゃあ、誰かが別の物流網を使っていた?」
「その通りだ。」
ダリウスが答える。
「十年前、表向きの物流網とは別に、もう一つの物流網が存在していた。」
アルトは息を呑んだ。
「じゃあ、秘密の物流網は――。」
「さらに、その裏があった。」
アルトの背筋に冷たいものが走った。
物流網の裏に、さらに別の物流網。
そして、それを動かしていた人物。
ダリウスは最後に一枚の紙を取り出した。
「この名前を見れば、すべてが繋がる。」
アルトは紙を受け取った。
そこに書かれていた名前を見た瞬間――。
「……王宮の人間?」
レオンの顔色が変わった。
十年前の事件は、商人同士の争いではなかった。
その背後には、王国の中枢に近い人物がいた。
そして、その人物は今も生きている。
営業メモ⑨⑥
「情報を集める時は、最初に立てた仮説に固執しない。『この人が犯人だ』と決めつけると、都合の悪い情報を見落とす。事実を一つずつ確認し、仮説を修正する。営業でも、最初の見込み客像に固執せず、実際の顧客情報に合わせて提案を変えることが重要。」
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次回予告 第九十九話「営業課長、王宮の影を追う」
十年前の物流網。
そのさらに裏に存在していた、もう一つの物流網。
そして、その記録に残されていた王宮関係者の名前。
「この人が、全部の黒幕なの?」
アルトが尋ねる。
しかしダリウスは首を横に振った。
「違う。」
「この人物は、黒幕ではない。」
「では、一体誰が――?」
十年前の事件の真相へ、アルトたちはさらに深く踏み込んでいく。
そして、王宮内部にも今回の物流改革を巡る思惑が存在することが明らかになる――。




