第九十二話 営業課長、秘密の物流網に踏み込む
小さな村の奥。
そこには、表通りからは決して見えない広い空き地があった。
いや――。
正確には、空き地ではない。
大量の荷馬車が並び、何人もの男たちが荷物を積み替えている。
「……。」
アルトは思わず足を止めた。
エリシアも目を見開いている。
「こんな場所に……。」
「物流拠点がある。」
レオンが低い声で呟いた。
小さな村の規模からは想像もできない光景だった。
荷馬車。
木箱。
小麦袋。
布。
乾燥豆。
塩。
工具。
さまざまな商品が並んでいる。
しかも、積み替え作業は驚くほど手際がいい。
「これは……かなり前から使われていますね。」
アルトが呟いた。
「どうして分かる?」
レオンが尋ねる。
「道ができています。」
アルトは地面を見る。
荷馬車が何度も通ったことで、土が固く踏み固められている。
「一週間や二週間じゃ、こうはなりません。」
さらに周囲を見る。
仮設の倉庫。
荷物を数えるための台。
簡単な事務所まである。
「少なくとも数か月。」
アルトは続ける。
「もしかすると、もっと前からです。」
そこへ先ほどの老人が近づいてきた。
「だから帰れと言ったんだ。」
「でも、帰る理由がありません。」
アルトは老人を見る。
「ここは違法な場所ですか?」
「……。」
「それとも、合法だけど王都には知られたくない場所ですか?」
老人の眉が動いた。
アルトはその反応を見逃さなかった。
「後者ですね。」
「何を根拠に?」
「ここで働いている人たちです。」
「人?」
「皆さん、仕事を隠しているようには見えません。」
アルトは周囲を見渡す。
「普通の物流業者なら、もっと堂々と商会の紋章を掲げます。」
「でも、ここにはない。」
「つまり、商売そのものを隠しているのではなく――。」
アルトは一呼吸置いた。
「この場所を隠している。」
老人は黙った。
アルトはさらに続ける。
「理由があるはずです。」
「……お前は本当に子どもか?」
「よく言われます。」
エリシアが小さく笑った。
老人は困ったように頭を掻いた。
「ここはな。」
「はい。」
「北部と東部を結ぶ、昔からの中継所だ。」
「昔から?」
「ああ。」
「誰が作ったんですか?」
「昔の領主だ。」
レオンが反応した。
「昔の領主?」
「街道が今のように整備される前は、こちらが主要な道だった。」
老人は遠くを見る。
「だが、新しい街道ができてから使われなくなった。」
「それなのに、物流拠点だけ残った?」
「そうだ。」
アルトは地図を取り出した。
「だから、三十・六十・九十の数字が残っていたんですね。」
老人の表情が変わった。
「……その数字をどこで見た?」
「荷物に付いていました。」
老人は黙り込む。
「距離ではなく、中継地点を示す数字。」
「三十キロ地点。」
「六十キロ地点。」
「九十キロ地点。」
アルトは地図を指でなぞる。
「この物流網のルートですね。」
老人は長い沈黙の後、頷いた。
「そうだ。」
エリシアが驚く。
「本当に存在していたのね。」
「だが、昔とは違う。」
老人が言った。
「今は、もっと複雑になっている。」
「どういう意味ですか?」
「昔は一つの地域から別の地域へ荷物を運ぶだけだった。」
「今は?」
「商人同士で荷物を交換している。」
アルトの目が輝く。
「荷物の交換?」
「ああ。」
老人は説明した。
「北部から小麦が来る。」
「東部から豆が来る。」
「王都から布や工具が来る。」
「それぞれの荷物を途中で交換して、必要な場所へ運ぶ。」
アルトは黙って聞いていた。
そして――。
「それって。」
「なんだ?」
「今、僕が作ろうとしている物流網と同じじゃないですか。」
老人は笑った。
「そうだ。」
「……。」
「お前さんたちは、新しいことを始めたつもりかもしれない。」
「だが、昔から似た仕組みは存在していた。」
アルトは地図を見る。
これは偶然ではない。
昔の物流網が、形を変えながら残っていたのだ。
しかし、一つ疑問がある。
「なら、どうして王都の物流網は、この仕組みを使っていないんですか?」
老人の顔から笑みが消えた。
「それには理由がある。」
「何ですか?」
「税だ。」
アルトは目を見開いた。
「税……。」
「ああ。」
老人は続けた。
「昔の街道が使われなくなった最大の理由は、税制が変わったからだ。」
「今の主要街道では、関所を通るたびに税を払う。」
「しかし、昔の道には正式な関所がない。」
「だから安く運べる。」
「でも、それって――。」
「税を払っていない?」
エリシアが尋ねる。
老人は首を横に振った。
「違う。」
「昔の道を使う商人たちは、別の方法で税を納めている。」
「別の方法?」
「地域ごとの取り決めだ。」
村や領地ごとに一定額を支払う。
その代わり、道や倉庫を使わせてもらう。
アルトはしばらく考えた。
「つまり、税の仕組みそのものが違う。」
「そうだ。」
「だから、王都の正式な物流網より安い。」
「その通りだ。」
アルトは唸った。
これは大きな発見だった。
しかし――。
「じゃあ、どうして隠すんですか?」
老人が黙る。
「合法なら、隠す必要はないですよね?」
「……。」
「何か問題がある。」
アルトは老人を見る。
「違いますか?」
老人はしばらく黙っていた。
やがて、小さな声で答えた。
「王都の商人たちに知られれば、潰される。」
「なぜ?」
「価格が違いすぎる。」
「……。」
「こちらの物流は、関所をいくつも通らない。」
「中継所で荷物を交換する。」
「だから安く運べる。」
「王都の大手商会が同じ仕組みを使えば、今までの利益構造が変わる。」
アルトは理解した。
問題は物流そのものではない。
利益構造だ。
既存の商人たちは、関所や正式な街道を利用することで一定のコストを負担している。
一方、この古い物流網は低コストで運べる。
だから――。
「既存の商人にとっては、脅威になる。」
「そうだ。」
レオンが静かに言った。
「だから隠されていたのか。」
「違う。」
老人が首を振る。
「最初は違った。」
「何が?」
「昔は、みんなが普通に使っていた。」
「では、いつから?」
老人は遠くを見る。
「十年ほど前だ。」
「十年前?」
「ああ。」
「その頃から、一部の商人がこの道を独占し始めた。」
「独占……。」
「荷物を通す相手を選ぶようになった。」
アルトの表情が変わる。
「誰が?」
「それは――。」
老人が言いかけた時だった。
遠くから馬の音が聞こえた。
何台もの馬車が近づいてくる。
「誰だ?」
レオンが身構える。
村人たちが慌て始める。
「まずい!」
「来たぞ!」
「荷物を隠せ!」
アルトは驚いた。
「何が起きたんですか?」
老人が答える。
「見回りだ。」
「誰の?」
「関所の兵士だ。」
アルトは眉をひそめる。
「ここに関所はないはずですよね?」
「ない。」
「なのに、なぜ兵士が来る?」
老人は答えなかった。
やがて、武装した男たちが入ってきた。
「この場所で不正な物流を行っているとの通報があった!」
隊長らしき男が叫ぶ。
「全員、動くな!」
アルトは周囲を見渡した。
そして、静かに呟く。
「……やっぱり。」
「何が?」
エリシアが尋ねる。
「誰かが、この物流網を潰そうとしている。」
しかも――。
そのために兵士まで動かしている。
アルトは隊長の胸元を見る。
そこには王都の正式な紋章。
「兵士さん。」
「何だ?」
「一つ聞いてもいいですか?」
「今は質問を許可していない。」
「でも、確認しないといけないことがあります。」
アルトは隊長の持っている書類を見る。
「その命令書。」
「何だ?」
「誰の署名ですか?」
隊長が一瞬だけ黙った。
アルトは、その一瞬を見逃さなかった。
「……それ。」
「何だ?」
「王宮の正式な命令書じゃないですよね?」
空気が凍りついた。
レオンが一歩前へ出る。
「アルト。」
「大丈夫。」
アルトは隊長を見る。
「この紙、本物かどうか確認しましょう。」
営業では、書類一枚でも同じだ。
肩書きではなく、根拠を見る。
アルトはその紙に記された紋章をじっと見つめた。
そして――。
「あ。」
小さく声を漏らす。
「やっぱり違う。」
「何がだ?」
隊長が動揺する。
「王宮の紋章。」
アルトは指差した。
「羽の形が一つ違います。」
レオンの目が鋭くなる。
「偽造か。」
隊長の顔色が変わった。
「……!」
次の瞬間。
隊長は背を向けて走り出した。
「待て!」
レオンの声が響く。
だが、隊長は馬へ飛び乗った。
アルトはその背中を見ながら、静かに言った。
「逃げるってことは――。」
「やっぱり、この物流網には秘密がある。」
しかし。
その秘密は、単なる商人同士の利益争いではなかった。
王宮の紋章まで偽造して兵士を動かすほどの何者かが、この物流網を利用している。
アルトは地図を見つめた。
「……一体、誰なんだ?」
そして。
その答えに近づくための手掛かりは、意外にもすぐそばにあった。
営業メモ⑨⓪
「表面上の問題だけを解決しても、本当の原因が残っていれば同じ問題は繰り返す。『なぜそうなったのか』を一段深く掘り下げることが重要。営業でも、目の前の失注だけを見るのではなく、その背景にある仕組みまで見ることで本当の改善につながる。」
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次回予告 第九十三話「営業課長、偽の命令書を追う」
王宮の紋章を偽造した命令書。
それを使って、秘密の物流網を潰そうとしていた謎の男たち。
アルトたちは、逃げた隊長の足取りを追うことになる。
しかし、偽の命令書を調べる中で判明したのは――。
「この紙……王都で作られています。」
物流改革の裏側に、王都の人間が関わっている可能性が浮上する。
アルトはついに、敵の正体へと近づき始める――。




