第九十四話 営業課長、元商務官と対峙する
古びた倉庫。
入口に立っていた男――エドガー・ハルトは、アルトたちを見つめたまま動かなかった。
その顔には驚きがあった。
だが、逃げようとはしない。
「なぜ、ここにいる?」
エドガーがもう一度尋ねる。
「調べに来たんです。」
アルトは答えた。
「偽の命令書について。」
エドガーの目がわずかに揺れた。
アルトはそれを見逃さない。
「やっぱり、知っていますね。」
「……。」
「僕たちを追い出すために、偽の命令書まで使った。」
「違う。」
エドガーは即座に否定した。
「私は王国を混乱させたいわけではない。」
「では、なぜ?」
アルトが一歩前へ出る。
「なぜ、こんなものを作ったんですか?」
エドガーは答えなかった。
その代わり、倉庫の奥に積まれた荷物を見る。
「お前たちは、この物流網を潰すつもりか?」
「いいえ。」
アルトは首を振った。
「むしろ、仕組みとして活用できないか考えています。」
「……何?」
エドガーが初めて驚いた表情を見せた。
「この物流網は、効率がいい。」
「王都の正式な物流網よりも安く、早く運べる場所がある。」
「だったら、改善して使えばいい。」
エドガーは苦笑した。
「簡単に言うな。」
「どうして?」
「王都の商人たちは、それを許さない。」
「なぜです?」
「自分たちの利益が減るからだ。」
アルトは少し考えた。
「それだけですか?」
「……。」
「だったら、商人たちにも利益が出る仕組みにすればいい。」
「そんな簡単な話ではない。」
「でも、商売ですよね?」
アルトは笑った。
「利益が出るなら、人は動きます。」
エドガーはアルトを見つめた。
「お前は、本当に商売を分かっているようだな。」
「営業です。」
「またそれか。」
「僕にとっては大事なことです。」
エドガーは小さく笑った。
しかし、その笑みはすぐに消えた。
「十年前。」
突然、エドガーが口を開いた。
「この物流網は、今よりもっと大きかった。」
「十年前……。」
レオンが反応する。
「何があった?」
エドガーはレオンを見る。
「あなたも知っているはずです。」
「何?」
「十年前の北部街道閉鎖。」
レオンの表情が変わった。
アルトは父を見る。
「お父さん、知ってるの?」
「ああ。」
レオンは短く答えた。
「だが、当時の私はまだ領地経営に関わる立場ではなかった。」
「その時、何があったの?」
「大規模な土砂崩れだ。」
エドガーが続ける。
「街道が一年近く使えなくなった。」
「北部から王都への物資が止まり、多くの村が困窮した。」
「そこで、昔の物流網が使われた。」
アルトは頷いた。
「だから、この仕組みが復活した。」
「そうだ。」
エドガーは続ける。
「当時、私は商務省の人間だった。」
「王都から北部へ物資を送るため、この物流網を管理していた。」
「じゃあ、あなたはこの仕組みを作ったわけじゃない?」
「違う。」
エドガーは首を振った。
「私は守っただけだ。」
「なら、なぜ今は隠しているんですか?」
長い沈黙。
「……奪われたからだ。」
アルトが眉を寄せる。
「何を?」
「物流網そのものを。」
エドガーは机の上の帳簿を開いた。
「十年前、この物流網は多くの商人が共同で使っていた。」
「ところが、商売が大きくなるにつれて、一部の大商会が中継所を支配し始めた。」
「通行料を勝手に決め、荷物を優先し、自分たちの商品を優先して運ぶ。」
アルトは顔をしかめた。
「共同物流が、独占物流になった。」
「そうだ。」
「そして、私はそれを止めようとした。」
エドガーの声が低くなる。
「だが、止められなかった。」
「なぜ?」
「王都の中にも、その商会と繋がっている者がいたからだ。」
アルトは黙った。
「それで商務省を辞めたんですか?」
「いや。」
エドガーは首を振る。
「辞めさせられた。」
倉庫の中が静まり返る。
「そして、私はこの物流網を守るために動き始めた。」
「偽の命令書まで使って?」
「必要だった。」
「なぜ?」
エドガーはアルトを見る。
「本物の命令書では、この物流網を守れなかったからだ。」
アルトはしばらく考えた。
「でも、それでは同じことです。」
「何?」
「あなたも、王宮の権威を利用している。」
エドガーが黙る。
「相手が不正をしているからといって、自分も不正をすれば、最後には誰が正しいのか分からなくなる。」
「……。」
「それに。」
アルトは机の帳簿を指差す。
「あなたのやり方では、この物流網を守れない。」
「なぜだ?」
「秘密だからです。」
エドガーが顔を上げる。
「秘密の物流網は、秘密である限り大きくできない。」
「人が増えれば、秘密は漏れる。」
「荷物が増えれば、誰かに見つかる。」
「そして今みたいに、偽の命令書を使わなければ守れなくなる。」
アルトは一歩前へ出た。
「だったら、最初から堂々と使える仕組みに変えればいい。」
「……。」
「僕たちが作ろうとしている物流網に組み込めばいいんです。」
エドガーは驚いたようにアルトを見る。
「この物流網を?」
「はい。」
「王都の正式な物流網に?」
「はい。」
「そんなことをしたら、独占しようとする商人たちに奪われる。」
「だから仕組みを作るんです。」
アルトは地図を広げた。
「一つの商会が中継所を独占できないようにする。」
「複数の商会が利用できるようにする。」
「料金を公開する。」
「荷物の記録も残す。」
「そして、誰がどれだけ利益を得たのかを見えるようにする。」
エドガーは地図を見つめた。
「……。」
「これなら、隠す必要がありません。」
しばらくして。
エドガーが小さく笑った。
「お前は……。」
「はい?」
「十年前に私が考えたかったことを、もっと簡単に言いやがる。」
「営業ですから。」
「便利な言葉だな。」
二人の間に、少しだけ空気の緩みが生まれた。
しかし、その時だった。
倉庫の外から再び足音が聞こえた。
「……。」
エドガーの顔が険しくなる。
「まずい。」
「誰です?」
「奴らだ。」
「誰?」
エドガーは答えなかった。
代わりに、倉庫の奥を指差した。
「あそこから出ろ。」
「エドガーさんは?」
「私はここに残る。」
「駄目です。」
アルトが即答する。
「あなたは重要な証人です。」
「私が捕まれば、お前たちも巻き込まれる。」
「それなら、一緒に逃げましょう。」
「子どもが何を言っている。」
「子どもでも営業はできます。」
エリシアが思わず吹き出した。
「こんな時まで……。」
だが、レオンは笑わなかった。
「アルト。」
「はい。」
「裏口から出るぞ。」
「分かった。」
一行が倉庫の裏へ回った、その直後。
正面の扉が蹴り破られた。
「探せ!」
「倉庫の中を全部調べろ!」
男たちの声が響く。
アルトは振り返った。
そして、倉庫の中に残された大量の書類を見る。
「まだ終わってません。」
「何をする?」
レオンが尋ねる。
「証拠を持って帰ります。」
アルトは帳簿を一冊抱えた。
「この物流網を正式なものにするために。」
エドガーが驚いた顔をする。
「本気か?」
「もちろん。」
「なら、これを持っていけ。」
エドガーは一枚の古い書類をアルトへ渡した。
「十年前の物流網に関する正式な記録だ。」
「これがあれば、当時この仕組みが合法的に運用されていたことを証明できる。」
「ありがとうございます。」
アルトは書類を受け取った。
そして――。
「エドガーさん。」
「何だ?」
「今度は、隠れなくていいようにしましょう。」
エドガーは一瞬だけ目を見開いた。
やがて、静かに笑った。
「……ああ。」
アルトたちは裏口から外へ出た。
夜の街道を走る。
背後では、まだ男たちの怒声が響いている。
アルトは胸に抱えた帳簿を見る。
そこには、十年前から続く物流網の記録が残されていた。
そして、その最後のページには――。
一つの商会名が記されていた。
「……この名前。」
アルトの足が止まる。
マルクが振り返った。
「どうした?」
アルトは帳簿を見つめた。
「今回の問題を起こしている商会……。」
「分かったのか?」
「はい。」
アルトは静かに答えた。
「バルド商会じゃありません。」
「じゃあ、どこだ?」
アルトは最後のページを指差した。
「十年前から、この物流網を支配しようとしていた商会です。」
その名前を見た瞬間。
レオンの表情が険しくなった。
「……まさか。」
物流改革を巡る戦い。
その本当の敵の名前が、ついに明らかになろうとしていた。
営業メモ⑨②
「相手の問題を否定するだけでは、交渉は前に進まない。『なぜ、その方法を選んだのか』まで理解し、その目的を守りながら、より良い方法を提案する。相手の行動ではなく、相手の目的を見ること。それが問題解決の第一歩になる。」
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次回予告 第九十五話「営業課長、十年前の因縁を知る」
秘密の物流網を支配しようとしていた商会。
その名前を見たレオンの表情が変わった。
「アルト……その商会には関わるな。」
父が初めて見せた、明確な拒絶。
なぜレオンは、その商会を知っているのか。
そして十年前、北部で何が起きていたのか――。
アルトの父・レオンにも繋がる過去が、ついに明らかになる。




