第九十話 営業課長、街道封鎖の裏側を探る
商人ギルドの会議室。
窓から差し込む夕日が、机の上に広げられた書類を赤く染めていた。
アルトは一枚の報告書をじっと見つめている。
「……おかしい。」
その呟きに、マルクが顔を上げた。
「何がだ?」
「この数字です。」
アルトは報告書の一部分を指差した。
北部から王都へ運ばれる小麦の輸送量。
街道封鎖前――通常時。
封鎖直後――大幅減少。
ここまでは理解できる。
問題は、その次だった。
「街道が封鎖されたのに、小麦の在庫が減っていない。」
「……。」
マルクが報告書を覗き込む。
「確かに。」
「王都への輸送量は減っています。」
「なのに北部の倉庫在庫は、予想より減っていない。」
アルトは紙を並べ替えた。
「普通なら、出荷が止まれば在庫は増えるはずです。」
「ところが――。」
「ほとんど変化していない。」
マルクは眉をひそめた。
「つまり?」
「街道が封鎖されているのに、どこかから商品が流れている。」
部屋の空気が変わった。
「別の街道か?」
「それなら、別ルートの輸送記録があるはずです。」
「……記録がない?」
「はい。」
アルトは頷いた。
「だから、おかしいんです。」
マルクは腕を組んだ。
「密輸か?」
「まだ決めつけない方がいいです。」
アルトは即座に否定した。
「今あるのは『不自然な数字』だけです。」
「証拠がない段階で犯人を決めるのは危険です。」
営業でも同じだった。
数字に異常があるからといって、すぐに誰かを責めるわけにはいかない。
まず事実を確認する。
仮説を立てる。
そして検証する。
「じゃあ、何を調べる?」
マルクが尋ねる。
「三つあります。」
アルトは指を立てた。
「一つ目。北部の倉庫に本当に小麦があるのか。」
「二つ目。街道封鎖後に、どの商人がどれだけ小麦を動かしたのか。」
「三つ目――。」
アルトの指が止まる。
「封鎖された街道を、誰が最初に『使えなくなった』と判断したのか。」
「……なるほど。」
マルクが頷いた。
「街道封鎖の情報そのものを調べるのか。」
「はい。」
「それが何になる?」
「情報が正確なら問題ありません。」
アルトは報告書を見る。
「でも、もし誰かが意図的に情報を流していたら?」
マルクの表情が険しくなる。
「王都中の商人が、街道を使わなくなる。」
「そうです。」
「たとえ実際には、別ルートが使えたとしても。」
「はい。」
アルトは静かに頷いた。
「だから、まず現場を見ます。」
「北部へ行くのか?」
「行きます。」
「王宮から許可を取る必要がある。」
「なら、取ってもらいましょう。」
翌朝。
王宮では緊急の打ち合わせが開かれていた。
クラウス商務大臣。
マルク。
アルト。
そしてエリシア。
さらに――。
「私も同行しよう。」
レオンだった。
「お父さんが?」
「ああ。」
レオンは落ち着いた表情で頷く。
「今回の調査先は、私の領地に近い。」
「領主として現地の状況を確認する必要もある。」
「それに――。」
レオンはアルトを見る。
「お前一人で行かせるわけにはいかん。」
「ありがとう。」
アルトは笑った。
こうして一行は北部へ向かうことになった。
数日後。
北部の街へ到着すると、最初に目に入ったのは大量の小麦袋だった。
「……あるじゃん。」
アルトが呟く。
倉庫には、小麦が山のように積まれている。
しかし――。
「どうして売らないんです?」
倉庫番に尋ねると、男は困った顔をした。
「売れないんですよ。」
「売れない?」
「街道が封鎖されているから、王都へ運べません。」
「でも、他の地域へ売ることは?」
「それも難しい。」
「なぜ?」
男は声を落とした。
「商人たちが怖がっているんです。」
「何を?」
「街道を使ったら襲われる、と。」
アルトは眉をひそめた。
「襲われた商人は?」
「……。」
倉庫番が黙る。
「誰か、実際に襲われたんですか?」
「いや。」
「では、なぜ怖がっているんです?」
男は答えられなかった。
アルトはマルクを見る。
マルクも同じことを考えているようだった。
「噂だけが広がっている。」
「そういうことですね。」
アルトは頷いた。
その後、一行は街の商人たちから話を聞いて回った。
すると、奇妙な共通点が見えてきた。
誰もが同じ話をしている。
「街道は危険だ。」
「山賊が出る。」
「荷馬車が襲われる。」
「だから使わない方がいい。」
だが――。
誰一人として、自分が襲われたとは言わなかった。
「おかしい。」
アルトは宿へ戻ると、机の上に聞き取り結果を並べた。
「全員が同じ噂を聞いている。」
「しかし、目撃者はいない。」
エリシアが首をかしげる。
「誰かが嘘をついているの?」
「まだ分かりません。」
アルトは紙を見る。
「でも、情報の流れには特徴があります。」
「特徴?」
「噂が広がった順番です。」
アルトは商人たちの名前を書いた。
「最初に聞いた人。」
「その人から聞いた人。」
「さらに別の人へ伝えた人。」
線でつないでいく。
やがて、一つの名前に線が集中した。
「……この商人。」
マルクが呟く。
「誰だ?」
「北部で穀物を扱っている商人です。」
アルトはその名前を見つめた。
「話を聞きに行きましょう。」
翌朝。
一行は、その商人の店を訪れた。
「街道のことですか?」
商人は少し驚いた様子を見せた。
「はい。」
「私は何も知りませんよ。」
「まだ何も聞いていませんけど。」
「……。」
商人の表情が固まった。
アルトは内心で小さく頷く。
(やっぱり。)
だが、ここで追及してはいけない。
相手を追い詰めれば、口を閉ざす。
「実は、街道のことで相談があります。」
「相談?」
「はい。」
アルトは一枚の紙を取り出した。
「王都への小麦輸送を再開したいんです。」
商人の顔色が変わる。
「それは危険ですよ。」
「そう聞いています。」
「なら、やめた方がいい。」
「なぜですか?」
「山賊が――。」
「誰が見ました?」
「……。」
「誰が襲われました?」
「……。」
「いつですか?」
質問を重ねる。
商人は答えられない。
アルトは静かに言った。
「あなたも、誰かから聞いただけですよね?」
長い沈黙。
やがて商人は観念したように息を吐いた。
「……そうだ。」
「誰から?」
「それは――。」
その瞬間。
外から大きな物音がした。
ガシャン!
「何だ?」
レオンが立ち上がる。
アルトたちが店の外へ出る。
そこには、一台の荷馬車が倒れていた。
そして地面には――。
見慣れない小麦袋がいくつも転がっている。
マルクが袋を確認する。
「これは……。」
袋に刻まれた印。
北部の商会のものではない。
「王都の商会の印だ。」
アルトは目を細めた。
「どうして北部に?」
さらに袋の一つを開ける。
中身は小麦。
だが、アルトは違和感に気付いた。
「これ……。」
「どうした?」
「小麦じゃない。」
全員が驚く。
「どう見ても小麦だろう。」
アルトは袋の中身を少し手に取る。
「小麦に見せているだけです。」
「え?」
「品質が違う。」
アルトは袋を閉じた。
「これは北部から王都へ運ぶはずだった小麦じゃない。」
そして、袋の印をもう一度見る。
「誰かが、別の場所から小麦を持ち込んでいる。」
レオンが低い声で言った。
「つまり――。」
「はい。」
アルトは静かに答えた。
「街道封鎖の裏で、別の商流が動いている。」
その瞬間。
遠くから馬の蹄の音が響いた。
誰かがこちらへ近づいてくる。
アルトは顔を上げた。
「……誰だ?」
馬車が止まる。
降りてきた男は、アルトたちを見るなり驚いた。
そして――。
「なぜ、ここにいる……?」
その男の胸元には、王都で見た商会の紋章があった。
アルトはその紋章を見つめる。
――バルド商会。
「ガルマンさんの商会……?」
空気が凍りついた。
だが、アルトはすぐには疑わなかった。
むしろ冷静に考える。
(バルド商会が関わっている?)
(それとも――。)
その瞬間、アルトは一つの可能性に気付いた。
これは「誰かが物流改革を邪魔している」のではない。
もっと大きな仕組みが、裏で動いているのかもしれない。
営業メモ⑧⑧
「数字の異常は、問題そのものではなく『問題が隠れている場所』を教えてくれる。営業でも、売上の増減だけを見るのではなく、数字の背景にある行動や流れを見ることが重要。『なぜこの数字になったのか』を掘り下げることで、見えなかった事実が浮かび上がる。」
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次回予告 第九十一話「営業課長、最大の誤解を解く」
街道封鎖の現場で発見された、バルド商会の荷馬車。
改革の協力者だったはずのガルマンに疑いが向けられる。
しかしアルトは、すぐに犯人を決めつけなかった。
「この荷馬車……おかしい。」
アルトが見つけた、もう一つの不自然な点。
そこから、街道封鎖の裏に潜む本当の構図が見え始める――。




