第九十五話 営業課長、十年前の因縁を知る
王都へ戻る馬車の中。
アルトは、ずっと一枚の帳簿を眺めていた。
そこに記されていた商会名。
ヴァルガス商会。
十年前、北部の物流網を支配しようとした商会。
そして今、再び物流改革を妨害している可能性がある。
「……。」
向かいに座るレオンは、窓の外を見ている。
いつもなら何かしら話す父が、今日は妙に静かだった。
「お父さん。」
「何だ?」
「ヴァルガス商会って、そんなに悪い商会なの?」
レオンはすぐには答えなかった。
「一言では言えない。」
「どういうこと?」
「商売そのものが悪いわけではない。」
「では?」
「やり方に問題があった。」
アルトは帳簿を見る。
「十年前のこと?」
「ああ。」
レオンは小さく息を吐いた。
「話しておこう。」
馬車の揺れる音だけが響く。
「十年前。」
「北部で大規模な土砂災害が起きた。」
「その影響で主要街道が使えなくなった。」
アルトは頷く。
「その時、昔の物流網が復活したんだよね。」
「そうだ。」
「最初は問題なかった。」
「むしろ、多くの人間が助かった。」
レオンは続ける。
「北部の村には食料が届いた。」
「王都にも地方の物資が入った。」
「商人たちも利益を得た。」
「じゃあ、何が問題だったの?」
「ヴァルガス商会が、中継所を買い始めた。」
アルトの目が細くなる。
「一つずつ?」
「ああ。」
「倉庫。」
「荷馬車の待機所。」
「街道沿いの宿。」
「そして、中継所。」
レオンは指を折っていく。
「最初は、ただの商売だと思われていた。」
「資金のある商会が設備を買う。」
「それ自体は珍しいことじゃない。」
「でも……。」
レオンの声が低くなる。
「気がつけば、物流網の重要な場所がほとんどヴァルガス商会の所有になっていた。」
「つまり。」
アルトが続ける。
「物流網を直接支配できるようになった。」
「ああ。」
アルトは考え込む。
「でも、それだけなら違法ではないですよね?」
「その通りだ。」
「だから厄介だった。」
レオンは苦笑した。
「全て合法的な取引だった。」
「だから止められなかった。」
「でも、問題はその後だった。」
「何をしたの?」
「利用料を上げた。」
アルトは顔をしかめる。
「どれくらい?」
「最初は小さかった。」
「商人たちが文句を言わない程度に。」
「そして少しずつ上げていった。」
「気がつけば、他の道を使うより高くなっていた。」
「でも、街道は壊れている。」
「そうだ。」
レオンは頷いた。
「だから、商人たちはヴァルガス商会の中継所を使うしかなかった。」
アルトは腕を組む。
「それは独占ですね。」
「そうだ。」
「でも、証拠がない。」
「……。」
レオンは黙った。
「お父さん?」
「証拠を集めていた。」
「誰が?」
「私とエドガーだ。」
アルトは目を見開いた。
「二人で?」
「ああ。」
「王都側からエドガー。」
「領地側から私。」
「物流の記録を集めた。」
「料金の変化。」
「荷物の量。」
「中継所の所有者。」
「商人たちの証言。」
アルトは頷く。
「営業の証拠集めと同じだ。」
「営業?」
「何でもありません。」
レオンが苦笑する。
「だが、あと少しというところで問題が起きた。」
「何?」
「証拠となる帳簿が消えた。」
「……。」
「ヴァルガス商会が管理していた帳簿の一部が、突然なくなった。」
「それだけ?」
「いや。」
レオンの表情が険しくなる。
「同じ日に、私たちが集めていた記録まで消えた。」
「誰かが情報を漏らしていた?」
「ああ。」
「内部に協力者がいたんですか?」
「分からない。」
「その後、何が?」
「中継所の一つで荷物が盗まれた。」
「しかも、私たちが管理していた物資だった。」
アルトは黙った。
「そして、犯人として名前が出たのが――。」
「お父さん?」
「ああ。」
アルトの顔が険しくなる。
「僕のお父さんが?」
「正確には、私が物流管理を怠ったという話になった。」
「でも、違うんですよね?」
「違う。」
レオンは即答した。
「だが、証拠がなかった。」
馬車の中が静かになる。
「私は責任を取らされた。」
「そして、物流網から外された。」
「エドガーも同じだった。」
「商務省を辞めた。」
アルトは帳簿を見る。
「……それで、十年前の物流網が終わった。」
「ああ。」
だが。
アルトには一つ引っかかることがあった。
「お父さん。」
「何だ?」
「一つだけ、おかしくない?」
「何が?」
「本当にヴァルガス商会が全部やったなら、どうして証拠が一つも残っていないの?」
レオンが黙る。
「帳簿も消えた。」
「証言もまとまらなかった。」
「荷物の盗難まで起きた。」
「全部がヴァルガス商会に都合よく進みすぎています。」
レオンはアルトを見る。
「私も、当時そう思った。」
「だったら――。」
「別に誰かがいた。」
アルトが息を呑む。
「ヴァルガス商会とは別に?」
「ああ。」
「商会同士の争いだけではなかった。」
レオンは窓の外を見る。
「私は、最後までその人物を見つけられなかった。」
「でも、今回……。」
「そうだ。」
レオンの声が低くなる。
「同じ手口が使われている。」
偽の命令書。
消える記録。
商人たちへの圧力。
物流網の支配。
「だから、私は警戒している。」
レオンはアルトを見る。
「今回の相手は、ヴァルガス商会だけではないかもしれない。」
「……。」
「十年前に逃げた誰かが、まだ動いている可能性がある。」
アルトはしばらく考えた。
そして――。
「だったら、探しましょう。」
「何を?」
「十年前の記録。」
「消えた帳簿の代わりになるものを。」
アルトは指を一本立てる。
「当時の商人。」
「二つ目。」
「中継所を使っていた村。」
「三つ目。」
「荷物を運んでいた御者。」
「そして四つ目。」
アルトは帳簿を見る。
「ヴァルガス商会の元従業員。」
レオンが目を細める。
「何をするつもりだ?」
「聞き込みです。」
「証拠を集める。」
「十年前に何が起きたのかを、今度は別の角度から確認する。」
レオンが小さく笑った。
「お前は、昔の私より慎重だな。」
「営業では基本です。」
「また営業か。」
「営業は情報戦ですから。」
その時だった。
馬車の前方から、一人の騎馬兵が近づいてきた。
「レインハルト家の馬車か!」
「そうだ。」
レオンが答える。
「商人ギルドから急ぎの連絡です!」
アルトが身を乗り出す。
「何があったんですか?」
「王都の大手商会が、物流改革への参加を拒否すると通達してきました。」
「何社?」
「十二社です。」
アルトの表情が変わった。
「十二社……。」
偶然ではない。
これだけの商会が同時に動くには、理由がある。
「誰かが動かした。」
アルトは呟いた。
「十年前と同じように。」
レオンがアルトを見る。
「どうする?」
アルトは少し考え――。
笑った。
「会いに行きます。」
「誰に?」
「その十二社全部に。」
レオンが苦笑する。
「一日で?」
「営業課長ですから。」
「……。」
「話を聞かないと、何も始まりません。」
馬車は王都へ向かって走り続ける。
十年前に失われた物流網。
その裏側に隠された真実。
そして、再び動き始めた何者かの思惑。
アルトはまだ知らない。
その十二社の中に――。
十年前の事件を知る人物がいることを。
営業メモ⑨④
「過去の失敗を調べる時は、一つの証言だけを信用しない。記録、数字、当事者の話、第三者の証言を照合することで、見えなかった事実が浮かび上がる。営業でも、顧客の言葉だけで判断せず、複数の情報源から状況を確認することが重要。」
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次回予告 第九十六話「営業課長、父の過去に踏み込む」
十年前の物流網崩壊。
レオンとエドガーが守ろうとした仕組み。
そして、その裏で起きていた「帳簿の消失」と「荷物の盗難」。
アルトは父から、十年前の事件についてさらに詳しい話を聞く。
「お父さん……本当に何も知らなかったの?」
レオンが語る、十年前の最後の日。
そこには、現在の物流改革を脅かす人物へと繋がる、決定的な手掛かりが残されていた――。




